果心居士の食事

八十科ホズミ

果心居士の食事

 西暦一五九〇年。奥州仕置きが終わり天下統一を為した豊臣秀吉によって、この年より「瑞祥ずいしょう」と元号が改元された。

 まだあちこちで一揆や反乱はあるものの、日の本がつかの間の平和を取り戻した瑞祥時代。

 これはそんな時代の中、とある忍びの里にて催された饗応の話である――。


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 一五九二年。瑞祥歴三年。冬。現在の山形県の出羽三山でわさんざんの主峰、月山がっさんの八合目に存在する弥陀ヶ原みだがはらに、「月の里」と呼ばれる忍びの里があった。

 その里は、里長を頂点とし、下に上役が三人、そして火、水、風、土の四つの一族がそれぞれ結成している「党」の党首と、実働部隊の一族によって構成されている隠れ里である。


 その中の、火の一族の焔党ほむらとうに、風変わりな少女が一人。


 名は坂ノ上さや。今年で十四となるその少女は、元は南奥州の内陸に位置する「三鶴みづる」という小国の姫であった。

 しかし奥州仕置きにより三鶴は攻められ、三鶴の坂ノ上家はさやを残して滅亡。一人生き残ったさやにも、伊賀の忍びから瞳に禁術をかけられ、数里先を見通し人や物を透視する能力が発現してしまい、従者である忍び、紫月しづきと共に、ここ月の里へやってきたのである。

 さやは、三鶴を滅ぼした奥州仕置き軍筆頭の芦澤あしざわ家への復讐と、坂ノ上家の再興のため、月の里にて修行を積んでいた。

 そんな亡国の姫は、今、火の一族の屋敷の一部屋にて勉学を教わっている。


大唐西域記だいとうさいいききを記述した玄奘げんじょう……尊称・三蔵法師は、天竺てんじく那爛陀ナーランダ僧院にて学んだあと、とある寺に行くと、そこには白檀の観音菩薩像が安置されていました。その観音像は霊験あらたかな像で、人々は花輪を作り、観音様の手や肘に花輪がかかると願いが叶うと聞き、一生懸命花輪を投げています。そこで法師はこう願います。「もしも私が無性むしょうでないのなら、顎に花輪をとどめたまえ」と。さて、法師の言う無性とは何なのか、説明出来るものは?」


 その部屋には、十名ほどのさやと同じ年頃の子がいたが、手を上げるものはいなかった。仕方が無いのでさやが控えめに手を上げる。


「では、さや。説明して」

「はい。無性とは、不定性と同じく仏になる種子のないものを言います」

「正解です。では五性各別ごしょうかくべつは知っているかな」

「五性とは、菩薩ぼだい定性、縁覚えんがく定性、声聞しょうもん定性、不定性、無性の五つを意味します」

「はい、正解です」


 さやは短い茶色の髪をかき分け、少し得意げにする。この説法を聞くのは初めてではなかった。まだ三鶴が滅んでいない、さやが十一の時。三鶴城に来ていたから以前教わったからだ。


「しかし、法師のような徳の高い者が無性であるはずがないと周りの者は思っていた。法師が投げた花輪も見事に観音像の顎にかかった。しかし法師は一人疑問に思っていた。さや、九識くしきとは何か説明出来るかい?」

「えっと……視力、聴力、嗅覚、味覚、触覚、そして意識の六つの識に、末那識まなしき阿頼耶識あらやしき阿摩羅識あまらしきの三つの識を足したものです」

「正解。では唯識思想ゆいしきしそうは分かるかい?」

「ええと……」


 さやは頭を捻って記憶を辿る。名前は聞いたことがあるが、どういった意味を持つのかが思い出せない。確かに習ったはずなのに……。


「唯識思想とは、この世に存在するものは、識……つまり心が作りだした対象であり、心によって知覚出来るという思想だ。先ほどさやが言った未那識まなしきとは、他者と自分を区別し、自分を優先しようという自我意識、阿頼耶識あらやしきとは自分自身の経験を貯蔵する心、阿摩羅識あまらしきとは阿頼耶識に蓄えられた過去の経験が、六つの識の基盤となり、自己の認識に影響を与えているということを意味しており……」


