学校へ

 列車は各駅停車でロレイユ島をゆっくりと北上し、イースカルデニア駅に到着した。正午を過ぎた一番気温の高い時間帯だ。北の高台にある駅だが今日は雲一つない青空、気温は摂氏なら零度を越えたぐらいだろうか。

「……こうも晴れると、夜は冷え込みそうですね」

「だねー」

 煉瓦造りの駅舎を出て二人そろって空を見上げる。二、三羽の鳥が白い腹を見せて飛んで行った。

「ルチアさん、どうやらハイヒールで登山する羽目にはならなそうですよ。迎えの馬車が来ています」

 ケイテが指差した方向には一台の馬車が止まっており、その前で御者らしき若い男性と中年の女性が何事か話している。

「あ、エミリ先生だ! おひさー!」

 それなりに重いであろう旅行鞄をものともせず馬車のほうへ駆けていくルチアの後ろを『それなりに』どころではなく重いスーツケースを引きずったケイテがついていく。御者の青年が気付いてケイテの荷物を引き受けた。

「何が『おひさ』ですか。まったく、学期が始まるたびに遅刻してくるのはいい加減になさい」

 項垂れるルチアの表情は何というか、見る者にかなりの罪悪感を抱かせる。エミリというらしい教師も少し眉をひそめた。……正直、これに関してはルチアが全面的に悪いのだが。

「あなたが編入するケイテ・ミュラーですね?」

「はい」

「私はエミリ・ルブローデ、あなたの入る黒百合寮の寮監です。寮での生活に関して質問があれば私か同級生に聞くように」

「わかりました」

 頷き、ルチアに続いておんぼろの馬車に乗り込む。束の間体重を預けた板が軋んだ気がした。

「……今、嫌な音がしたような。この馬車、大丈夫なのでしょうか」

「怖いねー。あたしたちが乗ってる間に壊れたらどーしよ」

 老朽化した馬車の耐久性をかなり真剣に心配するケイテ。対してどことなく当事者意識の薄い、のんきな声のルチア。『大丈夫です。……多分』と呟いたエミリはその中間と言ったところか。

 結論から言うと馬車は大丈夫だった。ケイテのスーツケースを降ろすときなどはかなり危うかったが。

 仕事があると言ってルチアに施設の案内を任せ、エミリは足早に駆けていった。

「じゃ、荷物置いて制服着たら部屋で待ってて。あたし迎えに行くから」

「わかりました」

 部屋が二階にあるルチアと別れ、もう一階分階段を上る。三〇号室がケイテにあてがわれた部屋だ。黒百合寮にはケイテの編入した中等部二年の生徒たち五十八人が寝起きしていて、五十九人目のケイテは二人部屋を一人で使える。

「思ったより広いですね……。お嬢様学校だからでしょうか」

 どうにも他人事のような感想が出るのも仕方ない。何しろ一月前までケイテは首都エカルの下町に安い部屋を借りて苦学生をやっていたのだ。

 着てきた男物のトレンチコートとその下の衣類を脱いで、皺がつかないようにとベッドの上に広げられていた制服を身に着ける。

 フリルたっぷりの襟の高いブラウス、優雅に広がるロングスカート、レース生地の真っ白なハイソックス。ケイテには高級品の目利きなどできないが、明らかに持ってきた私服とは生地の質からして違うのはわかる。

 服に着られている、というのはまさに今のケイテのことを言うのだろう。少なくとも本人はそう思った。

「ケイテー、着替え終わった?」

 ドアの外からルチアの声がする。はい、と返事をしてケイテはドアを開けた。左手にはしっかり『小公女』を抱えて。

「ね、学校回る前にごはんにしようよ。あたしすっごいお腹すいてるの」

 身振りを交えて空腹を訴えるルチアもまた、イースカルデニアの制服に身を包んでいた。ケイテのものよりかなり短いスカートが動きに合わせて揺れる。良く言えば元気、悪く言えば騒がしい印象に呑まれがちだが繊細で愛らしい容貌の少女だ。似合わないはずがなかった。

「わかりました。食堂はどちらでしょうか」

「本館の一階だよ。ついてきて!」

 駆けだしたルチアに続いて急ぎ足で階段を下りる。『九時から十六時半までは通行禁止』と書かれた渡り廊下のドアを何の躊躇いもなく開けた問題行動を、周りの歩いている生徒たちは皆見て見ぬふりした。

「ルチアさん、通行禁止と書かれていますが……」

「いーのいーの、こっちのほうが早いんだから」

 ルチアがブーツを鳴らして扉の奥に消えるから仕方なくケイテも渡り廊下を通った。入学早々規則違反で注意される羽目にならないよう警戒しながら、足音を立てないように。近いというルチアの言葉に嘘はなく、もう一つドアを開けるとすぐそこに食堂があった。

「ここが食堂ね。朝昼晩、全部ここで食べるんだ」

 学校案内のお役目は忘れていないようだが、早く食べたいと丸い空色の瞳が言葉よりも雄弁に語る。

「……早く食事にしましょう。見たところ案内してもらうところはかなり多そうですから」

 途端、嬉しげに見開かれた目を見てケイテは苦笑する。

 出会ってからまだ半日も経っていないのに、易々と懐に飛び込まれてしまった。どうにも憎めない子だ。

 運ばれてきた食事に手を合わせ、真新しい制服を汚さないように慎重にスプーンを口に運んだ。

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