追放大聖女、ざまぁしてたら日本に呼ばれた件 【やや濃縮版】

月城 友麻 (deep child)

第1章 追放大聖女

第1章 追放大聖女

1-1. ワナに堕ちた大聖女


「大聖女! 貴様は追放だ――――!」

 きらびやかな王宮、その大広間の壇上で国王が大聖女ユリアを指さし、真っ赤な顔でえた。

 列席の正装をした王侯貴族たちは静まり返り、お互いの顔を見合わせながら困惑の表情を浮かべている。


 今日は王国の大切な儀式『蒼天の儀』の日。それは国内外から多くの賓客ひんきゃくを招き、神に祝福された大聖女がそのけた外れな神聖力で街を聖結界で覆い、魔をはらう神聖な儀式だった。

 ところが、ユリアは国宝『蒼天の杖』を無くし、壇上に手ぶらで現れたかと思うと、神聖力を全く出せないまま、結界を張るポーズを無様に繰り返すばかり。


 王家の威信をかけた儀式を潰された国王の怒りはすさまじく、静まり返った大広間には緊張が走っていた。


「お、お待ちください! これは何かの間違い……」

 金の刺繍が施された純白の法衣をまとった十六歳の少女ユリアは、真っ青になって国王に近づこうとする。ダークブラウンの髪に健康的な艶やかな肌、そして整った目鼻立ちの美しい少女は眉をひそめ、目に涙を浮かべながら、とりなそうと必死だった。

 さっきまで蒼天の杖は持っていたし、神聖力も普通にあった。それが控室でお茶を飲んだ直後、強烈な眠気に襲われ、気がついたら壇上に引っ張り出されていてこんな事になってしまっていたのだ。杖無しでも結界は十分張れるはずだったが、神聖力まで奪われていたとは想像もしていなかった。

 騎士たちが一斉にユリアを囲み、捕縛ほばくする。

「ひったてろ!」

 国王はアゴで出口を指し、騎士たちはユリアの両手をガッシリとつかんだまま引きずっていく。

「い、いやぁ! やめてぇ!」

 ユリアは悲痛な叫びを上げるが、出席者たちはただ冷たい視線を投げかけるだけで、引きずられていくユリアを傍観していた。

 ユリアは、離れたところで伏し目がちに見ている、幼なじみで男性従者のティモを見つける。

「ティモ! 助けて! ティモ――――!」

 しかし、ティモはくるりと背を向けると、何も言わずに逃げ出してしまった。

「えっ! な、なんで……」

 唖然とするユリア。

 物心ついた時から一緒だったティモ、自分の事を一番分かってくれているはずのティモに逃げられてしまったことにユリアは愕然がくぜんとし、口を開けたまま言葉を失った。

「お前たち、待て!」

 豪奢な純白のジャケットを着た金髪の少年が飛び出し、両手を広げ、ユリアを引きずる騎士の行く手を阻む。透き通るような白い肌に凛とした鼻筋、そして王家の血筋を示すエンペラーグリーンに輝く瞳……、少年は第二王子だった。

「大聖女さまは何かの間違いだとおっしゃっている。まず調査が先だろう!」

 少年は毅然きぜんと言い放つ。

 ユリアは泣きそうな顔でこの美しい少年を見つめた。

 すると、同じく純白のジャケットを着た男がニヤニヤしながら少年に近づいた。

「なんだ? お前、コイツにれてんのか?」

「ほ、惚れてるとかどうかじゃなく、一度の失敗で追放なんて……」

 少年はちょっと頬を赤らめながら言い返す。

「国宝を無くし、大切な儀式をぶち壊し、神聖力も失った小娘を大聖女になど、もはや誰も認めんよ」

 男は汚らわしいものを見るかのようにユリアを一瞥してそう言うと、少年をにらんだ。男は少年の兄、第一王子だった。

「いや、でも……」

 口ごもる少年。

「俺はこんな黒髪の田舎娘が大聖女だなんておかしいと思ってたんだ。父上の命令は絶対だ。文句は許さん……。いいからどけ!」

 男は少年を突き飛ばした。

 ぐはぁ!

