最終論争

鯨ヶ岬勇士

Armagumentdon〜アルマギュメンドン〜

兄弟の争いほど悲惨なものはない。

——アリストテレス


「つまり、ルシファーさん。あなたは地上を滅ぼしたいと考えていると、そう理解してよろしいですか?」


 埃一つ落ちていないほど清潔で真っ白な部屋の中、楕円形のテーブルの上座で、老年の男は目の前にいる黒い背広に第二ボタンまで開けた紅いシャツを着た黄色い目の壮年の男に尋ねた。その男は何度も髪を後ろに撫でながら、いやらしく笑う。

 

 そのような男に質問ぶつける老年の男——田原総一朗は激動のジャーナリスト人生の中でアーティストやミュージシャンは勿論のこと、マフィアから大物政治家まで相手にしてきた。何にも臆せず、情報を得るためならあらゆる危険を冒してきたと断言しても良い。それでも今回の相手は大物過ぎる。


「固苦しい呼び方しなくて良いよ。家族はみんなルーシーって呼ぶから、あんたもそう呼んでよ。それに俺の動向なんてあらゆる聖書The Bookに書いてあるでしょ?」


「いえ、私は政府だとか偉い人間の言うことは信用しないと子どもの頃から決めていますので。ご存知かわかりませんが、私の子どもの頃は戦争がありましてね。大人や偉い人の話が戦時中と終戦後で二転三転したものです」


「ああ、知ってるよ。戦争犯罪者にもたくさん会ってきたからね。あいつら偉そうなこと言ってる割に何度か痛ぶったら、よく喋るようになったよ」


 壮年の男——ルーシーはそう言うと、またオールバックの髪を後ろに撫で、はだけたシャツの胸元を扇ぎ、それからしてやったりと笑ってみせる。彼は自分の仕事を嬉々として語り、で会ったら拷問を手伝わせてやろうと言ってきた。彼曰く、あえて錆びた皮剥ぎナイフを使うのがおすすめらしい。綺麗に剥がれず、ところどころ筋肉の繊維か神経の糸が刃先に引っかかる感覚が最高なんだとか。


「その、のことはわかりませんが、取材する機会があればそれもやってみましょう。ともかく、情報の真偽は自分の目と耳で確かめます。それではルーシーさん、お答えいただけますか?」


「へえ、そう。それなら答えるよ。地上に火と硫黄を降り注がせて、人類を疫病の末に滅ぼしてやりたいね。それから——」


「おい! ルーシー! その『火と硫黄』のくだりは父上の御言葉からの剽窃ではないのか! まったく、お前という奴は昔から——」


「ミカエルさん、落ち着いてください。相手が話している最中はその言葉を遮らない。最後まで聞いて、相手の言いたいことを理解してから反論したければ意見を言う。議論の基本です」


 今にも飛びかかりそうな男——ミカエルは真っ白な背広と真っ白なシャツに身を包み、これまた真っ白なオパールのタイループできっちりとまとめた服装をしている青年だ。彼は肩甲骨周りをぐるりと回すように肩を動かすと、その勢いのまま、背に巨大で純白の鷲の翼を出してルーシーを威嚇する。


 その翼を覆う羽根は優しげで柔らかいものではなく、処女雪のように白いが金属光沢を持ち、それ同士が擦れ合わさる度に鋭い金属音がする。それが鼻先を掠めそうになったので、思わず田原はたじろいた。


 それを見るとルーシーも立ち上がり、腕大きく回して体を覆えるほどの真っ黒な蝙蝠のそれを出し、それから髪を撫でるように頭を触り、湾曲した2本の角を持った正体を表した。


 彼の翼は斑らに黒く、まるで焼け焦げた焼死体かのように赤々と傷をそこら中に持っている。その薄い翼膜は黄褐色で、向こうが透けて見えそうだ。傷だらけだが、それは弱々しくはなく、むしろその傷を自慢げに見せる。ルーシーがそのように翼を出したことで田原の顔に血が飛び、彼は不愉快な気持ちも含めてハンカチで拭う羽目となった。


