第21話 初めての夜

 日が暮れて外がすっかり暗くなった頃、マルクは緊張した顔でベッドの上に座っていた。

 場所はいずこかの部屋の中。

 ランプの灯りで照らし出されている調度品は、イスとテーブルとクローゼット。それからベッドが二つ。

 二つ並んだベッドには、マルクとレティシアが向かい合って座っている。

 部屋にいるのはこの二人だけで、ジャック達四人の姿はない。

 狭い部屋に二人きりでいるせいか、マルクの表情は緊張で強張ったものになっている。

 それに対してレティシアは、いつも通りボンヤリとしていてマルクとは対照的だ。

 今、二人がいるのは冒険者用の宿の一室だ。

 ガド達教えてもらった表通りから外れた所にはあるが、しっかりとした隠れた名店だ。

 目立つ大通りにある宿は、街の顔になるほど大きくて高級な宿が多いため、マルクの様な初心者には泊まれない。

 利用できるのは、実力のあるベテランだけだろう。


 冒険者組合をでたマルク達は、定宿となる宿を探すことにした。

 あまり遅い時間に探すと、どこにも空きがないかもかもしれないからだ。

 春になって街を訪れる人間が増えたせいか、最初の三件ぐらいは満室だった。

 四件目でやっと空きのある宿屋を見つけた。

 ただし、二人部屋だ。

 冒険者の宿というものはパーティーで同じ部屋に泊まれるように4〜6人で泊まれるようになっている所が多い。

 マルクが訪れた〈カエンダケ亭〉も、そのような構成になっているが、二人部屋もいつくかあった。

 逆に一人で泊まれる部屋はなかった。

 それを知ったジャックは、お気楽な調子でマルクに告げる。

「丁度いいから、二人で泊まれば」

 そう言われてマルクは戸惑ってしまう。

 ジャックの表情からは、悪意で言ったのではないというのがわかる。

 効率的にさもありなんといった感じだ。

 だからといって、男女のパーティーが同じ部屋に泊まっていいものだろうか?

 孤児院では男女の間違いについて注意されていたことがあった。

 思い悩みながらレティシアの方をチラリと見る。

 こちらの苦悩を知ってか知らずか、視線を向けられて優しく微笑んでいる。

「レティシア。二人部屋が空いてるぞ」

 ジャックが能天気に聞いてくる。

 からかっている様子は見えない。

 男女関係なくパーティーなら同じ部屋に泊まるのは当然だと思っているのだろう。

 聞かれたレティシアは、恥じらう様子も照れた様子も見えない。

 ただ、自然な動作で、マルクの手を握る。

「うん、マルクと一緒」

 魅力的な笑顔で言われたマルクは、見惚れてしまって何も言えなくなってしまう。

 このままなし崩し的に話が進むと思っていたが、異を唱える人間が一人いた。

 神官見習いのヤクトだ。

「いくらパーティーとは言え、男女が同じ部屋に泊まるのは良くないのだろう!」

 神官を目指しているだけあって、こういった倫理的なことにはうるさい。

 何とも無責任に見えるジャックの態度に苦言を呈する。

 マルクもヤクトとは同意見だったので、最初は一人部屋が二つある宿を探すつもりだった。

 だが、見つからずに、ちょっと困った事態になっている。

「別にいいじゃん。パーティーなんだから」

 深刻に考えている二人に反して、ジャックはやけにあっけらかんとしている。

 恋愛よりも剣を振り回しているのが大好きな人間だからだろうか?

