3章 神々の世界

3章 神々の世界


3-1. 爆弾の皇帝


 その頃、東京でも動きがあった――――。


 ウェーブがかった美しい金髪を揺らし、少女「ルドヴィカ」は田町の街を歩いていた。大胆に大股で歩く、ミニスカートから延びるすらりとした生足に、すれ違う人も目を奪われている。国道十五号線を行きかうバスやタクシー、ずらりと並ぶガラス張りの高層ビル、遠くには赤い東京タワーも見える。少女は楽しそうに歩き、高級マンションの前まで来ると、まるでドラッグをキメたかのように狂気をはらんだ瞳でキャハッ! と笑ってマンションを見上げた。


 マンションの最上階、メゾネット造りの気持ちのいいオフィスにきた少女は、会議室へと案内される。少女はずらりと並ぶ面々をチラッと見ると、フンと鼻を鳴らし、席に着く。


「ルドヴィカさん、わざわざ来てもらってすみませんね」

 チェストナットブラウンの髪を揺らし、琥珀色の瞳を輝かせながら、神懸った美しさを放つ女性「ヴィーナ」が口を開いた。

「いや、全然かまわないわ」

 ルドヴィカはやや反抗的な口調で答える。

「さっそくで悪いけど、これを見てくれるかしら?」

 そう言ってヴィーナは会議机の上にグラフをいくつか浮かび上がらせた。

「あなたに管理を任せていた星の情報よ。戦乱だらけで人口……、多様性……、その他全ての点で急速に悪化してるの。説明をしてもらえるかしら?」

 ヴィーナはポインターでグラフを指し、ルドヴィカを静かに見つめた。

「説明もくそも、見たまんまよ!」

 そう言って肩をすくめる。

「では、廃棄処分に同意という事でいいかしら?」

 ヴィーナは淡々と事務的に言った。

「ふん! あんたらはいつもそうよ。お高く留まって偉そうに処分をするだけ! いいご身分だこと!」

 ルドヴィカは叫ぶ。

「あなたの行動記録……見たわよ。管理者アドミニストレーター権限使って酒池肉林に享楽の数々……。それで批判するの?」

 抑制的なトーンで返すヴィーナ。

 くっ!

 ルドヴィカは歯をぎゅっと食いしばると、いきなり立ち上がり、腕を高く上げて、

爆弾の皇帝ツァーリボンバ!」

 と、叫んだ。

 直後、窓の向こう、東京タワー上空で激烈な閃光が放たれ、東京は瞬時に鮮烈な熱線にかれた。街路樹は一瞬にして黒焦げとなって燃え上がり、ガラスは溶け、街ゆく人々は瞬時に沸騰して爆発した。

 閃光がおさまると、白い繭のような衝撃波が広がっていき、ビルは次々と吹き飛び、東京全域を瓦礫の山へと変えていく。

「キャハッ! ざまぁみろ!」

 イカれた狂気を孕んだ目で叫ぶルドヴィカ。

 しかし、全てを焼き尽くす史上最強の核兵器爆弾の皇帝ツァーリボンバをまともにくらいながらも会議室はビクともしなかったし、出席者も白けていた。


「どうしてみんなコレやるのかしら?」

 ヴィーナはウンザリしたように肩をすくめる。

 そして、腕を高く掲げると、

後退復帰ロールバック!」

 と、叫ぶ。直後、窓の外が青白い光の奔流に覆いつくされ……、やがて光が晴れるとそこには爆破前の東京が戻っていた。

「へっ!?」

 唖然とするルドヴィカ。

 青空に東京タワーがそびえ、道には多くの車が行きかい、爆発前と寸分たがわない東京がそこにあった。

「ご苦労様、言い残すことは?」

 ヴィーナは鋭い視線でルドヴィカをにらむ。

「くっ! 化け物どもめ! グァ――――!」

 ルドヴィカは怒りに任せてこぶしを会議テーブルに叩きつけ、粉々に砕いて吹き飛ばすとヴィーナに飛びかかった。

「くらえ!」

 渾身のパンチがヴィーナの頬にさく裂し、ヴィーナは吹き飛ぶ。

 そして、ルドヴィカはそれを追いかけると馬乗りになり、両手で次々とヴィーナを殴った。唇が切れて血が飛び散り、ゴスッ! ゴスッ! と猟奇的な鈍い音が部屋に響き続ける……。

「死ね! 死ね!」

 しかし、殴りながらルドヴィカは違和感に囚われた。

 なぜ誰も止めないのか……?

 そして、血にまみれた殴る手を止め、恐る恐る周りを見ると、ニコニコと笑っている水色の髪の女の子「シアン」一人を残して、他には誰もいなくなっていた。

「な、何で……止めないんだ?」

 ルドヴィカはけげんそうに聞く。

「だって、それただの人形だもん。きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑った。

「に、人形!? くっ……」

 ルドヴィカは血まみれとなった女性の人形を忌々しそうに見つめ、大きく息をつくと首を振った。


















3-2. 一億年の刑罰


「さて、君、テロリスト集団に魂を売ったね? 情報、吐いてもらうよっ!」

 シアンはうれしそうに言う。

「バーカ、仲間を売るわけねーだろ!」

 ルドヴィカは今度はシアンに殴りかかったが……、こぶしはシアンをすり抜け、空を切った。

「きゃははは! もうこの部屋は『時の結晶』に変えてある。この世界には君しかいないんだ」

「また、面妖めんようなシステムを作りやがったな……。だが、何したって無駄だ! 吐くぐらいなら死んでやる」

「どうやって死ぬの?」

 シアンはニコニコして聞く。

「そんなのこれで心臓一突き……。あれ……?」

 ルドヴィカは机の破片を拾おうとして、手がすり抜けてしまったことに驚く。

「君の身体はもう何とも干渉しない。まぁ幽霊みたいなものだよ。お腹もすかないし、老化もしない。死ぬことなんて無理だねぇ。きゃははは!」

「マ、マジかよ……」

 唖然とするルドヴィカ。

「じゃあ、僕は十年後に来るよ。その時、また返事を聞こう」

「じゅ、十年後!?」

「そう、その次は百年後、その次は千年後……、さて、何年後に吐いてくれるかな?」

 シアンはワクワクしながら言う。

「ちょ、ちょっと待てよ! そんな未来に情報吐かせたって意味ねーだろ!?」

「『時の結晶』内の一億年って外の世界の一日くらいなんだよね……」

 シアンは首をかしげる。

「一億年!?」

「そうだ、最初から一億年待ってみようか?」

 シアンは満面に笑みを浮かべて言う。

「ま、ま、ま、待ってくれ!」

 ルドヴィカは顔面蒼白になって頼む。

「一億年じゃ全部忘れちゃうか。では、十年後、また会おうね! きゃははは!」

 シアンは嬉しそうにそう言うと、消えていく……。

「あっ! 待てって言ってるだろ! チクショー!!」

 ルドヴィカは必死に吠えたが、その声はどこにも届かなかった。


        ◇


 一分後、シアンが部屋に戻ってくると、ルドヴィカは十年の放置ですっかりやられてしまい、ぐったりと床に転がり、うつろな瞳がただ宙を映していた。

「おまたせちゃん! 吐く? それともまた百年待つ?」

 シアンはニコニコしながら聞く。

 ルドヴィカはヨロヨロと起き上がると、おもむろにシアンに土下座をした。

「全て……吐きます。だから……殺してください……」

 シアンはうれしそうにうんうんとうなずいた。


        ◇


「パパー! テロリストの拠点が分かったよ~!」

 シアンはメゾネット造りのオフィスの階段を下りながら、手を振って言った。

「よくやった。それじゃ作戦会議だ」

 パパと呼ばれた男性「まこと」はニコッと笑い、ヴィーナたちを再度集める。

「ルドヴィカの星はどうしよう?」

「そんなの廃棄処分以外ないわよ。テロリストがどんな仕掛けを残してるか分からないんだから」

 ヴィーナは言い切る。

「残念だけど仕方ないわね」「もったいないけどなぁ……」

 他のメンバーも渋々同意する。

 腕を組んで目をつぶり、渋い顔をしていた誠が意を決したように言う。

「では、廃棄で行こう」

「それじゃ、システムはシャットダウンして初期化するわね」

 ヴィーナはそう言って手を高く上げる。

「ちょ、ちょっと待って……」

 誠はヴィーナの手をつかんだ。

「何よ? また予言?」

 いぶかしげにヴィーナは言う。

「焼却処分したらいい事ありそうなんだよな……。シアン、焼却処分でお願い」

 そう言って誠はシアンに頼んだ。

「わかったよ。きゃははは!」

 シアンはうれしそうに笑う。

「まぁ、いいわ。で、テロリストはどうすんのよ? 私は嫌よ」

 ヴィーナはジト目で誠を見る。

「あー、新人たちに任せるか。四人いたよね?」

「新人……ですか?」「うーん……」

 メンバーたちは不安そうに眉をひそめる。

「実戦を経験して育てないといけないかなって……。四人で勝てそう?」

 誠はシアンに聞く。

「うーん、ヴィクトルなら一人でもいけるんじゃない?」

「ヴィクトル?」

「ドラゴンと結婚した大賢者よ」

 ヴィーナが言う。

「あー、あの六歳児!」

「あの子、もう子供いるのよ。可愛いドラゴンの女の子」

 ヴィーナは幼女の映像を空中に浮かべ、目を細めながら言う。

「えっ!? 六歳児が!?」

「もういい青年よ。ほらこれ」

 そう言いながら映像に出てきた若い男を指さす。

「へぇ……。じゃあ、彼に出動してもらうようにお願いできるかな?」

「え――――、私? 自分でやりなさいよ」

 ヴィーナは口をとがらせてジト目で誠をにらんだ。

「僕から言っとくよ!」

 シアンはニコニコしながらiPhoneを取り出す。

 そして、画面をつらつら見ながら、

「あら、テロリスト集団はヴィクトルの星の南極に逃げだしたみたい。都合いいかも」

 と、どこかに電話をかけた。











3-3. アポカリプス


 所変わってオンテークの森――――。


 自分たちの星が焼却対象となってしまったことも知らず、ユリアたちは夕飯を食べていた。

 ユリアは食欲のない様子で、王都の惨状さんじょうを話す。

 ジェイドは、

「危ない事はしちゃダメだ」

 と、怒っていたが、想像以上の荒廃っぷりに渋い顔をし、ため息をついた。

「どうなっちゃうのかな……?」

 ユリアは心配そうに聞く。

「そこまで荒廃すると……、神様に見限られてしまう……かもしれん……」

「見限られるって……?」

「この星が消されるってことだよ」

「えっ!? そ、それはダメよ! そんなことになったら私たちも消されちゃうって……ことよね?」

「そうだ……」

 極めて厳しい事態に追い込まれたことに二人はうつむき、沈黙の時間が続いた……。


「ねぇ、何とかならない……かな?」

 キリキリと痛む胃を押さえながら、ユリアは口を開く。

「神様のやることに我々は干渉できない。何しろ我々を作ったのは神様なのだから……」

「そんな……」

 ユリアは青い顔をしてうつむく。


         ◇


 早々に食卓を片付け、寝支度をしている時だった。


 パーパラッパー! パパパッパー!

 外で高らかにラッパの音が鳴り響く。


「えっ!?」

 ジェイドはあわてて窓を開いて空を見上げる。

 ラッパの音は夜空高く、宇宙から降り注ぐようにオンテークの森に響き渡っていた。

「ア、アポカリプスだ……」

 ジェイドは顔面蒼白となり、空を見つめたまま動かなくなる。

「な、何なの……? それ?」

 ユリアはジェイドの異様な様子に恐る恐る聞く。

「終末を告げるラッパ……、神様がこの星を終わらせると宣言したんだ……」

 ジェイドは呆然としながら崩れ落ちた。

「えっ! この星、消されちゃうの!?」

 真っ青になるユリア。

 ジェイドは無言でゆっくりとうなずく。

「ど、どうやって消されるの?」

「分からない……」

 ジェイドはそう言って、うなだれた。


 世界の終わりがやってくる。

 いきなりの死刑宣告に二人とも言葉を失い、ただ、呆然とするばかりだった。

 やがてラッパの音が鳴りやみ、静けさが戻ってくる。

 ユリアはこれから始まる死刑執行をどうとらえていいのか途方に暮れ、窓辺で夜空を見上げた。

 その時だった。夜空の向こうに、何かぼうっと赤く光る点がゆっくりと動く。

「あれ……、何かしら?」

 ジェイドは立ち上がってユリアの指さす先を見る……。

 すると、目をカッと見開き、叫んだ。

「巨大隕石だ! デカい……ニ十キロはあるぞ!」

 ニ十キロと言えば、王都だけでなく、王都を囲む盆地全体が覆い隠されるサイズ。落下したエネルギーで、この星の生きとし生けるものは全て燃やし尽くされてしまうだろう。神様が選択した星の消去方法は巨大隕石による焼却処分だったのだ。

「ニ十キロ!?」

 ことの深刻さにユリアは言葉を失う。

 するとジェイドはユリアの目を見つめ、

「我が隕石の軌道をそらして浮かす。ユリアは全力のシールドで宇宙へ帰っていくようにさらに軌道を変えてくれ」

「えっ!? 軌道をそらすってもしかして?」

 ユリアは嫌な予感がした。

「愛してるよ、ユリア……」

 ジェイドは覚悟を決めた目でユリアを見つめる。

「待って! 止めて!」

 ユリアはジェイドにしがみつく。彼は自分の命をなげうってこの星を守ろうとしているに違いない。ジェイドが失われた未来、そんなのどう考えても受け入れられない。

 しかし、ジェイドはそっとキスをするとユリアの手を振りほどき、窓の外へと跳ぶ。

「ジェイド――――!」

 ユリアの叫び声が響く中、ジェイドはドラゴンの姿に戻り、いまだかつてなく激しく光り輝くと隕石の方へとすっ飛んで行った。

「いやぁぁぁ!」

 ユリアはいきなり訪れた別れの、胸が張り裂けるような痛みに貫かれ、絶叫する。

 隕石は徐々にまぶしく輝き始め、世界の終わりが近づき、ジェイドの鮮やかな青白い軌跡はまっすぐに隕石の飛び先へと進む。

 夜空に展開される多くの命のかかった鮮烈な光の共演。それはユリアの胸を絶望に染め、ただ力なく手を伸ばすばかりだった。

 そして、両者が交わる――――。

 直後、激しい閃光が夜空を、大地を光で埋め尽くした。












3-4. 降り注ぐ命の輝き


「いやぁぁぁ!」

 最愛の人の最期、その激烈な光の洪水を浴びながらユリアは自分がバラバラになってしまうような衝撃で泣き叫ぶ。自分を救ってくれて、そして、大切に優しく慈しんでくれたかけがえのないジェイド。その愛しい命がまばゆい光となって大地に降り注いでいる……。

「あぁぁぁ……、ジェ、ジェイド……」

 ユリアは焦点のあわない目でそうつぶやくと、奥歯をカチカチと鳴らしながら、真っ青な顔をして窓辺にもたれかかった。


 光が晴れていっても、隕石は輝きながら飛んでいる。ただ、いくつかに分裂し、軌道も大きく変わっていた。

 ユリアはジェイドに託された作戦を思い出し、全力のシールドを張るべく体に力を入れようとしたが、手がブルブルと震えて上手くいかない。

「ダ、ダメ、ちゃんとやらなきゃ!」

 ユリアはポロポロと涙をこぼしながら深呼吸を繰り返し、意識を集中して超巨大なシールドを隕石の進行方向に斜めに展開した。

 秒速ニ十キロの超高速でシールドに突入した隕石群は、衝突の衝撃でさらにバラバラに砕けながら斜め上に弾き飛ばされていく。

 隕石の破片群はまるで壮大な花火のように、激しい光の軌跡を描きながらゆっくりと高度を上げていき、やがて宇宙へと帰っていった。

 ユリアは両手を夜空に向けたままハァハァと荒い息をしながら、満天の星々が戻ってくるさまを呆然と眺める。


 ホウ、ホーウ……。

 まるで何もなかったかのように、静けさを取り戻した森からは鳥の鳴き声が聞こえてくる。


「ジェ、ジェイド……?」

 ユリアはまだ現実感が湧かず、力なくつぶやく。

 必死にジェイドの気配を探索したが……、どこにもジェイドの姿は見つけられなかった。

「ジェイド――――! ねぇ! ジェイド――――!」

 ユリアの絶叫はただ静かな森へと吸い込まれていく。


 うっうっうっ……。

 ユリアはジェイドが消えた辺りの空をじっと見つめながら、涙をポタポタと落とし続けた。

 やはりジェイドは身をていしてこの星を守ったのだ。ユリアを残して……。


       ◇


 すると、流れ星のような光跡がツーっと夜空から降りてくる。

「ジェイド……?」


 ユリアはその光跡を目で追う。やがてその光は激しく輝きながらグングンと近づいてきてユリアは思わずしゃがみ込む。


 きゃぁ!


 光は窓を抜け、部屋に入ってきた。室内をまばゆく照らす眩しさに目がくらむユリア。


 ひぃぃ!


 パリパリ! というスパークがはじける音が部屋中に響き渡った。


「君、すごいね!」

 光の中から若い女の声がする。

「えっ!?」

 光がおさまって、中から現れたのは水色の髪の女の子、シアンだった。

「隕石を止められたなんて初めてだよ」

 そう言ってニコニコと笑う。

「あ、あなたが隕石を落としたんですか!?」

 ユリアはシアンに食ってかかる。

「そうだよ?」

 シアンは悪びれることなく平然と言った。

 あまりのことにユリアは泣き叫びながら喚く。

「な、なんてことするのよ! ジェイドを返してよ!」

「いいよ!」

 ニコニコとするシアン。

「え?」

 あっさりとOKされてしまって、拍子抜けのユリア。

「ドラゴン、生き返らせてあげるよ」

 シアンはサムアップして嬉しそうに言う。

「あ、あ、じゃあ、お願い……します……」

 この星を滅ぼそうとしながら、ジェイドを生き返らせるという、この軽い女の子が一体何を考えているのか全く分からず、ユリアは困惑しながら頼む。

「ただ、一応パパの許可を取らないとね。東京行くからついてきて」

 シアンはそう言うと、ユリアの手を取って一気に空間を跳んだ。


        ◇


 ユリアが気がつくと、目の前には美しい間接照明を施したガラスづくりの建物がたくさん並んでいた。

「うわぁ……」

 思わず目を奪われるユリア。

 そこは表参道だった。

 最愛の人を失った絶望から急に煌びやかな東京に連れてこられて、ユリアは頭が追いついていかない。

 街ゆく人たちはみんな着飾っていて、見たことも無いようなエレガントなファッションに身を包んでいる。ユリアは圧倒され、みすぼらしい自分のワンピースを少し気にした。


「お願いする時はケーキ買わないとね」

 シアンはそう言いながら綺麗な歩道を楽しそうに歩きだす。

「えっ? ちょ、ちょっと待って……」

 ユリアは初めて見るオシャレな街に気圧されながら、シアンを追いかける。

 ショーウィンドウには見たことも無いようなオシャレなドレスやアイテムが煌びやかに展示され、そんな店が次から次へと並んでいるのだ。王都でも見たことがないそのハイセンスなファッションストリートにユリアは気後れし、シアンの陰に隠れるように後ろをついて行った。














3-5. 時を駆ける少女


「ここのケーキにしよう!」

 シアンは楽しそうにガラス戸をあけてケーキ屋へと入って行く。

 ガラスのショーウィンドウの中には、芸術品のような造形をしたケーキが所狭しと並び、繊細な照明がキラキラとその美しさを際立たせている。

「うわぁ……」

 ユリアは見たこともないそのきらびやかなケーキたちに圧倒される。

「どれ食べたい?」

 シアンはニコニコしながら聞いてくる。

「私はどれでも……。それよりジェイドが……」

 うつむくユリア。

 するとシアンは、うんうんとうなずき、

「おねぇさん、ここからここまで全部一つずつちょうだい!」

 と、大人買いをする。

 そして、大きなケーキの箱を受け取ると人目もはばからず、そのまま田町のオフィスへと跳んだ。


       ◇


 オフィスでは誠たちが歓談している。

「ただいまー!」

 シアンが元気にケーキを掲げながら割り込んでいく。

「あれ? ケーキ……? なんかあった?」

 誠が怪訝けげんそうな顔でシアンを見て、その後ろのユリアに気がついた。

「あれ?」

「こ、こんにちは」

 ユリアは急いで頭を下げる。

「じゃーん! 大聖女ちゃんです! この娘凄いんだよ。隕石跳ね返したの」

 シアンはうれしそうにアピールした。

「へっ!?」

 予想外の展開に驚く誠。

「なので、あの星、この娘に任せるっていうのはどうかな?」

 ニコニコしながらシアンは言った。

「うーん、そうなったか……」

 誠は腕を組んで考え込む。

「まぁ、ケーキでも食べながらちょっと話聞いてあげて」

 シアンはそう言うと、ケーキを次々とテーブルの上に並べていった。


       ◇


 みんながケーキを食べるなか、ユリアはうつむきながら今までの事をとつとつと語る。

 追放され、ドラゴンに助けられ、魔物と化した公爵に襲われ、戦乱の世に堕ち、最後にジェイドが身をていして隕石を防いだことを涙まじりに説明した。


「無罪!」

 うなずきながら聞いていた誠は、そう言って涙をぬぐった。


 パーン!