 対峙する2人の目は光を放っているが、ルーシーの目は黄色く炯々とし、ミカエルの目からは太陽よりも眩い閃光が漏れ出している。目は心の窓というが、だとすれば二人の心は正反対の方向ですべてを超越していると言えよう。


 しかし、翼を自慢するように見せて威嚇したり、些細な言葉尻に食ってかかるなど、実際にやっていることと言えば壮大な兄弟喧嘩、親子喧嘩、家庭崩壊だ。


 それでもこれが現実だ。世の中、蓋を開けてみれば、どんなに大物でも面子にこだわる子ども大人ばかり。正直馬鹿馬鹿しくて、田原としては今すぐ彼らを怒鳴りつけてやりたくてしかたなかったが、今回はがかかっているので落ち着かせるしかない。


「落ち着いてください。ここは戦場ではない話し合いに戻りましょう」


 二人は翼や角を収めてから渋々席に着き、ルーシーはミカエルをじっと見て挑発するように笑いながら第3ボタンを外し、俺のところでパーティーに参加しないと田原を誘い、マリファナも女もうじゃうじゃいるとささやく。それにミカエルも対抗するようにジャケットを整え、彼の軽口を聞いて苦虫を噛み潰したような顔になる。


「お前なんて父上に罰せられたら良いのに」


 ミカエルはそう吐き捨てるが、ルーシーはそれを聞いて「また父親頼りか」とぼやく。


 こうしている間にも、部屋の外では火と硫黄が降り注ぎ、疫病が人々の心まで蝕んでいる。サソリの尾とライオンの歯を持つ突然変異のイナゴによる蝗害で食糧危機は起きているし、何よりも架空と信じられていた使がそこら中で殺し合いを繰り広げているのだ。


 世界はまさしく阿鼻叫喚の嵐——『ヨハネの黙示録』の最中にある。泥沼化し、預言よりも長引いたこの戦争を止めるには、目の前にいる宇宙最強の軍隊と宇宙最悪の軍隊を率いる世界最強の兄弟、ルシファーとミカエルの諍いを止めないといけない。中立の立場のモデレーターとして2人の父親が田原に白羽の矢を立てたのだった。


 彼らの伝承は何度も耳にしたことがあるし、彼らは比喩表現になるぐらい高名な存在のはずだ。それにもかかわらず、すぐ喧嘩しようとしたかと思えば父親にどうにかして貰おうとするなど、二人は子どもっぽいことばかりする。昔の偉い人の話はあてにならないと田原はつくづく痛感した。


「それではミカエルさん——」


「僕もマイクで良い。家族からそう呼ばれてる」


「ミッキーの方がお似合いなんじゃないのか? マスコットみたいで可愛いじゃないか。なあ、甲高い声で喋ってくれよ。お前みたいなひよっこにはお似合いだぜ」


「なんだと! お前の方こそ、ルーシーだなんて往年のシットコムみたいじゃないか! お前みたいな醜い悪魔、どんなにかっこつけたってルシル・ボールの『I Love Lucy』みたいに美しくはなれないぞ!」


「なんだと! てめえもガブリエルゲイブも皆んな地獄に堕ちちまえ!」


「お前はとっくに堕ちてるだろうが!」


「お二人とも、お静かに! これではまるで子どもの喧嘩だ! それでは話を変えてマイクさん、あなたはルーシーさんによる人類の滅亡を止めたいという考えでよろしいですか?」


 ミカエル、いやマイクは一息ついてから冷静に話し始める。だが、その内容が厄介だ。


「田原氏、私はね、父上の計画通りに物事を進めたいのだ。父上が滅びを望むならそうするまでだ。しかし、それを勘当されたはずのルーシーが茶々を入れてくるから抵抗しているまでだ。ルーシーによる世界滅亡が嫌なだけであって、世界滅亡そのものはどうでも良い」


 これが一番厄介なところだ。二人は大義名分を掲げ、それの相違による戦争だと言い張っているが、結局のところ行き着く先は同じなのだ。それでも戦争を続ける理由はたった一つ——相手が気に入らない。それだけだ。


