第9夜 伝説の夜

 お互いの渾身の一撃をまともに喰らったジェイとパズス。その衝撃にお互いが弾け飛びながらも、踏みとどまって耐える。



「うおおおおおお!!」



 パズスの身体が赤熱し、熱波が周囲を焦がす。水分が蒸発し、布や紙には火が着くその中にジェイは、さらに踏み込んで拳を振るう。



「おるぁぁぁ!」



 ――バガァッ!



 ジェイの拳がパズスを捉えた。しかしパズスはすぐさま拳を返し、そのまま2、3発を連続でジェイに叩きこむ。ジェイも下がらず、蹴りを返す。お互いがお互いの技を、正面から受け止める打撃戦。一撃ごとにビルが揺れ、地響きが起こるかのようなそんな激しい戦い。しかし――



ジェイ……!」



 パズスの巻き起こす熱波は、ジェイに不利だ――既に前髪が焼け焦げ、高熱の中で汗さえも蒸発している。息を吸えば灰が灼けるほどの熱風の中で、まともに動けているのが不思議なくらいだ。このまま互角の殴り合いを続ければ、先に倒れるのはどちらか、自明のことだ。



「おるぁぁぁぁぁ!!」



 ――バグン!



 ジェイの右ストレートがパズスに決まる――が、その一撃はそれまでと同じだけの衝撃を生み出しはしなかった。



「……終わりか?」



 拳を顔面にめり込ませたまま、パズスが言った。



「…………!」


「……貧弱だなぁ、人間!」



 そのままパズスの拳が、ジェイボディに、2発。さらに、パズスの身体が宙で回転し――遠心力をつけた回転蹴りが、ジェイの側頭部に決まった。



「……~ッ!」



 ジェイは踏鞴を踏み、2、3歩後ろに下がる。熱風に灼けたその肌が裂け、こめかみから血が飛び散るのが見える。まずい――! あの頑丈なジェイがあそこまでやられるなんて。これ以上やられれば――



「終わりだ!!」



 パズスが踏み込み、拳を繰り出した。その拳は渦まく熱波を纏い、それ自体が弾丸のごとく赤熱する。ジェイへ踊りかかったパズスの身体が、熱波の渦となってその拳を真っすぐに、撃ちだす――



 ――ゴキン!



 妙な音が、熱波の渦が乱した。



「な……に……?」



 僕は瞠目した。パズスもまた、瞠目していた。繰り出された拳が、中途半端なところで止まっているのが見えた。



「……き、貴様……!」



 パズスの拳が突き刺さっていたのは、ジェイの額――その拳を受けるよりも先にジェイが踏み込み、額でその拳を受けた――いや、パズスの拳に頭突きをかましたのだ!



「……ぬおりゃあぁぁぁ!」



 ジェイはさらに前に出てパズスの襟首をつかみ――その顔面に頭突きを、もう一発!



「かは……ッ!」



 眉間を砕かれたパズスの足元が乱れ、ふらついた――



 ――ガシッ



 そのパズスを、ジェイが捕らえた。下を向いてうつむく格好のパズスの首を上から抱え込むようにして掴みロック、逆の手をパズスのへその辺りに添える。



「ま、まさか……」



 あの体勢は――僕が目を見開いて見守る中、ジェイは雄叫びをあげた。



「うおおおおおお!!!」



 その雄叫びと共に、抱え上げられたパズスの身体が、真っすぐ逆さまに、宙に持ち上がる。地面からまっすぐに、突き立った人間二人分の塔。それが、一気に崩れて落ちる――!



 ――ドゴォン!