 ヴィーナはティッシュペーパーの箱で誠の頭をはたき、

「何が『無罪』よ! お気楽な事言ってないで真面目に考えなさいよ。テロリストに汚染された星なんてどうすんのよ!」

 と、にらんだ。

「痛いなぁ、何すんだよ……」

 誠は頭をさすりながらそう言って、首をひねると、

「その……追放前の時間に巻き戻したらいいんじゃない?」

 と、ニコっと笑って提案する。


「時間を巻き戻す!?」

 ユリアは驚いた。一体この人は何を言っているのだろう? もしそんな事ができるなら、自分が追放されることも防げるし、誰も死なないのだ。でも、そんな事本当にできるのだろうか?


「あ、いいんじゃない? 悪さをする人たちが分かってるんだから対策もできるしね」

 シアンはニコニコしながらそう言った。

「巻き戻したってテロリストの仕掛けはゼロにはならないわよ?」

 ヴィーナは渋い顔をする。

「まぁ、テロリストが湧いたらユリアさんに退治してもらうってことで」

 誠はケーキを口に運びながら気楽に言った。

「ちょ、ちょっと待ってください! 私ですか?」

 いきなりの提案に青ざめるユリア。

「隕石跳ね返したんでしょ? 才能あるよ」

 シアンもクリームを口の周りに付けながらうれしそうに言う。

「テロリストって、あの緑になった公爵みたいな攻撃が効かない人たちですよね? 無理です! 無理無理!」

 ユリアは目をつぶって首をブンブンと振った。

「大丈夫、君も攻撃効かなくするから」

 シアンは口の周りのクリームをペロリとなめながら言う。

「私あんな緑になりたくない!」

 思わず叫ぶユリア。

「普通……、緑になんてならないわよ? その公爵なんなの?」

 ヴィーナは首をかしげる。

「え……?」

「ユリアさんがやってくれないとなると、星は消さざるを得ないよ?」

 誠は淡々と追い込む。

「そ、それは……、困ります……」

 うつむくユリア。

「いざとなったら僕や仲間が手伝うから安心して!」

 シアンはニコニコしながらユリアの背中をパンパンと叩いた。












3-6. オフィス崩壊


 ユリアは泣きべそをかいてうつむいたが、よく考えてみると、悲劇の起こらない別の未来を切り開くこと、それは大聖女として天命のようにも思えてきた。

 とは言え、神の力を得たとしても得体の知れない異形の敵と戦うことは恐怖でしかない……。

 目をつぶり、しばらく考え込むユリア。

 しかし、星を消すという選択肢など選べない。答えなど最初から一つしかないのだ。


 ユリアは大きく息をつき、意を決すると顔を上げて絞り出すように声を出す。


「わ、わかり……ました。やります……」

 ユリアは星に息づく数多あまたの人々のことを想い、過酷な運命を受け入れる覚悟を決めた。


「じゃあ、ユリアさん、シアンの研修を受けて管理者アドミニストレーターのスキルを身につけてね。準備できたら時間巻き戻すから」

 誠はにこやかに言う。

「は、はい……。で、でも……ジェイドは……」

 ユリアは頬を赤らめながら口ごもった。

「はいはい、今すぐ会いたいのね?」

 ヴィーナが優しい目をしてそう言うと、ユリアは目に涙をにじませながら恥ずかしそうにうなずいた。

「じゃあ、イケメン君、カモーン!」

 ヴィーナはおどけた感じで手を上げる。


「待って待って!」

 と、誠は叫んだが間に合わず、ボン! と爆発が起こってオフィスの屋根や柱が吹き飛んだ。


「うわぁ!」「キャ――――!」

 落ちてくる天井やがれきの中、悲鳴が上がる。

 ドラゴン形態のジェイドが召喚されてしまったのだ。砂ぼこりが巻き上がり、机や本棚などオフィス家具はぐちゃぐちゃに潰されてしまった。


「もう! 二度とドラゴン呼んじゃダメって話したじゃん!」

 誠は砂ぼこりの舞う中で、頭を抱えながら怒る。

「あれ――――? 今回は人間形態を選んだはず……よ?」

 ヴィーナは『やっちゃった』という感じでうなだれる。


「ジェイド――――!」

 戸惑ってキョロキョロしてるドラゴンの足に、ユリアは飛びついた。

 ジェイドはそれを見ると、ユリアを愛おしそうに見つめる。

 そして、ボン! と、音を立てて人化し、ユリアをハグした。

「ジェイド――――! うわぁぁぁん!」

 ユリアはしばらくおいおいと泣き続ける。

 そんなユリアをジェイドは愛おしげに抱きしめ、頬を寄せる。


 誠はそんなラブラブな二人を見ながら、ヴィーナに言った。

「騒ぎになる前に早く直して」

「ハ――――イ」

 ヴィーナは空中に黒い画面を広げると、何かを表示させ、渋い顔でパシパシと画面を叩いた。そしてしばらく画面をにらんでいたが、やがてウンザリとした様子で宙をあおぐ。そして、iPhoneを取り出し、どこかに電話をかけた。

「ねぇねぇ、美味しいケーキがあるんだけど、田町に来ない? うん……うん……。待ってるわよ、すぐにね!」

 そしてニヤリと笑った。


       ◇


「はーい、こんにちはぁ……、へっ!?」

 ドアを開けて入ってきた金髪おかっぱの中学生のような女の子は、がれきの山と化したオフィスを見て固まる。

「レヴィアちゃん、待ってたわよぉ」

 ヴィーナはうれしそうに近づくと、手を引っ張って会議テーブルの所に座らせて、目の前にケーキを置いた。

 レヴィアは辺りを見回してジェイドを見つけると、

「もしかして……、またドラゴン……召喚したんですか?」

 レヴィアは少しあきれた様子で聞く。

「レヴィアちゃん、綺麗に直してたじゃない? これもお願い!」

 ヴィーナは手を合わせて頼む。

「ヴィーナ様だってできるじゃないですか!」

「このオフィス以外なら一瞬で直せるんだけど、ここ、面倒なのよね……」

 わがままな事を平気で言うヴィーナ。

「分かりました。一つ貸しですからね!」

 レヴィアはジト目でそう言うと、空中に黒い画面を広げ、パシパシと画面を叩いていく。

「頼りになるわぁ」

 ヴィーナはニヤッと笑った。


      ◇


「お礼に焼き肉でもおごるわ」

 ヴィーナは綺麗に直ったオフィスを眺めながらニコニコして言った。

「やたっ! 美味しいのでお願いしますよ」

 レヴィアは満面に笑みを浮かべる。

「あなた達も行くかしら?」

 ヴィーナはユリアたちを誘う。

 女神様直々のお誘いを断るわけにもいかない。ユリアはジェイドと顔を見合わせると、

「お、お願いします……」

 と、頭を下げた。












3-7. 世界の本質


 西麻布の焼肉店にやってきた一行は、シックな赤と黒のインテリアに彩られた個室へと通される。間接照明が質感の高い紅の壁面を照らし、高級感を演出していた。

「うわぁ……、すごい……」

 ユリアは思わず声を出してしまう。

「ふふっ、今日はたくさん食べてね」

 ヴィーナはニッコリと笑った。

「はい、早く座って! 食べるぞ~!」

 レヴィアは浮かれて叫ぶ。


 店員がやってくると、レヴィアは怒涛どとうの注文を始めた。

「青りんごサワーを二つと、大ジョッキ十杯な」

「えっ!? 十杯……ですか?」

「いいから十杯な。それから霜降り大トロカルビ二十人前、極上ロース二十人前、それから極上タン塩十人前……」

 ユリアはその異常な注文数に圧倒され、

「彼女、まだ子供ですよね? そんなに食べるんですか?」

 と、小声でヴィーナに聞いた。

「はははっ、レヴィアはもう二千年くらい生きてるドラゴンなのよ」

 と、小声で返しながらうれしそうに笑う。

「ド、ドラゴン!?」

 ユリアは目を丸くして驚き、レヴィアを見た。

「なんじゃ、お主の彼氏だってドラゴンじゃろうが」

 レヴィアはそう言ってジト目でユリアを見る。

「いや、まぁ、そうなんですが……」


      ◇


 歓談しているとドリンクが大量に運ばれてくる。

 レヴィアは傍らにジョッキをたくさん並べ、

「さぁ、飲むぞ! カンパーイ!」

 と、陽気に音頭をとった。

「カンパーイ!」「カンパーイ」「かんぱーい」


 レヴィアは一気に大ジョッキを飲み干すと、

「プハー! 生き返るのう!」

 と、上機嫌に言って、新しいジョッキを手に取る。

 ユリアがその飲みっぷりに圧倒されていると、レヴィアが言った。

「うちの星の若いのもな、ドラゴンの女の子と結婚したんじゃ」

「け、結婚ですか!?」

「そうじゃ、今じゃ子供もおる」

 そう言ってまたジョッキを飲み干した。

「こ、子供……ですか?」

「ドラゴン相手でも子供はできるらしいぞ?」

 レヴィアがニヤッと笑ってそう言うと、ユリアは真っ赤になってうつむく。

「あらあら、うぶなのねぇ」

 ヴィーナはニヤニヤしながらうれしそうにユリアを眺めた。


「お肉お持ちしましたー」

 店員が肉を満載した大皿をいくつも持って入ってくる。

「おー、キタキタ!」

 レヴィアはうれしそうに皿を受け取ると、二十人前の霜降り大トロカルビをそのままロースターに全部ぶち込んだ。

「えっ!?」

 店員は思わず声を出す。

「大丈夫じゃ、もう二十人前追加じゃ!」

 レヴィアはそう言って空いた皿を店員に返した。


 レヴィアはロースター上で山盛りになった肉を適当に動かすと、箸でガッとまだ生の肉を何枚もつかみ、そのままパクッとほお張ると、ゴクッと丸呑みする。

「クハー! 美味いのう!」

 そう言うとジョッキを一気飲みして、

「プハー! 最高じゃ!」

 と、上機嫌に叫んだ。

 するとジェイドも真似してガッと箸で肉をつかむと丸呑みし、

「おぉ、これは素晴らしい物ですね」

 と、言って目を輝かせる。

「そうじゃろう、肉はやはり日本の霜降りに限るわい。カンパーイ!」

 そう言ってレヴィアはジェイドのグラスにジョッキをぶつけ、また一気飲みした。


 ヴィーナはそんな二人の様子に眉をひそめ、

「私たちは焼いて食べるから、この肉触らないで」

 そう言ってロースターの一角に肉を並べた。そして、

「ドラゴンを肉食にしたのは失敗だったわ……」

 そう言ってため息をつく。

「えっ!? ヴィーナ様がドラゴンを作ったんですか?」

 ユリアは驚いて聞く。

「昔ね、ファンタジーオタクな管理者アドミニストレーターがいて、勝手に作ってたのよ。で、それを黙認しちゃったの。食生活は人間と同じでって言っとけばよかったわ」

 ヴィーナは渋い顔で肉を裏返しながら言った。

「我は肉食でハッピーですよ。肉だけ食べて生きていけるなんて最高!」

 レヴィアはうれしそうに生肉をガッとつかんで上機嫌に言う。

 ユリアは圧倒されながらつぶやく。

「ドラゴンなんて作れるんですね……」

「そりゃぁ何だって作れるわよ。あなただって管理者アドミニストレーターになればいろんな生き物作れるわよ。……。あ、これ、すごく美味しい!」

 ヴィーナは肉を上品に食べながら言う。

「生き物を作る……。なんでそんなことできるんですか?」

 ユリアは首をかしげながら聞いた。

「ふふっ、あなたはこの世界は何でできてると思う?」

 ヴィーナはニヤッと笑いながら聞く。

「えっ? この世界……、ですか? うーん、生き物と物の集まり……、ですか?」

「情報よ。この世界は情報で出来てるの」

 ヴィーナはそう答えるとジョッキをグッとあおった。









3-8. 海王星の衝撃


「じょ、情報……ですか?」

 困惑するユリアに、ヴィーナはナムルの小鉢を持ち上げて、

「この物体は、『小鉢の形の陶器』という情報と全く同じなのよ」

「はぁ……」

「言葉って情報でしょ? つまり、言葉で言い表せるものは全て情報と等価なのよ」

「この世界の物はすべて言葉で言い表せるから、全部情報ってこと……ですか?」

「そう、正確にはこの世界は十七種類の素粒子と一つの数式でできてるんだけど、それらは全部データとして表現できる。つまりデータと等価、情報と等価なのよ」

「情報と等価……ですか……」

 ピンとこないユリアを見て、ヴィーナは小鉢を箸でコンと叩いた。

 すると小鉢はワイヤーフレームになり、透明でスカスカな針金細工状になる。そして、それをユリアに渡した。

「へっ!?」

 ユリアは針金細工でできた小鉢と中のナムルを見て言葉を失う。手触りはひんやりとした陶器だが、透明だし、中のナムルをつまむとワイヤーフレームは刻々と変わりながら変形していく。

「食べてごらん」

 ヴィーナはニヤッとして言う。

「た、食べられるんですか?」

「だって、それ、普通のナムルよ」

 ユリアは恐る恐る口に入れるとゴマ油の効いたモヤシの味がする。それは食感も普通の食べ物だった。

「この世界が情報で出来てるって意味が分かったかしら?」

 ヴィーナはニコニコする。

「この世界は……、ハリボテって……ことですか?」

 ユリアは困惑する。

 するとヴィーナは肉を貪ってるレヴィアの背中をパン! と、叩いてワイヤーフレームにした。金髪おかっぱ娘は透明となり、ただ、細く白い線が彼女の輪郭を丁寧に表示し続ける。

 最初レヴィアはそれに気づかず、肉を貪る。すると肉は丸呑みされて胃の方へと流れて消えていった。

 その面妖な情景にユリアは固まる。

「別にハリボテじゃないわよ。中身詰まってるから」

 ヴィーナはうれしそうに言った。

「何がハリボテ……、はっ!? 何するんですか! エッチ!」

 レヴィアは自分が透け透けになっていることに気がついて怒る。

「はははっ、ゴメンゴメン。でも、透明だと迫力無いわね」

「もぅ! 早く戻してくださいよ!」


「追加のお肉お持ちし……ま……、えっ?」

 揉めてると店員が入ってきて固まる。

 透明のワイヤーフレーム人間が隣の女性につかみかかっているのだ。それはお化けとか幽霊とかそう言う類に見える。

 ヴィーナは固まってる店員から肉の皿を受け取ると、パチンと指を鳴らし、

「ありがと。あなたは何も見てないわ」

 そう言ってニコッと笑う。

「はい、何も見ていません……」

 店員はぼーっとした表情でそのままゆっくりと出ていった。


「世界が情報で出来てるというのは分かりました。でも、情報であることと操作できることは別の話……ですよね?」

 ユリアは真剣な目で聞く。

「あら、すごいわね。そうよ。オリジナルな宇宙では操作なんてできないわ」

「え!? では、ここはオリジナルでは……ない?」

「まぁ、見た方が早いわね」

 ヴィーナはそう言うと、右手を高く掲げる。

 直後、四人は真っ暗な宇宙空間に放り出された。


「うわぁ!」

 無重力の中で慌てるユリアは、ジェイドの腕にガシッとしがみつく。

 そこは満天の星々の広がる宇宙空間、そして、足元を見て驚いた。そこには紺碧の鮮やかな青色を放つ巨大な惑星が浮かんでいたのだ。


「へっ!?」

 真っ暗な宇宙空間に浮かぶ、壮麗な青……。それは、神々しさすら覚える澄み通った穢れなき美しい輝きだった。

 ユリアが魅せられているとヴィーナが言った。

「あれが海王星。あなたの星や私たちの星、『地球』って呼んでるんだけど、地球の実体はあそこにあるわ」

「実体……?」

 ユリアは何を言われているのか分からず眉をひそめる。

「行ってみましょ!」

 そう言うと、四人を囲んでいた透明なシールドごと、ものすごい勢いで加速させる。

「うわぁ!」

 ユリアは体制を崩して思わずジェイドに抱き着き、ジェイドはうまくユリアをホールドするとニコッと笑った。









3-9. 六十万年の営み


 少しずつ大きくなっていく海王星。

 よく見ると表面には筋模様が流れ、ところどころ暗い闇が浮かび、生きた星であることを感じさせる。

 目を上げれば、十万キロにおよぶ壮大な美しい楕円を描く薄い環が海王星をぐるっと囲み、その向こうを濃い天の川が流れている。

 ユリアはその雄大な大宇宙の造形に圧倒され、思わずため息をついた。


 どんどん海王星へと降りて行く一行――――。


「さぁ、大気圏突入よ! 衝撃に備えて!」

 ヴィーナは楽しそうにそう言うと、何重かに張ってあるシールドの先端が赤く発光し、コォ――――っと音がし始めた。

 やがてその光はどんどんと輝きを増し、直視できないくらいにまばゆくなっていく。


「こ、これ、大丈夫なんですか?」

 ユリアは顔を手で覆いながら聞く。

「失敗したらやり直すから大丈夫」

 ヴィーナはこともなげに答える。

「や、やり直す……?」

 ユリアが言葉の意味をとらえきれずにいると、レヴィアは、

「時間を巻き戻してもう一回やるってことじゃ。女神様を常識で考えちゃイカン」

 と言って、ポンポンとユリアの肩を叩き、ユリアは絶句する。


 やがて発光も収まり、一行は雲を抜け、いよいよ海王星へと入って行く。

 目の前に広がる真っ青な星の表面はところどころ台風の様に渦を巻いており、まるで荒れた冬の海を思い起こさせる。


「こんなところに私たちの星があるんですか?」

 ユリアは怪訝けげんそうに聞く。

「そうよこの星の中に地球は一万個ほどあるのよ」

「一万個!?」

 ユリアはその途方もない話に唖然とする。

 この荒れた海の様な世界に、自分たちの星を含め、一万個もの星があって無数の人が息づいているというのだ。

 ユリアはジェイドの手をギュッと握り、ジェイドを見る。

 するとジェイドは温かいまなざしで優しく微笑んでうなずいた。


 海王星はガスの惑星、地面はない。一行は嵐の中、青に染まる世界をどんどんと下へと潜っていく。

 徐々に暗くなり、下は恐ろしげな漆黒の世界となっていくので、ユリアは思わずジェイドの腕にしがみついた。


 真っ暗な中を進むと、やがてチラチラと遠くの方に明かりが見えてくる。何だろうと思っていると、それは巨大な構造体の継ぎ目から漏れる明かりだった。

「えっ!?」

 人の気配すらない壮大な惑星の中にいきなり現れた、無骨な巨大構造物。その異様さにユリアは圧倒される。

 それは広大な王宮が何個も入りそうな壮大な直方体で、上部からはまるで工場の様に煙を噴き出していた。さらに近づくと、漏れ出る明かりに照らされて、吹雪の様に白い物が舞っている様子が浮かび上がる。