 薄っぺらい。なんて薄っぺらい理由なのだろう。そのために世界を滅ぼそうとするなんて、共感できるところがない。彼らの信頼を勝ち取るために必死になって共感できるところを考えたが、何も思い浮かばない。


 彼らのようなのことなど考えたこともないのだろうなと思うと、田原はますます彼らの首根っこを掴んで引き回してやりたくなる。彼らが羽ばたき一つで大地を火の海にすることができなければ、その翼を捥いで手羽先にして食ってやりたい。ジャーナリストとして、市民のことをまったく考えない政治家や大義名分の下で暴力事件を起こす奴らには山のように会ったことがあるし、国や世界を良くしようと言葉を武器に彼らと戦ってきたが、2人はその中でも特級だ。


「それなら少し話を戻しましょう。ルーシーさん。あなたは何故地上を滅ぼしたいのですか?」


「そりゃ簡単だ! 親父のつくった世界をめちゃくちゃにしてやりたいのさ! 親父ががみんなおっ死んだと知ったとき、どんな顔をするかと思うと——」


「おい! ルーシー!」


「マイクさん、お静かに!」


 マイクは少しバツの悪そうなお顔するが、この二人のペースに飲まれていては話し合いは進まない。議論を進めるためには、まず、この騒動の原因について掘り下げていかないといけない。そのためにはこのマイクの四角四面かつ、瞬間湯沸かし器のような性格は邪魔でしかない。


 熱論は歓迎だが、相手を論破しようだとか、詭弁を捏ねくりまわすだとか、そういった口喧嘩になってしまっては意味がない。


「それでは少し理由について話していきましょう。

なんでルーシーさんはお父様のつくった世界をめちゃくちゃにしたいのですか? その理由を明確にしていただけるとありがたい」


「それは、なんだ。その——」


「田原氏が尋ねているだろう! 答えろ!」


「マイクさん! 三度目の注意ですよ! 人の話を遮らない。人の話は最後まで聞く。復唱してください!」


「え——」


「先ほど私が言ったことを復唱してください!」


「人の話を遮らない。人の話は最後まで聞く」


 これで当分の間はマイクを静かにさせることができるだろう。今がチャンスだ。ルーシーは父親について深く尋ねられたとき、少しだが口籠った。おそらくそこに彼が暴れる理由がある。自分はジャーナリストであってカウンセラーではないが、この戦争を止めるためなら何だってしてやる。それこそが田原の原点にあるものであり、その覚悟は相当なものだ。


「私も上の人間とは上手くいかなかったものです。お気持ちはよくわかります。会社もクビになったり、それこそボコボコになりかけたことだってある。だから、ルーシーさんもお父様について話してくれますか?」


「父上は本当にだ」


 ルーシーは依然として口籠ったままだ。彼は父親について尋ねられると思考をシャットアウトするところがある。彼はそうすることで自分の嫌なことから目を背けてきたのだろう。だからこそ、ここを突くべきなのだ。父親との関係性——そこにすべての始まりがある。


「ルーシーさん。今回の議論にあたり、私はあなたに関する偽典も含めて色々なThe Bookを読んできました。それで可能な限り情報に目を通しましたが、あなたは以前から『父親に人間に頭を下げるように言われ、それで腹が立ったからやった。後悔はしていない』と話していますよね」


「そ、そうだよ! 俺の方が優れているのに、だからって頭をペコペコ下げれるかっての!」


 ルーシーがわずかだが、しどろもどろになってきた。この言葉のどこかに彼の琴線があるはずだ。それに最初から真実を話すとは限らない。真実を引き摺り出すには何でもやって信頼を獲得し、その周りの人間と関係性を築き、そして何度も何度もぶつかり続ける。そうして初めて人は真実を語り出すものだ。


 今回の相手にも同じ戦略を取りたいのは山々だが、相手は人ではないし、時間も足りない。だから、田原はまず相手との距離を縮めるためにあだ名で呼び、その次に自分の心の内を曝け出した。彼らに自分の幼少期の体験を少しずつ語り、彼らに——幸いにも人間をすべて見ていると豪語する天使たちだったので楽だったが——人間『田原総一朗』のすべてを打ち明ける。


