第5話 前を向いた歩み

 日が傾いた夕暮れ時、古民家風の美容室に優しいオレンジ色の明かりが灯った。

暖かな風は労をねぎらうように、さわさわと木の葉を揺らす。彼岸ひがんの役目を終えたレモンの木の根元では、ユナが黙々と作業をしていた。 


「受粉の手助けは、必要なさそう…」


 本来レモンの受粉は、五月から六月頃が結実率が高い。だがオーナーにされた受粉は、毎年しっかりと実りをもたらしていた。果実が実らなければこの木はちてしまう。しかしたわわに実った果実が、脅威に変貌するのも知っていた。


「……今、出来る事をしよう」


 自分が悩んだ所で変わる事は無い。

ユナは荒れて根がむき出しになった場所に丁寧に土を被せた。

培養土と書かれた十二リットルの袋は二十袋以上並べられている。


「ユナちゃん…」


「あっ、セキさん…っ」 


「これ、全部あなたが運んだの?」


 セキの穏やかな笑みに、ユナは腰まである長い髪を振る。彼女の白いレースは土まみれだが、木の反対側で同じような作業をしていたゲンスケの顔も土まみれ。彼が手伝ってくれたとペコリと頭を下げるが、その顔は感謝を伝えるというより、今にも泣き出しそうだった。


「…オーナーは?」


「今、麗奈れいなちゃんにシャンプーをしてもらっているわよ。彼女すごく上手になったの」

 

 頷くユナの小さな汚れた手は、まるでつぐないをしているように休むのを許さない。


「ねえ…。オーナーが契約の重さに苦しんでると思う?」


 ユナは力無く首を振る。


「じゃあ、あなたが感じている後ろめたさは、意味の無い事よ」


 セキと目を合わせないユナは困ったように眉をしかめる。


「あたし達が思っている以上にオーナーは強い人よ。あたしは生きてた頃、神社での願い事が叶った事なんて無かったから神様なんて信じてないけど、あの人が大地の女神ならって思ってるわ」


「オーナーを神様みたいに例えるの?」


「うふ♡ そうね。だってそうじゃないと、あたし達がきび団子欲しさに集まるキジや猿になっちゃうわよぅ」


「ぷっ!」


 ユナがようやく笑った。


「鬼退治って所は、ちょっとは似てるかも」


 ユナと一緒に笑ったセキがサマになったウインクを投げる。

珍しく大人しく聞いていたゲンスケは、ようやく息ができたとばかり、フ―――と、大きくため息をつき、肩に担いた培養土をガシガシと木の周りにかけていった。




 満開の小彼岸桜こひがんざくら

淡紅色の花が夜にライトで浮かび上がると妖艶ようえんさを増して幻想的だ。

早咲きの桜の下では、思い思いに花見宴会が楽しまれている。

 

 セキたちは、少し奥まった桜の下を陣取り花見をしていた。


「はい。オーナーご所望のお酒」

 

 セキが白箱を取り出す。純米大吟醸ゆり。金色の文字で書かれた箱からは美しい空色の瓶が取り出される。オーナーがお花見に指定した酒だ。

誰が用意したかと思えば、どうやらエモトらしい。


「エモっち、抜け駆けね♡」


 エモトは、呼び方に不満を漏らすもそっぽを向いて赤くした顔を隠す。


 お気に入りのお酒を手に、頬を色づかせたオーナーが舞い上がった桜の花びらを手に取った。


「…桜はね、誰かの為だけに花びらを散らすの。人はその事を知らない。知ろうともしない。ただ綺麗とでるだけ」


 詩でも読み上げているようなオーナーは、このまま消えてしまうのかと思うほど美しい。


「花は…、散っても必ずまた花を咲かせるわ。人も悲しんだり、涙したりするけど、何度でも前を向ける。何度でも…」


 ふと、池にかかった赤い橋にオーナーが目を向けた。橋には高校生くらいの少女が途方に暮れたようにただずんでいる。

 セキはオーナーに目配せすると、麗奈を連れて少女へ話しかけた。暫くすると少女は泣きじゃくりながらも、麗奈に手を引かれて池から離れる。


 じっと見ていたオーナーは、誰にでも無く話しを続けた。


「前を見て…って、言うのは簡単よね。でも、夢や希望、誰かに対しての優しさや思いやり…。そう言うのを原動力に、自分が出来る事を一つ一つやっていければ、それは前を向いた歩みなんだと私は思う!」


 ザン! と桜が揺れる。

桜吹雪がオーナーと戯れるように渦巻くと、数枚の花びらはオーナーのお酒が入ったグラスを飾った。


「さあ、仕事をしましょう!」 


 お客がいらしたし…とオーナーが少女を見て優しく微笑む。


「誰が担当につく?」


「あっ、シャンプーは、私が!」


 真っ先に、手を挙げたのは麗奈。


「じゃあ、カットはエモっちがいいかしらねぇ」


「その呼び方は、やめろと言ったはずだ」


 言葉よりもずっと遠慮がちに、片耳ピアスのイケメンが膝をついて少女の手を取る。驚いた少女は真っ赤になりながらもコクコクと頷いた。


「戻りましょう!」


 オーナーがニッコリと笑いながら立ち上がった。

 今日のお代は何かしらね? と…。



        おわり



最後までお読み頂き、ありがとうございました。皆様の満開に咲き誇る未来を願って。


           高峠たかとう 美那みな

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美容室は死者の番人は致しません【参】 高峠美那 @98seimei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