 そして、その構造物はよく見ると向こう側にいくつも連なっていて、まるで吹雪の中を進む巨大な貨物列車の様に見えた。


「これが地球の実体『ジグラート』よ」

 ヴィーナは淡々と説明する。

「な、なんで、こんな所に?」

「ここはね、氷点下二百度。太陽系で一番寒い所だからよ。コンピューターシステムは熱が敵だから……。あ、あなたの地球はこれね」

 そう言って、奥から迫ってくる次のジグラートを指さし、近づいて行く。

 ジグラートは高さが七十階建てのビルくらいで、その高さの壁が延々と一キロメートルくらい向こうまで伸びている。その巨大さにユリアは圧倒され、言葉を失う。

 漆黒の壁面パネルは不規則にパズル状に組み合わされており、そのつなぎ目から青白い灯りが漏れ、その幾何学模様の造形は前衛的なアートにすら見えた。

 これが自分が生まれ育ってきた星……という事らしい。壮大なオンテークとその森や美しい南の島の海、泳ぎ回る魚たち、そして、王都とそこに住む十万人の人たち、それらがすべてこの構造体の中に息づいているという。それはあまりに飛躍しすぎていてユリアはうまく理解できなかった。


「これ作るのに、どれくらい時間かかったと思う?」

 ヴィーナはニヤッと笑ってユリアに聞いた。

「え? これ……ですか……? うーん、千年……? いや二千年とかですか?」

「六十万年よ」

 そう言ってヴィーナは肩をすくめた。







3-10. 本当の私


「ろ、ろ、六十万年!?」

 予想だにしなかった答えにユリアは唖然とする。

「ヴィーナさんが……つくられたんですか?」

 ユリアは恐る恐る聞いてみる。

 するとヴィーナは首を振る。

「海王星人が作ったんじゃ」

 横からレヴィアが答えた。

「海王星人? どなた……ですか?」

「今はもうおらんな」

 レヴィアは肩をすくめる。

「えっ!? こんなすごい物を作ったのにいなくなっちゃったんですか?」

「人間は六十万年なんて生きられんのじゃ」

「子孫が生まれていくじゃないですか」

「産まなくなっちゃうんじゃ」

「へ? そ、そんなことって……」

「不思議じゃろ?」

 レヴィアは含みのある笑みを浮かべる。

「では皆さんはどういった経緯で……地球に関わられているんですか?」

 ヴィーナとレヴィアは顔を見合わせ、少し困った顔をする。

「そのー、あれだ。この宇宙に人間が現れたのは五十六億七千年前のことじゃ」

「すごい……、古い話ですね?」

「で、この宇宙がこういう形になったのは誠さんが決めたんじゃ」

「誠さん? さっきの男性の方……、では彼は五十六億年生きてるってこと……ですか?」

「誠はまだ三十代よ」

 ヴィーナは呆れたように言う。

「えっ、えっ?」

「ちなみにこの海王星作ったのは私だけど、まだ二十代よ」

 ヴィーナはニヤッと笑ってウインクした。

「そのぉ……、時間がおかしいんですが……」

 ユリアは困惑する。

「ヴィーナ様が若いのは代替わりなだけじゃが、誠様のは宇宙の法則の話じゃ。宇宙は無数の可能性の集積で作られておる。そして、宇宙は時の流れに従う訳でもないんじゃ」

「え? 時間の流れが変わったりするんですか?」

「そもそも時間が過去から未来へと流れていると感じてるのは人間だけなんじゃ。物理的には過去も未来もただの方向の違いに過ぎん。宇宙にとっては過去も未来も同じってことじゃな」

「そ、そんな……。では、未来が過去を変える事もあるってことですか?」

「変える事はない。ただ、未確定のところが確定されるってことじゃな……」

「未確定?」

「量子力学の世界では状態が確定していない方が普通なんじゃよ」

「量子……力学……???」

 ユリアはパンクしてしまった。

「はいはい、そのくらいにして、着いたわよ」

 ヴィーナはそう言うと、シールドを出入り口のハッチに横付けした。


         ◇


 ジグラートの中に入ると、まるで満天の星々の様に無数の青い光がチカチカとまたたいていた。

「うわぁ……」

 ユリアが見とれていると、ヴィーナが照明をつける。

 すると、そこには小屋くらいのサイズの円筒形の金属がずらりと並んでいた。床の金属の網目を通して、上の方にも下の方にも延々と並んでいるのが見える。

「これがあなたの星の実体よ」

 ヴィーナはドヤ顔で言う。

 しかし、ユリアにはこれらの無数の円筒が何を意味するのかピンとこない。

「ついてきて」

 ヴィーナはそう言うと脇の階段をカンカンと音を立てながら登り始めた。

 そして、上の階をしばらく歩き、ある円筒を指さして止まる。

「これがあなたよ」

 ユリアは何を言われてるのか分からなかった。なぜ、金属の塊が自分なのだろう?

「みてごらんなさい」

 そう言うと、ヴィーナは円筒に挿さっていた畳サイズのブレードを少し引き抜く。円筒はこのブレードの集合体だったのだ。

 ブレードは精緻なガラス細工の集合体で、無数の細かな光がチラチラ瞬いてまるで芸術品のような美しさを見せていた。

「これは何……へっ!?」

 ユリアが質問すると、そのチラチラとした瞬きが言葉に合わせて規則的な波紋を描く。

「これは光量子コンピューター。この光の波紋があなたよ」

「えっ!? ちょっと! えっ!?」

 ユリアは混乱した。自分の声や動作に合わせて光の波紋がキラキラと美しく泳動する。確かにそれは自分と密接なものであることは疑いようのない事だった。しかし、自分がこのガラス細工だと言われてしまうとそれはアイデンティティに関わる重大な話である。

「こうやって、あなたの星にあるものは全てここの光コンピューターが創出しているのよ。全体で十五万ヨタ・フロップス。桁外れの計算力よ」

 ヴィーナはうれしそうに言った。

「これが……、本当の……、私……」

 ユリアはそっとガラス細工に手を伸ばし、そっと触れてみる。ガラスはほんのりと暖かく、チラチラと明滅する明かりが指を照らした。

「あ、ちなみに魂はあっちの別のところで一括管理してるわ」

「そ、そうなんですね……」

 ユリアはうつろな目で答える。









3-11. 巻き戻される世界


「ここのデータを今度昔の物に全部入れ替えるわ。そこからがあなたの出番よ」

 ヴィーナはニコッと笑って言う。

 この膨大なコンピューターのデータを全部昔のデータに換装するというのだ。

「え……? あ、それをすると昔に戻るってことですか? 時間を巻き戻すわけではないんですね」

「時間は巻き戻せないわ。でも、この星の人たちにとっては巻き戻したのと同じ効果があるのよね」

「なるほど……、そうかも……しれません」

 ユリアは理屈では分かるものの何だか釈然としない思いが残った。

 追放も裏切りも優しさも全て無かったことにされる。自分たちが必死に生きた時間がただのデータとして処理され、昔のデータに書き換えられる。その軽さがモヤモヤとなってユリアにまとわりついた。

 とは言え、亡くなった人もそれで生き返るのなら、そっちの方がいいのは明白ではあるのだが。

 ここまで考えて、ユリアはふと違和感に包まれる。データを入れ替えて亡くなった人が生き返るのなら命とは何なのだろう? 死んでしまった人が生きていた昔の続きを生きるとして、それは同じ人と言えるのだろうか?

 しかし、それは哲学的で答えは出なかった。


 ユリアは周りを見回してみた。何百枚ものブレードが挿さった円筒が、はるか彼方向こうまで延々と並んでいる。なるほど、これが自分たちの星なのだ。そして、これで過去に戻っていく……。

 ユリアは期待と不安の混ざった心持ちで、円筒でチカチカと明滅するランプの群れをボーっと眺めていた。


       ◇


 焼肉屋に戻ってきた一行は、しばらく歓談したのちに解散となった。


「今晩はこのホテル使って」

 ヴィーナはそう言うとカードキーをユリアに渡す。

「ドラゴン、あなた行き方わかるわね?」

「はい、前回もここ泊まりました」

「よろしい。それでは明日十時にオフィス集合ね。熱い夜を楽しんでね! チャオ!」

 ヴィーナはウインクしながら上機嫌に消えていった。


       ◇


 しばらく二人は手を繋いで東京の街を歩く。

 道にはレクサスにテスラにベンツ、そしてタクシー、トラックがひっきりなしに走り、その道の上空には首都高速が通っている。王都の石畳の道をのどかに走る馬車しか見たことのないユリアにはまるで夢の世界だった。

 そして、道の脇にはきらびやかな飲食店にコンビニ、そして夜のお店……。ユリアは思わずため息をつき、ただ圧倒されていた。


 すると、超高層ビルを指さしてジェイドが言った。

「あそこだよ」

 ユリアはビルの間に見えてきたひときわ高いビルに目を奪われる。

「えっ!? あれがホテル?」

 全面ガラス張りのそのビルは上品な照明が窓からのぞき、流れるようなラインを夜空に向かって描き、その威容を誇っていた。

「部屋番号は5001、あのビルの五十階だ」

「五十階!?」

 ユリアはビルを見上げ、自分がそんな所に本当に泊まれるのか心配になった。

 ジェイドはそんなユリアをそっと引き寄せると、

「素敵な部屋だから大丈夫だよ」

 と耳元でささやく。

 ユリアはゆっくりとうなずいた。


        ◇


 部屋のドアを開けると、そこはスイートルーム。豪奢なインテリアで彩られ、リビングのテーブルにはフルーツの盛り合わせが飾ってあった。

 そして、大きな窓の外には東京の夜景がどこまでも広がっている。

 ユリアは窓に駆け寄り、

「うわぁ……」

 と、圧倒されながら煌びやかな高層ビル群や首都高を走る車の群れを眺めた。

 ジェイドもそっと寄り添って一緒に夜景を眺める。

「ねぇ……、ジェイド?」

「どうした?」

「さっきの話、本当なのかな?」

 ユリアは首をかしげながら言う。

「女神様は嘘などつかない。ここから見える景色もまたジグラートの中で作られたものだ」

「ここに住んでいる人は知ってるの?」

「知らない。でも、たまに気がついちゃう人がいて、いたずらを仕掛けてくるらしいよ。お金儲けに使ったりね」

「いたずら……。ふぅ、私なんて、ジグラートを見せられたって信じられないのに」

 ユリアは眉をひそめてジェイドを見る。

 ジェイドはそっとユリアの髪をなでて言った。

「何はともあれ、二人とも無事でよかった」

 ユリアはニコッと笑って、

「本当によかった……」

 と言うと、ジェイドをハグし、ジェイドの精悍な男の匂いを吸い込む。

 温かな安心感に満たされ、ユリアは幸せそうな笑顔を浮かべる。

「ジェイド……。もうダメかと思っちゃった……」

「心配かけたね、ありがとう」

 ジェイドはユリアの背に手をまわし、髪に頬よせて言った。







3-12. 一回だけ


「あのね……」

「なに?」

「私もう、ジェイドがいないとダメみたい」

 ユリアはか細い声を出した。

「……」

 ジェイドは無言で動かなくなる。

「め、迷惑……、かな?」

 ユリアはジェイドの反応に不安を覚え、慌てて言う。

「迷惑なんかじゃない。ありがとう……」

 ジェイドは堅い調子で答える。

「な、何か……あった?」

 ジェイドは大きく息をつき、しばらく何かを考え、口を開いた。

「……。我はドラゴン。天与の異能で偉そうに生きてきたが……、それは単に神様が設定してくれた力に過ぎない。要は配られたカードが良かっただけだ」

「えっ?」

 ユリアは意外な言葉に驚く。

「人に大切なものが心だとするなら、我には自信がない。損得勘定せず、ひたすらに人々の事を願って動くユリアが輝いて見える。それに……、研修が終わればユリアは神の力を得る。もはや神様……。そんなユリアの隣に立つ自信が……ない」

 ジェイドはそう言ってうつむく。

 ユリアは少し離れ、ジェイドをじっと見つめて言った。

「何言ってるの? 神の力を得たって私は私よ。私はジェイドにどれだけ救われたか。ドラゴンの力に惹かれてる訳じゃないのよ?」

 ジェイドは顔を上げ、弱った顔でユリアを見つめる。

「私を大切にしてくれる気配り、力におぼれない節度、誰にでもできる事じゃないわ。もしあなたがドラゴンじゃなくても、一緒にいたいの……。もっと胸を張って」

 ユリアはそう言って真剣な目でジェイドを見つめた。

 ジェイドは目をつぶり、大きく息をつく。そして、

「ありがとう……」

 と言うと、ニコッと笑って優しくユリアの髪をなでた。

 見つめ合う二人。

 ジェイドの瞳に映るキラキラとした東京の夜景を見つめ……、ユリアは思わず吸い寄せられるように、背伸びをしてジェイドの口を吸った。

 少し驚いたジェイドだったが、チロチロと動くユリアの舌を自分の舌で絡める。

 二人は思いを確かめ合うように激しくお互いを求めた。


 やがて離れると、ジェイドはユリアをお姫様抱っこをする。

「きゃぁ!」

 少し驚いたユリアだったが、ジェイドの赤い炎の揺らめく瞳を見つめ……、そっとうなずいた。


 ダブルベッドの上に優しく横たえられたユリアは、ワンピースの胸のひもを緩める。

 そしてトロンとした目で、ジェイドに両手を伸ばす。

「来て……」

 ジェイドは少し躊躇するそぶりを見せたが、ニコッと笑うとユリアの上に覆いかぶさった。そして見つめ合うと、またくちびるを重ねる。

 そして、キスをしたままジェイドはユリアのしっとりと柔らかい白い肌に指をはわせた。

 あっ……。

 思わず漏れる吐息。

 ジェイドはさらにユリアのデリケートな所へと指を伸ばした。

 部屋にはユリアの可愛い声が響く。


 やがてユリアは頬を紅潮させ、ジェイドの耳元で

「お願い……」

 と、囁いた。


 ジェイドはうなずき、優しくユリアの服を脱がすと重なっていく……。


 お互いの危機を助け合い、一緒に冒険し、ジェイドの死を乗り越えて今、二人はここにいる。思い出を重ねてきた二人は東京の新たなステージでついに一つに結ばれる。

 その晩、二人は何度も何度も激しくお互いを求めあい、東京の夜は更けていった。


        ◇


 翌朝、香ばしいコーヒーの香りが漂ってきてユリアは目が覚めた。

 見ると、バスローブ姿のジェイドがコーヒーを入れている。

 ユリアは心の底から湧いてくる温かいものに包まれながら、ジェイドの姿を眺めていた。

 とめどなくあふれてくる幸福感に、あまりに嬉しすぎてつい涙をこぼす。

 こんなに幸せでいいのだろうか?

 ユリアは仰向けになって思わず目頭を押さえた。


 絶望を超えてたどり着いた大都会東京。そこに輝ける未来があった。それはまるでおとぎ話のようでもあり、またある意味神話と言えるかもしれない。

 

「おはよう、お姫様」

 気がつくとジェイドがベッドサイドでほほ笑んでいた。

「お、おはよう……」

 ユリアは昨晩を思い出し、真っ赤になって毛布で顔を隠す。

 ジェイドはそんなユリアを優しく見つめ、額に軽くキスをする。

 するとユリアはジェイドに抱き着き、唇を求めた。コーヒーの香ばしい匂いが口の中に広がる。

 二人は昨晩を思い出しながら舌を絡めていく……。

「ダメだ、また欲しくなっちゃう」

 ジェイドがそう言うと、

「ダメ……なの?」

 と、トロンとした目でユリアが聞く。

「じゃ、じゃぁ……一回だけ……」

「一回だけ?」

 ユリアは激しく舌を絡めた。





4章 強くてニューゲーム

4-1. 神様誕生


 神様になるための研修は熾烈を極めた。

 シアンはノリノリでしごいてくるので、ユリアはついていくので精いっぱい。

 座学では情報理論の基礎を叩きこまれ、情報エントロピーの計算にうならされる。実技では、いろんなツールを自分のイメージの中で使いこなしながら、素早く管理データを書き換えていくことを何度もやらされた。これを使うことで、空を飛んだり、魔法のような効果を実現したりする。特に対テロリスト用のハッキングの実技が大変で、毎日何度もシアン相手にハッキングを仕掛けては返り討ちに遭って黒焦げになっていた。

 ハッキングの世界ではハックを仕掛けた瞬間が一番危険なのだ。手練れ相手に単純にハックを仕掛けると攻勢防御を食らってしまう可能性が高い。そのため、ハッキングは慎重に敵の虚をつくのが大前提だが、シアン相手にはなかなか隙は作れなかったのだ。


「だいじょぶ、だいじょぶ! ユリアちゃん筋がいいからすぐ慣れるよ!」

 シアンはそう笑いながら黒焦げにしたユリアを再生する。

 ユリアは炭になった身体を元に戻してもらいながら、虚ろな目でシアンを見ていた。


       ◇


 研修最終日、ユリアはシアンの猛攻を何とか防ぎ切り、合格のお墨付きをもらった。

「これで研修は終了、お疲れちゃん! これが合格証だよ」

 ニコニコしながらシアンは白く透明なブレスレットを渡した。

「え? 何ですかこれ?」

「良く分かんないけど、星を守ってくれるお守り。星が破滅しそうになったらこれを神の力で引きちぎると守ってくれるんだって」

「そ、そうなんですね。どうやって……守ってくれるんでしょう?」

「うーん、パパが作ったので僕も良く分かんない。宇宙のかけらで出来てるんだって」

「宇宙の……かけら?」

「ここ、仮想空間だけど、このブレスレットだけは本物の宇宙でできてるんだよ」

「えっ!? オリジナルの宇宙ですか?」

 ユリアはブレスレットを光に透かして見る。中には薄い半透明の膜が無数に層をなしており、入ってきた光が複雑に反射してキラキラと多彩な色で輝きを放っている。

「ここだけ特殊処理してるんだろうね。なかなか贅沢な品だよ」

 シアンはうれしそうに笑った。

「オリジナルの宇宙って、どんなところなんですか?」

「点だよ」

「え? 点……?」

 ユリアは何を言っているのか分からなかった。壮大な大宇宙が広がっているのかと思ったら単なる点だという。

「宇宙とは情報が無限に詰め込まれた世界、空間なんて要らないんだよ。だから事象の地平面イベントホライズンの向こう、全てが点になる世界にあるんだ」

「では、点の中身がこの世界……ってことですか?」

「そうだね」

 ユリアは眉間にしわを寄せて一生懸命考えてみたが全くイメージが湧かなかった。しかし、シアンが言うのならそうなのだろう。そして、その点の中の情報がこのブレスレットに直接宿っているのかもしれない。よく見ると薄い膜には10101011001010という無数の数字が表示され、その数字は高速に変わり続けていた。