 さやをはじめとする、部屋の子は必死に先生の言葉を手元の黒板に石筆チョークで書いていく。


「つまり、唯識思想とは、全ての事は識……心の作用によるものであるという玄奘法師の唱えた説だ。その根本には九識がある。しかし法師は、自ら唱えたこの説に疑問を持った。五性の無性にあたる者は本当に仏になれないのだろうか。人だけではなく、草木や獣も仏になり得るのではないかと。それを確かめようと法師は天竺へと赴いたわけだな」

「そこで、玄奘法師はどう悟ったのですか?」


 子の一人の質問に、先生はにっこりと微笑み、「今日はこれまでだ」と告げる。

 さやや他の子は不満げに唇を尖らせている。一番知りたい肝心な所を教わらないなんて。


「これは次回までの宿題だ。玄奘法師は天竺へと赴いて、一体どういった悟りを得たのか、各自考えておくように」


 先生が手を二回鳴らし、授業は終わりを告げる。立ち上がった子供達に混じって部屋を去ろうとしたさやを先生が呼び止める。


「さや、お客人だ」

「私に……ですか?」


 坂ノ上家が滅び、三鶴領は芦澤家のものとなった今、さやに知り合いなど紫月他里の者以外に居ない。一体誰だろう?


「法相宗興福寺の果心居士かしんこじだ。上客だから丁寧にもてなしなさい」

「!」


 さやの瞳が大きくなる。その果心居士こそ、かつてさやが教えを請うていた僧侶だったからだ。


 ※

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 雪がちらほらと降り始める中、果心居士が待機しているいおりに、さやはお付きの忍びである紫月と共に向かい、はやる心を抑えて、「失礼します」と言い、静かに襖を開く。

 小さな庵には五十歳程の体格の良い僧侶と、お付きの者三名が座っていたが、体格の良い僧侶――果心居士はさやと紫月の姿を見て相好を崩す。


「おお! さや姫! 久しぶりだな!」

「果心居士も、相変わらずお元気そうで……」


 手を付き頭を下げながら、さやの顔がほころぶ。さやが十一の時、疱瘡てんねんとうで苦しんでいたところを居士に助けてもらい、その縁から三鶴城の庵であらゆることを教えてもらい、十二の時に三鶴が滅んだあとも、さやを匿い、瞳にかけられた禁術に「天恵眼てんけいがん」と名付け、御し方を教わった。さやにとって果心居士は師でもあり命の恩人でもある。

 月の里に来る前に居士とは別れたが、こうして二年経った頃に再会できるとは思っても見なかった。


「おお、少し大きくなったようだね。顔が大人びている」

「いや……そんな……居士こそ、変わりないようで」


 さやは、居士の剃髪された頭部から茶目っ気のある顔へと視線を移したが、居士の肌は潤いを増し、変わらないどころか若返ったような気がするのは気のせいだろうか?

 確か居士達は隣の羽黒山はぐろやまにて修験道の修行をしていたはず。修験道の修行場は月山にもあり、忍びの道にも少なからず関わっているが、さやは体験したことがなかったので、きっと滝に打たれたり火の上を歩いたりして大変なんだろうなといった貧弱な想像しか出来なかった。

 居士の後ろで控えている弟子の雲水達は、皆修行の過酷さのせいかげっそりとやつれているのに対し、居士だけ色艶の良い肌を光らせている。弟子の血でも吸って若返ったんじゃないかとさやは邪推してしまう。


 と、居士は急に居住まいを正し、さやに一礼してきた。


 何事かと驚くさやに対し、居士は「さや姫、坂ノ上家第二十七代目当主ご就任、誠におめでとうござる」と言ってきた。雲水達も手を付き深々と頭を下げてくる。


 さやは十二の時、月の里に来て、頂上の月山神社にて、坂ノ上家に伝わる神楽舞を全て踊りきったことがある。


 代々、坂ノ上家の当主につく者は、家に伝わる三振りの宝刀の前で、坂ノ上神社にて神楽舞を奉納しなければいけない。そうしないと宝刀から当主と認められず、刀を鞘から抜くことが出来ない。