 ジャックの態度にいい加減さを感じたヤクトは、猛烈な抗議をし始める。

 四人にとってお馴染みの光景となり、いつものとうりロンは狼狽して泡を食った顔になる。

 ロジャーは、肩をすくめて溜息をついてから止めに入る。

「これはパーティーを組んでいる二人が決めることだ。オレ達が決めることじゃない」

 ウンザリした顔でそう言ってから、強引に二人を押し出して、その場から離れることにする。

「それじゃあなマルク、レティシア。また機会があったら組んで冒険をしよう」

 振り向きざまに別れの言葉をかける。

 ヤクトが、まだ何か言いたそうにしているが、無視して外へと押し出す。

 陽気なジャックは、手を振りながらなすがままになっていた。

 ロンは狼狽えた顔をしたまま三人が出て行くの見送っていたが、自分が置いてけぼりにされたのに気づいて慌てて後を追いかけて行った。

 嵐のようにジャック達が去って行くの呆然と見送るマルク。

 だが、現実から目をそらすわけにもいかないので、すぐに意識は現実へと舞い戻る。

 生唾を吞み込み、恐る恐るといった感じで隣のレティシアを見る。

 実は夢か幻ではないかと思ってしまったが、現実にレティシアは存在するし、ここは孤児院ではなく冒険者の宿だ。

 複雑な気持ちでマルクに見つめられているレティシアは、こちらの気持ちに気づいた様子もなく不思議そうな顔で見つめている。

 息を呑むような美貌に魅入ってしまいそうになるが、いつまでも店の前で立っていると邪魔になるので決断しなければならなかった。

 なので、力を込めて喉の奥から言葉を絞り出した。

「レティシア。飯にしよう!」

「うん」

 出てきたのは、状況を先延ばしにする情けない言葉だった。


〈カエンダケ亭〉の一階は食堂になっているので、宿泊客は食事ができるようになっていた。

 その中でマルクは食堂の隅のほうにあるテーブルでレティシアと向かい合って食事をしていた。

 シチューにパンを浸しながらマルクは思う。

 結論を先延ばしにしているのはわかっていると。

 しかし、腹が満たされれば、何か妙案が浮かぶような気がした。

 だからなのか、味わうことなく半ばヤケクソで飯をかきこんでしまう。

 そのため、喉を詰まらせて水を流し込むように飲み干したことが二、三度あった。


 テーブルの上にあった料理を全て食べ尽くした。

 おかげで満腹になった。

 孤児院を出て初めての日もあってか、いつも食べる量より多く注文してしまった。

 はち切れんばかりに食べたおかげで、今は幸せな気分に浸っている。

 フードを目深に被っているレティシアからも、同じ気分になっているのが見て取れる。

 周りの喧騒が聞こえなくなるくらいまったりとしていたいが、そうもいかない。

 空腹を満たせれば妙案が浮かぶかと思ったが、そんなことはなかった。

 仕方がないので、現実に戻ってどうするべきなのか決めなければならない。

 決断の時は、刻一刻と迫っているのだから。

 重大な選択をしなければならないこを意識して生唾を飲み込む。

 喉の渇きを感じてジョッキへと手がのびる。

 マルクは、今日初めてエールを飲んだが、緊張のためか、うまいと感じることはできず苦いとしか感じとれなかった。

 それでも喉を潤すことはできたので、言うべき言葉を紡ぎ出す。

「レ、レティシア」

「うん?」

 手に汗を握ったマルクの呼吸が荒くなる。

 次の言葉を躊躇いながらも、思いっきり絞り出す。

「一緒の部屋に泊まろう」

「うん」

 まさに一世一代と言った勢いで放たれた言葉は、拍子抜けするほどアッサリと受け入れられた。

「マルクと一緒」

 そのように言うレティシアの顔には、恥じらいや気負いといったものはなく、純粋に嬉しいという気持ちだけが溢れていた。


 部屋に入ってすぐにベッドに入っても眠りこけるということはなかった。

 ベッドに座り込んで無為な時間を過ごしていた。

 ボンヤリとしている間に眠気に誘われるようなことはなく。むしろ、逆に目が冴えてしまっている。

 理由はわかっている。目の前にレティシアがいるからだ。

 向かい合って座っているのでレティシアと見つめ合っていることになっている。

 レティシアは相変わらずボンヤリとしている。

 密室で年頃の男女が二人っきりという状況なのに、恥じらう素振りや危機感といったものは全く感じられなかった。

 それはすなわち、マルクのことを異性として意識していないということなのだろう。

 これは、マルクにとっては情けなくて寂しいことだろう。

 しかし、当の本人は極度の緊張状態であるため、そこまで考えが及んでいない。

 ただ、鼓動を高鳴らせて生つばを呑み込んでしまう。

 そうしているとマルクは、自身がひどく興奮していることに気づく。

 胸に手を当て暴れ太鼓のような心音を落ち着かせるため深呼吸する。

 深く息を吐いて冷静になれたと思ったマルクは、真剣な表情になって立ち上がる。

 そのまま呆然とせず、一歩前へと踏み出す。

「レティシア」

 名前を呼ぶ声は、どこか重苦しく震えているように感じる。

 手は汗ばみ閉じたり開いたりを繰り返す。

 マルクは、さらに一歩前に出る。

 忙しない動きを見せていた両手は、硬い握り拳になる。

 そのまま力を溜めた後、ゆっくり力を解放するように開いてからレティシアへと手を伸ばす。

 震える手が両肩を掴む。

 緊張のためか、猛禽類のように力強く掴んでしまう。

 あれほどの剛腕を振るいながらも、レティシアの体は柔らかくてきめ細やかだ。

 しかし、剛腕であるためか、レティシアは苦痛で顔を歪めることはない。

 いつも通りにボンヤリとしている。

「レティシア」

 もう一度名を呼んで顔を近づける。

「うん」

 マルクの動作に首をかしげるレティシア。

 いつものボンヤリしている顔からは、マルクのしようとしていることを受け入れるつもりなのか、無知で天然なのかはわからない。