 なるほど、これを壊すという事はこの数字をこの世界にぶちまけるということ。それはリアルな宇宙が仮想空間を浸食することであり、とんでもないことになるのではないかと、ユリアは背筋がゾッとした。


        ◇


 田町のオフィスに戻ると、シアンは紅茶を入れ、ユリアに出しながら聞いた。

「明日には時間を巻き戻して送還するけど、あの星どうするか決めた?」

「はい、この地球の歴史を調べたんですが、星の繁栄には貧富の格差の解消と、若者が自由に活躍できる環境が必要かなって。なので、まずは世界を統一して環境づくりからやろうかと」

 ユリアはそう言って、ベルガモットの香りを楽しみながら紅茶を一口すすった。

「ふぅん……。いいんじゃないかな? でもこの星と似たようなもの作ってもダメだよ?」

 シアンは鋭い視線でユリアを見る。

「はい、幸いうちの星には魔法システムが動いているので、それを活用した新しい民主主義を作りたいんです」

「なるほど。この星の民主主義はちょっと古いからね。確かに新たに始めるなら真似ない方がいいかな」

「ウソがばれる魔法とか使うといいんじゃないかと……」

「え? 政治家がウソをつけなくなるってこと? それはまた面白い世界になりそうだね」

 シアンはうれしそうに笑った。











4-2. 神様嘘つかない


 翌日、ユリアたちがオフィスに来ると、シアンはすでにユリアの星のデータをすべてバックアップの物に交代復帰ロールバックしていた。

「おはよう! 準備はオッケーだよ!」

 シアンはニコニコしてサムアップする。

「ありがとうございます。なんてお礼を言ったらいいか……」

 いよいよ始まるユリアの逆転劇。ユリアは期待と不安で胸がいっぱいになりながら、シアンの手を取り、頭を下げた。

「お礼なんていいんだよ。頑張ってね」

「は、はい。全力でやってみます!」

「テロリストが関係しそうなものを見つけたらすぐに報告してね。間違っても戦ったりなんてしちゃダメだよ。まだユリアじゃ絶対勝てないから」

「はい、気をつけます!」

「それじゃ、いってらっしゃーい!」

 シアンは手を振りながら二人をユリアの星に跳ばした。


         ◇


 気がつくと、ユリアはジェイドと共に過去の王宮へと戻ってきていた。


 花の咲き誇る美しい庭園、それは焼け焦げて畑にされる前の美しい姿を取り戻している。確かに過去へと巻き戻されたようだ。

 白い大理石でできた荘厳な王宮、中では侍女たちが忙しそうに動き回っている。


「ふふっ、王宮はこうでなくっちゃ!」

 ユリアは赤いじゅうたんの廊下を上機嫌に歩き、奥の王族の棟へと急ぐ。


 すると入り口の警備兵がユリアたちを制止して言う。

「お待ちください。大聖女様でもここから先はご遠慮ください」

 警備兵の目には困惑が浮かんでいた。

「分かったわ!」

 うれしそうにそう言うとユリアはパチンと指を鳴らす。

 その瞬間、時間が止まる。

 パタパタと歩き回る侍女たちの足音も、かすかに流れていた音楽もピタッと止まり、完全な静けさが王宮を包む。

 警備兵たちも目を見開いたまま静止して、まるでマネキンのようになってしまった。


「ふふっ、お疲れ様!」

 ユリアたちは警備兵をすり抜け、ダイニングルームへと進む。

 ドアを開けると、王様と王妃、そして、第一王子とアルシェが食卓で昼食をとりながら静止している。

 ユリアは楽しそうにアルシェの後ろまで来ると、パンパンと肩を叩いた。


「えっ……? あ、あれ……?」

 アルシェは時の呪縛から解放され、周りを見回し、困惑の声を上げる。

 そして、美しい金髪をゆらしながら振り向き、驚いて言った。


「ユ、ユリアさん? ど、どうしたんですか?」

「今、少しいいかしら?」

「は、はい……。で、でもこれは……?」

 王様たちがピタリと静止してしまっている異様な状況に戸惑う。

「私ね、神になったの」

「は? か、神……?」

 エンペラーグリーンの瞳に困惑の色が浮かぶ。

「そう、神なの」

 ユリアはうれしそうに言う。

「この……、みんなを止めてるのはその……神の力?」

 アルシェは部屋を見回し、給仕の侍女もピタリと止まっているのをいぶかしげに見て言った。

「そうよ? 神だもん。でね、戦争が起こるわ」

「せ、戦争!? 一体どこで?」

 いきなりキナ臭い話になってアルシェは焦る。

「ここでよ。公爵軍やオザッカが攻めてくるの」

「そ、そんなはずはないよ。もう何十年も平和な関係を築いてるんだから」

「アルシェ、私は神なの。全部知ってるのよ。この王宮が攻め滅ぼされ、庭園が焼け野原になるのをこの目で見てるのよ」

「ほ、本当に?」

 仰天するアルシェ。

「私は神、ウソなんて言わないわ。そして、そんな戦乱が続く星は不要だとこの星を作った神様は考えてるの」

「不要!? ど、どうなるの?」

「巨大隕石を落とされて、この星丸ごと焼かれるのよ」

「はぁっ!?」

 いきなり世界の滅亡を予言され、動転するアルシェ。

「隕石落とされたら困るわよね?」

「も、もちろん……。でも、そんなことを僕に言ってどうするの?」

「あのね、クーデター起こして欲しいの」

 ユリアはニヤリと笑った。









4-3. 僕らのクーデター


「ク、クーデター!?」

 思わずアルシェは青ざめ、王様や第一王子を見る。それは彼らを倒せと言うとんでもない提案だった。

「いろいろ考えたんだけど、現状の体制ではこの星の未来は変えられない。だからアルシェに体制を一新してもらって国々を征服、統一し、共和制へ移行してもらうわ」

「いや、ちょっと待って! そんなことできっこないよ!」

「あら、私は神なのよ? 神にできない事など無いわ。このまま王様たち縛ったっていいのよ?」

 ユリアはニコニコして言う。

「いや、ちょっと、えっ?」

 混乱するアルシェ。

「断ってもいいわよ。別の人に頼むだけだから」

 ユリアはちょっと意地悪な笑顔を見せる。

「べ、別の人!?」

「アルシェが一番適任だと思うけど、アルシェじゃなきゃいけないって訳じゃないし……」

 あごに指を当て、首をかしげるユリア。

「クーデターは決定……なの?」

「戦争がなくなり、貧富の格差が生まれない状態を作れる方法が、他にあるならいいわよ」

「王家は消滅?」

「あ、無くさないわよ。権力が無くなるだけで、今後も王様として国民の尊敬を集めてもらうわ」

「そんなこと……できないよ」

 アルシェは眉をひそめ、否定する。

「大丈夫、私、そういう国、見てきたんだ」

「えっ!?」

「日本という国はね、天皇陛下という王様がいるんだけど、権力は持ってないのよ。政治は国民から選ばれた人がやってるの。この国でもできると思う。……、あ、お茶ちょうだい。のど乾いちゃった」

 ユリアはそう言うと、隣の空いた椅子に座ってテーブルのティーポットに手を伸ばす。

「ぐ、具体的には……どうするの?」

 アルシェは気を利かせて空きのカップをユリアの前に置く。

「あら、ありがと……。『蒼天の儀』に集まった王侯貴族を拘束し、新体制を認めさせるの」

 紅茶を注ぎながらそう言うと、美味しそうにすすった。

「いやいや、警備の騎士団たちが大勢いるんだよ?」

「あ、紹介し忘れてたわ、彼、ドラゴンなの」

 ユリアは後ろに立ってるジェイドを紹介した。

「ド、ドラゴン!?」

「初めまして」

 ジェイドは瞳の奥に真紅の炎を揺らし、ニコッと笑った。

 明らかに人ではないその威圧感にアルシェは凍り付く。

「ドラゴンを倒せる人なんてこの世界にいないわ。それにいざとなったらこうやって時間を止めちゃえばいいの」

 アルシェは圧倒された。

 神になった大聖女とドラゴンが自分にクーデターを持ち掛けている。やるも地獄、やらぬも地獄……。

 ただ、話を聞けば誰かを殺したり傷つけることを計画している訳ではない。邪心や野望があるわけではないのだ。純粋に大聖女としてこの星の未来を考えている想いは伝わってくる。

「ぐ、具体的には、僕に何をさせたいの?」

「何もしなくていいわ。『大聖女とドラゴンを使って自分が世界を統一する』とだけ言ってて」

 ユリアは気軽に言う。

 アルシェは腕を組んで考える。ここで断れば他の人の所へ行くだろう。国王の耳に入れ、阻止しようと動いてもらってもドラゴンや神の力に勝てるとは思えない。むしろそこで無駄に死傷者を生むだけだ。王家は存続というのなら、自分が臨時で王になり、全てが終わったら父に家督かとくを返上すればいい。逆に言えば、別の人がやれば王家の存続も危ういかもしれない。

「わかった……やるよ」

 アルシェはうなだれながら言う。

「ありがと。でも、そもそもこのクーデターはこの星のみんなを救うためにやるのよ? 胸を張って」

「そ、そうかもしれないけど、話を聞いたばかりじゃ良く分かんないよ」

「まぁ、そうかもね」

 ユリアは上機嫌で紅茶をすする。

「それにしても、ユリアさんって、ずいぶん雰囲気変わりましたね」

 ユリアは少し考え、言った。

「うーん、私ね、分かっちゃったの」

「えっ?」

「大聖女としてしきたりとか儀式とかマナーとかたくさんあるじゃない? あれ、全部意味ないのよ」

「そ、そんなこと……、ないの……では?」

「私ね、一生懸命言われるがままに全部ちゃんとやったの。それこそ毎日必死で。でも、結果は散々だったわ。言われた通りのことをやってちゃダメだったのよ」

 ユリアは反省を込めて渋い顔をする。

「いや、しかし、儀式とかマナーとかが品格を生むんだよ?」

「平和で余裕があるならいいわよ。暇つぶしにはちょうどいいわ。でも、今は緊急時、神様が怒っているのにマナーとかやってられないわ」

 ユリアは肩をすくめた。









4-4. すれ違う思い


 その後、ユリアは時間を止めたままアルシェを連れ、宰相さいしょうの部屋に行く。クーデターを成功させても国の実務が止まっては何の意味もない。実務部門のトップ、宰相の協力は不可欠である。

 そして、そこでもユリアは半ば脅しながらクーデター計画への同意を迫った。

 時間を止める事ができ、ドラゴンを使役するユリアに逆らえる者などいない。

「クーデターが成功したらその権力者に従うだけです。我々は政治家じゃないので……」

 宰相は渋い顔でそう答える。

 ユリアはうれしそうに宰相の肩を叩いて、

「任せたわよ! クーデターの後は世界統一! 全世界の行政実務のトップはあなただからね!」

 と、ニコニコしながら言った。

 宰相は唖然とした表情で、アルシェと顔を見合わせ、思わず天を仰いだ。


「あ、二人とも面倒くさいことになったって思ってるわね? 一番面倒くさいのは私なのよ? こんなの本来大聖女の仕事なんかじゃないのよ? 分かる?」

 ユリアは腰に手を当て、ほおを膨らませて二人を不満そうに見る。

「そ、それは分かります。ただ……、クーデターしないと世界が終わると言われても、実感わかないですよ?」

 宰相は気圧されながら答える。

「んー、もう! 平和ボケなんだから! まぁいいわ、クーデターの時に使う権力移譲の書面、用意しておいてね!」

「わ、分かりました」

 宰相は渋々うなずく。

「それじゃ、当日はよろしく! チャオ!」

 ユリアはそう言ってウインクすると、ジェイドとともに消え、時間はまた動き出す。

 アルシェと宰相は渋い表情で顔を見合わせあった。


           ◇


 『蒼天の儀』当日がやってきた。

 ユリアは前回のスケジュール通り、純白のシルクにきらびやかな金の刺繍の入った壮麗な衣装で控室のソファに座る。

 前回はここで睡眠薬を盛られてしまって全てが崩れていってしまった。物心ついてからずっと一緒だった幼なじみのティモ。本当に彼がそんなことをやるのか……、ユリアは暗い気持ちでため息を繰り返す。


 コンコン!

 ノックされ、ヒョロッとした天然パーマの少年、ティモがお茶のセットをトレーに入れて入ってきた。そして、ティーカップに紅茶を入れてユリアの前に置く。

 見ていると、動きがぎこちない……。

「ねぇ、ティモ? 何か……、私に隠してないかしら?」

 ユリアはジッとティモを見ながら言った。

 しかし、ティモは目を合わすことなく、

「えっ? な、何のこと?」

 そうとぼける。

 ユリアは大きくため息をつくと、

「ねぇ、私たち、どこで……、間違えちゃったかな?」

 悲痛な表情でそう語りかける。

 しかし、ティモは、

「し、知らないよ!」

 そう叫ぶと、顔を真っ赤にして部屋を飛び出していった。

 ユリアは再度深くため息をつき、入れられた紅茶のデータを解析する。

 すると、浮かび上がる『ベンゾジアゼピン(睡眠薬)』との表示。

 ユリアは頭を抱え、しばらく考え込む。ティモを便利な従者としてしか見ず、人としての交流を怠ってきた自分の至らなさを反省した。でも、だからといってこんな仕打ちは度を超えている。

 ユリアは軽く首を振ると、睡眠薬の成分を消去し、ただの紅茶に戻してすすった。そしてソファに横たわって寝たふりをする。

 ほどなく誰かが入ってくる。ゲーザだ。

 そろりそろりとユリアに近づき、ユリアの肩をパンパンと叩く。

 ユリアが動かずにいると、ゲーザはユリアの胸元に手を忍ばせて封印のシールを貼った。そして、傍らに置いてあった『蒼天の杖』を盗ると、また静かに部屋の出口を目指す。

 ユリアは薄目を開けながらその様子をじっと見ていた。

 なるほど、こうやったのだ。


「動くな! 窃盗の現行犯だ!」

 物陰に隠れていたアルシェがゲーザに飛びかかる。

 ひっ!

 ゲーザは急いで逃げようとするが、足が動かない。ユリアが足の筋肉を麻痺させていたのだ。

「な、何なのよコレ!」

 ゲーザは『蒼天の杖』を振り回して威嚇いかくするが、程なく捕縛される。そして、ティモも警備の兵士によって捕まり、連れてこられ、二人とも床に正座で並ばされた。















4-5. ざまぁ再び


「国宝の窃盗は死罪よ?」

 ユリアは二人をにらみながら、感情のこもらない声で淡々と言う。

「ふん! これは私の独断じゃないわ! 牢でも何でも入れなさいよ。すぐに釈放されるわ」

 ふてぶてしく言い放つゲーザ。

「残念でした。公爵も教皇ももう捕まえてあるの」

 ニヤッと笑うユリア。

「へっ!?」

 ゲーザは真っ青になって言葉を失う。

「死刑……、残念だけど仕方ないわね」

 ユリアは憐れみのこもった視線を投げかける。

「ふざけんじゃないわよ! この! 何の苦労も知らない小娘が!」

 すごい形相ぎょうそうで喚くゲーザ。

「あら、私、あなたのコレですっごい苦労……したのよ?」

 ユリアは胸のシールをペリペリと剥がし、火魔法でポッと燃やすとゲーザをにらんだ。

「あなた何……言ってるの? それになんで火魔法なんて使えるのよ?」

 ゲーザはどういうことか分からず困惑する。

「あなたの苦労って何? 男に股開いただけじゃないの?」

 ユリアはジト目でゲーザを見る。

「な、何を! ……。ユリア……、あ、あなた純潔を捨てたわね? 大聖女のくせに!」

「『愛を知った』と、言って欲しいわ」

 ユリアはうれしそうに笑った。

「何が『愛』よ! 男はね、可愛い女だったら誰だっていいの! あんたもそのうち捨てられるのよ! ざまぁみろ!」

「そんなこと考えてるから、あなたには『愛』が手に入らないのよ」

 ユリアは余裕の笑みで言う。

 くっ!

 ゲーザは鬼のような形相でユリアをにらんだ。そして、大きく息をつくと、

「いいわ、そしたらいい事教えてあげる。……、耳を貸して……」

 そう言ってニコッと笑う。

「あら……、何かしら?」

 ユリアはそっとゲーザに近づく。

 直後、ゲーザは奥歯をギュイっと鳴らして何かをかみ砕くと、ゴォーっと豪炎を口から吐いた。

 猛烈な火炎は一気にユリアを包み、純白の衣装が燃え上がる。

「バーカ! ざまぁ! はーはっはっは!」

 ゲーザは大笑いし、アルシェは慌てた。

「うわぁ! ユリアァァァ!」

「大丈夫、あれ、人形なの」

 いつの間にかアルシェの後ろにいたユリアは肩を叩いて言う。

「へっ!?」

 ゲーザは驚いて振り返る。と、その時、燃え上がってる人形がゲーザの方に倒れ込む。

 ぎゃぁぁぁ!