 坂ノ上家はもはやさやしか生存している嫡子はいなく、さやの父である先代もさやを次期当主に生前指名していたので、さやが当主になるしかなかった。が、それは至難の道であった。

 三振りの宝刀のうち一振りは、さやに禁術をかけた芦澤家が雇った伊賀の忍びに奪われ、坂ノ上神社に奉納されているもう一振りも動かせず、加えて今は芦澤家の領地となった旧・三鶴領にある坂ノ上神社にさやは行けず、唯一さやの手にあった一振りの宝刀へ月山神社にて神楽舞を奉納することで、宝刀に自らを次期当主と認めさせるために修行したが、これがとても大変だった。

 気圧が低く酸素濃度も低い結界内で修行し、何度も気を失い、心がくじけそうになったが、紫月が励まし背を押してくれたおかげで、無事に神楽舞を踊りきり、宝刀は鞘から抜けて、月の里にさやは正式に住人として受け入れられた。


 さやは少し照れながら、坂ノ上当主として背を伸ばし顔を真っ直ぐに見据えながら、居士達に頭を下げ返礼した。さやの後ろで紫月も礼をする。

 少しの間、厳粛な空気が庵に流れたが、その空気を破ったのは居士だった。


「いやあ……しかしあの小さかったさや姫が、こんな立派になって……」


 そういうと居士は、目頭を押さえる。本当に涙が溢れそうなのか、それとも振りなのかは分からないが、そんなに感動してもらえて、さやはなんだかこそばゆくなった。

 宝刀に当主と認められたはいいが、さやは未だ忍びの修行中で、位もまだないのだ。肩書きは立派になったが、自分の身体と精神はまだ未熟だと思う。


 その後、さやと居士はとりとめのない雑談を茶を飲みながら交わした。それはかつて三鶴城で居士から様々なことを教わっていた平和な時を思い出させるものだった。さやは女児なので、正式には居士の弟子ではない。弟子ではないが三鶴のとしてさやに雑談という名の教えを授けていた居士から、仏教の教えや禅問答、果ては遠い大陸の国の説法などを教わったな、とさやは懐かしむ。


「そういえば、今日、前に居士に教わったことを習ったよ」


 ここに来る前、屋敷にて学んでいた唐の僧侶である玄奘のことを思い出しながらさやは言う。


「ほう、それはどんなことだい?」

「えっと……玄奘という偉いお坊さんが、天竺に行って大唐西域記というのを記述して、それから……」

「それから?」

「ええと、玄奘法師は唯識思想ゆいしきしそうというのを唱えたんだけど、それに自ら疑問を持って、天竺に行って、ええと……」


 歯切れの悪いさやの様子に、果心居士の顔が曇る。玄奘――尊称・三蔵法師は法相宗の開祖に深く関わっている。当然、玄奘のことは、三年前のさやが十一の時に三鶴城で既に教えている。しかし……


「さや姫、もしや、玄奘法師の教えを忘れてしまったのか?」

「…………」


 さやは顔を真っ赤にしてうつむく。三年経っているとはいえ、居士に教わったことを忘れてしまうなんて。


「ううむ、それはいかんなあ」


 居士の言葉に、さやは叱られると思い身を強ばらせた。喝を入れられるかと怯えているさやの様子を、居士はどこか面白そうに見ている。


「再び教えるだけではまた忘れるかもしれん。知識は自ら習得して初めて血肉となるものだ。そうだのう………」


 紫月は禿げ頭を掻きながら思案している居士を見て、何か面倒くさいことを企んでいるな、と悟った。ああいう茶目っ気のある瞳のとき、必ず居士は何か無理難題を言ってくる。以前から何度も月の里に来て、疱瘡を治した紫月や他の者相手に散々やってきた実績がある。


「では、儂から一つ問いを出そう」


 さやが顔をあげると、僅かに口の端を緩め微笑を浮かべている居士と目があった。その目を見て、居士が怒っていないことを知ったさやは胸をなで下ろしたが、問いとはなんだろう?


