机の傷と落し物

「あらケイテさん。待ちましたわよ。先生方が見回りにいらっしゃる前でよかったですわ」

「ケイテ、お昼ぶりだね! アズサの代わりってケイテだったんだ」

 教室でケイテを待っていたのはフランチェスカとルチアだった。二人とも布巾片手に窓を磨いている。どうやら彼女たちが掃除当番らしい。

「すみません。代役を引き受けたのを忘れていまして」

「いえ、構いませんわ。窓ふきはもうすぐ終わりますから、緑の布巾で机を拭いてくださる?」

「わかりました」

 言われた通り、あちこちに細かい傷がついた机を丁寧に拭いていく。

 机と机の間を移動していると時おり床がきしむ。だが不快ではない。むしろ心地よかった。

 ……と、机の端に落書きが見つかった。ぼろきれを濡らして擦ってみるが落ちない。ただの鉛筆の落書きではなく、机に文字を刻んだ後になぞったようだ。その執念深さにはケイテも少し驚いた。

 『白百合寮の一三号室には』。書かれているのはそれだけだ。何が言いたいのかさっぱりわからない。

「『異界の入り口がある』……とか」

 自分で口に出して、ありえないと一蹴する。ファンタジーの読みすぎだ。

 黙々と机を拭いていく。元々そこまで汚れていないので途中で布巾を洗うのは一度で済んだ。

「……あの、終わりましたが」

 最後に洗って絞った布巾を手に、ケイテは遠慮がちに話しかけた。

 色々と必要なことを省略して話してしまうのがケイテの癖なのだが、フランチェスカは言いたいことを汲み取ってくれたようだ。律儀にも掃除用具を片付ける手を止めて的確な返事をくれる。

「窓際の物干し台に掛けておいてくださいませ。わたくしたちもこれを片付けたら終わりですから、一緒に帰りましょう」

「わかりました」

 言われた通り、窓際に置かれた物干し台に布巾をかける。イースカルデニア校は高地にあり、風が強いので外には干さないのだろう。

 布巾を干すために屈んでいたケイテが立ち上がろうとすると、床の方から一瞬強い光が彼女の目に差し込んだ。

「……何でしょう」

 目を凝らして見ると、そこには銀のヘアピンがあった。何の飾り気もないシンプルなデザインで端の方が少し錆びかけている。あまりこの学園には似つかわしくない安物だ。ケイテにでもわかる。

 誰のものかと考えるケイテの元にぱたぱたと足音を立てながら誰かが近付いてくる。振り向くと案の定ルチアだ。

「どしたのー? あ、落し物? ……誰のだろ」

 口元に人差し指を当てて考え込むルチア。するとフランチェスカもやってくる。

「あら、アリスさんのヘアピンではないですか。届けて差し上げましょう」

「あー、アリスね! 言われてみればぽいかも!」

「……ああ」

 一瞬誰のことかわからなかったが、少し考えるとおぼろげながら顔が浮かんできた。確か、賢そうな感じのブルネットで眼鏡を掛けていた気がする。

「ケイテも来る? せっかくだし挨拶しとこうよっ」

 一応疑問形の形を取ってはいるが、ルチアは既にケイテの腕を掴んでいる。拒否権を与えるつもりは毛頭なさそうだ。ケイテは大人しく従っておくことにする。

「……はい」

「よしけってーい!」

 走り出すルチアをケイテは必死に止めた。


 アリス・ウィルソンの部屋はケイテの隣、二九号室だった。家名のアルファベット順で部屋を割り振っているから当たり前と言えば当たり前なのだが。

 フランチェスカがドアを四度ノックするとアリス本人が出てきた。チョコレートのような濃い茶色の髪は癖がなく真っ直ぐで、長さこそ男のように短いもののきちんと整えられている。眼鏡は今はしていない。

 こうして近くに立ってみるとアリスはケイテと目線が同じぐらいだ。つまり背は高い方。既に着替えていて、学校指定の部屋着姿だった。

「やあ、フランカ君じゃないか。ルチア君と、……ミュラーさんも一緒に。どうしたんだい、ボクに何か用かな? それともカミラの方?」

「ごきげんようアリスさん。あなたにヘアピンをお届けに参りましたのよ。教室に落とされていましたわ」

 フランチェスカはそう言うとポケットからヘアピンを取り出してアリスに差し出す。アリスは眉を上げて受け取った。

「おや、ありがとう。気を付けるよ」

「それが良いかと。……ほらミュラーさん、挨拶なさるのでしょう?」

 フランチェスカに促され、ケイテはアリスに軽くお辞儀をした。

「昨日編入しました、ケイテ・ミュラーです。どうぞよろしくお願いいたします」

「ボクはアリス・ウィルソン。こちらこそよろしく」

 反らした手を胸に当て、アリスはどこか芝居がかった会釈をした。

「出身が出身なものだから、堅苦しいのは慣れていなくてね。ファーストネームで呼んでもいいかい」

「……まあ、構いませんが」

「ありがとう。ボクのこともアリスで構わないよ……あ、そうだ」

 一旦部屋の中に引っ込んで、出てきたアリスの手には菓子の小さな箱が握られていた。

「お近づきの印に、はいどうぞ。安い大衆菓子で悪いけど」

「ありがとうございます」

 投げ渡された菓子はどうやらビスケット。貧乏暮らしの時代のケイテにも手の届いた、馴染みのあるパッケージに懐かしさが掻き立てられる。

「アリス、いつもそれ買ってくるよね。今回は何箱?」

「十五箱ぐらいかな? 糖分がないと頭が回らないからね」

 歌劇の王子役のような容貌からはあまり想像がつかないが、アリスはかなりの甘党のようだ。甘いものを食べたら頭が回るというのはケイテも何となくわかる。

「……では失礼しましょうか。ケイテさんにはまだ案内したい場所がありますし」

 フランチェスカがそう切り出し、三人はアリスの部屋を後にしたのだった。

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イースカルデニアの魔女 芦葉紺 @konasiba1002

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