初めての授業

「……ふう」

 教師に呼ばれる前に教室のドアの前でもう一度身だしなみを確認する。

 編入して初めての授業だ。変な子だと思われてはかなわない。自分が変な子だというのは自覚しているけれど、それとこれは話が別だ。ケイテだって人並みに友達が欲しいのである。

「……今日から編入するケイテ・ミュラーさんです。ミュラー、入りなさい」

 エミリに促され、ケイテは教壇の隣に立つ。十列に並んだ長机に豪奢な制服の少女たちがずらりと並ぶ光景はなかなかに見物だ。

 クラス中の視線が集まる中、ケイテは緊張を押し隠して口を開いた。

「ケイテ・ミュラー、エカル出身です。よろしくお願いします」

 必要最低限の自己紹介を終え、一礼するとまばらな拍手が起こった。

「アドルナート姉妹の隣に座りなさい。一番後ろの列の左端です」

「はい」

 姉妹の片方はにこやかに会釈して、もう片方はぶすくれた表情でケイテを迎えた。

「フランチェスカ・アドルナートですわ。どうぞお見知り置きを」

「……」

 ロングヘアの愛想がいいほうが姉、ショートカットの無口なほうが妹のようだ。ケイテは姉のほうに会釈を返した。

「ほらリアちゃん、あなたもご挨拶なさい」

「……」

「挨拶もできないマナーの悪い子はお姉ちゃん嫌いです」

「……ヴィットーリア。……よろしく」

 シスコンか、とケイテは得心が言った表情で頷く。さっきからやけに睨んでくるのも愛しのお姉さまの隣に座られるのが嫌だとかそういうことだろう。

「よろしくお願いします」

「……ふん」

 鼻息一つ残してそっぽを向いてしまったヴィットーリアを見て苦笑いする。

「では授業を始めます。皆さん、教科書の八十二ページを開いてください」

 エミリの声に机に突っ伏したルチア以外の生徒全員が背筋を正した。

「前回はエカル周辺の気候について勉強しましたね。今日はこの学校のあるロレイユ島北部の気候について学びます」

 ケイテは地理の教科書をめくり、一つの教科書を分け合うアドルナート姉妹を視界の片隅にとらえてから活字の海へと意識を移した。


 授業自体はそこまで難しくなかった。が、ほかの生徒たちにとってはそうでもないようで、早々に理解することをあきらめて窓の外を眺める生徒もちらほらいる。

 編入したてのケイテは当てられなかったため、三限目までをこれまでの学習範囲の教科書を読むことに費やした。

 受け答えの様子を見たところ、特に優秀な生徒は三人といったところか。

 一番できるのが短い茶髪で銀縁眼鏡のアリス・ウィルソン、この少女は努力家タイプのようで熱心にノートを取っていた。その次が腰まで届く長い銀髪のオクタヴィア・リットマン。こちらは天才肌とでも言えばいいのだろうか、終始眠たそうな表情で聞くともなしに授業を聞いている。しかし当てられた問題には正確に答えていた。三番目が級長で東洋人らしい黒髪黒目のアズサ・カモガワ。要領が良く、要点を掴む能力に長けている。

 休み時間、ケイテは図書館に行こうと教室を出た。贅沢にも建物一棟を丸々使って建てられたイースカルデニア校の図書館は、国内有数の学術書の蔵書数を誇る。その分文学作品が少ないのはまあ、仕方のないことだろう。ケイテは字が印刷されていれば何でも読む。ジャンルなど些末な問題だ。

 心なしか軽い足取りで図書館棟に向かうケイテをこちらに向かって歩いてくる一人の生徒が呼び止めた。小柄な体躯に揺れる黒いポニーテール。アズサだ。

「急にごめんね、ミュラーさん、今日の掃除当番変わってもらえる? メダル二枚でどうかな」

「メダル?」

 ケイテが怪訝そうに眉を顰めるとアズサはああ、と声をあげた。ケイテを廊下の端に引き寄せ、そっと耳打ちする。

「日曜日の礼拝に行ったら綺麗な銀のメダルがもらえるの。みんな貯めてるよ。先生たちには内緒でメダルと交換で当番を変わってもらったり、文房具をもらったりできるんだ」

 学校で金銭トラブルが起きたらまずいから、とアズサは付け足した。

「そのメダル二枚というのは、どれほどの価値なのでしょうか?」

「あは、ミュラーさんってば見かけによらず結構したたか? 時によるけど、メダル二枚はだいたい新品の羽ペン三本ぐらいだよ」

「……わかりました。掃除当番ですね」

 趣味で小説を書くケイテにとって、筆記具はいくらあっても足りない。それらと交換できるとなれば断る理由がなかった。

「ありがとう。夕飯後はオクタヴィアちゃんの髪洗ってあげる約束だから助かったよ」

 包み込むようにしてケイテの手にメダルを握らせるとアズサは去っていった。揺れるポニーテールがかなり小さくなってから手を開くと、そこには銀色のメダルが三枚載っていた。

 おまけだよ、と悪戯っぽく微笑むアズサの声が聞こえた気がした。


「ふぅん、『罪と罰』か。いい趣味してるね」

 放課後、中庭で本を読んでいたら後ろからそんな声をかけられた。振り返るとそこに立っていたのは、肩にかかる金髪を指先で弄ぶ少女。

 半日を教室の隣の席で過ごしたが、この少女がこんなに長く喋るのは初めて聞いた。

「ヴィットーリアさん、でしたっけ」

「そう。ケッカ姉さんの、妹」

「ケッカ?」

 フランチェスカというのがこの子の姉の名だ。一般的には『フランカ』と略されるがそう呼ばないのは何か特別な理由があるのだろうか。

 鸚鵡返しにつぶやいたケイテに冷めた視線を向けながら、しかしヴィットーリアは説明してくれた。

「……普通、愛称はフランカ。だけどローマっ子は、ケッカって呼ぶ、らしい。……父さんが言ってた」

「なるほど」

「みんなは、フランカって呼ぶ」

 なんとなく察する。つまりケイテにも略すならフランカと呼べということのようだ。ケッカという愛称はヴィットーリアにとって姉との絆の象徴のようなものなのだろう。

「ところで、あなたはなぜここに?」

「……掃除当番、忘れてる。アズサの代わりの」

 言われて思い出す。メダル二枚を対価に掃除を代わることになっていたのだった。貰ったのは三枚だったが。

 どうしてヴィットーリアが取引したことを知っているのかはわからないが。

「聞いていたんですか」

「アズサの声、よく通る、から。……メダル、何枚?」

 ヴィットーリアも学内通貨の制度を知っていることに驚く。

「二枚です。一枚おまけしていただきましたが」

「……そう」

 何の反応もない様子からするに適正価格なのだろう。皆は一体どうやってレートを把握しているのか気になったが、今は掃除当番に向かわなければならない。

「では、私はこれで」

 ケイテはそう言い残し、足早にその場を後にした。

 わざわざ掃除当番について知らせに来てくれるなんて案外親切なところもあるのか、と思いながら。

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