夜明けを待つちいさな鳥たちへ

 話し合いの後、ヘルガさんはバレンさんの船でココット村に帰っていった。わたしを迎える準備をしてくれるんだって。準備ができたら知らせてくれるらしい。


 村のみんなにはあらためて一人一人に謝りに行って、足りないものはなかったか、お薬はちゃんとあるか、って確認して回った。お店は村のみんなが交代で営むことになるらしい。その練習だって言って、わたしはお店の経営権をあっさり奪われちゃった。


 だからやることがなくて、わたしはぼんやり毎日を過ごした。キノコ畑でお手伝いをしたり、ラジオを聞いたり、部屋の掃除をしたり。何年かぶりにブランコに乗ったりもしたけど、床との距離が近すぎて上手くこげなかった。


「心配しすぎておやつがほとんど喉を通らなかったの」


 とはアリーさんの談。いつものソファに座り、クッキーをひょいひょい食べつつ通学カバンを縫うアリーさんは、わたしのことが心配なあまり、一日三回のおやつタイムが二回に減ってしまったらしい。

 昔のことも、ちょっとだけ話してくれた。迫害が始まってからは、仲のよかった女の子の家族が家の地下に匿ってくれたんだって。上から四六時中爆発音がして怖かったけど、歌をうたって聞こえないふりをしたこととか、一つの飴をがれきの破片で砕いて分け合ったこと、その時の味が忘れられないってこととか、懐かしそうに話してた。


 今まで手をつけられなかったおじいちゃんの私物も、思い切って処分しちゃった。使えそうなものとか、大事そうな紙とかは取っておいたけどね。かっこいいライターとか、頑丈そうなホルスターとか。

 リビングも自分の部屋も掃除して、綺麗さっぱり。そしたらなんだか寂しくなった。ココット村に住むのは楽しみだけど、洞窟村やこの家が大事な場所だってことに変わりはないから。


 だから、目に見えるもの全てを思い出に焼き付けておこうとした。石でできたベッドも、くたびれたマットレスも、くすんだキノコランプも。ここにはいつでも帰ってこられるけれど、次に帰ってきたときに見るのとは、少し違うと思うから。

 期待と寂しさで落ち着かないまま、一日一日が過ぎていく。何を持っていくか悩んで、カバンの中身は増えたり減ったり。だけどそんな日々にも慣れて、いつしか気持ちも凪いで、カバンを頻繁に開け閉めすることもなくなった頃――


 バレンさんから、ヘルガさんがわたしを迎える準備ができたと告げられた。




 気持ちのいい秋の風がわたしの髪を吹き上げる。石の港に停泊した飛行船の横で、大きな荷物を持ったわたしは村のみんなに囲まれていた。


 その場に来ていた全員と抱き合ってお別れを言う。最後の一人と握手したあと、あの日みたいに村の奥から長老とアリーさん、そしてダウがやってきた。わたしを見るなり勢いよく駆け寄ってきたダウを抱きしめてなでていたら、アリーさんが「間に合ってよかった」と言ってわたしの手を取った。


「体に気をつけて」

「ありがとう、アリーさん」

「飛行機は、向こうにあるの? コチちゃん」

「うん。預かってもらってるんだ」

「良かった。空を飛ぶのは楽しかった?」

「うん。すっっっごく、楽しかった」

「そう。やっぱりあなたはシアさんの孫なのね」


 ねぇ、と長老を見る。長老は少しバツの悪そうな顔をしたけど、やがて観念したように笑った。


「ああ……じいさん似だ」


 わたしにとって、それはなによりも嬉しい言葉だった。


「そろそろ出るよー!」


 メリさんの声がする。地面に置いたカバンを持とうとしたら、どこからともなくバレンさんが現れて代わりに持ってくれた。


「頼んだぞ」

「ああ」


 長老の言葉に短く答えて飛行船に乗り込むバレンさんの後ろをついて行くと、船内の小さなラウンジの丸い窓からみんなが中を覗き込んでいるのが見えた。涙ぐんでいる人も多い。


「老人は涙もろいな」


 どしっとわたしの荷物を下ろして、バレンさんは操舵室へと行ってしまった。嫌味とかじゃないのは分かってるよ。わたしが泣きそうになっているのに気づいて、放っておいてくれただけ。

 エンジンの音が大きくなって、窓の外の景色がゆっくりと後ろへ流れていく。ずっと笑顔をたたえていたアリーさんが、窓から見切れる瞬間に口元を押さえて涙をこぼした。


 村を出て、青い空の上を進む飛行船の中で、わたしもちょっとだけ泣いた。だけどすぐに泣きやんだ。頬をつねって、叩いて、涙を拭ったらもうそれきり。悲しい別れじゃないんだから、ずっと泣いてなんかいられないもん。


「よっ」


 船が出てしばらくしてから操舵室から出てきたのはジンさん。珍しく無精髭をたくわえていない。それになんか……いつもと違う。


「ジンさんが、タバコ臭くない……!」


 フッと片頬で笑って胸ポケットから紙の小箱を取り出し、シュッと軽く振って白い棒を一本引き出した。タバコじゃない。お菓子だ。


「禁煙中」

「……わたしのせい?」

「まさか」


 口ではそう言うけど、絶対わたしのせいだよね。バレンさんに命令されたのかも。

 差し出された箱から一本お菓子をつまみ取り、ジンさんの真似をして口にくわえた。甘くてスースーする。しばらくそのまま咥えていたけど、じれったくなってガジガジ噛んで食べちゃった。