 ゲーザは慌てて逃げようとするが、足は動かず逃げられない。

 勢いよく燃える炎はゲーザに燃え移り、服や髪を燃やし始めた。

「あちっ! あちっ! 何してんのよ! 助けなさいよ! うぎゃぁぁぁ!」

 必死に喚くゲーザだったが、ユリアたちはあまりに馬鹿げた自業自得に言葉を失い、ただ、間抜けなさまを白い眼で眺める。


 ほうほうの体で何とか転がって火を消し止めたものの髪の毛を失い、火ぶくれした顔はもはや別人になっていた。

「ヒール! ヒール!」

 ゲーザは必死に治癒魔法を唱え、何とか事なきを得たが、焼け焦げた服にチリチリの坊主頭で放心状態となり、床に転がったまま動かなくなる。


「ここから先は裁判で決めてもらうわ」

 ユリアはそう言うと、アルシェに収監を依頼し、ゲーザは連行されていった。


       ◇


 続いてユリアはティモをにらんで言った。

「あの女の色仕掛けにやられたってこと?」

 ティモはうなだれて答える。

「俺はただ『しゃっくりが止まらなくなる薬で恥かかせてやって』と、言われたのでその通りにしたんだ。まさか杖を盗むなんて……」

「ふーん、私が恥かくのはいいんだ?」

 ティモは最初押し黙ったままだったが、そのうち顔を真っ赤にして言った。

「ユリアばかりチヤホヤされるのっておかしいじゃないか! 同じ境遇で生まれて一緒に育ってきたのに俺だけずっと雑用……。まるでユリアの奴隷じゃないか!」

 ユリアはキュッと口を一文字に結び、黙り込む。確かに自分が大聖女になったのは単に配られたカードが良かったからなだけだし、ティモに何の配慮もしなかったことも事実だった。

 ユリアは何か言おうとして、うまい言葉が見つからず、ため息をつく。


「ふざけるな! なら、そう言えばいい。薬を盛る理由にはならん!」

 ジェイドが重低音の声で吠え、その圧倒的な威圧にティモは青ざめる。

 

 ユリアはティモと一緒に野山を駆けまわっていた頃のことを思い出し、思わず涙をこぼす。傷ついた幼生のジェイドを見つけたのもティモだったし、あの頃は本当に毎日が楽しかった。

 ティモに配慮できなかったのは、毎日大聖女の仕事に追われていたからである。王都の十万人の人々の安寧を守ること、それが大聖女の務めであり、使命だと考え、毎日必死に働いていた。

 しかし、ティモはもっと子供時代のような親密な交流が当たり前だと考えている。それは見えているものの違いだった。ティモは目の前の人を見て、ユリアは十万人を見ていた。どっちが正しいということは無い、単に視野の違いである。

 ユリアは大きく息をつくと、

「ティモ、あなたは王都出入り禁止処分にしてもらうよう嘆願しておくわ。田舎に帰りなさい。長い間、ありがとう」

 目頭を押さえながらそう言って、その場を後にした。









4-6. 鮮やかな制圧


「それでは、大聖女様、お願いいたします」

 案内役に呼ばれ、ユリアは壇上に登った。

 煌びやかに装飾が施された大広間、壇上には多くの魔法ランプが配されて、まるでスポットライトの様にユリアを浮かび上がらせる。

 ユリアは大きく息をつき、『蒼天の儀』に招かれた王侯貴族たちが一堂に会する様子を見回してニヤッと笑った。

 そして、『蒼天の杖』を高く掲げ、サファイヤを青くまぶしく輝かせると、

絶対結界エクストリームバリア!」

 と、叫んで王侯貴族たちを強固な結界に閉じ込めた。

 段取りと違うことに出席者は驚き、どよめきが上がる。


 すると、アルシェが奥から現れて壇上に上がり、姿勢をピッと正し、右手を高く掲げ、高らかに声をあげた。

「アルシェ・リヴァルタはここにクーデターを宣言します!」


 唖然とし、静まり返る王侯貴族たち。

 さらに奥から宰相が重厚な紫色のファイルを掲げて登場し、一礼してアルシェにそれを渡した。

 アルシェは書類にサラサラとサインを書き込む。

 それを確認した宰相は、

「ここに、アルシェ・リヴァルタ様が王国の全権力を掌握したことが法的に認められました」

 と、王侯貴族たちに向かって声をあげた。


「おい! ふざけんな!」「何をやってるのか!」「いいかげんにしろ!」

 王侯貴族はそれぞれ怒り心頭で怒鳴り、席を立つが結界が強固で出ることができない。

 すると、後ろの方から異常を察知した騎士たちがバタバタと入って来て、壇上を目指す。


 直後、ズン! という音と共に脇の壁が吹き飛び、砂ぼこりの中から巨大なドラゴンの首がニュッと顔を出した。

「ひぇ――――!」「キャ――――!」「うわぁ!」

 厳ついウロコに巨大な牙に鋭い爪、ギョロリと見回す巨大な瞳に大広間は大騒ぎになる。騎士たちもドラゴンの登場に恐れおののき、動けなくなった。


「お静かに! 我が王国を守ってくれる神の使い、ドラゴンです。私は大聖女様とドラゴンと共に世界征服を実現させます。王侯貴族の皆様におかれましてはご理解とご協力を賜りたく存じます」

 アルシェはエンペラーグリーンの瞳を輝かせ、堂々とそう言い切った。

 ここに来て王侯貴族たちはこれが茶番でないことに気づき、真っ青になってお互いの顔を見合わせ、ひそひそと善後策を話し合い始める。


「アルシェ! これはどういうことだ!」

 今までじっと静観してきた国王が立ち上がり、声を上げる。

「父上、ご相談もせずに申し訳ありません。ただ、これは王家を守る唯一の道なのです。全てが終わったら全部ご説明します」

「お前! いいかげんにしろ!」

 第一王子が声を荒げる。

「お兄様、もう私はこの国の国王です。口を慎んでいただけますか?」

 アルシェはニコっと笑って言う。

「俺は認めないぞ!」

 第一王子は真っ赤になって吠える。

 しかし、アルシェは取り合わず、

「ここから先は大聖女様からご説明があります。私はこれで……」

 そう言って退場していった。

「おい! 待て! 逃げんなよ!」

 第一王子は必死に叫んだが結界を超えることもできず、地団太を踏む事しかできない。


「はーい、皆様、それでは私から今後の流れをご説明しまーす!」

 ユリアはニコニコしながら声を上げる。

 王侯貴族たちはムッとした表情でユリアをにらんだ。

「まず、皆さまの身体ですが、すでに実体を消してあります。物には触れられませんし、お腹も減りませんし、おトイレも不要です。言わば幽霊みたいな状態になったとお考え下さい」

 どよめきが起こり、一部の人は椅子に触れようとして手がすり抜け、唖然とする。

「今後の世界統一のスケジュール、共和制への移行についてはそちらをご覧ください」

 そう言って壁を指さすと、プロジェクターで映し出されたように一連の計画がずらりと表示された。

「皆さんの選択肢は三つ。一、このまま一生ここにいる。二、当計画を受け入れ、全権限を王国に返上し、裕福な家として存続する。三、ドラゴンと戦って散っていただく。決まったら声をかけてくださいね。たまに様子をうかがいに来ますので」

 そう言うと、ユリアは一同を見回し、ニコっと笑って退場していく。

 どよめく大広間だったが、誰も結界は壊せなかったし、幽霊状態になってしまった王侯貴族たちにはもはや何もできなかった。











4-7. 目標、来ます!


 ユリアたちは会議室に集まった。

「アルシェ、見事だったわ!」

 ユリアはうれしそうにアルシェの肩を叩く。

「あぁ、もう後戻りできないよ、どうしよう……」

 十五歳になったばかりの少年、アルシェはうなだれる。

「アルシェ様、今さらそんなことおっしゃられても困りますぞ。さいは投げられたのです」

 宰相は渋い顔をする。

「わ、分かってます。ちゃんとやりますよ……。はぁ……」

「では、計画通り、次は宣戦布告よ! 国王様、サインして!」

 ユリアはそう言って宣戦布告の書面をアルシェに渡した。

 アルシェは嫌そうに書面を眺め、目をつぶって大きく息をついた。


         ◇


 オザッカの宮殿で御前会議が開かれる日、タイミングを計ってユリアとジェイドは空間を跳んで乗り込んだ。

 着くやいなや「絶対結界エクストリームバリア!」

 と、叫ぶユリア。

 驚き固まる王侯貴族たちは瞬時に強固な結界に閉じ込められる。当然宮殿には、魔法での侵入などできないような防御機能が厳重に張り巡らされているのだが、この世界の構成データを直接書き換えるユリアの神の力の前には、全てが無意味だった。

「ハーイ、皆様ごきげんよう!」

 ユリアは楽しげに挨拶する。

「き、貴様は王都の大聖女! 面妖めんような技を使いおって!」

 オザッカの君主はそう叫ぶと短剣で結界を破ろうとしたが、全く歯が立たない。

「あなた達全部捕まえたからこの戦争、王国の勝ちね!」

 ニコニコしながら言うユリア。

「な、何を言う! こんなの認めんぞ!」

 頬に大きな傷を持つ筋骨隆々とした男が机をガン! と拳で叩きつけて叫ぶ。見覚えのあるあの将軍だった。

 ユリアはジェイドを前に出し、うれしそうに言う。

「じゃあ、この男があなた達の軍、全てと戦いましょう。勝てたらあなたたちの勝ちでいいわよ」

 

「えっ!? 一人を……倒せばいいだけ?」

 ポカンとする将軍。

「えぇ、でもきっと彼の勝ちですよ。ふふっ」

 ユリアはニヤリと笑った。


        ◇


 二万人のオザッカ軍とジェイドは草原で対峙たいじした。

 将軍とユリアは脇の方で戦況を見守る。

「本当にあの男を倒すだけでいいんですな?」

 将軍は念を押した。

「そうよ! せいぜい頑張ってね」

 ユリアはうれしそうに言う。

 将軍は見くびられたものだと内心憤慨した。あんなシャツを着ただけのヒョロッとした男一人に、二万人を数える自らが育て上げた精鋭たちが敵わない訳がない。怒りのこもった声で将軍は叫んだ。

「戦闘開始! ぶっ殺せ!」

 兵士たちはフォーメーションを整えていく。ジェイドは軽く準備体操をするとスタスタと無造作に兵士たちに近寄っていった。

 先頭の兵士たちは盾を構え、しゃがんで一列に並ぶ。しかし、あんな無防備な男一人にやり過ぎではないかと内心いぶかしく思っていた。

 

 ジェイドは構わずにスタスタとさらに距離を詰める。

 直後、魔術師が二十人ほど宙に浮きあがると、一斉に攻撃魔法を放った。炎の槍が飛び、風の刃が舞い、氷のつぶてが流れ、全てがジェイド一人に降り注ぎ、ジェイドはシールドも張らずそれらをすべて全身に浴びた。

 ズズーン!

 激しい衝撃音が響き、もうもうと煙が上がっていく。

「よしっ!」

 将軍はガッツポーズを見せ、誰もが勝利を確信した。

「ワシらの勝ちですな!」

 喜び勇んでユリアの方を見た将軍だったが、ユリアは平然として言う。

「ふふっ、こんなのはいいから早く本気を出してくださいね」

 将軍はムッとした。自慢の魔法部隊の攻撃を『こんなの』とはどういう事だろうか?

 すると、補佐官が叫んだ。

「ダメです! 目標、来ます!」

「へっ!?」

 将軍が目を凝らすと、熱気に揺らめく陽炎の向こう、煙の中に赤い瞳が鋭く光るのが見えた。

「ひぇっ!」

 将軍は背筋に冷たい物が流れるのを感じた。あれだけの攻撃を受けてなお健在……。その不気味な赤い光に、心の底から恐怖が巻き起こってくるのを止められなかった。


 煙の中からジェイドは何事もなかったかのように現れ、さらに足を進める。

 兵士たちは唖然としてその様子を眺めていた。

 あの攻撃を浴びて無傷、それもシャツに汚れ一つついていないという現実をどう受け入れたらいいか困惑していたのだ。







4-8. 絶望のプランB


「くっ! まだまだ! プランB、用意!」

 将軍はぐっと歯を食いしばり、恐怖心を押さえこんで叫ぶ。

 兵士たちは一斉に塹壕ざんごうに逃げ込み、草原には歩くジェイドだけが残される。気がつくと将軍もユリアを残して穴に飛び込んだ。

 直後、ジェイドの足元から漆黒のオーラが次々と立ち上がり、ジェイドに巻き付いていく。どんどん闇に飲まれていくジェイド……。

「ハッハッハ――――! あの闇の中では誰もが正気を失う。精神を蝕む闇、奴がどれだけタフでもこれに耐えられる人間などおらん!」

 将軍は塹壕から顔を出しながら勝ち誇った様子で叫ぶ。

 直後、真紅の巨大な魔法陣がジェイドの上空に輝いた。それは莫大な魔力を受け、パリパリと周囲にスパークを放つほど高エネルギーが充填されている。

「とどめじゃ! 焼き尽くせ!」

 将軍がそう叫ぶと魔法陣はジェイドめがけて一気にはじけ、閃光が天地を覆いつくした。

 ズーン!

 激しい衝撃波が大地を、ユリアを襲い、生えていた木々は次々となぎ倒されていく。

 巨大なキノコ雲が立ち上り、熱線を辺りに振りまきながら高く高く舞いあがった……。

 熱線が降り注ぐ中、将軍はニヤニヤしながらそーっと塹壕から顔を出す。これはオザッカ軍最大の攻撃手段であり、それを直撃させた以上勝利にはゆるぎない自信があったのだ。

 しかし……、キノコ雲が晴れていった中、将軍が目にしたのは無傷のジェイドだった。

 まるで何事もなかったかのようにジェイドは焼け野原でたたずんでいる。

「え……?」

 将軍は言葉を失う。精神を乱し、そこに最大の爆撃を加えた。もうこれ以上の攻撃方法はないし、そもそもあの直撃を受けて無傷な理由が分からない。そんな人間はいるはずないのだ。

 兵士たちも塹壕から顔を出し、どよめきが上がる。みんな無傷なジェイドに驚き、底知れぬ恐怖に顔を青ざめさせていた。


「ジェイドそろそろいいわよー」

 ユリアは楽しそうに声をかけた。ユリアも爆発の衝撃を受けたはずだったのに何のダメージもおっていない。将軍はこの二人のあまりの異常さに、湧き上がる恐怖心を抑えきれず、歯をガチガチと鳴らした。


 ジェイドは、ボン! という爆発を起こし、ドラゴンへと変化する。

 将軍も兵士も目を疑った。いきなり現れた、巨大な翼をひるがえす威風堂々とした巨体。それは厳ついウロコに巨大な鋭い爪を誇示し、まるでこの世の者とは思えない伝説級の威容だった。


 あわわわわ……。

 真っ青になる将軍。

 なるほど、彼はドラゴンだったのだ。小賢しい人間の攻撃など効くわけがない。

「も、もうダメだ……」

 将軍はへなへなと、塹壕の中にへたり込んでしまう。


 ギョワァァァ!

 ジェイドは重低音の咆哮を一発、二万人の兵士たちは圧倒的な迫力に威圧され戦意を喪失した。

 雄大な翼を大きく天へ掲げると、ジェイドは太い足で一気に空へと跳び上がり、バサッバサッと翼をはばたかせる。

 兵士たちはパニックに陥った。かつてある街がドラゴンの一息で灰燼かいじんに帰したと伝えられている。そういう伝説は皆、子供の頃から聞かされているのだ。もはや逃げる以外考えられなかった。

 ジェイドは上空から逃げ回る兵士たちを睥睨へいげいすると全身を青白く輝かせ、ギュァァァ! という咆哮と共に兵士たちに衝撃波を放つ。

 衝撃波は兵士たちを直撃し、地響きが響き渡った。兵士たちは無様に吹き飛ばされ、もんどりを打って転がっていく。


 ひぃぃぃ……。

 将軍は自慢の軍隊が壊滅してしまったことに言葉を失い、冷や汗をたらたらと流す。伝統あるオザッカの軍隊を任されて十数年、誇りをもって今までやってきたが無様にも壊滅させられてしまったのだ。

 相手がドラゴンであったとしても、それなりの戦い方があったに違いない。それを見抜けず、慢心して壊滅させてしまった失態はとても許されないし、一番自分が許せなかった。

 将軍は意を決すると塹壕を飛び出し、剣を抜いてユリアに駆ける。

 せめて大聖女だけでもうち滅ぼしておかねばオザッカの臣民に、君主に顔向けができない。

 将軍は筋骨隆々としたたくましい腕を振り上げ、

「ソイヤ――――!」

 と、の掛け声とともに、目にも止まらぬ速さでユリアに剣を振り下ろした。


 ザシュッ!

 剣はユリアの肩口から斜めに袈裟切りにバッサリと切り裂いた。

 将軍は肉を切り、骨を断つ手ごたえをしっかりと感じながら最後まで剣を振り抜く。まさに歴戦の勇士による見事な剣さばきだった。









4-9. 東京には負けない


 ぐはぁ!

 だが、直後に血を吐いて倒れたのはなんと将軍。

 見ると、将軍の身体がバッサリと切り裂かれ、血が噴き出している。

「な、なぜ……」

 理解できず荒い息でうつろな視線をユリアに向けた。

 ユリアはそんな将軍を見下ろし、

「ごめんなさい、私、神なの。神に人間の攻撃なんて効かないわ」

 と、憐れむような視線を投げかける。

 ユリアはダメージを反転する設定を自分の体にかけていたのだった。

「か、神……? 化け物め……」

 将軍はそうつぶやくとガクッと意識を失う。

「あらら、死なれちゃ困るわよ」

 ユリアはそう言うと、将軍の身体のデータを斬られる前の状態に戻した。


        ◇


 ユリアは将軍を連れてオザッカの宮殿に戻る。そして、将軍に君主をはじめ首脳陣に対して敗戦を報告させると、

「無条件降伏してね。それともまだやる?」

 と、にこやかに笑う。

 君主たちは渋い顔で顔を見合わせるが、軍は全滅、ドラゴン相手に勝つ算段など見つからない。もはや降伏する以外なかった。

 君主はがっくりと肩を落とし、無条件降伏の書面にサインをする。

 こうしてユリアはあっという間にオザッカを降伏させたのだった。


        ◇


 ユリアたちは王都へと飛んだ。

 穏やかな温かい日差しの中、伸び伸びと気持ちよく高度を上げていく。

「ジェイド、お疲れ様」

 ユリアはジェイドの手を取って言った。

「あのくらい大したことは無い」

「でも、ジェイドのおかげでとんとん拍子で話が進んだわ」

「強さでいったらユリアの方が強いだろう。なんたって神の力がある」

「強いだけじゃダメなのよ。『大聖女が強かったです!』って言ったって誰も信じないけど、『ドラゴンがー!』って言ったらみんな納得するもん」

「そう言うものか?」

「そうよ」

 そう言いながら、ぽっかりと浮かぶ白い雲をのびやかに越えていく。

「ねぇ?」

 ユリアは微笑みながらジェイドを見つめ、続ける。

「この星の立て直しが終わったら、結婚しない?」

「け、結婚?」

 いきなりの提案にジェイドは目を丸くする。

「嫌?」

 ちょっと寂しそうに聞くユリア。

「も、もちろんうれしいが……、我は龍、神様と結婚だなんて……」

「そう言うの気にしないの! ちゃんとパパとママにも会わせたいし、二人を祝ってもらいたいの」

「ありがとう。そうだな、きちんとご挨拶しないと……」

 ジェイドは緊張した表情をする。

「ふふっ、きっとパパもママも喜んでくれるわ」

 ユリアは満面に笑みを浮かべる。

「だといいんだが……」

「結婚式は……、そうね、小ぢんまりと身内だけで王都のレストランでやろうかしら?」

「ユリアの希望に合わせよう」

 うれしそうに微笑むジェイド。

「司会はヴィーナさんにお願いしようかしら?」

「神様の神様に頼むの? それはまた破格だな」

「受けてくれるといいなぁ」


 そんなことを話していると遠く眼下に王都が見えてきた。

「私の計画だと、王都もそのうち東京みたいになるのよ」

 ユリアは王都をじっと眺めながら言う。

「五十階建てのビルをたくさん建てるの?」

「そう、あの辺は全部高層ビルで埋めるのよ。そして、高速道路をズドーンと真っ直ぐに。首都高速みたいにクネクネっていうんじゃなくてズドーンとね」

「ハハハ! 都市計画だね、楽しそうだ」

「ふふっ、東京には負けないわ」

 ユリアはニヤッと笑った。


       ◇


「オザッカ倒してきたわよー」

 ユリアは王宮に戻ってくると、バーンと会議室のドアを開けて上機嫌に言った。

「えっ!? もう?」

 目を丸くするアルシェ。

「はい、無条件降伏の書面よ」

 ユリアはアルシェにファイルを渡し、席に座るとポットからカップに紅茶を注いだ。

「え? 抵抗……されなかった?」

 アルシェが恐る恐る聞く。

「ジェイドがね、兵士二万人全員ぶっ倒したから諦めたみたい」

「全員!?」

 アルシェは額に手を当てて目をつぶった。

「やっぱり『全力でやって負けた』と思ってもらわないと、なかなか統治は進まないからね」

「殺しは……してないよね?」

「ジェイド、大丈夫よね?」

「手加減したから大丈夫だろう」

 ジェイドは淡々と言う。

 アルシェは二万人相手でも手加減が必要だ、というジェイドの戦闘力に思わずゾッとした。

「占領軍の派遣と、事務方の協議の方、頼んだわよ」

 ユリアは宰相に向かって言う。

「はい、わかりました……」

 宰相はそう言うと、目をつぶって大きく息をついた。












4-10. 喰われる腕


 オザッカ軍がドラゴンに壊滅させられた噂は全世界に一気に広まり、サヌークもサグも降伏を申し出てきた。敗北してから無条件降伏するよりは、交渉の余地を残したいとの判断だろう。