 少年は無様に転がり……、細い腕で身を起こしながらその美しい顔を歪める。

 男はフンッと鼻で笑うと、アゴでユリアの連行を指示した。


「い、いやぁぁぁ!」

 大広間にユリアの悲痛な声が響き、そして連れ出されていく……。

 ザワザワとする大広間、その中で一人ニヤけている女がいた。聖女ゲーザだった。ゲーザは美しい銀髪を編み込んでオフホワイトの法衣をまとい、整った目鼻立ちに白い肌、そして果物のようなプックリとした紅い唇……、しかし、そのあおい瞳の奥にはかすかにくらい情念が揺れている。

 ゲーザはでっぷりと太った教皇の隣で、ユリアの連行を眺めながらその美貌びぼうに似合わぬいやらしい笑みを浮かべていた。





1-2. 色仕掛けの聖女


 ギギ――――、ガチャン!


 地下の牢獄で、錆びた鉄格子の扉が閉められる。

 ユリアは冷たい石の床に転がされ、あまりのことに思わず涙をこぼした。

 今朝までは宮殿の最上階の部屋で最上級の待遇を受けていた、王国のシンボルだったユリア。それが今、地下牢でこんな扱いを受けるまでに転落してしまったのだ。

「なぜ……、こんなことに……」

 ユリアは頬を涙で濡らしながら控室の事を思い返していた。


 昼食後、控室に通されてティモが運んできたお茶を飲んで……、その時になぜか急に眠くなって……、気がつくと杖は消えていたのだった。思えばこの時に神聖力も奪われていたのだ。

 この時に誰かに杖を盗まれたのだろう。しかし、こんな事ができるのはティモくらい。

「まさか……」

 ユリアは頭を抱えた。

 ティモがやったとは考えたくない。しかし……、彼が犯人としか考えられなかった。睡眠薬を盛られ、好きにやられたのだろう。


 ユリアは起き上がると、試しに手のひらを向かい合わせて神聖力を出してみる……。しかし……、極わずかの神聖力しか現れなかった。今朝までだったら無限とも思える神聖力が現れてまぶしく手の中で光り輝いていたのに。それが今ではほのかに夜光塗料のような光がうっすらと見えるだけになってしまっている。