 ルシファーをルーシーと呼びはじめた時点で、田原の作戦ははじまっていたのだ。相手の懐に飛び込み、そこから何度も質問を相手の一番柔らかいところに向けて叩きつける。そういう意味では昔からジャーナリストとしても、そして1人の人間としても田原は恐れ知らずのインファイターだった。


「何故、頭を下げるのが嫌だったのですか?」


「それならさっき言っただろうが!」


「ルーシーさん落ち着いてください。これは確認のための質問です。あなたは自分の方が優れているから頭を下げるのが嫌だったのですか? それとも自分以外にお気に入りがいるのが嫌だったのですか? 私が調べたかぎり、あなたは神の長男ですよね? どちらですか?」


「それは、その——」


「ふん、所詮は嫉妬か」


 マイクが鼻で笑う。だが、その発言を田原は流さないし、見逃さない。父親への異常な執着はマイクも同じだ。つまり、二人の根底に同じものがあると考えたのだ。その声を聴くと、ルーシーはテーブルを叩きつけて立ち上がった。


「クソ、バカバカしい! 俺は帰るぜ! こんなダラダラしたお喋りなんてしてられっかよ! それより最終戦争アルマゲドンだ、最終戦争アルマゲドン!」


Armagumentdonアルマギュメンドンだ」


マイクが小さく呟く。


「は?」


最終戦争アルマゲドン論争アーギューメントを合わせた最終論争だから、二つ合わせてアルマギュメンドンだ」


 その言葉遊びにルーシーが激昂した。はじめに言葉があったと言ったひとの子どもなのだから、名前にこだわるのかもしれないが、今はタイミングが悪い。


「うるせえな! お前のそういう細かいところを気にするところが嫌いなんだよ! だいたい口を開ければ俺が悪い、俺が悪いというが、お前にも責任はあるんじゃねえのか⁉︎」


 不幸中の幸いだ。ルーシーがマイクについて話し始めた。ここを突くことで、マイクが何故ルーシーに反目するのかを話させるきっかけになる。


「ルーシーさん、落ち着いてください。マイクさんもこのままでは兄弟関係、いや親子関係は修復できませんよ!」


「な! ち、父上は関係ないだろ!」


「いえ、関係あります。『ヨハネの黙示録』にはあなたがサタン、つまりルーシーさんを地上に投げ落としたと書いてありますよね? 何故命を奪うことができたのに、投げ捨てる道を選んだのですか?」


「それは父上がそう望んだから——」


「それでは、わざわざ父上のである地上に投げ捨てたのですか?」


「そ、それは」


「私が上の人間を信用しない、自分の目ですべてを確かめるような人間であることは、であるマイクさんならご存知ですよね⁉︎」


 今度はマイクが口籠る。やはりそうだ。田原の中で凸と凹がぴったりと当てはまったような感覚がした。彼は自分でも取材のためにこれまで色んな無茶もしてきたと思っている。それこそ彼らの父親が気に入らないような紛いまで、情報を得るためならなんでもしてきた。そこで培われたアンテナがと反応している。やはりこの兄弟、すべての原因は父親との関係にある。


 田原はボクシングのインファイターのように質問をぶつけることを得意としていたが、それは一対一の話だ。多数同士の戦いでは、まさしくプロレスのヒールのような戦い方こそが持ち味だった。向こうと事前に打ち合わせていた台本The Bookをぶち破って、相手の不意を突く。それでその腹の中を掻っ捌いて引き摺り出すのだ。


 ここではルーシーを責める流れだと思い込んでいたマイクのテンプルに一発打ち込む。それで相手は文字通り揺らぎ、足元が崩れて隙が生まれる。そうだ、マイクの聖書The Bookをぶち破るのだ。


「マイクさんは何故お父様のお気に入りの地上に投げ捨てたのですか? それによってお父様のお気に入りの人間に被害が及ぶことは考えなかったのですか?」


「それは、その——」


「ほら! やっぱりてめえにも問題があったんじゃねえか!」


「ルーシーさん! あなたもお静かにしなさい!」


 田原をモデレーターとして選んだのは、それこそ神のミスだろう。おそらく、天からテレビマンとしての彼の姿を見て決めたのだろうが、彼に中立な審判としての立場を求めていたのが大きな間違いだ。何故ならばジャーナリスト『田原総一朗』という男は真実を追うためなら神の戒めだって破る性格なのだ。そして彼は中立な審判などという優しい人間ではない。彼は生涯、中立なプレイヤーとして戦い続ける道を選んだ血気盛んな人間なのだ。


