オーク流白山熊のマーニ油焼き、薬草スープ添え

しらす

オーク流白山熊のマーニ油焼き、薬草スープ添え

 冬のカルンの国は寒い。

 一面雪に覆われた石造りの家々は、みんな固く戸を閉め、家の中では暖炉の火を絶やさない。

 そうしないと防寒着を着ていても寒いし、うっかり火を焚かずに寝ると家の中でも死ぬやつがいると聞く。

 なかなか恐ろしい国だ。


 俺は人間の商人たちの護衛をしながら旅をしていたが、ここへ来る途中で寒さにやられて、到着するなり寝込んでしまった。

 やっと起き上がったら街じゅう雪で真っ白で、しかも仕事はほとんど無くなっていた。

 このカルンから一番近い国、ハイラムへの道中でも吹雪ふぶくことが多く、冬は慣れた商人たちが天候を見て移動するだけで、それ以外の行き来はなくなるらしい。


 おまけに俺の種族、オークは大陸の一番南に住んでいて、まずそこから出ることがない。

 そのせいか行く先々で珍しがられるが、信用もないので、ただでさえ少ない仕事は回ってこないのだ。

 そもそも一度は寒さで寝込んでいる。春まで動かない方がいいと、フランという顔馴染みの学者先生に止められた。


「フランさんの言う通りだよ、ボイド君。宿代は安くするから、春までここで過ごせばいい」

 寝込んでいるあいだ面倒を見てくれた宿の主人、ギィにもそう言われて、俺は確かにその方がいいかも知れないと頷いた。


 そうしてここに滞在して一か月くらいになる。

 だが何もすることがなく、時々ギィに頼まれた手伝いをする以外、体を動かすことがない。

 まるで雪が去るのを黙って待っている草にでもなってしまった気分だ。


 メシも夏のうちに用意していたものか、雪の中でも手に入る草か、それを食べに来る小さな動物くらいだ。

 正直言って、めちゃくちゃ腹が減っている。

 分厚い火吹き牛ひふきうしの肉を、甘くてピリッとするカラカラの実を塗って丸ごと焼いたやつに、血で味を付けたしょっぱい野草のスープが食べたい。

 空腹で頭が回らなくなってくると、ついそんな故郷の料理を思い出してはため息が出る日々だ。



 今日も窓を少し開けて、陽の光を反射するまぶしい雪をぼーっと眺めながら、とりとめもない事を考えていた。

 ところが夕方になって、突然ギィに肩を叩かれた。


「ボイド君、白山熊しろやまぐまの肉の塊が手に入ったよ!」

「白山熊の……肉の塊?」

「そう、昨日まで吹雪いてただろう?それでしばらく動けなかった商人たちが、連れていた一頭を食料にしたらしくてね。その残りを売ってたんだ。どうだい、これ!」


 嬉しそうな顔をしながらギィが包んでいた布をほどくと、つやつやと真っ赤な色をした、新鮮そうな大きな肉の塊が出て来た。


 白山熊というのはこの北の国々でよく飼われていて、主に商人たちが荷車を引かせている動物だ。熊と名がついているが熊ではなく、おとなしい生き物らしい。

 全身は真っ白な毛で覆われ、猛禽もうきんのような頭で翼もあるが鳥ではなく、熊のように太い四本の足を持つことから、そんな名で呼ばれるそうだ。


「よく売ってたな、こんなでっかい肉! 商人ってのは腹が減らねぇのか?」

「彼らも仕事用に飼ってたわけだからね。次の子を買わないと仕事が続けられないし、そのための資金にするんだと思うよ」

 ギィはそう言うと、さて夕飯は何にしようか、と早くも腕まくりをしていた。


「ちょっと待ってくれ。その肉、少し俺に料理させてくれないか?」

「うん?構わないけど、何か食べたいものがあるなら作るよ」

「いやな、ちょっと懐かしい料理が食いたくてよ……」

「ああ、そういう事か。なら今日の夕食はボイド君に任せるよ」


 たまに料理の手伝いもしていたせいか、ギィはあっさり頷くと、ずしりと重い肉の塊を渡してくれた。

「好きなだけ使っていいからね。と言っても私と妻とフランさんと君、今はこの4人だけだから、作り過ぎには気を付けるんだよ」

「分かった、適当にやってみる」

 頷いて肉の大きさを確かめながら、俺は早くもよだれが出そうになるのをぐっとこらえた。



 白山熊の肉は、火吹き牛の肉より少し明るい赤色で、切り口の反対側、外側の部分は真っ白な脂でおおわれていた。

 寒さから身を守るためのその脂は、焼けば少し溶けるが、冷めるとすぐ白っぽく固まってしまう、とギィが教えてくれたので、少しだけ残してこそげ取った。この脂は色々使えるというのでギィに渡した。