 脳天から真っ逆さまに、パズスが床に突き刺さった。


 垂直落下脳天砕きブレーンバスター――抱え込んだ相手の頭頂部を、二人分の体重と共に叩きつける大技。床板の一部が凹むほどの衝撃。あんなものを喰らったら、いくらパズスでも立っていられるはずが――



「ぐ……おの、れ……」



 ――倒れ込んだ二人が、動いた。ジェイだけではない。驚いたことに、パズスもまだ動いていた。頭から血を流し、足元をふらつかせながらも、立ち上がる。



「人間が……人間ごときが……!」



 呪詛の言葉で自らを奮い立たせるかのように、パズスはその身体を引き起こす。しかし――



「どるぁぁぁ!」



 そこへ、立ち上がったジェイ上段廻し蹴りハイキックが飛んだ。パズスの首元にめり込んだその蹴りは、パズスの身体を跳ね飛ばすようにして吹き飛ばす!



 ――バキャァァン!



 蹴り飛ばされて勢い余ったパズスの身体が、VIPルームと吹き抜けを隔てるガラスを突き破り、下のフロアへと落ちていった――


 * * *


「ぐっ……かは……ッ!」



 10m近い高さを落下し、床に叩きつけられたパズスは、天井を見上げるその視界に驚きを感じていた。こんな景色を見た経験など、数千年あり得なかったことだ。



「おのれ、人間め……」



 そうだ――前回の戦いでもそうだった。並みいる神魔の中で、最終的に《聖杯》を手にしたのは、あの非力な人間だったのだ。


 なぜだ?


 あれほど脆く、魔力も弱いゴミ虫どもに、なぜ負ける?


 パズスは身体を起こし、周囲を見回した。先ほど巻き起こした熱狂はすっかり冷め、皆乱闘をやめてこちらを見ている。


 ふと、その中にいるひとりの男に目が留まった。両の手に鉤棍トンファ―を携えた、背の高い細身の男――そこに対峙して立っているのは、パズスの協力者アモン。先ほどまで闘っていたのだろう。傷ひとつないアモンに対し、男は血まみれで――しかし、その目は覇気の炎を激しくたぎらせていた。


 なぜだ――あのアモンを相手にして、なぜこの人間も、これほど戦えるのだ。いや、こいつだけではない。パズスの掌握する「ブラストヘッズ」はストリートをその力で完全に支配していたはずだ。抵抗する者たちがいたとしても、それはごくわずかな障害に過ぎない。それなのに――なぜ、俺は負けた?

 


「……パズス?」



 頭上から、柔らかい声が響いた。はっとしてパズスは顔を上げ、その声の主を見る。それは、大きな瞳にレーザー照明の光を反射する、あどけなさの残る顔の少女――



「……エイ



 そうだ、それはパズスの傍らにいて、そしてこの戦いの前にパズスが逃がしたはずの少女だった。少女は、パズスの前にしゃがみ込み、その頬を両手で包む。



「……馬鹿な人。なぜ私を逃がそうとしたの?」


「なぜって、そりゃぁ……」



 それは、彼女がこの戦いに巻き込まれないためだ。そんなことわかってる。しかし――パズスはあることに気がつき、愕然とした。万が一――万が一、自分が、彼女を逃がしたのではなかったか?



「……女たちを守るために、俺は……」



 このストリートは戦場になる。そうなれば、犠牲になるのはいつも女たちだ。だからそれを守る。彼女を護る。それはパズスが《聖杯》に近づくための近道でもあったはずだった。それなのに――



「甘いのね。自分の勝利よりも優先するものがあるなんて」


「……だから、俺は負けたのか?」



 少女――E《エイ》は無言で立ち上がり、踵を返した。



「待って、E《エイ》……! 俺を……ひとりにしないでくれ……!」



 E《エイ》はパズスの言葉に振り向かず、その場を後にして行った。パズスは立ち上がり、その背を追いかけて男たちをかき分け、その奥へと姿を消した――



「……勝負あったようだ」



 アモンが呟いた。シモンは顔を上げ、その武骨な顔を見る。アモンはスーツの襟を整え、息をひとつついた。



「パズスは負けた。『ブラストヘッズ』もこれで終わりだな」



 呆気にとられたようにパズスの背中をただ、見送っている男たちを見ながら、アモンは言った。シモンもまた、その視線を追う――先ほどまでの狂騒が嘘のように、誰もが冷めきった顔をしていた。「アークライト」も「ブラストヘッズ」もだ。