「マイクさん、あなたもルーシーさんのようにお父様にご不満を持っているのではないですか?」


 マイクは何かを言いたいような素振りを見せた後、口を何度かぱくぱくとさせるも何も言葉は出てこず、それからすべてをシャットアウトしてしまった。兄弟だからか、ルーシーそっくりだ。


 その間、ルーシーはずっとマイクへの文句や暴言を吐いていたが、田原はそれを一喝した。大天使だろうと魔王だろうと、こうなってしまえばもう怖くはない。


 神め、自分を誰だと思っている。凶暴なマフィアや大物政治家、宗教団体のトップだろうと舌戦を繰り広げてきたジャーナリストだぞ。今まではそれなりにモデレーターに徹してきたが、口喧嘩の方の腕っ節は駄々っ子兄弟よりは圧倒的に強いのだ。田原の自信は確信に変わった。


 彼はルーシーを黙らせて席に着かせると、彼が人間からの反抗という初めてに戸惑って喋れずにいるところを狙って、もう一度マイクに同じ質問をぶつける。田原はすでに議論の主導権を握ることに成功していたのだ。彼はこういった状況で独裁者になるのは好まなかったが、それでも環境をコントロールしなければは収まらない。


「あなたはお父様に強いこだわりを持っているようだ。先ほども今の状況を言葉遊びにしてみたり、言葉にこだわってる。それはお父様の真似ですね? 違いますか?」


 マイクは糸の切れた操り人形のように椅子の上にへたり込むと、かすれた小さな声で話し始めた。だが、その口調はどんどん強く、大きな声へと変わりはじめる。


「そうだよ! 兄貴が羨ましかったんだよ! おい! 田原とやら! あんたはThe Bookを読んだとか言ったな!」


「ええ」


「だったらわかるだろ⁉︎ あそこに書いてあるのは兄貴の、サタンの話ばっかりだってことによ‼︎」


 流石にその急な変化に驚いたのか、それまで強がり、悪ぶっていたルーシーの方が止めに入る。そこには彼の兄としての姿を感じ取れた。


「落ち着けよマイク——」


「うるせえルーシー! 親父は口を開けばサタンだとか悪魔だとか、兄貴の話ばっかりだった! 俺は兄貴以下、お気に入りの末っ子『人類』以下の三番手だった! 親父はあんなに言葉が大事だって言ってたのに、地上の生き物を泥から捏ねてつくった人間なんかに全部名付けさせた! 絶対俺の方がネーミングセンスがあるはずだ! 親父は兄貴ばっかりに構って一度もこっちを見もしねえ! 都合の良いときだけ呼ぶばかりで、親父の真似して勉強しても全部無視だ! だから親父の全部をめちゃくちゃにしてやりたくて、兄貴をを地上に捨てたんだよ! 悪いかよ!」


 なんとなく彼が言葉遊びにこだわる理由がわかる気がしてきた。それでも、まだ何かを隠している。ジャーナリストの直感がそう騒いでいるのだ。何度も何度も当たって砕けろ——この戦争を止めるためなら文字通り砕けたって構わない。ここからがジャーナリスト『田原総一朗』としての踏ん張りどころだ。


「本当にそれだけですか?」


「ああ⁉︎」


「それだったらお気に入りのお兄さんを殺してしまえばよかったんじゃないのですか? 私にはあなたがお兄さんを殺せなかった、お兄さんを愛していたように思えます」


 マイクは咄嗟に翼を出し、そのまま田原に飛びかかろうとしたがそれをルーシーが止める。悪魔が天使から人を救うというのはチグハグだが、これは砕けても良いという覚悟のもと、すべて田原の計算通りだ。