 代わりに肉を焼くのに使うのは、東の国を旅した時に買ったマーニだ。

 南東の砂漠の手前にある、ザードという暑い国で買ったもので、元は乾燥で体がかゆくなった時に塗った油だ。

 だがこの油は料理に使っても、独特の花のような香りが立って美味うまいと聞いていた。

 いつかこれで料理をしてみたかったが、今までその機会がなかったので、使うのはこれが初めてだ。

 荷袋から取り出して見ると、上の方が少しだけ冷えて固まりかけていたが、問題はなさそうだった。


 味付けはカラカラの実がないのでフランに相談した。

 薬草やスパイスに詳しいフランは、薬の代わりになるからと、ここにいる間に色々と教えてくれているところだ。


「少しピリッとする甘い実が欲しい。スパイスってやつにそういうのはないか?」

「うーん、ピリッとして甘い……両方を兼ねるのは難しいけど、トポの実の砂糖煮とクチゥの粉を合わせればいいんじゃないかな?それならここにもあるし」

「なるほどな。あともう一つ、スープに使う草なんだが、体があったまる薬草はこの辺にあるか?スープは塩でしょっぱくすりゃ何でもいいんだが、この寒さだからな」

「それならビシーブ草がいいかな。ちょうど昨日、山で採って来たところだから分けてあげるよ」

 そう言うと、フランは自分の資料用に採ったらしい草を少し分けてくれた。


 緑色のビラビラした葉が太い茎から伸び、手のひらに収まるくらいの白くて丸い根がついている草だ。葉も茎も根も全部食べられるらしい。

 礼を言って受け取ると、フランは「せっかくの君の料理だからね、楽しみにしてるよ」と笑った。



 材料が揃ったところで、まずは白山熊の肉の塊を少し薄く切り、軽くマーニ油で炒めてから、沸かした湯の中に放り込んでいく。

 しょっぱければ何でもいいのだが、肉を少しだけ入れるとスープはとても美味くなる。マーニ油で炒めたせいか、その香りが湯気とともに広がった。

 放っておくとそのいい香りがなくなりそうなので、慌ててビシーブ草の葉をむしって、茎と根をナイフで切りながら入れ、蓋をしておいた。


 スープはひとまずこのまま煮るとして、次は白山熊の肉だ。

 俺なら塊のまま焼いて食うところだが、人間はあまり分厚ぶあつい肉だとみ切れないし、そもそもこれだけの塊を一度には食えない。

 しばらく考えて、塊の半分を小指の先くらいの厚さで切った。人間でいえば大人の親指くらいの厚さだ。


 まずは塩を少し塗って、マーニ油を引いた鉄板で軽く焼いた。村ではそのままカラカラの実を塗りつけて焼くが、この肉は血を抜かれていて塩気が足りないのだ。

 その間に赤いトポの実の砂糖煮とクチゥの茶色い粉を木の器に取って、スプーンでぐるぐる実を潰しながら混ぜた。

 これで味が出るかどうか分からないが、適度に混ざったところで焼いた肉に塗り、今度は赤いところがなくなるまでしっかり焼いていく。

 肉の表面が焦げてくるにつれて、辺りに食欲をそそる香ばしい匂いが立ち上った。


 そろそろいいかとスープの鍋の方を確かめてみた。中の野菜は程よく煮えて、白かった根は半透明になり、茎も柔らかくなっている様子だ。

 すぐに残りの柔らかい葉を入れて、塩を入れて味付けしていく。肉につける実が甘いぶん、こっちは少ししょっぱいくらいにするのだ。

 出来上がったところで火からおろし、木のわんに取り分けてテーブルに並べた。


 肉の方も丁度いい具合になっていたので、焼き過ぎないうちに俺の分以外は一口大ひとくちだいに切って順に木皿に取り、テーブルに並べていった。

 すると待ちきれなかったのか、フランが部屋から出て来て、ひょいとテーブルの上を覗き込んだ。

「この残りのマーニ油とスープ、パンにつけても美味しそうだね」

と言うと、フランはすぐに食糧庫からパンを取って来て、四人分を切り分けて並べていった。