「しばらくぶんな」

「え?」

「キッチンの使用料だよ。カフカがいない間も喫煙所にさせてもらうから、よろしく」

「さっき禁煙中って言ってたのに」

「目指せ一ヶ月。ちなみに今一週間目」

「それってなんの意味があるの?」

「男のケジメ。じゃ、下でも元気でやれよ」


 ひらひらと手を振って操舵室に戻っていく。全然わかんない。でもジンさんってこういうゆる〜い性格だからね。またね、って言って背中を見送ったら、入れ替わりでバレンさんが部屋に入って来た。迷いなくわたしの横に座る。どっしん。


「不安はないか」


 こっちも見ずにぶっきらぼうに聞くバレンさん。わたしははっきり首を振って答える。


「ううん。楽しみ」

「ならいい」


 そう言って、今度はわたしのことをじっと睨みつけた。なに? ちょっと恥ずかしい。


「……でかくなったな」

「うん。でももっと大きくなる予定」

「そうか」


 あ、ちょっと嬉しそう。わたしまで嬉しくなる。


 バレンさんはそれからしばらく何も喋らなかった。嫌じゃない静けさを味わいながら、窓の外を眺めた。青一色の景色が通り過ぎていく。一見変わらないようにみえるけど、着々と目的地へと進んでいる。何時間でもこうしていられそうな、穏やかな時間だった。


「いっぱいわがまま言ってごめんね」


 どれくらい経った頃だったかな。なんのきっかけもなしにぽろりと言葉がこぼれた。


「みんなに大事にされて、ご飯も沢山食べれて、今までも十分幸せだったと思う。それなのに遠くの学校に行きたいとか、友達のそばにいたいとかって思うのは、わがままだったかなって、ちょっと思っちゃった」


 言い終わると、バレンさんが大きな体をよじった。窓のフチに肘をついて、じーっとわたしを見る

「いい」短く言い切ったあと、言葉が足りないと気づいたのか、眉間にシワを寄せてしばらく考えるそぶりをしてからまた口を開いた。


「子供は我儘でいい。何を求めたっていい。度を超えたら大人が止めてやる。だからあらゆることに貪欲でいろ」


「どんよく……」口ごもるわたしに頷く。


「今のままでいるってことは、衰えていくことと同じだからな」


 頭にハヤテの顔が浮かんだ。ハヤテもバレンさんと同じで、わたしにわがままでいいって言ってくれた。

 バレンさんの言葉にはあまりピンとこなかったけど、いつか理解できたらいいなと思ったから、覚えておくことにしよう。


「子供ってちょっと得だね」

「損も多いけどな」


 たしかに。いいことも悪いこともある。


「でも、危ないことはするな。今回は運良く無事だっただけだ。死んでもおかしくなかったし、ともすれば死ぬより酷い目に遭っていたかもしれない」

「うん。もうしない」

「絶対にだぞ」

「分かった」


 丸い窓の外で、小さなわた雲が上に流れていった。高度を下げてる。覗き込むと、キッサ市とココット村を繋ぐ見慣れた道の上空を飛んでいるのが分かった。遠くには配送局の大樹も見える。

 飛行船は大きな影を地面に落として、ゆっくりと進んでいく。少しずつ近づく地面に胸が高鳴る。もうすぐ着くんだ。みんなにもまた会える。期待と不安で顔が熱くなる。


 窓にかじりつくわたしを横目に見ていたバレンさんが、ふっと笑った気がした。でも驚いて顔を向けたら、いつも通りの仏頂面。


「ヘルガの言うこと聞けよ」

「うん」

「何かあったらすぐに言え」

「分かった」

「元気でいろ」

「いつも元気だよ」

「それでもだ」

「うん……」


 船はぐんぐん高度を落としていく。大きく広がった樹幹が映り、そして幹を撫でるように下へ下へ。寮がある四階、ヘルガさんが住んでる三階、仕分け部屋の二階、そして受付がある一階……


 ドアの前にみんながいた。


 手を振ってる。たぶん、わたしの名前を叫んでる。その中心、みんなより一歩前にクレオがいた。クレオが一歩踏み出した瞬間に視界が緑色の丘に切り替わる。

 到着を我慢できずわたしは立ち上がり、固く閉じられたハッチの前に立った。飛行船は配送局がある丘の下に、ゆっくりと降りていく。


 完全に着陸する前に出ていきそうだと思われたのか、バレンさんがハッチの大きなレバー式ロックを掴んだ。エンジンの音が落ち着いていく。

 ずしんと重たい音。足元の揺れが落ち着くと、バレンさんが操舵室のジンさんと小窓越しにやり取りをして、レバーを掴む手に力を込める。


「バレンさん」


 手を止めて振り返る。


「行ってくるね」


 そう言うと、フッと笑った。今度こそ見間違いじゃなかった。


 レバーを九十度下に押し込む。ハッチの隙間から眩しい光が溢れたかと思うと、あっという間に外の世界と繋がり、転がるように斜面を駆け下りてくるクレオの姿が見えた。

 胸が熱くなる。


「行ってこい、カフカ」


 大きな手が、優しくわたしの背中を押した。


 息を吸い込み、友達の名前をありったけの声で叫ぶ。

 懐かしい光につま先まで包まれながら、記憶よりも少し色あせた草の上へ飛び出した。

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明けの空のカフカ 水品 知弦 @shimi382

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