 ここで田原が死んでしまったら、ルーシーはマイクの本音が聞けなくなる。お互い、すべては兄弟の関係の拗れが原因となってはじまっていることなど本当は気がついているはずだ。そして、お互いがお互いを非常に意識しあっていることにも薄らと気づいているだろう。本当は兄弟愛は未だ健在で、そこに父親が影を落としているのが、この複雑な状況を作り上げている。その絡まった話を解き、整理することこそがジャーナリストとして、そしてモデレーターとして田原に与えられた目的だと理解した。


 だからこそ、ルーシーは——田原の予想通り、仮にも魔王と呼ばれる切れ者ならば——このチャンスを見逃さないはずだ。そのために自分を殺させるわけにはいかないはず。すべてはドキュメンタリー作家兼ジャーナリスト『田原総一朗』の手の上で転がされていたのだ。状況をコントロールすることで、ここにいるすべての人間を安心させ、それによって更なる本音を引き出すのだ。


「ルーシーさん、あなたはお父さんに自分を見て欲しかった。マイクさんも同じだ。この問題の根源は私たちすべての父親である神にあるように思えます」


 兄に宥められて席に戻ったマイクと、弟を抱きしめるように押さえていたルーシーの二人が田原を見つめる。


「何が言いたいんだ、あんた」


「そうだ。父上は全知全能で絶対の存在なのだぞ」


 二人は息を切らしていたが、ようやく落ち着いた口調に戻っていた。


「そこが問題なんです。で見ていてご存じだと思いますが、私は子どもの頃、戦争のせいで教師と政府を信じなくなった。ジャーナリストになってからは大手マスメディアを信じなくなった。しかし、その前はどちらにも盲信し、心酔していた——」


 田原は今までは二人を落ち着かせるためにも深く座っていた椅子から立ち上がり、天井の照明を見上げた。その光の中、見えることのない輪郭を探し、それに向かって語りはじめる。


「——この世に絶対なんてものは無い。偉い人の言うことを無条件に信じない。これが私のモットーだ。これまではあんたの息子たちに気を遣って丁寧に喋ってきたが、ここからは本音を言わせてもらうぞ。あんたは放任主義と自由主義を語っているが、本当はただ子どもたちの人生と向き合うのが恐いだけだ。本当に自由なら、あんたにとって耳が痛いことも言うぞ。それが言論の自由ってもんだ。どうせ、お空の上からこの議論もあんたは聞いているんだろう? だから言ってやる。このバカ兄弟は一回話し合え、末っ子の人間にあたるな。そして親父であるあんたは臆せず子どもと向き合え、それこそ喧嘩をしろ。血が繋がってるから家族なんじゃないぞ、それだけだとただの他人だ。殴り合いするぐらいがちょうど良い。完璧を求めずに相手を理解したとき、本当の家族になれるってもんだ」


 彼はこの不気味なほど白く汚れの無い完璧な部屋から出るべく、ドアのノブに手をかけたがそこで振り返って言葉を付け足した。最後に決め台詞を言って去り行く方が遥かにドラマチックだが、これはドキュメンタリーだ。現実は泥くさくてみっともない。だが、それがいい。


「あと言っておくが、家族問題の鬱憤をこれ以上周りに撒き散らすなよ! 喧嘩で流す血はあんたらだけにしておけ! あんたらの小競り合いに巻き込まれる身にもなってみろ! あんたらが俺たちを神の子どもというなら、あんたらは親族に一人はいる厄介者だからな!」


 そう吐き捨てると、本当の最後の最後に一言、これまでのすべて詰め込んだ言葉を呟いた。初めに言葉あり——その精神を持つのはジャーナリストも同じだったのだ。


「ゾウたちが戦えば、苦しむのは草たちなんだぞ。のちっちゃな器のせいで、これ以上、市民が口をつぐんだり、命を落としてたまるか」


 そう言い残すと田原は二度と振り返ることはなく、そのまま部屋を出た。外の世界は破壊と混沌に満ちている。その混迷の中で人は何か絶対なものを求めて彷徨う。だからこそ、彼はジャーナリストとして外に歩き出した。その後、この宇宙がどうなったのかは文字通り神のみぞ知るところである。

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