「問いというより、頼み、かな。儂はこの通り僧侶なので、教義に従い殺生は禁止されている。だが儂のような者も、。この煩悩を解消できる膳を用意することは出来るかね?」


 笑いながら言われた問いに、さやは目を白黒させる。獣肉や魚、刺激物など生臭ものを食すことが出来ない居士に、それらを味あわせられるのか。もちろん居士はと言っているのだ。


「それ、は……玄奘法師の悟りと関係があるの?」

「おお、大いにあるぞ。この問いに答えられたら、法師の悟りの意味を心から分かることが出来るだろう」


 さやは、訝しげに眉を寄せ居士を見る。相変わらず微笑みを浮かべては居るが、居士は誰にも解けない問いをさやに仕掛けることはなかった。あの顔は答えを知っている顔だ。知っていてさやに答えを見つけ出し成長する機会を与えているのだ。

 ぎゅ、と拳を握ったさやは、居士を真っ直ぐ見つめ返して言う。


「わかりました。居士の要望に応える膳を、必ずや用意してみせます」


 ※

 ※

 ※


 庵から出たあと、さやは習った玄奘げんじょうの教えをもう一度思い出してみた。

 玄奘は、唯識ゆいしき思想というものを唱えたが、自らそれに疑問を持った。それまでは仏になれるのは五性各別ごしょうかくべつで言う菩薩定性、縁覚定性、声聞定性までの者で、不定性、無性は仏の種子がない――つまり先天的に成仏できるものとそうでないものに別れているというのが教えだった。


(でも、玄奘法師は、それを否定した)


 そして五性各別が正しいのかを確かめるため、天竺へと行き、膨大な数の経典を訳し、そこで悟りを経た。しかしさやには、その悟りの部分が分からない。


(五性各別は正しくない? つまり、


 屋敷の部屋で先生は言った。人だけではなく、獣や草木まで仏になり得るのかと。

 さやは、部屋の襖を開いて、雪化粧に染まる里を見渡した。冬でも里の営みは変わらず、雪をかいて雪だるまを作ったり、雪の下に野菜を貯蔵したりしている。他には滑り台の付いた豪華な雪洞かまくらや、不動明王を模した雪像などが並んでいるが、あれは決して遊びで作ったわけではなく、雪像や雪洞を作るのは、雪深い山の中の任務で、塹壕や雪洞を素早く作ってビバーグ出来るようにという訓練の一環だった。

 さやも何度か雪像作りに参加したが、強く何度ものこぎりや鋤で雪を削っていたら、酷い腱鞘炎になって後々苦労した。


 獣や草木まで仏になれるなら、野菜や雪もなれるということだろうか?

 冷たい雪が形を変え、美しい雪像や雪洞になるように、全てのものが仏性を得ている?


(居士の要望は、肉を使うことなく肉を味わいたい……それとこのことの何が共通している?)


 さやは居士の言い方に少し引っかかった。肉や魚を食べたい、ではなく、? 肉そのものを食したいのではなく、肉の味のするものを食べたい、と言っている。それは殺生禁止の掟を破ることではないらしい。


(つまり、肉の味がする、別のものを用意すればいい?)


 思案に耽っていたさやは、紫月に言われ、糧食班の手伝いに行かなければならなかった。

 今日、里に届いた食糧を運ばなければならないが、人手が足りないらしい。


 里には、忍びを派遣した家から、対価として銭以外に食糧をもらうことも多かった。それは米だったり、野菜だったり、麦や果物や酒や味噌、塩だったりする。月の里がある月山は火山なので、土地が痩せておりあまり米や麦は取れなかった。代わりに温石や硫黄、炭などは沢山採取出来ている。


 それらのたわらや袋を手分けして運ぶのだが、さやはまだ俵を担ぐことが出来なかった。この時代の俵はまだ重さがまちまちで地域によって違っていたが、軽いものでも二十キロはある。それらを肩まで持ち上げ運べるだけの筋力がさやにはまだない。仕方なく大車を使っていたが、さやと同い年の子が軽々と俵を持ち上げているのをみて、さやは自分の修行不足と未熟さを思い知らされて気持ちが落ち込んでしまう。