 これで世界統一は実現してしまった。もちろん、条件交渉や法制度の整備など、やる事は山積みではあるが、ユリアとジェイドの仕事はもう終わりである。

 後はユリアが描いた絵通りに、新しい民主主義への移行を淡々とやってもらうだけだ。


 会議が終わり、ユリアが紅茶をすすっていると、文官が入って来てアルシェに何かを報告し、アルシェは腕を組んで悩みだした。


「アルシェどうしたの?」

「ダギュラにおかしな部屋があるんだって」

「おかしな部屋?」

「宮殿の地下の部屋が、何をやっても真っ暗なんだって。ランプで照らしても魔法で照らしても闇が広がっているだけで不気味なので、接収部隊が困ってるって」

 ユリアはジェイドと顔を見合わせる。不思議なことは神の力の影響だろう。

「分かった。調査に行ってくるわ」

 ユリアはニコッと笑って言った。

「ちょ、ちょっと待って。テロリストのワナかもしれない。怪しい物を見つけたらシアン様に連絡を入れるって話だったじゃないか」

 ジェイドは焦って言う。

「暗いだけなんでしょ? すぐさま危険って訳じゃないわ。シアンさんだって忙しいんだから気軽に連絡なんてできないわ」

「いや、でも……」

「時間止めて中を調査するだけ。それで変なのがあったら報告しましょ」

 ユリアは気軽にそう言うとジェイドと共に宮殿に跳んだ。

 地下の廊下を歩いていると黄色と黒の非常線が貼られた区画が見えてくる。どうやら奥の部屋がそのおかしな部屋らしい。

 ユリアは時間を止めると非常線をくぐり、部屋のドアを開ける……。

 確かに中は真っ暗で何も見えない。いろいろと試したが、光を無効にする設定が施されているらしく何をやっても闇のままだった。

「テロリストめー……。どうすんのこれ?」

「これはダメだ。シアン様に報告だ」

 ジェイドは首を振る。

 ユリアはそんなジェイドの言葉を無視して、室内のデータをツールで解析していく。すると、そこに見覚えのある物が浮かび上がってきた。なんと『蒼天の杖』が空中に浮いているのだ。

「えっ!? なんで私の杖がこんな所に!?」

 ユリアは思わず部屋に駆けこんでしまう。

「ユリア、ダメだ!」

 ジェイドはそう叫んだが、ユリアは暗闇の中ツールで位置を把握し、手を伸ばして杖をつかむ。

 直後、ぼうっと闇の向こうに何かが浮かんだ。

 ウェーブのかかった金髪の少女が、まるでスポットライトを浴びたかのように光をまといながらふわりと浮いている。

 そしてユリアを見てニヤリと笑ったのだ。時間を止めているのに動けている。それは管理者アドミニストレーター権限を持つ者の特権だった。

「あ、あなたはルドヴィカ!?」

 ユリアは急いで逃げようと思ったが、ルドヴィカの隣に誰かいる……。

 ユリアが目を凝らすと、それはジェイドだった。


「えっ!? な、なんでジェイドが……?」

 呆然とするユリア。

 そしてルドヴィカは挑発的な表情でジェイドのシャツのボタンを外し始める。

 ユリアは唖然とした。前管理者アドミニストレーターでありテロリスト、そんな彼女がなぜジェイドの服を脱がすのか?

 ユリアは逃げる事なんてすっかり忘れて、ルドヴィカの指先を見つめてしまう。

 ルドヴィカはジェイドの胸をはだけさせると、ジェイドの厚い胸板をまさぐる。そして、背伸びをするとなんとジェイドにキスをしたのだ。

 ユリアの中で何かがプツンと切れる。逃げなきゃいけないと分かっているのに頭に血が上ってしまっていた。

 そして、対テロリスト用ツールをずらりと起動すると右手をルドヴィカに向ける。

「ジェイドから離れなさいよ!」

 ユリアはそう叫ぶと一斉にルドヴィカにハッキングを仕掛けた。漆黒のコードが何本もルドヴィカめがけて飛びかかる。

 しかし、ルドヴィカはそれを待ってたかのようにニヤッと笑う。

 そして、コードがルドヴィカにとりついた瞬間、攻撃ケーブルを逆にたどってユリアの右腕を吹き飛ばした。


 うぎゃっ!

 ユリアは悲痛な叫びを上げ、もんどり打って倒れこみ、右腕はびたんと音を立てて転がった。

 ルドヴィカはそんなユリアをニヤニヤ見下ろしながら、コードを引っ張り、転がるユリアの右腕を引き寄せる。そして白くすべすべとした右腕をジロジロと眺め、次の瞬間、なんと美味しそうにかじりついたのだった。

 口の周りから鮮血をたらしながらクチャクチャと音を立て、右腕を貪るルドヴィカ。その猟奇的な姿にユリアは真っ青になって逃げだそうと立ち上がる。

 しかし、ルドヴィカは右腕をくわえながらハッキングコードをユリアに次々と撃ち込んできた。


 きゃぁぁ!

 ユリアは何本か打ち返せただけで次々とコードの餌食となる。

 コードを撃ち込まれた部分は赤黒く変色し、ユリアは身体のコントロールを失っていく。

「やめてぇ!」

 ユリアは叫びながら自らの愚行を痛烈に後悔した。神だなんて思いあがったあげく、いざとなったら手も足も出ない。まさにテロリストの格好の餌食だった。


「お前の身体のリソースは、ありがたーく使わせてもらうわ。キャハッ!」

 ルドヴィカはうれしそうに笑った。







4-11. 黄金色に輝く星


 ズン!

 いきなり激しい閃光が部屋に走り、強烈なエネルギー弾がルドヴィカを貫いた。

 ぐはぁ!

 胸に大穴が開き、ガクッとひざをつくルドヴィカ。


「そこまでだよっ!」

 水色の髪をゆらしながらシアンが部屋に飛び込んでくる。

 そして、右腕を激しく水色に光らせた。


「ちっ! もう少しだったのに!」

 ルドヴィカはそう言い残すとフッと消えていく。


「まてっ! あぁ……」

 シアンは攻撃体勢をゆるめ、肩を落とした。

 そして、転がっているユリアを見て大きく息をつき、助け起こす。

「あらあら、ずいぶんとやられたねぇ……」

 そう言いながら失った右腕を再生させていく。

「ご、ごめんなさい……」

 ユリアは涙をポロポロ落としながら謝る。

「戦っちゃダメって言ったよ」

 シアンはジト目でユリアを見た。

「ユリア、大丈夫か?」

 ジェイドが駆け寄ってくる。

「あれっ!? ジェイド? 部屋の外に……いたの?」 

「え? あのまま外でシアン様を呼んでたんだが?」

「じゃあ……、あのジェイドは……?」

「幻覚攻撃だね。ジェイドの映像で動揺を誘ったんだな」

 シアンは渋い顔をする。

「そ、そんな……」

「奴らは狡猾だ。強いだけじゃない、そういうからめ手にも長けてるんだ」

 ユリアはあっさりとテロリストの術中にはまった間抜けさに、ガックリと肩を落とした。


「あいつはユリアの身体のリソースを得て多くの権限を獲得しちゃった。ちょっと厄介だよ」

 シアンは腕組みをして何かを考える。

 すると、シアンはハッとした顔をしてユリアとジェイドの腕をつかむと空間を跳ぶ。

 目の前に広がる青空、そこはダギュラの街の上空だった。直後、激しい閃光が天地を覆い、ズズーン! という爆発音が響いて、下の方で宮殿が吹き飛んでいるのが見えた。


「あぁっ!」

 ユリアは真っ青になる。

 やがて立ち昇ってくる漆黒のキノコ雲。

 自分が迂闊な行動をしたばかりに大変なことになってしまった。胸がキュッとなって目の前が真っ暗になる。


 するといきなり空中に映像が浮かび上がった。

「ハーイ! みなさん、こんにちは! キャハッ!」

 上機嫌に金髪をゆらしながら手を振るルドヴィカだった。背景にはずらりと並ぶ円筒、なんとジグラートに居るらしい。

 ユリアは唖然とした。テロリストがこの星の心臓部にいる。つまり、いつでもこの星を滅ぼせる、生殺与奪の権利を握られてしまった。


「どうやってそこに行ったんだ?」

 シアンは険しい表情でルドヴィカをにらむ。

「あら、田町の方なのにそんなことも分かんないの? キャハッ!」

 ルドヴィカは楽しそうに笑う。

 ユリアの権限を奪った訳だから、海王星に行く事はルドヴィカにもできるだろう。だが、それは海王星の衛星軌道上のコントロールルームまでである。海王星の中にあるジグラートにこんな短時間で行けるわけなどないのだ。

 本当にそこにいるのだとしたらさらに上位の権限を得たという事であり、それは一万個の地球全体に対する脅威を意味している。

 もちろんシアンは宇宙を統べる存在の一翼である。今すぐジグラートに跳んでルドヴィカを吹き飛ばすことなど簡単なのだ。しかし、それを知りながらルドヴィカは姿をさらしている。何らかのワナがあると考える方が妥当だった。ルドヴィカのカラクリを解かない限り動けない。


「これ、なーんだ?」

 そう言ってさらに新たな映像を展開するルドヴィカ。そこには黄金色に輝く美しい星が映っている。

 シアンはギリッと奥歯を鳴らした。

 やがて映像がパンをして、衛星軌道上に展開されている巨大な施設が映し出される。

 それはいぶし銀の金属で覆われた、たくさんの大きな円筒モジュールで構成されており、周囲には広大な放熱パネルがまるで翼のように多数展開されている。そして、少し離れたところには薄い金属フィルムでできた広大な日よけが展開され、全体を太陽から守っていた。

 映像の奥の方をよく見ると、この施設が次々と連なっているのが分かる。巨大な惑星を一周しているのかもしれない。その異常な規模は海王星のジグラートが霞むくらいだった。















4-12. 消える六十万年


「金星だ……」

 シアンは渋い顔をしながら言う。

「金星……?」

 ユリアはその壮大な光景に見入りながら答える。

「海王星を作り出している施設だよ。テロリストがたどり着けるような場所じゃないはずなんだけどなぁ」

 シアンは腕を組み、首をかしげる。

 直後、金星のモジュールが閃光に包まれ、爆破された。

「キャハッ!」

 うれしそうな声が響き、一瞬ユリアたちの周りの風景が四角形だらけのブロックノイズに埋まった。

「きゃぁ!」

 ユリアはその異常な事態に青ざめて叫ぶ。この星の根幹が揺らいでいる。この星に息づく何億もの人たちの命が危機に瀕しているのだ。

「この星のバックアップデータはすべて破壊した。もう復元はできないよ」

 ルドヴィカはドヤ顔で言う。

 ジグラートを破壊されてもバックアップデータさえあれば復元は可能である。しかし、金星の設備を吹き飛ばしたとなると事は重大だ。ジグラートにしかもうこの星のデータは残っていない。ユリアはことの深刻さに目がくらくらした。


「何がやりたいの?」

 シアンが聞く。

「この星の自治権を要求する!」

 ルドヴィカはこぶしを握りながら叫んだ。

「なるほど、この星を人質に取ったんだな……。だが断る! きゃははは!」

 シアンはニコニコしながら答えた。

「我々がこの星を発展させてきたのよ! 勝手に取り上げていい理屈などないわ!」

「僕たちは君らに委託しただけ。欲望のままに好き勝手したら契約は終了だよ。恨むなら欲望に負けた自分を恨むんだね」

 ルドヴィカはムッとしてシアンをにらみ、こぶしを赤く光らせると近くの円筒にエネルギー弾を放った。

 ズン!

 激しい音がして円筒が吹き飛び、ユリアたちの上空から東側一帯の空が真っ黒になった。さっきまで青空が広がり、白い雲が浮いていた空はまるで異界に繋がってしまったかのように光を失い、ただ漆黒の闇が広がるばかりだった。

「自治権が得られるまでここのコンピューターを次々と壊すがいいんだな!?」

 ルドヴィカは目を血走らせながら叫ぶ。

「いいよ? でも、君も消されるよ?」

 シアンはそう言った。

「ダ、ダメです! 壊されたら困ります!」

 ユリアは焦ってシアンの腕にしがみついた。

「そ、そうだぞ! よーく考えろ! それに私に危害が及ぶと自動的に金星のどこかがまた爆発するようになってる。下手な考えは止めろ!」

「やれば?」

 シアンはうれしそうに即答する。

 ユリアもルドヴィカも唖然とする。数多あまたの命のかかわる貴重で重大な施設を『壊してもいい』とにこやかに言い放つシアン。二人とも言葉を失ってしまう。

「いいか? ここの施設は六十万年かかって作られているんだぞ? それを壊されていい訳がないだろ!」

 ルドヴィカは焦って吠える。

「んー? また六十万年待てばいいだけでしょ?」

 シアンは首をかしげながら、こともなげに言った。

 ユリアは背筋がゾッとした。シアンは本気でそう思っているのだろう。百万個の星々を統べる神々にとってみたら一万個の地球が吹っ飛び、六十万年の成果が失われることも些細なことなのかもしれない。しかし、ユリアにとってはこの星がすべてなのだ。この星が消されてしまうのは絶対に避けなくてはならない。

「よーし、それなら全部ぶっ壊してやるぞ! 本当にいいんだな?」

 ルドヴィカは激昂して叫ぶ。

 シアンは腕組みをしながら何かを考えている。

 ユリアはジッとシアンを見つめる。シアンがこうしている時は裏で何かを行動している時なのだ。

「おい! 何か言えよ!」

 ルドヴィカは再度こぶしを赤く光らせ叫ぶ。

 半分、青空を失ってしまった地球。ユリアはその漆黒の空を眺め、何かできる事が無いか必死に考える。そしてブレスレットのことを思い出した。

 そしてそっと右手をブレスレットにかける。

 ルドヴィカが本気でジグラートを破壊しようとしたらこれを引きちぎるしかない。それでこの星は守られるのだ。だが、それはオリジナルな宇宙をこの世界に展開すること。自分の命の保証も何もない無謀な最終手段なのだ。

 ユリアの頬にツーっと冷や汗が流れる。


『ねぇ、二十秒、時間稼いで』

 シアンからテレパシーが届いた。シアンなりに解決策が見つかったらしい。

 ユリアは出口が見つかったことに安堵を覚え、ぐっと下腹部に力を込めるとルドヴィカに声をかけた。

「あ、あのぉ。私、ルドヴィカさんの言うこと分かるんです」

『後十五秒……』

「ちやほやされてきた大聖女に何が分かるって言うんだよ!」

 ルドヴィカは酷い形相で叫ぶ。

『後十秒……』

「あー、大聖女は大聖女で苦労あるんですよ? ま、それは置いておいてですね、私の話を聞いて……」

『後五秒……』

「あっ! 時間稼ぎだな! チクショー! 死ねぃ!」

 そう叫ぶと、ルドヴィカはジグラートの外壁に向けて鮮烈な赤い閃光を放った。





4-13. 輝くデジタルの赤ちゃん


「えっ!?」

 悪夢のような光景が展開される。

 あと数秒、あと数秒が届かなかった。

 画面の向こうでジグラートに大穴が開き、爆発を起こしながら円筒が吹き飛ばされていく。

 この星が消える。多くの命が消える。ユリアは目の前が真っ暗になった。

 また失敗してしまった……。

 ユリアの失敗が重なり今、全てが崩壊していく。

 南側に見えていた広大な海が次々と漆黒の闇に飲まれ、消えていく。この国が、多くの人たちが消え去ってしまうのはもう時間の問題だった。

 ユリアはギュッと奥歯をかみしめると、全てを覚悟し、目をつぶる。そして一つ大きく息をつくと、右手に神力をこめてブレスレットを引きちぎった。


 パン! パリパリパリ……。

 ブレスレットから勢いよく光の微粒子が噴き出し、吹雪のようにユリアたちを覆って黄金色にまぶしく輝く。

 光の微粒子は細かな『1』と『0』の形をしており、それが勢いよくユリアたちの周りを飛び回っていた。

「うわぁ!」「きゃぁ!」

 何が起こったのか混乱していると、やがてその一部が集まって来て雲のようになっていく。

 唖然としてその様を眺めていると、そのうちに雲は空を飛ぶかわいい赤ちゃん天使の姿へと変わり、にこやかに微笑んだ。

 その微笑みは優美で慈愛に満ち、その神聖な輝きは心を温める。

「えっ……?」

 ユリアが思わず赤ちゃんに見入ると、直後、赤ちゃんの顔がいきなり数メートルの大きさに巨大化し、大きく口を開く。

 三人があっけにとられた直後、赤ちゃんはユリアをパクリと飲み込み、激しい閃光を放った。


「ユリア――――!」

 ジェイドが絶叫する。

 しかし、その叫びもむなしく、ユリアはバラバラに分解され、光の中へと溶けていったのだった。


        ◇


 シアンとジェイドは海王星のコントロールルームに飛ばされる。

 金星はかろうじてシアンの対処で事なきを得たが、ルドヴィカの自爆によって星は失われ、同時にユリアも消えてしまった。

 窓の外にはただ、紺碧の海王星が満天の星々の中に美しくたたずんでいる。


 ジェイドはひどくショックを受け、ただ海王星を眺め、呆然としていた。

「ユ……ユリア……」

 シアンはポンポンとジェイドの肩を叩いて言う。

「ユリアはブレスレットであの星を守ったんだよ」

 だが、ジェイドには理解できない。

「守った……って、どう守られて、ユリアはどこにいるんですか?」

「それは……、分からないよ。少なくともこの宇宙からは消えてしまった」

 シアンは肩をすくめた。

「そ、そんな……」

 ジェイドはひざから崩れ落ち、愛するものを失った現実を受け入れられず、海王星の青い光を受けながら、ただ虚ろな目で動かなくなった。


          ◇


「それー行ったぞー」「まって、まってー」「キャハハハ!」

 子供たちの遊ぶ楽しげな声が聞こえる。


 気がつくとユリアは気持ち良い芝生の上に寝転がっていた。澄みとおる青空に、ぽっかりと浮かぶ白い雲。そして燦燦さんさんと照り付ける太陽。

 ゆっくりと体を起こすと、そこは公園だった。多くの家族連れがピクニックを楽しみ、子供たちがボールを蹴って楽しそうに遊んでいる。


「あれ……? ここはどこ?」

 ゆっくりと体を起こすと、白い建物が見える。見覚えのある建物……。

「えっ!?」

 なんとそれは王都の王宮だった。しかし、なぜ王宮が公園になっているのか分からず、ユリアは混乱して二度見をした。

 そして振り返って思わず素っ頓狂とんきょうな声を出した。

「はぁ!?」

 そこには超高層ビルが林立していたのである。

 東京で見たビルよりもずっと高く、カッコよいビル群が、その個性を競うあうようにひしめき合っていた。そして、そのビルの間を多くの乗り物が飛び回っているのが見える。まさに未来都市だった。


 ユリアは唖然とする。ここは王都、ユリアの星である。しかし、もはや別の星のように見えた。

 フラフラと立ち上がり、王宮の方へ歩いて行く。花の咲き誇っていた広大な庭園が今は公園となって一般開放されているようだった。

 王宮の前には銅像が建てられていた。威厳のある高齢の紳士が指先をまっすぐに前にのばした像。銅像の足元はみんなに触られていて、そこだけツヤツヤに赤銅色に輝いている。

 プレートを読んでユリアは固まった。

『初代大統領アルシェ・リヴァルタ 享年85歳』

 なんと、この像は老人になったアルシェの像だったのだ。

 解説を読むと、百年ほど未来に自分は来てしまったらしい。

「ア、アルシェ……」

 予想もしなかった事態にユリアは動揺し、涙をポロリとこぼす。

 ユリアがブレスレットを破壊したおかげでこの星は守られ、アルシェはその中で国を盛り立て、今、夢のような発展を遂げた……ということだろうか?