 ストリートに生きるグループが熱を失うのは、死にも等しい。頭を失った「ブラストヘッズ」は、二度とその熱を取り戻すことはできないだろう。抗争は、お互いの熱の奪い合いなのだ――そのリーダーに取って、勝つことよりも大事なのは、その熱を一身に受け、燃え続けることだ。



「……ジェイだ!」



 誰かが叫んだ。見上げると、吹き抜けになったフロアの上方、VIPルームの割れたガラスの向こう側に、ジェイが立ち、フロアを見下ろしていた。



ジェイ! やったぜ!」


「あんた最高だ! パズスをぶちのめしやがった!!」



 「アークライト」のメンバーが口々に叫んだ。天から降臨するジェイに祈りを捧げるかのように、その熱狂は広がっていく。



 ――ジェイ! ジェイ! ジェイ



 その名を呼ぶ声が渦となり、フロアの中を満たしていった。中には、「ブラストヘッズ」のメンバーだった者までいる。その渦の中でシモンもまた、ジェイの姿を見上げていた。


 アモンは踵を返し、立ち去ろうとする。それに気づいたシモンは、その背中に向かい、声をかけた。



「どこへ行く。こっちの勝負はまだ終わってないぜ」


「……そんなぼろぼろの姿で吼える気概は認めよう」



 アモンは振り向き、言った。



「いずれまた相まみえることになるだろう。それまで勝負は預けておく。もっと強くなっておけよ、人間」



 そう言ってアモンは、熱狂の渦の中に姿を消した。シモンはその背中を見送りながら、悔しさと高揚とに耐えて唇を噛んだ。


 * * *


「……あ~あ、負けてしまいよったんか、パズスの旦那。哀しいわぁ」



 携帯型情報端末スマホを見ながら、ネビロスがため息をついた。その隣に立っていた銀髪に眼鏡の男が首を振る。



「なに言ってんですかネビロス……あの男をパズスのところへ行かせたのは君でしょう?」


「かー! お前は情緒ってもんがわからんのかいな、サルガタナス! 哀しいもんは哀しいやろがい!」


「……ひとつ聞きますが、ジェイがやられたらどうだったんです?」


「同じくらい哀しいわ! 言わすなや!」


「はあ……相変わらずめんどくさい男だ」



 サルガタナス、と呼ばれた眼鏡の男はまた首を振り、ゆったりとしたその服の内ポケットから懐中時計を取り出す。



「いずれにしろ、時間はもうあまりない。実地調査リサーチとしてはなかなかでしたが、遊んでる暇はもうありませんよ」


「わーっとるがな! うるさいなぁほんま!」


「あなたが本分を忘れそうだから釘を刺してるんです」



 サルガタナスは眼鏡を直し、言った。



「パズスやあの人間に入れ込むのもいいが、僕らの主は飽くまであの御方のみですから」


「悪魔だけにな!」


「……蹴り飛ばしますよ?」


「あーもう、怖い顔すなや! わーっとるって!」



 ネビロスは手を振りながら、サルガタナスの先に立って歩き出した。



「ミカエルのおっさんも動き出すころやろ。そろそろ本格的に活動せんとなぁ……アスタロト様の勝利のために、な?」



 サルガタナスは黙って懐中時計をしまい、ネビロスの後について歩き出した。彼らの行く先に浮かぶ紫色の三日月が、たなびく雲に隠れ、繁華街の光も届かない裏路地は闇に包まれて二人の影を呑み込んでいった。



<第1部・完>

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【第1部完結!】ジーザスクライスト・オーバーパワー! 輝井永澄 @terry10x12th

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