1st.Stage―③

「いえ〜い!盛り上がってるう〜?」

数分後。クレープ屋の近くにあったカラオケに向かうと、彼女は部屋に入った途端に素早く曲を入れ、そしてなにやらおかしなテンションで歌い始めた。カラオケには、彼女の持ち歌だって沢山収録されているだろうに、彼女が選ぶのは、ちょっと昔のアイドルソングばかりだ。懐かしいメロディと、何度も聞いた彼女の愛らしい歌声が充満した部屋で、私は楽しそうに歌う彼女をじとりと睨め付けた。

(話が違う!話が!!)

なんでだ。なんでなんだ。彼女はさっき確かに「理由を話す」と、そう、言ったのに。

「ここでは話しにくいから、カラオケに着いたら話すよ」とも言っていたはずなのに、いざカラオケに着いてみれば、HALUオンステージが始まるばかりだ。理由なんて、一向に話してくれる気配がない。

一対一で彼女の歌声が聴けるなんて、普段の私なら涎を流して喜んでいたところだが、この状況では、素直に喜べるはずなんてなかった。焦らされすぎて苛々する。

「はあー!カラオケってすっごく楽しい!ねえ、きみも歌おうよ!すっごく楽しい—」

「ちょっと」

もう、我慢の限界だった。楽しそうに私に話しかけてくる彼女の声を遮って、私は言葉を放つ。放った言葉には、ほんの少し棘が含まれてしまった気がしたが、それも仕方のないことだと思った。

私はいい加減、彼女の口から理由が聞きたいのだ。

「話が違わない?貴方さっき、理由はカラオケで話すって言ったじゃない。なのに話なんてす素振りを見せずに、歌ってばっかりって……」

「わわっごめんごめん!ちゃんと話すつもりだったんだけど、いざ部屋に入ったら歌いたくなっちゃってさ。そんなに怒んないでよ〜!」

私が詰め寄れば、彼女はパチン!と手のひらを合わせて、上目遣いにそう言った。その可愛らしい仕草に、うぐ、と言葉に詰まる。苛々は途端にしゅるしゅると収まって、気がつけば私は「まあ、いいけど」と言葉を溢していた。

彼女は「ありがと!」と明るくさらりと言って、それから、ん〜、と、悩むような素振りを見せた。

「きみを連れ出した理由っても、そんなに大それた理由はないんだけどな〜」

「それでもいいから。話して」

ここまできて未だに勿体ぶるような態度を見せる彼女に、私はピシャリと言う。そうすれば彼女もようやく観念したようで「分かったよ」と一言置いてから、ぽつぽつと話し始めた。

「なんていうかさ、普通を知りたかったんだ。ぼくくらいの年頃の普通の女の子って、どんなことをして、どんなふうに友達と話すのかなって」

そう話す彼女は、なんだか寂しそうだった。私がなにも言えないままでいると、彼女はそんな私を気にする素振りも見せずに、言葉を続けた。

「でも、ぼく、こんなこと頼める普通の友達なんて居なくって。お仕事で知り合った子とは連絡取れるけど、こういうこと頼むのはなんか違うじゃん?だから、今日、適当に同じくらいの年頃の女の子に、声かけようって思ってて……で、そんなことを考えてた時、たまたまきみにぶつかったから、付き合ってもらおって思っただけだよ」

これで満足?と彼女は言った。そしてそのまま「それじゃあ理由も話したことだし、歌うの再開しよっ」と言う彼女に、私は思わず声をかけた。

「……その『普通を知りたい』っていう目的は、果たせたの?」

そう言えば、彼女はぴたりと動きを止めた。そして、小さい声で「……まだ」と、ぽつりと、呟いた。

「まだまだ、やりたいことはあるんだ。もっといろんなところで遊びたいし、誰かのおうちにお泊まり、とかもやってみたいし……」

彼女は、諦めたような顔をして言った。その顔がなんだか苦しそうで、どうしようもなく、無理しているようで。

そんな彼女の顔を見ていたくなくて、気がつけば私は、彼女に言っていた。

「なら、HALUさん。貴方が満足するまで、付き合ってあげる」

「え……」

「私ももうすぐ大学が始まるし、その、HALUさんだってお仕事の都合とかあると思うから……ずっと、ってわけにはいかないけど、私の大学が始まるまでの間でいいなら、その……」

その言葉を、最後まで続けることはできなかった。気が付けばHALUさんが、その小さい身体で私のことを、ぎゅっと抱きしめてきたからだ。

「え、えっ!?」

推しに抱き締められている。気を抜けば昇天してしまいそうな状況だが、天にも昇るようなその気持ちは、彼女の「……ほんと?」というか細い声で、なんとか押し止められた。

「本当よ。こんなことで、嘘をつくわけないじゃない」

そう言えば、彼女は私の腕の中で、ふふ、と嬉しそうに笑った。その笑みは、いつもテレビ越しに見ていたHALUの笑顔じゃない。少女の素の笑顔のような、そんな気がした。

「……そういえばさ、きみの名前聞いてなかったね」

私からそっと身体を離しながら、ぽつり、とHALUが言った。

「別に私の名前なんて知る必要ないでしょ……」

「いやいや、大いにある!友達っぽいことするのに、きみの名前知らないの超困るよ!!」

だから教えてよ、と迫る少女に、渋々口を開く。確かに、彼女の「同年代の子と友達っぽいことをする」という目的を果たすには、私の名前を教えるべきなのだろう。

多分、名前で呼び合うとか、そういうことをしたいんだろうし。

「……朝霧あさぎり文乃ふみの

私の名前を聞けば、少女は嬉しそうに微笑んだ。

「文乃ちゃんか。いい名前だね」

「どうも……」

こんなふうに名前を褒められることなんて滅多にないから、ついついぶっきらぼうな返事をしてしまう。そんな私をなにやら満足そうに眺めていた彼女だったが、は、と何かに思い至るような表情を浮かべると、ぽつりと言った。

五十嵐春海いがらしはるみ

「……え?」

「ぼくの名前だよ。アイドルとしてじゃない、本当の、ぼくの名前。だから—」

次からは、こっちの名前で呼んでくれたら、嬉しいな。

目の前で、彼女—春海は、ふわりと蕾が綻ぶような淡い微笑みを浮かべながらそう言った。可愛くて、儚いような。そんな雰囲気を纏う彼女に、思わず触れたくなって、そっと手を伸ばす。

だけど、触れられなかった。アイドルである彼女に、私が触れていいのか。そう思うとやすやすと彼女に触れようなんて思えなくて、私は彼女に伸ばした腕を静かに下ろす。

「うん、分かった……春海」

そう呼ぶだけで、声が震えた。それでも春海は満足そうに笑って「ありがとう」と声を弾ませて言う。

「さーて!今度こそじゃんじゃん歌いますか!文乃ちゃんも歌おうよ!」

「う、うん……」

私からは、触れられない貴方。さっき、触れようとした腕を下ろしたその時。ほんの少しだけ寂しそうな顔をした貴方を、きっと私は、忘れられないだろうな。

そう思いながら、私は春海に誘われるままに、マイクを握りしめて歌う。

アイドルと一般人。そんな私達の、友人にも満たない奇妙な関係が、始まった日だった。

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ぼくと私のスターライト 一澄けい @moca-snowrose

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