 素晴らしい発展……それはまさにユリアの描いた理想をはるかに超え、東京すら超えた理想郷となっている。

 だが、ユリアが知っている人、パパもママも誰も生き残っていないだろう。ユリアは摩天楼を見上げながら途方に暮れ、

「な、なんなのよ……これ……。ねぇ、アルシェ……」

 そう言いながら静かに涙を流し、銅像の台座にヨロヨロともたれかかると、アルシェ像の足元をさすった。
















4-14. 絶対神ユリア


「そ、そうだ、ジェ、ジェイドは?」

 ユリアは周りを見回したが、転送されてきたのはユリア一人のようだった。目をつぶって必死にジェイドの気配を探ってみても、それらしきものは見つけられない。

「えっ!? 私一人だけ?」

 この摩天楼そびえる大都市で、ユリアは一人ぼっちになってしまったことを知り、愕然がくぜんとした。

「う、嘘よね……、まさか」

 楽しそうな家族連れ、子供たちが遊ぶ中でユリアは一人呆然として立ち尽くす。


「シ、シアンさん……、そうよシアンさんならどこかにいるはずだわ」

 ユリアは心を静め、神の回線を開き、シアンを呼ぶ。

 しかし、応答がない。

「そ、そんなはずはないわ! シアンさん、シアンさん!」

 ユリアは心の奥で強くシアンをイメージする。水色の髪をした可愛い女の子、でも中身は底知れない強さと神秘に彩られた『神様の娘』。六十万年を平気で待てる彼女なら百年程度で消えるはずなどないのだ。

「シアンさん……シアンさん……」

 ユリアは感覚を全開にして深層意識の中でシアンのイメージを追う。

 すると、覚えがある雰囲気を肌に感じた。

「あっ!」

 ユリアは目を開けて辺りを見回す。

 すると、初めて会った時のように上空から光をまといながら降りてくる人影が見える。

「シアンさーん!」

 ユリアは思わず両手を振って叫び、シアンはユリアの前に着地した。

 しかし、降り立ったシアンはいつもと様子が違う。

「ユリア様、お呼びでしょうか?」

 そう言いながら胸に手を当てて頭を下げたのだ。その予想外の応対にユリアは困惑しながら聞く。

「えっ? ど、どうしたんですか?」

「どうと言われましても、ユリア様はこの世界の神であらせられます。私は神に創られたしもべに過ぎません」

 ユリアは困惑する。見た目も声もシアンそのままなのに、中身はシアンではないのだ。

「ちょ、ちょっと待ってください。私がシアンさんを創ったってどういうことですか?」

「この宇宙はユリア様の想いによって生まれ、ユリア様の観測によって事象が確定しています。無限の可能性の中から選ばれたしもべの姿、それが今の私です」

 シアンはらしくない真面目な顔で言う。

「えっ!? この宇宙は私の宇宙なんですか?」

 ユリアは混乱した。さっきまでいた宇宙は誠を中心に回っていた。誠が未確定の所を確定させていき、宇宙の形が作られていたのだ。だが、この宇宙は自分を中心に回っているという。

「私が思ったことがこの宇宙に反映されるって……こと……ですか?」

 ユリアは恐る恐る聞く。

「その通りです。頼れる人が欲しいと望まれ、そのイメージとしてシアンという方を選ばれたので私が創られました」

 ユリアが作り出した新しいシアン『ネオ・シアン』はクリッとしたあおい瞳で淡々と説明する。

「えっ!? じゃあ、誠さんの世界の人とはもう会えない? ジェイドは?」

「私はジェイドという方を知りませんが、私と同じように創ることはできます」

 ユリアは愕然とした。この世界は自分の思うがままになるとんでもない世界だった。しかし、それでも誠の世界の人を連れてくることはできないらしい。

「えっ……、わ、私が創ったのじゃなくて、オリジナルなジェイドがいいの!」

「他の宇宙から人を連れてくることは不可能です」

 ネオ・シアンは無慈悲に言った。

「そ、そんな……」

 ユリアはガクッとひざから崩れ落ちる。最愛の人ジェイドともう二度と会えない。ユリアはこの世界で一人ぼっちになってしまったのだ。

「ジェ、ジェイド……。うっうっうっ……」

 ユリアはポロポロと涙をこぼす。宇宙を超えて離れ離れに引き裂かれた二人、もう二度と会うこともできない。

 知り合いが一人もいないこの未来都市で、自分はどう生きて行けばいいのだろう? いくら本当の神になっても一番欲しい物は手に入らない。そんな馬鹿な事があるだろうか?

 しばらくユリアはこの理不尽な世界を恨み、絶望する……。


「そうだ! おうちにいるかも!」

 ユリアはバッと顔を上げた。

 ジェイドがアルシェと同じくこの星に残っていたら、今もオンテークのあの棲み処にいるかもしれない。

 残された最後の可能性に一の望みを託し、ユリアはネオ・シアンの手を取って急いでオンテークの山へと空間を跳んだ。
















4-15. 朽ち果てた思い出


 森の上空に瞬間移動してきたユリアたち――――。

 オンテークは以前と変わらず壮大な火山としての威容を誇り、広大な森の中にそびえていた。百年経っても開発の手は入っていないらしい。

 近づいて行くと断崖絶壁に開いた洞窟は崩落し、入り口が埋まっている。

「へっ……!?」

 ユリアは両手で口を押さえ、真っ青な顔で震えた。

 どう見ても誰かが住んでいるようには見えない。


 ユリアはフラフラと埋まった入り口にたどり着くと、崩落している岩のすき間をぬって奥へと進んだ。中はカビ臭くジメジメとしており、長く誰も住んでいないように見える。

 神殿まで来ると、カビとホコリで純白の大理石は黒く汚れていた。

「酷い……」

 ユリアは肩を落とし、目に涙を浮かべながらトボトボと神殿の奥を目指す。

 扉が朽ち果て、床に散乱し、無残な姿をさらしているのを乗り越え、突き当りの部屋まで来たが……、そこもただの廃墟だった。

 二人の想い出のベッドはただの朽ちた木片となり、原形をとどめていない。

 ユリアはヨロヨロと近づき、そっとその木片を拾い、そしてグッと握りしめ嗚咽を漏らした。

 二人の大切な思い出は朽ち果て、ジェイドはこの星にはいないのだという事が分かってしまった。

「結婚するって……約束……したのに……」

 ユリアはもう身体を支える事も出来ず、そのまま木片の上に崩れるように倒れ込むと、大声で泣く。

 しばらく洞窟の廃墟にはユリアの悲痛な泣き声が響き渡っていた。


           ◇


「あのぉ……」

 ユリアが泣き疲れ、呆然自失としていると、ネオ・シアンが話しかけてきた。

 ユリアはうつろな目でネオ・シアンを見る。

「何かヒントをもらってたりしないですか?」

「ヒント?」

「もしですね、私の元となった方が私と同じ考え方をする人であれば、こんな状況を放置しないと思うんですよね」

 ネオ・シアンは首をかしげて言う。

 ユリアは必死に考えてみるが、オリジナルのシアンは『ブレスレットを引きちぎったらどうなるか知らない』と言っていたのだ。ヒントなど残さないだろう。

「そんなのは……聞いてないわ」

 ユリアは首を振った。

 だが、ここでふと違和感がよぎった。シアンは好奇心旺盛で、研修期間中もいろんなチャンスを逃さず知識を増やそうとしていた。だとしたら、『知らないから何もやらない』なんてことあるだろうか? 何か少しでも情報を集められるような工夫をしてる方が妥当ではないだろうか?

 この星が新たな宇宙になる可能性があるなら、なった後に情報を収集できる仕組みを残しておいてもおかしくない。

「そうよ!」

 ユリアはガバっと飛び起きた。

 何かを残すとしたらどこか? それは長く人目に触れない所、そして、ユリアが必ず訪れる所……。ここだ。ここ以外考えられない。

 ユリアは神の力で部屋全体をくまなくサーチしていく。部屋が終わったら廊下、キッチン、そして神殿。最後に残された手掛かり、それにすがるように洞窟の中を隅々まで必死にスキャンする。

 しかし、何もそれらしきものは見つからない。

「絶対何かあるのよ!」

 ユリアは自らを鼓舞し、再度丁寧に探し始める。壁の中に天井に床に大理石の中まで丁寧に調べつくしていった。

 だが、何時間かけても何も見つからなかった。

 ユリアはうなだれ、泣きべそをかきながら立ち尽くす。

「だ、大丈夫……ですか?」

 ネオ・シアンが声をかける。

 ユリアはバッと顔を上げると、

「こんな汚いから気分が滅入るのよ! 生活浄化クリーナップ!」

 そう言って両手をバッと上げると、神殿全体に全力の浄化魔法を放った。

 神殿全体がブワッとまばゆい輝きに包まれ、長年染みついた汚れが分解され、浄化されていく。

 と、この時、壇上の供物台の上の空中に、光り輝く立方体が見えた。

「へっ?」

 ユリアは一瞬目を疑った。なぜ、空中に浄化される場所があるのか?

 光がおさまるとそれは見えなくなったが、よく見ると、そこの部分だけ背景の模様が少しずれて見える。光学迷彩だった。










4-16. 宇宙の特異点


「あったわ!」

 ユリアは飛びあがらんばかりに喜ぶと、神の力を使ってつついてみる。

 すると、ビシュワァァ! という炭酸がはじけるような音がして立方体が姿を現す。それは淡く青色の光を帯びた水槽のような、明らかに異質な存在だった。ガラスのような透明な立方体は、深い透明な湖の様な澄み通った青をたたえ、中心部は深い闇に沈んで見える。

 ユリアがその美しい青に見入っていると、立方体はピコーンという電子音を放ち、激しく輝きながらビュオォォォとつむじ風を巻き起こした。

「うわぁ!」

 ユリアは顔を覆ってしゃがみこむ。

 立方体はするすると降りてきて供物台の上に乗ると、また静かな青い箱に戻った。

 ユリアとネオ・シアンは顔を見合わせ、お互いうなずくと、そーっと立方体に近づいてみる。

 すると、立方体の上に小さなシアンの立体映像が現れる。

「やぁ! シアンだよ! ユリアは元気?」

 シアンは腰に手を当ててニコッと笑って言う。

 その、相変わらず空気を読まない発言に、ユリアはムッとして、

「元気な訳ないじゃない……」

 と、口を尖らせた。

「この箱は通信装置、僕の宇宙とユリアの宇宙を繋げちゃうぞ! 必要な事は二つ。はい、メモの用意して!」

「えっ!? メ、メモって!?」

 慌てふためくユリアに、ネオ・シアンがペンとノートをすっと差し出す。

「ありがと。凄く用意いいのね?」

「そのようにユリア様がお創りになりましたので」

 うやうやしく答えるシアン。

「では、一つ目! ユリアの世界が僕の宇宙と同じ構造をしてるって認識して。つまり、金星があって、海王星があって、ジグラートがあって、そこのコンピューターがその世界を作っているとしっかりと認識するんだ。ユリアがそう認識しさえすればその宇宙も僕の宇宙と同じ構造に確定する。互換性がでるんだね」

「に、認識……するだけ……なの?」

 ユリアはメモを取りながら首をかしげる。『神様の仕事は認識すること』という概念がまだピンとこない。

「続いて二つ目! この箱の上の穴からブラックホールを入れて。以上! 待ってるよ!」

 そう言うと映像のシアンは笑顔で手を振りながら、フッと消えていった。

「あっ! ちょっと待って……」

 あっけなく終了した映像にユリアは戸惑う。

「ブラックホール入れるだけで通信って、シアンさんってすごい方ですね……」

 ネオ・シアンは感心している。

「ブラックホールって……何?」

 ユリアは眉をひそめて聞く。

「宇宙の特異点ですよ。地球をコインの大きさくらいにギュッと潰した奴です」

「いやいやいや、そんなことできないわよ」

 ユリアはあまりに常識はずれな話に思わずのけぞる。

「あ、作らなくてもいいですよ。きっと宇宙にはたくさんマイクロブラックホールが漂っているので、それを一つ捕まえれば」

「え? ど、どうやって捕まえるんですか?」

「ユリア様は神様です。ここにマイクロブラックホールがあるはずだ、と本気で思いこめばそこにやってくるんだと思いますよ?」

「そ、そういうものなの? でもそれって……、すごく危険じゃないですか?」

「そうですね、地面に落としたらこの星全部吸い込まれちゃいますからねぇ」

 ネオ・シアンはうれしそうに言う。

 ユリアは背筋にゾッとするものを感じた。しかし、今さらやめる訳にもいかない。

 大きく息をつくと言った。

「じゃあ、手伝ってくれる?」


         ◇


 ユリアはまず、互換性が出るように必死に宇宙を認識する。ジグラートで見たあの光コンピューターのきらめきが自分を洞窟を、オンテークの森を、森に息づく動物たちを形作っていることを丁寧に想像し、認識した。

 一通り認識し終わると、海王星まで行って確認をする。

 海王星はどこまでも澄みとおる深い碧をたたえ、大宇宙にたたずんでいた。ユリアは静かにその様子を見つめ、そしてジグラートの内部の動作も感じてみる。

 自分が作る世界、間違いがあれば世界そのものが簡単に滅んでしまうだろうし、ジェイドとも二度と会えなくなってしまう。

 ヴィーナに見せてもらった元居た世界のジグラートとの差異がないか、思い出せる範囲で必死に確認を続けていく。そして、最後に大きく息をつくと、ユリアはゆっくりとうなずいた。















4-17. ドラゴンの覚悟


 続いて神殿に戻ってブラックホールを呼んでみる。

 失敗するとこの地球ごと吸い込まれて滅んでしまう危険な試みなので、ネオ・シアンと手順をしっかりと検討し、安全で確実な方法を選んだ。


 スゥ――――、……、フゥ――――。

 スゥ――――、……、フゥ――――。


 ユリアは立方体の前で両手を向かい合わせにし、深呼吸を繰り返すと深層意識に自分を落としていく。

 宇宙が生まれた時にたくさん作られたというマイクロブラックホール。蒸発せずに残っているものをイメージし、それがユリアの手の間にやってくることを認識する。仮想現実の世界に本物のブラックホールを呼ぶわけなので、AR(拡張現実)の逆版のような特殊処理が必要であるが、この辺りは最終形態を認識すれば自動的に補完されていくだろう。何しろユリアはこの世界の在り方を決める神なのだ。


 薄目を開け、深層意識にどっぷりとつかり、虚ろな目で宇宙とシンクロするユリア。

 やがて激しい閃光がバチバチとユリアの両手の間に瞬き、直後、ブゥンという重低音が響いて漆黒の球が手の間に生まれた。その玉の周りは強烈な重力で空間が歪曲し、レンズのように向こう側がゆがんで見えている。

 ユリアは、落とさないように細心の注意を払いながら、そっと立方体の上に開いた穴にブラックホールを合わせ、ゆっくりと下ろしていく。

 すると、ボシュッ! という軽い爆発音とともに激しい光を放った。

「きゃぁ!」

 目がくらんだユリアは思わずのけぞる。

 バリバリバリ! と、激しい衝撃音を放ちながら閃光を放ち続ける立方体。一歩間違えたらこの星全体が吸い込まれかねない、究極の存在であるブラックホールが放つ衝撃に、ユリアは思わず冷や汗が浮かぶ。

「ブラックホールの事象の地平面の向こうは、全ての宇宙の根源に繋がってるんですよ」

 ネオ・シアンはうれしそうに説明してくれる。

 なるほどそういう理屈だというのは良く分かったが、全てを押しつぶす究極の存在をどうやって活用するのかユリアにはさっぱり分からなかった。


 やがて徐々に穏やかになっていく立方体。光がおさまると、供物台の上には四次元超立方体がウネウネと動いていた。それは立方体の中から小さな立方体が現れて新たな大きな立方体に変形していくのを繰り返す、奇妙な物体であり、ユリアは怪訝そうにそれを見つめる。


 いきなり、ガッガ――――ッ! と、ノイズが上がった。そして、


「ユ、ユリア、いるか!?」

 と、ジェイドの声が響く。

「ジェ、ジェイド――――!」

 ユリアは思わず絶叫した。

 そして、

「ジェイドぉぉ……」

 と、うめきながら涙をポロポロとこぼす。

「ユリア! 無事か?」

「うっうっうっ……。ぶ、無事なんかじゃないわ! ジェイドのいない人生なんて生きていけない」

 そう言って顔を覆った。

「そ、そうか……」

「ねぇ、助けて……ジェイド」

 ユリアは疲れ果て、うなだれながら絞り出すようにつぶやく。

 ジェイドは少し考えると隣のシアンに頼む。

「何とかして我をユリアの所へ送ってもらえませんか?」

「この通信はブラックホールを経由して送ってる。人を送るのは到底無理だね」

 シアンは肩をすくめる。

「この世界は情報で出来てるんですよね? だったら我を構成してるデータを伝送すれば行けませんか?」

「理屈上はそうだよ。でも、受信側に身体を再構成するシステムの開発が必要だし、データ量が膨大でこんな音声通信経路で送るのは現実的じゃない」

 シアンは首を振る。

 沈黙が場を支配し、サーッというノイズだけがかすかに響く。

 声しか届かない、宇宙に隔てられた二人。それはむしろ切なさを掻き立てるだけの酷な状況だった。

「ねぇ、ジェイド。私を……温めて……」

 震える声でつぶやくユリア。

「ユリア……」

 ジェイドは悲痛な顔で考えこむ。

 そして、大きく息をつくとシアンに言った。

「魂だけ向こうに送ってください」

「えっ!? 身体を捨てるってこと!?」

 シアンは驚く。

「向こう側でユリアが作った身体に我の魂を送れば、実質行けることになりますよね?」

「そうだけど、身体は魂の容れ物。容れ物が変わったら魂も変質しかねないよ? 自我が崩壊しちゃうかも」

 シアンは渋い顔をする。

「大丈夫です。どんな身体に入っても我は我、ユリアを愛する気持ちは変わりません」

 ジェイドは真剣な目で言い切った。

「宇宙を渡る魂の転送なんてやったこと無いよ? 失敗して狂っちゃうかもよ?」

「ユリアがいない暮らしなど死んだも同じです。問題ないです」

 爽やかに笑うジェイド。

「ジェ、ジェイドぉ……」

 話を聞いていたユリアは、涙をポロポロとこぼしながらジェイドの覚悟に震える。

「分かった! 面白いじゃないか」

 シアンはニヤッと笑う。そして、ユリアに聞く。

「と、いう事だ。ユリア、魂だけのジェイドは受け入れられるか?」

「え?」

 いきなり振られてユリアは悩む。自分の創った身体にジェイドの魂が入ったら、それは本当に今までと同じジェイドになるのだろうか? 変わらず愛しあう事はできるのだろうか?