「できたぞー!」

「できましたよー!」


 俺とフランは同時に叫んでギィとその妻を呼んだ。

 滅多に表に現れないギィの妻、イルマがその声を聞くなり部屋から飛び出してきた。

 表に出ていたギィも遅れてテーブルにやって来て、「おお」と小さく歓声を上げた。


「すごくいい香りがしてたから気になってたのよ!」

 興奮した様子のイルマはいそいそとテーブルに着いた。

 初めて真正面から見た彼女は、ふっくらとした色白の頬を赤くして、子供のように大きな目をキラキラさせていた。

「ははっ、イルマが慌てるのも分かるね。確かにいい香りだ」

 ギィは暖炉で温めていた茶を持って来て一緒に並べ、全員がテーブルに着いた。


「いただきます!」

 口を揃えてそう言うと、一斉に木のスプーンとフォークが踊り出した。

 まずはしょっぱいスープを飲んで驚いたような顔をし、次いで肉を口に含んでうっとりと目を細める。

 見事に三人の表情が揃うのを見てから、俺もマーニ油で焼いた肉にかぶりついた。


「うおっ……うめぇ!」

 故郷で食べていた肉とは味も硬さも匂いも違うが、噛むとじゅわりと染み出す脂と、ほどよく甘くて舌にピリッと来る味が合わさって、何とも言えず美味い。

 マーニ油の香りだろうか、少し鼻に抜けるいい香りが焼けた脂の匂いと混ざって、火吹き牛と違ってくせのない肉の匂いを、食欲をそそる匂いに変えている。


 次にスープも飲んでみると、味見した時よりしょっぱさは薄い気がしたが、ビシーブ草や薄切り肉から出た、甘いようなどこか濃厚な味が口いっぱいに広がった。

 特に半透明になっている根のところはトロトロになっていて甘く、食べているうちに手足がじわじわと温まっていくのが分かった。


「美味しいわねこのスープ! それにこの肉の甘い味付け! 私なんて肉を焼く時は塩と胡椒こしょうくらいしか付けたことがなかったわ」

「この甘い肉の後にしょっぱいスープ、ってのがいいね。いつまででも食べられそうだよ」

「パンも合いますよ! マーニ油と言うんですか、私も仕入れたくなってきました」

「この料理、名づけるなら『オーク流白山熊のマーニ油焼き、薬草スープ添え』ってところかしら?」

 食べながら口々に褒められて、俺は少しだけ尻がモゾモゾした。


 俺はもう、故郷には帰るつもりがない。

 いつか帰るかも知れない、と思っていたのは旅を始めて少し経った頃、一人でいるのが心細くなっていたからだった。

 しかし徐々に人間の国での生活に慣れて、故郷の味も本当は忘れかけていた。

 こうして改めて食べると不思議なほどに懐かしいが、懐かしいと思うぶんだけ、俺にとっては過去の味になっていたんだと同時に気がついた。


 オークである俺はどこへ行っても、珍しいものを見る目で見られるし、時には未開地の住人だとあからさまに馬鹿にされることもある。

 だがその一方で、彼らのように俺を受け入れてくれる人間たちもいるし、俺の料理を喜んで食べてくれるような者たちまでいるのだ。


 嬉しいのに胸苦しいような、どこかで自分を情けないと思っていたのに、元気出せと背中を叩かれるような、そんな感覚が湧き上がって来て、俺は思わず胸を押さえた。

 だがそれをどんな言葉で説明すればいいのかは分からない。

 伝えようにも、そんな事をいきなり言われてもこの三人は困るだろう、ということくらいは分かった。


 何はともあれ今日のメシは、腹いっぱいになるほど肉を食えたし、懐かしい故郷の味に似たそれは、思った以上に美味かった。

 それに家族のような者たちと食卓を囲んで食べるメシは、俺はもうここで生きているんだと、そう自信をくれるような、体の芯から温かくなるような、ほっとするメシだった。

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