 紫月など、六つの俵を軽々と両手で担ぎ上げている。紫月ほどとはいかないまでも、一俵を担げるようになりたい。農民は一俵担げて一人前だそうだ。


 大豆の入った袋を糧食班の小屋に運ぶ。どこの家からの対価なのかは分からないが、随分沢山貰ったものだ。これで豆腐やひしおが作れる。


 糧食班の小屋では、豆腐や醤を作れる機材が揃っていた。醤はこうじの管理が大変なので少量しか作れないが、豆腐はよく膳に並んでいた。さやも糧食班で豆腐作りを手伝ったことがあったが、大豆を鍋で煮て液状になったあと、さらしに入れ絞って豆乳をザルに濾しと分かれさせるとき、手を軽く火傷してしまった。何重にも手袋をしてもゴム手袋などないこの時代、熱い豆乳から手を完全に守る術はなかった。

 絞った豆乳を七十度から八十度に温め、海水から塩を抜いた“にがり”を入れしゃもじで全体に行き渡らせると、豆乳と豆腐に別れ始める。固まった豆腐の塊を容器に入れ、表面を平らにし、板で水分を押し出し更に固める。

 しばらくたって容器の底に水が溜まったら豆腐のできあがりだ。


「あの大豆が柔らかい豆腐になるんだから、不思議だね」


 大豆袋を置きながら、さやは紫月に言う。紫月は黙って頷きながら、淡々と袋を重ねていく。

 そういえばさやはどうして丸い豆腐がないのか不思議だった。あんなに柔らかいんだから形を自由に変えても良いと思うのに。

 丸い豆腐は見たことがないが、凍った豆腐ならこの冬で何度も見た。寒さの厳しい冬だと、豆腐のような水を含んだものはあっという間に凍ってしまう。屋内においても氷点下の日々が当たり前の極寒の奥州では、度々食糧が凍ってしまうことがある。こおり豆腐は常温で解凍しないと食べられなかったが――


「ん? まてよ……凍り豆腐……」


 さやの頭の中で、記憶の欠片がはまりそうだった。以前凍り豆腐を食べたときの味、玄奘法師の教え、形を変えようと変わらぬもの、肉の味を味わいたい果心居士……


「ああ!」


 記憶の欠片がいくつも繋がり、そしてそこに描かれた可能性を見いだしてしまった。紫月は何事かとさやを見る。


「もしかして……これ、かな?」


 まださやは自身の答えに確証を得ていない。確証を得るためには――


「紫月! 手伝って!」

「な、なにをです?」


 紫月の褐色の手を握りながらさやは顔を上げる。そこにはずっと解けなかった問題を解けて興奮している十四の少女の顔があった。


「もちろん、果心居士への食事の用意、をよ!」


 ※

 ※

 ※


 果心居士が里にやってきて三日目の夜、さやが主催の饗応が開かれることになった。


 居士と、三人の弟子の雲水は広間で膳が運ばれるのを座って待っていた。

 暫くして、さやと紫月が膳を運んでくる。朱塗りの膳に並んだものを見て、雲水達は眉を顰める。


「こちら、雑穀米と豆腐の味噌汁、肉餅ハンバーグ烏賊イカの切り身、焼いたすずきに季節の山菜漬けを和えました。酢とひしおでどうぞ」


 さやの言葉に、雲水達は怒った。膳に並んでいるのはどうみても肉と魚である。我々が教義で食せないのを知っていてやっているのか、と。

 しかし居士は静まるよう弟子達に一喝する。居士はさやの包帯が巻かれた両手を見て、ゆっくりと頷きながら箸を持つ。


「……これは!」


 箸で肉餅を分けて口にした居士は驚きの声を上げる。食感と味は確かに肉だが、獣臭くなくさっぱりとしている。しかし、どこか食べなれたような懐かしい味だ。

 弟子達は毒でも盛られたか、と顔を険しくしたが、居士は烏賊の切り身に醤を付けて口にすると、破顔一笑した。


「さや姫、説明してもらおうかの」


 包帯の巻かれた火傷した両手をもじもじさせながら、さやは言う。


一切衆生いっさいしゅじょう悉有仏性しつうぶっしょう


 雲水達と、後ろで聞いていた紫月が目を大きくさせるが、居士は、やっとわかったか、という茶目っ気のある視線をさやに寄越した。


「恥ずかしながら、やっと玄奘法師の教えを思い出しました。一切衆生。この世に生を受けた全ての者は、皆仏になり得ると言う事。たとえ草木や獣、雪や豆腐のように、識……精神性がないものでも皆成仏し涅槃に行けるという考えです」


