アゴとキンパツ

「ごめん、アゴ。間違えた」

「なんだよ、お前! 漫才王までは時間がないんだ。やる気ないならやめちまえよ!」

「もう一回……」

「バカ! お前がネタを覚えてくるのが先だろ!」


 おれは椅子を蹴って稽古場を飛び出した。相方のキンパツは、セリフが出てこなかったり、掛け合いの手順を間違えたりとさんざんだったから。若手漫才師の登竜門「漫才王」の本選まであと三日しかないのに何やってんだ。今年はおれたちにとって勝負の年だってのに!



「ピンで行けんだろ。お前アゴはおもしろいよ」

「そうっスか」


 漫才やコントにこだわらなくていい。おれ一人でも芸能界でやっていけると言ってくれるのは、ピン芸人でいくつもテレビの人気番組を持っている先輩のKだった。Kはおれのことを気に入ってくれていて、今日は、先月から東欧ではじまった戦争のせいで、スケジュールに穴が空いたと飲みに連れ出してくれたのだ。


「今年の漫才王。ダメだったらピンでやること考えてみてもいいんじゃないの。おれのみるところあいつキンパツと組んでちゃ無理だ。あいつには荷が重いや。笑いセンスが足りてねえよ」

「やっぱ、そうスかねえ」


 ふたりしてグラスのビールを空けた。Kに奢ってもらうビールの味は苦い。


 Kから言われるまでもない。養成所にいる時からそう思ってた。キンパツにそこまで笑いのセンスはない。でも、おれはちがう。抜群におもしろい自信があった。小学校から高校まで、おれが立って話しはじめると笑わないクラスメイトはいなかった。教師もそう。おれなら誰だってなんだって笑わせられる。


「アゴとキンパツ」。おれたちのコンビ名だ。おれがアゴで、やつがキンパツ。


 おれが相方にキンパツを選んだのは、その方がコンビとして目立つから。やつは東欧出身で金髪碧眼のイケメンだ。見た目の注目度は抜群。ネタとしゃべりはおれが担当する。それが一流芸人になる近道だとおれは考えた。注目を集めさえすれば、おれの笑いセンスでコンビは有名になる――はずだった。


「こんなレベルで、ぐずぐずやってられないんスよ」


 地元では進学校に進んだおれは、勉強もスポーツもぱっとしなかった。なんで勉強を頑張らなきゃいけないのか、目的のないおれにはピンとこなかったからだけど、気がついたら学校の授業が分からなくなっていた。相変わらず、人を笑わせるのだけは得意だったけれど、「人に笑われて何になる」と教師や友達はおれのギャグを笑いながら、おれのことは馬鹿にしていた。いい大学に入ってくれという両親の期待も煩わしく、家では勉強せずに録画したお笑い番組ばかり見ていた。いつかおれもこうした番組をもつんだ。ずっとそればかり考えていた。高校を卒業すると、大学へは進学せず上京した。お笑い芸人になるための養成所が東京にあったからだ。


「もう時間がないんス」


 先輩のKは酔い潰れていて、もうおれの話なんか聞いちゃいなかった。時間がないってのに――あいつは。


 養成所で出会ったキンパツとコンビを組んで10年。コンビの歩みは順調といえば順調だった。おれがにらんだとおり、キンパツの外見は若手漫才師のなかでは抜群に目立った。ファッション・モデルのような男が漫才をする意外性が受けて、テレビにも出た。世間での知名度は若手の中でも高い方だと思う。


 でも、漫才の実力となると、どうも一息足りないことが多かった。漫才新人賞では養成所の同期たちがつぎつぎと賞を獲っていったが、おれたちはまったくそうした賞レースに縁がなかった。理由は、おれのアドリブ気味のネタフリに、相方のキンパツがもたもたして応えられないから。観客にとって、テンポの悪い漫才を見せられるほど退屈なことない。「アゴとキンパツ」はその知名度とはうらはらに、漫才の実力では伸び悩んだ。


 そんなおれたちが、結成10年以内の若手漫才師ナンバーワンを決める漫才王の予選を突破し、本選への出場資格を得た。結成10年目、はじめて目に見える成果だった。そして、おれたちにとって最後に残った最大の漫才賞をものするチャンスだった。


 それなのに――。


 最近のキンパツはおかしかった。顔を合わせるといつも上の空で、漫才の稽古をするとネタを間違えた。「やる気あるのかよ」。「これが最後のチャンスなんだぞ」。漫才王の本選が近づくにつれて、自分の声がとげとげしくなっていくのが分かった。養成所の同期からは、過去に漫才王のチャンピオンも出ている。もうこれ以上、足踏みをつづけるわけにはいかない――とおれは焦っていた。焦りから、おれは相方を責め続けた。


 ――お前キンパツが、おれのネタについてこれさえすれば、ウケるんだ!