 前者だと無理やり思うことにしてさらに顔を近づけるが、鼻先が触れ合うほどの距離にきたところでピタリと止まる。

 マルクの顔に躊躇いの感情が浮かぶ。

 記憶のないレティシアに対して罪悪感を感じたからだ。

 だが、それも一瞬のこと。

 思春期の少年には、これ以上自分の欲望と衝動を抑えることはできなかった。

 そのまま一気に距離を詰めようと、瞼を閉じながら唇を近づける。

 後少しというところで、首筋に何かが触れた。

 驚いて動きが止まる。

 突然の出来事に頭の中が混乱してしまう。

 だが、すぐにレティシアが後頭部に手を回しているのを理解した。

 首筋に伸びるレティシアの手からは、春の日差しのような暖かな温もりを感じる。

 マルクは、自分が行おうとしていることに対して、後ろめたさと不安があった。

 しかし、今のレティシアの反応で、思いは自分と同じなのだと確信する。

 ならば、このまま一気に畳み掛けることができるのではないかと思ったが、そうはならなかった。

 レティシアの両手は、自分の顔へとマルクを導くことはなかった。

 どこへと導かれたかというと、自身の胸元へだ。

 レティシアは、マルクの頭を抱き寄せて、自分の胸元へと押し付けたのだ。

「うっ!?」

 愛しい女性の豊満な胸に顔をうずめてしまったマルクだったが、喜びよりも驚きの感情の方が大きく感じてしまう。

 頭が混乱し、頭も拘束されているが、なんとか顔を上向かせ、相手の表情を見て真意を探ろうとする。

 万力というほどではないが、しっかりとしたした力で抑えられているので頭を動かすのに苦労する。

 芋虫のようなモゾモゾとした動きをしていると、唐突に圧が弱まる。

 片手が離れたのだ。

 空いた手がどう動くのか?

 ひょっとしたらぶたれるのか?

 もしかして自分の勝手な思い込みで、レティシアを怒らせてしまったのかと不安になる。

 このままこっぴどく怒られて張り倒された挙句、部屋から叩き出されて追い出される。

 そんな最悪の未来を想像してしまい、現実を逃避するかのように目を固く閉じてしまう。

 覚悟をしていると手が頭に触れる。しかし、強い衝撃は伴うことはなかった。

 ぶたれたのではない。

 ならば、何がおこっているのかというと、頭を撫でられているのだ。

 意外なことがおこったことに驚き目が点となるマルク。

 信じられない思いで恐る恐る上を向いてレティシアの顔を見る。

 とても優しい顔をしている。

 けして怒りを押し殺した嵐の前の静けさといった感じではない。

 心から慈愛を感じる聖母のような表情をしている。

 自分はレティシアを怒らせたわけではないと思い一安心する。

 おかげで心に余裕を持つことができた。

 しかし、そうなるとこれは一体どういう状況なのかと不思議に思ってしまう。

 色々考え込んでみると、自分は異性として全く意識されていないのではないかという結論が出てくる。

 記憶のないレティシアには、恋愛感情さえも消え失せてしまったのだろうか。

 そう考えると何だか寂しく感じてしまう。

 切ない思いで見つめていると、レティシアの唇が動き出す。

 軽く息を吸い込んでから溢れ出た言葉は子守唄だ。

 孤児院にいた時に、アニーが年少の子供達を寝かしつけるのに歌っていたものだ。

 レティシアはアニーの手伝いをよくしていたので憶えていたのだろう。

 このような行動から、自分は異性ではなく保護すべき幼子と思われているのかもしれない。

 そう思うと、今まで緊張していたことが、なんだかバカらしく思えてくる。

 恋慕の情を理解してもらえず、ずっと空回りしていたのだから。

 残念な気持ちと共に、マルクの肩から力が抜けていく。

 そのことを察したのか、レティシアは抑えていたマルクの頭を離した。

 レティシアは、マルクと顔を向き合わせ目が合う。

 マルクを見つめる表情は、いつも通りボンヤリしたもので、憂いなどは感じられない。

 心が洗われるほど清らかな歌声が続く中で、二人は見つめ合っている。

 マルクの心臓は、再び高鳴るがロマンチックな気持ちにはなれない。

 自分が弟ぐらいにしか思われていないと、気づいてしまったからだ。

 寂しい思いに打ちひしがられているうちに、子守唄が終わってしまう。

 まさに天使のような歌声だった。

 しばしの余韻に浸っていると、もう少し聴きたいという欲求が生まれてくる。

 思いきってもう一曲ねだってみようかと思ったとことで、体が横に倒れ込む。

 レティシアの腕は、今だにマルクを捉えていたいたので一緒に倒れこんでしまう。

 これにマルクは、ひどく驚き動揺する。

 襲われたと思い大声をあげそうになるが寸前で思いとどまる。

 慌てる前に現状を正しく理解するためレティシアの顔を見る。

 瞼は閉じられているが苦悶の表情はしていない。

 むしろとても安らかだ。

 愛らしい唇はうっすらと開かれて寝息を立てているのが聞こえた。

 そう、レティシアは眠っていたのだ。

 今日の冒険で疲れて眠ってしまったのだろうか。

 そう思われるほどの剣さばきを今日は見ることができた。

 いくら孤児院で共同生活をしていたとはいえ、レティシアとは寝る所は別だったので寝つきの方はわからない。

 名残惜しい気持ちにはなるが、自分も寝ようと思いため息を漏らしながら離れようとする。

 だが、離れられない。

 レティシアは、寝ながらでありながらしっかりとマルクの体を固定していた。

 万力のような力強さがありながら苦痛はない。

 むしろ柔らかくていい匂いがする。

 極上の牢獄といった感じの中でマルクは、もがきながらも眠れない夜を過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶のない戦乙女 オオタカ アゲル @ookura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