 膳に並んでいるのは、大豆と小麦、稗と蒟蒻で作られている。現代でも東南アジアなどの仏教が盛んな国では、こういった肉や魚に模倣させた精進料理が発達している。ベトナムの言葉ではコム・チャイ精進料理という。

 大豆はたんぱく質が多く含まれており、獣肉よりさっぱりしている。


「肉餅は凍り豆腐を使いました。以前凍り豆腐を常温に戻して食べたときに感じた食感を元に再現しました。烏賊や鱸は蒟蒻こんにゃくと小麦と稗を元に作りました」


 豆腐は冷凍すると組織がスポンジ状となる。それを水で戻し乾燥させると肉によく似た食感と味になり、ちょうど高野豆腐のようになる。

 糧食班の助けを借りて、さやと紫月は大量の様々な豆腐を作り、凍らせ、水で戻し、日に当て乾燥させていくつも調理した。豆と水の配合から始め、どれくらい凍らせ、日に当てれば良いのか、試行錯誤し一番肉の味がした凍り豆腐を使って肉餅を作った。つなぎには卵ではなく、塩と小麦粉や芋を溶かしたものを使った。油も獣脂ではなく、大豆油を使う。

 乾燥した凍り豆腐をそぼろ状にし、そこにつなぎを入れて良くこね、楕円形に整えた後空気を抜くために手で叩く。そして油を引いた鉄板で両面を焼いていく。竹串をついて中の焼き加減を確かめ、中まで火が通れば肉餅の完成だ。


 烏賊イカの切り身は、内陸部で育ったさやは食べたことがないので紫月と糧食班の者が活躍した。蒟蒻の粉を湯で溶かし、とろろ芋とおからをいれ固めると、沸騰した湯で三十分程茹でて灰汁をとり、ひしおやら酢やら塩などの調味料を上手く配合させ、形はもちろん食感や味も似せて作った。

 すずきは、さやは川でとれたのを何回か食べたことがあったが、川魚独特の匂いと味があまり好きになれなかった。だがひえで作ればその問題は解消される。炊いた稗に塩と山芋を混ぜ、粗熱をとり潰したあと形と味を整えていく。そして奥州名物の小麦で出来た板麸を皮に見立てて作った。しかし一回で成功したわけではなく、何回も何回も失敗しては作り直すのを繰り返した。その成功例が膳に並んでいる。


 この膳を名付けるとすれば、「月の里式・一切衆生精進の膳」と言ったところか。


「しかし一切衆生、悉有仏性というのが、どうやってこの食事に結びついたのかね?」

「全てのものが仏になる可能性を秘めているのなら、大豆が形を変えて豆腐や味噌、醤になるように、肉や魚にも変われるんじゃないかって。雪だって雪洞や雪像に変われるんだから、食材もそうなんじゃないかって」


 居士は、里に飾られている不動明王の雪像を思い出した。冷たい雪が神仏の姿に変わるのなら、大豆や小麦もそうだとさやは思いついたのだ。一見突拍子もない考えのようだが、万物が仏になり得るという玄奘法師の教えにたどり着いたわけだ。

 全てのものに仏性はある。先天的に賎しい者や尊い者になるのではない。どのような者も生前の行いによって鬼にも仏にもなるのだ。

 つまり、調理次第でただの大豆は肉にも豆腐にも変わる。全ての食材には別のものに変われる可能性があるという答えをさやは見つけたのだった。


「うむ。まあ及第点かの。鱸もどきがやや崩れやすいのを除けば、全体的に良く出来ている。美味であるぞ」

「あ、ありがとうございます!」


 頭を下げたさやに、居士は共に食そうと誘ってきたが、隣に座ったさやと紫月は箸が進まなかった。今まで試作品を散々味見していたので、腹がもう一杯なのだ。


 居士と弟子達は、さやの用意した膳を美味しく平らげ、饗応は無事成功した。


 だが、向こう七日は失敗作のもどき料理を里の皆で食わなければいけないことを、笑顔の果心居士は知るよしもなかった。


(了)

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