 つぎの日、稽古場に現れたキンパツの顔色はひどかった。ネタ合わせをしようかと立ち上がったおれを手で制して話し始めた。


「ちょっと聞いてほしいんだ」

「なんで。いまネタ合わせするより大事なことがあるってのか」

「大事な話なんだ。いましかできないんだ、聞いてくれ」


 目の下にクマを浮かべているキンパツの表情は必死で、おれは口をつぐまざるを得なかった。


「ボク、漫才好きだよ。漫才王に出るのは、ボクの夢だった。アゴとコンビ組めてよかったと心から思ってる。でも、ごめん。漫才王には出られなくなった。明日、この国を出るんだ」

「出るって……なに言ってんだ!」

「聞いて! ボクが子どもの頃、母さんとこの国へやってきた話はしたよね。故郷の国ではじまった戦争を避けて、この国へやってきたんだ。まだ、小学校へ上がる前だよ、ずっと前――」


 キンパツは話しはじめた。




 東欧で戦争がはじまったのは知ってるだろ。

 戦争ってひどいんだよ。ボクは小さな子どもだったけど、よく覚えてる。ある日、突然隣の国の人たちが武器を持って攻めてくるんだ。飛行機やミサイルが飛んできて、街や道路が燃えるのさ。ボクと仲良しだった女の子の家も、ミサイルに撃ち抜かれて燃え上がった。戦車が何台も街にやってきて、ボクと家族は近所の人たちと一緒に街の地下室シェルターへ逃げ込んだんだ。


 電気も水道もガスもないシェルターの生活はひどもんだ。学校の教室、二つ分くらいの広さに五つの家族が避難してた。窓はないから晴れてるのか曇ってるのか、昼なのか夜なのかもよく分からない。灯りは、いくつかの懐中電灯と、備蓄のロウソク数十本。みんなが持ち寄った食料が少なくなると、夜、男の人がシェルターを出て探しに行くんだ。昼間は行けない。敵なのか、味方なのか分からないけれど、砲撃の音が鳴りやむことがないからね。


 怖かったさ。でも、シェルターに避難した家族の中に、お笑い芸人コメディアンがいたんだ。

 彼は毎日、地上の砲撃がはじまるとみんなの前に立って、おもしろい話を聞かせてくれる。街で流行っているジョークや、有名人のモノマネ、自分や家族の失敗なんかを、おもしろおかしく話してくれるんだ。ときには一人芝居やダンスまで交えてね。それがおもしろくて、ボクは毎日楽しみにしてた。砲撃の音は恐ろしかったけれど、彼の話コメディがはじまると夢中になって、怖いことも忘れられるんだ。


 ボクのお笑い好きは、あのとき彼のようになりたいって思ったからさ。


 彼かい? ある晩、食料を探しに出たまま戻ってこなかった。戦闘か終わってシェルターから助け出される前の日だよ。ボク、彼の声はまだ覚えてるけれど、顔は覚えていないんだ。シェルターはいつも暗かったからね。



「今回の戦争で義勇兵が募集されてる。アゴ――ぼくは行かなきゃ」

「行くって」


 おれはひどく混乱していた。キンパツがなにを言っているのかよく理解できなかった。


「またひどい戦争がはじまった。あのときのボクのように、暗い地下室で笑うことも忘れて震えている人たちがあの国にはいるんだよ。あの国の人たちに何が必要か、ボクには分かるんだ。ボク自身がそうだったんだからね」

「義勇兵になろうってのか? お前、銃なんか見たこともないだろ」

「はは。銃は撃たないよ。ボクはお笑い芸人だよ。……政府が渡航禁止命令を出した。明日の便があの国へ入る最後の飛行機なんだ」

「漫才王を放り出してか?」


 自分がひどく間抜けなことを言っているように思えた。さっきまで、これ以上大事なことはないと思い込んでいたというのに。


「ごめん。アゴには感謝してる。ボクにはセンスがないから、ほんとうに勉強になった。アゴは、ボクが出会った二番目にすごいお笑い芸人コメディアンだ。あっちへ行っても、ネタは使わせてくれよな」

「キンパツ……」

「ボクとコンビを組んでくれてありがとう」


 行ってくるよと言い残して、キンパツは出ていった。冷えきった稽古場におれだけが残された。





「おい、キンパツは?」


 漫才王の本選の日、番組にゲスト出演するピン芸人のKが、相方のいないおれを心配して声をかけてくれた。口は悪いが面倒見はいい人なんだ。


「トイレっス。緊張してるみたいで」

「だよな。がんばれよ」

「うス」


 でも、おれの隣にキンパツはいない。無事にあの国へ入国できたかどうかも分からない。

 相方がいなくなってしまったことを隠し通して、おれは漫才王の舞台に飛び出した。漫才のコンテストにひとりで飛び出してきた芸人に、観客も番組スタッフも驚いていた。漫才なのに、おれのひとり舞台だった。


 舞台では、砲弾の飛び交う街の地下室でおもしろい話スタンダップコメディを披露するキンパツのネタをやった。ひと晩寝ないで考えた「アゴとキンパツ」渾身のネタだった。でも、観客も審査員もだれひとりとして、このネタを笑う者はいなかった。


 ネタを終えて、舞台の袖に引き上げてくると、漫才王の番組ディレクターがカンカンになっていて「お前は失格だ」と叫んだ。出演する漫才師たちがおれと目を合わせようとしない中、ゲストとしておれのを見ていたKがやってきておれの肩に手を置いた。


「おれ……またキンパツと漫才やりたいっス」

「ああ、わかってる――泣くんじゃねえよ。ばーか」


 今夜、先輩に奢ってもらうビールの味は、また格別に苦いだろう、そう思った。

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