 ユリアは眉間にしわを寄せ、口を真一文字にキュッとむすんだ。


 だが、彼は自我崩壊のリスクを承知で宇宙を渡ると言っているのだ。その彼の覚悟があればうまくいくに違いないし、自分もその覚悟に応えたい。

 ユリアは手で涙をぬぐうと大きく息をつき、言った。

「大丈夫です。お願いします!」













4-18. プリンセスのキス


 シアンはウンウンとうなずいて言った。

「じゃあ、ジェイドの身体はお願いできるかな?」。

「な、何とか……。こっちに私の創ったシアンさんがいるので、手伝ってもらって創ります」

「へっ!? 僕のコピー? なるほどなるほど……。じゃあ、そっちのシアンちゃん、手伝ってくれるかな?」

 ネオ・シアンはいきなりシアンに呼ばれて緊張した面持ちで答える。

「は、はい! 頑張ります!」

「きゃははは! 同じ声してる!」

 シアンはうれしそうに笑った。

「オッケー! じゃ、二人でジェイドの身体創っておいてね。ちょっとなら自分好みに改造してもいいよ?」

 シアンは余計な事を言う。

「そんな事しません! 忠実に思い出して創ります!」

 ムッとするユリア。

「ふふっ、夜に強くしとくのも……いいよ」

 ニヤけるシアン。

「えっ……? よ、夜……?」

 ユリアは黙り込み、微妙な空気が流れる。

「ちょ、ちょっと待って、何か不満があるなら……改造する前に我に教えてくれ」

 ジェイドが焦る。

「ふ、不満なんて……、ない……のよ?」

 歯切れの悪いユリア。

「その辺は二人で調整して! じゃあ、そっちのシアンちゃん、これから設計図送るからちょっと見てみて」

「わ、わかりました!」

 その後、ネオ・シアンはシアンから伝送に必要な機器の開発の説明を受けていた。


      ◇


 数日後、ユリアの準備する神殿にはベッドが用意され、ジェイドの身体が横たえられていた。

 ジェイドの頭には脳波を測る時に使うような電極が設置され、コードで四次元超立方体へと繋がっている。

「ハーイ! 準備はいいかな?」

 シアンの声が響く。

「はい、言われたように準備しました」

 ユリアが答える。

「では、接続チェック!」

 そう言うと、立方体がウネウネしながら虹色にキラキラと光り、ジェイドの身体が淡く蛍光する。パシパシパシと、シアンが画面をタップしている音が静かな神殿にかすかに響いた。


「ふふっ、ユリア、やるわね」

 シアンはニヤッと笑う。

「え? 何もしてませんけど? これが私の記憶の中のジェイドです」

 ユリアはうれしそうに答える。

「はははっ、まぁ、ジェイドも納得してるなら口出すのは野暮だな。じゃ、行くよ!」

 シアンがそう言うと、立方体はバリバリと音を立てながら激しく閃光を放ち始めた。

 ユリアは手を合わせて必死に祈る。


 しばらく神殿には激しいノイズが響き続け、ユリアは微動だにせずただ祈り続けた。宇宙を越え、ブラックホールからやってくる愛しい人の魂。この想像を絶する挑戦が今、目の前で行われている。

「成功する、成功する、成功する、ジェイドがやってくる……」

 ユリアはブツブツと唱えながらただひたすらに祈り続けた。

 やがて音が止み、

「ハーイ、終わったよー」

 と、シアンの声がする。

 ユリアはバッと立ち上がり、ジェイドを見つめる。しかし、ピクリとも動かない。

 そっとジェイドの手を取って様子を見るが、手にも全く力が入っていない。

「ダメです! ジェイド、動かないわ!」

 ユリアは青くなって叫ぶ。

「王子様が目覚めるにはお姫さまのキスがいるんだよ」

 シアンはニヤニヤしながら言う。

「キ、キス!?」

 目を丸くするユリア。

 ネオ・シアンは気を利かせて目をつぶって向こうを向いた。

 ユリアは大きく息をつくと、ジェイドの頬を心配そうにそっとなで、ジェイドの顔をじっと見つめた。すると、薄目が開いて目が動いたのを見つける。

 ユリアはうれしそうにニコッと笑うと、静かに唇を合わせた。ジェイドは両手でユリアを抱きしめ、会えなかった時の寂しさを埋めるように舌を絡め、それに応えるようにユリアも激しくジェイドを求める。

 会えなかったのはたった数日、でも、それは二人にとっては絶望が心を締め付ける耐え難い時間だった。二人は時間を忘れ、お互いの愛を確認し合う。

 ネオ・シアンはシアンに、

「成功しました」

 と、小声で伝えると、気を利かせて神殿を離れた。













4-19. 病める時も、健やかなる時も


「ハイ、できましたよ。お綺麗です」

 ウェディングドレスを着飾ったユリアのダークブラウンの髪に、ネオ・シアンがティアラを付けながら言った。

 今日は二人の結婚式。ネオ・シアンが全てを整えてくれて、これからチャペルへ行く事になっている。

「うふっ、ありがと!」

 ユリアは鏡を見ながら満足そうに微笑み、純白のタキシードに身を包んで待っているジェイドの所へと行った。

「おまたせー」

「おっ! おぉ……。 ユ、ユリア……綺麗だ……」

 ジェイドは格段に美しくなったユリアを見て感激し、ユリアはちょっと照れて頬を赤らめる。


「それではチャペルへ行きますよ~」

 ネオ・シアンが手を高く掲げ、二人を連れて空間を跳んだ。


 花の咲き誇る庭園の向こうにたたずむチャペルは、気持ちの良い日差しを受けて白く輝いている。そして、その背景には個性的でオシャレな超高層ビル群がずらりとそびえていた。

「わぁ! なんだかすごいチャペルね」

 ユリアはうれしそうに言った。

 百階を超えるビル群は日本のビルと違って途中階にエントランスがある。この星には魔法があるので、自動車もバスも普通に空を飛んでいるのだ。高さ百メートルおきに設けられたエントランスの前には道が作られ、隣のビルとの間を繋いでいる。

 見ると、チャペルも庭園ごと宙に浮いている。超高層ビル群に囲まれた公園の上空にいるらしい。


「さぁ、こちらへ……」

 ネオ・シアンは二人をエスコートする。

 すると、チャペルの入り口の前に老夫婦が立っていた。老夫婦はユリアを見ると温かいまなざしを向け、うれしそうに微笑む。

「えっ!? も、もしかして……」

 ユリアはその見覚えのあるまなざしに思わず駆け出す。近づいて行くと、それはやはり両親だった。

「パパ、ママ――――!」

 ユリアはポロポロと涙を流しながら二人に抱き着いた。

 最後に見た時は三十代だった二人はもう白髪でしわだらけ、だが、優しい微笑みは昔のままだった。もう会うことは叶わないとあきらめていたパパとママに会えて、ユリアは涙が止まらなくなる。

「立派になったねぇ」

 パパはユリアの髪をなでながら優しく語りかける。

「ジェイドに……私の旦那さんに会って欲しかったの……ごめんなさい、遅くなって」

「いいのよ、あなたが幸せなら。それが私たちにとって何よりのことなんだから」

 ママはそう言って、ユリアの頬を流れる涙をそっとハンカチで拭いた。

「もう死んじゃったかと思ってた……」

「あら、もうとっくに死んでるわよ。生きてたら百四十歳越えてるもの」

「えっ!?」

「あの女の子が特別に命のスープに溶けていた私たちを連れて来てくれたの」

 そう言って、ネオ・シアンを指さした。

「本当は良くないんですが、私の独断で呼びました。長時間は無理ですが、短時間なら影響ないかと……」

 シアンは恐る恐る言う。

「ありがとう……」

 ユリアはネオ・シアンにお礼を言うと、両親にジェイドを紹介した。


           ◇


 結婚式が始まった。

 ドラゴンの幼生の化身だという、銀髪碧眼の可愛い幼女がバスケットに入った花びらをパラパラと振りまきながら赤いじゅうたんを歩き、先導する。

 ユリアとパパは腕を組みながら幼女の後ろを歩き、出席の人たちに頭を下げながら進む。そこには最近仲良くなった人たちに加えて、田町の神様たちも揃っていてにこやかに小さく手を振ってくれる。


 正面の段のところまで来ると、老紳士が司会としてジェイドと立っていた。その瞳にはエンペラーグリーンの輝きが見える。

「えっ!?」

 思わず目を見開くユリア。

「ユリア、おめでとう」

 髪はすっかり真っ白となってしまったが、それはアルシェだった。

「ア、アルシェ……」

 ユリアはアルシェの手を取ってポロリと涙をこぼした。

「美しい……。君はあの日のままじゃのう」

 アルシェも涙ぐんで言った。

「この国をこんなに発展させてくれてありがとう。途中で放り出したみたいになってしまって悪かったわ」

 ユリアは謝る。

「いやいや、ユリアの構想が良かったんじゃよ。ワシはただそれを愚直になぞっただけじゃ」

「でも、銅像、見たわよ。今もみんなに愛されているじゃない」

「何言っとるんじゃ。ユリアたちの方が余程愛されとるよ。見てごらん」

 そう言ってアルシェは壇上に大きく飾られた国旗を指さした。国旗には法衣をまとった女性と火を噴くドラゴンが描かれている。

「えっ!? これ、私たちなの!?」

「そう、君たちはこの国の誇りであり、象徴なんじゃ」

 アルシェはニッコリとほほ笑んだ。

 ユリアはジェイドと目を見合わせて苦笑する。まさか百年放っておいた自分たちを覚えている人がいるなんて、それも国旗になるレベルで残っているとは想像もしなかったのだ。

「大聖女とドラゴンが国を統一し、王制を廃し、先進的な民主主義へ移行して我々の発展がはじまった。この国の教科書の最初に書いてある事じゃよ」

「きょ、教科書に!?」

 目を丸くするユリア。

「はっはっは。クーデターを持ちかけられた時はこんなことになるなんて、思いもせんかったよ」

「無理を聞いてもらって……。悪かったわ」

「いやいや、正解じゃったよ……」

 アルシェは目を細める。そして大きく息をつくと、

「それでは結婚式を始めよう」

 張りのある声でそう言った。

 そして、二人を並ばせて開式を宣言する。

「新郎ジェイド、あなたはユリアを、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

「誓います」

 うなずくアルシェ。

「新婦ユリア、あなたはジェイドを病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」

 ユリアはジェイドをじっと見つめ、

「誓います」

 と、ニッコリと笑った。

 そして、指輪を交換し、誓いの口づけをする。


 パチパチパチパチ

 列席のみんなから祝福を受け、二人は正式に夫婦となったのだった。




















4-20. 空飛ぶオープンカー


 チャペルを出ると、オープンカーが二人を待っていた。

「えっ!? 何これ?」

 驚くユリア。

「何って、これからパレードですよ」

 ネオ・シアンはニコッと笑って言う。


 うわぁぁぁぁぁぁぁ! うぉぉぉぉぉぉ!

 まるでサッカースタジアムでゴールが決まった時の様な、怒涛の歓声が高層ビル群に響き渡った。

「えっ!?」

 驚いて見回すと、なんと、周り一面人人人……。高層ビル間の道も公園の中も周りの道も全部人で埋め尽くされていた。そして、みんなユリアとジェイドの描かれた小さな国旗を手に振っている。

「ど、どういうこと?」

 唖然としていると、パリッとしたスーツを着た青年がやってきて言う。

「第三十一代大統領のアルシェ・リヴァルタ三世です。本日はご結婚おめでとうございます。国民が皆お祝いしたいと今日は詰めかけております。ぜひ、一周して手を振っていただけませんか?」

「だ、大統領……。あ、そ、そう? まぁ、手を振るだけなら……」

 ユリアはジェイドと顔を見合わせながら答えた。

「ありがとうございます。光栄です。では、お願いします」

 そう言って大統領はうやうやしくオープンカーのドアを開ける。

 ユリアたちは困惑しながらオープンカーに乗り込んだ。


 パァ――――!

 クラクションが鳴らされ、オープンカーは浮かび上がる。


 うぉぉぉぉぉぉ!

 ひときわ高い歓声が上がった。

 オープンカーはゆっくりと高層ビル群の周囲を飛び、ユリアは戸惑いながら手を振って観衆に応えていく。

 思えば数カ月前、追放された時は群衆に襲われ石を投げられ、ケガまでしたのだった。でも、今は伝説の存在としてこんなに多くの人たちに祝われている。それは複雑な気分だった。

 次々とそびえたつ巨大な高層ビルの脇をゆっくりと飛びながら、ふとユリアは思った。違いがあるとすれば自分の頭と足で行動したかどうかなのではないだろうか?

 数カ月前までは言われたことを淡々とこなしているだけだった。朝早く起きてお祈り、勉強、礼儀作法の研修、神聖魔法の練習、それは自分が決めたことではなかった。大変ではあったが言われたことをやっていただけだった。結果、利用され追放された。

 でも、追放後は道なき道を自分で考え、必死に行動してきた。その主体性、自分の人生を自分で切り開く覚悟と信念、そして、頼れる理解者……。

「そうか……」

 その瞬間、この宇宙の意味も全て分かってしまった。

 宇宙とは、誰しも自分を中心に展開していくものなのだ。世界は自分が認識するから存在し、自分の思い描いたように成長していく。自分の心と調和しながら正しく認識し、真っ直ぐに生きること、それが自分を、自分の世界を豊かにしていくのだ。

 ユリアは目をつぶり、この数カ月の苦闘を思い出しながら感慨にふける。

 そして、ジェイドの手を取ると立ち上がった。

「ジェイド、ドラゴンになって」

「えっ!?」

 どういうことか分からず困惑するジェイド。

「来てくれた人に本当のあなたを見せつけてやるのよ」

 ユリアはニヤッと笑い、居心地悪そうに縮こまって手を振っていたジェイドは、少し思案すると、

「うちの奥さんはさすがだな」

 と、うれしそうに笑い、ツーっと上空へと飛ぶ。

 そして、ボン! と爆発すると巨大なドラゴンの姿となる。厳ついウロコに覆われ、雄大な翼を揺らし、巨大な赤い瞳でギョロリと辺りを睥睨へいげいした。


 うわぁぁぁぁぁぁぁ!

 数十万人は初めて見る本物のドラゴンに歓喜する。二万人の軍隊と戦って余裕で勝利し、国の礎を築いたという、教科書で見た伝説のドラゴンである。皆大喜びで小旗を振った。


 ユリアはピョンと跳びあがるとドラゴンの後頭部に乗り、純白のウェディングドレスをはためかせながら、

「さぁ、レッツゴー!」

 と、こぶしを高く突き上げた。


 ギュアァァァ!


 ドラゴンの咆哮はまるで地響きのような重低音となって摩天楼群にこだまし、観衆は圧倒される。

 そしてバッサバッサと翼をはばたかせながら摩天楼群を一周すると、上空に向けて巨大な口をパカッと開き、直後、超ド級の火魔法を放った。

 上空で激しい閃光を伴いながら大爆発を起こした魔法はズン! という衝撃音で摩天楼を揺らす。

 その、けた外れの迫力に観衆は一瞬静まり返り、そしてどよめきが広がった。













4-21. 限りなくにぎやかな未来


 最後にチャペルのそばを飛ぶ。

 ユリアはみんなに手を振ると、パパ、ママ、アルシェは笑顔で手を振り返してくれて、その後スーッと消えていった。帰る時間が来てしまったらしい。

「あっ! あぁ……、もっとお話ししたかったのに……」

 しばらくうつむき、涙をポロポロとこぼすユリア。

 やがて、大きく息をつくと、涙を拭きながら、

「じゃ、おうちへ帰ろうか?」

 そう言ってジェイドのトゲ状のウロコを抱きしめた。

「おうちでいいのか?」

「ハネムーンは落ち着いてから行きましょ。スイートホームが一番だもの」

「分かった」

 そう言うとジェイドは全身を青白い光で覆い、一気に上空へと加速して行った。ほどなく音速を超え、ドン! という衝撃波が摩天楼群に響き渡る。

 観衆は両手を合わせ、輝きながら超音速で消えていく二人を見送った。


       ◇


 気持ちの良い青空の中、二人は雲を超えながらゆったりと飛んだ。

「ジェイド、ずっと一緒にいてね」

 ユリアは遠くに見えてきた雄大な火山、オンテークを見ながら言う。

「もちろん。この命続く限り」

 そう言うとジェイドは力強くバサッバサッっと羽ばたいた。

「うふふ、ありがと」

 見ると、後ろから金色の光を放ちながら誰かが追いかけてくる。何だろうと思っていると、それはドラゴンだった。

 ドラゴンには田町の神様たちが乗り、手を振っている。

 中には結婚式で先導してくれたプニプニとした頬の幼女もいた。

 二頭のドラゴンは広大な森の上空でしばらくランデブー飛行をする。

「あの子可愛いわよね。私も欲しいな」

 銀髪を揺らしながら手を振る幼女を見て、ユリアはうれしそうに言った。

「子供か、我も欲しいな」

「ふふっ、どんな子が生まれるかしら」

 やがて、向こうのドラゴンが離れて行き、ユリアは大きく手を振る。

 直後、激しい閃光を放つと、ドラゴンはピュルルルと奇怪な電子音をあげながら光速で消えていった。


 ユリアは彼らの消えていった方向を眺めながらつぶやく。

「ジェイドの子なら黒髪で、目がクリッとしていて、賢くて優しい子に違いないわ……」

 そして、ジェイドのトゲにしがみつき、目をつぶって幸せそうに上機嫌で続ける。

「そんな可愛い子が『ママ!』とか言って抱き着いてくるんでしょ? 最高じゃない!」

 すると、

 ボン!

 という音がして、ユリアの前に何かが現れた。


「マンマ!」

 と、つぶらな瞳の赤ちゃんがユリアにニッコリと笑いかけている。

「へっ!?」

 ユリアはその黒髪の可愛い赤ちゃんを見て驚く。

「マンマ!」

 赤ちゃんはニコニコしながらユリアに両手を伸ばした。

「え? あなたまさか……」

 ユリアは呆然としながら赤ちゃんに手を伸ばす。

「ユリアどうした?」

 ジェイドが聞いてくる。

「ごめんなさい、もう赤ちゃん産まれちゃった……」

 そう言いながらユリアは恐る恐る赤ちゃんを抱き上げる。

 ふんわりと漂ってくるミルクの香り。

 ユリアは優しく抱きしめ、そのプニプニの頬に頬ずりをする。

 すると、赤ちゃんの無垢な柔らかい心がユリアの深層意識に流れ込んできた。

「うわぁ……」

 その温かい心を感じながら、間違いなくこれは自分とジェイドの子だとユリアは確信する。


「産まれたって……どういうこと?」

 ジェイドはまだ理解できない。

「二人の愛の結晶よ。私、自分が神様だってこと忘れてたわ……」

 キャッキャッキャッ!

 赤ちゃんはうれしそうに手足をばたつかせる。

「ジェイド! ハネムーンは取りやめ! 育児するわよ!」

 ユリアはそう言って赤ちゃんをギュッと抱きしめ、幸せそうに微笑んだ。

「い、育児……、ユリアといると退屈しないな」

 そう言って笑うジェイド。


 やがて見えてきたスイートホーム。

 今日から神様と、ドラゴンと、赤ちゃんのにぎやかな暮らしが始まるのだ。

「あそこがおうちですよ~」

 ユリアは赤ちゃんに洞窟を見せ、赤ちゃんはキャッキャッ! とうれしそうに笑った。



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