「どうしちゃったの……? 私……」


 ユリアはガックリとうなだれ、ポトポトと流れ落ちる涙をふきもせず、ただ底の見えない漆黒の絶望に囚われていた。


      ◇


 カツカツカツ……。


 ユリアが冷たい岩の床に横たわって動けずにいると、足音が聞こえてきた。

 やがて足音はユリアの牢の前で止まる……。


「いい気味だわ」

 若い女の声がして、ユリアはそっと目を開く。牢を照らすほのかな魔法ランプの明かりに浮かび上がったのはゲーザだった。

 ユリアは何も言えず、ぼーっとゲーザの顔を見ていた。

「みんな清々してたわ。黒髪の田舎者が大聖女だなんて、あってはならないことなのよ」

「あなたがやったの!?」

 ユリアはバッと身を起こすと、鉄格子を握って叫んだ。

「ふふっ、ティモをね、ちょっと誘ってみたの。そしたらあの子相当欲求不満だったわよ。犬みたいに必死に腰振って……、私の上で何度も果ててたわ」

 うれしそうに報告するゲーザ。

「う、嘘よ! ティモに限ってそんな!」

「バカね。若い男の性欲をなめてるからよ。それが田舎娘の限界だわ」

「せ、性欲って……」

 ユリアは赤くなってうつむく……。

「これ、なーんだ?」

 そう言ってゲーザは『蒼天の杖』を出した。

「あっ! 私の杖!」

 ユリアは鉄格子のすき間から手を伸ばして奪おうとしたが、ゲーザはギリギリ届かない位置で杖を揺らし、見せびらかす。

「この杖は見た目を作り変えて私の杖になるのよ。大聖女の私にピッタリの杖にね」

「だ、大聖女?」

「そう、次期大聖女は私って教皇は約束してくれてるの」

 いやらしい顔で笑うゲーザ。

「ま、まさか……、教皇様にも色仕掛けを……」

「男なんてね、股を開けば何でも言うこと聞いてくれるのよ。あいつらの頭の中にはセックスしかないんだから」

 そう言ってケラケラと笑った。

「な、なんてことを……。でもあなたに大聖女なんて無理よ。街を守る結界なんてあなたには作れないわ!」

「そんなの作らなくていいのよ。見た目が結界っぽかったら誰も気づかないわ」

「何を言ってるの!? 魔物が街を襲ってきたらどうするつもり!?」

「そんなの軍隊の仕事よ。私はこの杖でそれっぽい事だけしてればいいの。後は教皇が何とかしてくれるわ」

 ゲーザは杖をなでながらニヤニヤする。

「ダメ! 大聖女の仕事はそんなんじゃないのよ! 大聖女なめないで!」

 必死に叫ぶユリア。

「はっはっは。何と叫ぼうがあなたには何もできないわ」

 クッ……。

 うなだれるユリア。

「ふふっ、ティモにはこれからごほうびを上げる約束になってるのよ」

 ゲーザはいやらしい顔で笑った。

「ティモに……何を?」

「あいつが今一番欲しもの……、コレよ」

 ゲーザはそう言って法衣の上から自分の股間を触り、いやらしい目をしながらくちびるをゆっくりとなめた。

「ウソよ!」

 ユリアはそう言うと、目をつぶって首を振り……、そのままがっくりと肩を落とした。

 ティモは生まれてからずっと一緒だった幼なじみ。大聖女になった時に従者として王都にまで一緒についてきてもらうくらい信頼してたし、話の合わない宮殿の人たちの中で、唯一本音で話せる仲間だったのだ。でも、そう思っていたのは自分だけだったらしい。ティモの中に芽生えていた心の闇になぜ自分は気づかなかったのか。

 ユリアはあまりのことに気が遠くなり、がくっとひざから崩れ、冷たい床にペタリと座りこんだ。


「でもあいつ下手くそなのよね……、ま、しょうがないけどっ」

 ゲーザは勝ち誇ったようにそう言うと、うなだれるユリアを見てしゃがみこむ。

 そして、いやらしい目をして小声で言った。

「あんた、他人のことより自分のこと心配しなさいよ。追放先は極北の強制収容所をお願いしておいたわ」

「えっ!? 強制収容所!? そんなの死んじゃうわ!」

 目に涙をためながら叫ぶユリア。

 ゲーザはそんなユリアを満足そうにニヤニヤしながら見て、

 はーはっはっは!

 と、高笑いしながら靴音を高く響かせ、去って行った。


 ユリアはティモのことも自分のこともぐちゃぐちゃになって、不安と絶望のあまり崩れ落ち、硬く冷たい床にゴロンと転がった。


 どこかでピチョン、ピチョンと水滴が落ちる音が、いつまでも響き続けていた。






1-3. 公爵派の陰謀


 コツコツコツ……。


 夜半、ユリアが牢の寒さに震えていると誰かが入ってくる。

 そっと目を開けると、金髪の少年……第二王子のアルシェだった。


「ア、アルシェ……。こんな所に、いけません!」

 ユリアは飛び上がり、鉄格子をつかんで叫ぶ。

「ユリア……。こんな所に……」

 アルシェは暗く冷たい牢獄の中を見回し……、ユリアの手にそっと手を重ね、涙で潤む目でユリアを見つめた。


 アルシェの手の温かさが心にみたユリアは、湧き上がってくる悲しみをこらえきれずポロポロと涙をこぼす。

 そんなユリアの手を優しくさすりながら、アルシェは悲しそうな目でユリアを静かに見つめた。


「うっうっ……ゲーザたちに……はめられました……。蒼天の杖も……彼女が持ってます」

「ゲ、ゲーザ!? ……。そうか……、そういうことか……」

 アルシェはそう言って眉をひそめ、思索に沈む。

「私を強制収容所送りにするって……、うわぁぁぁ!」

 ユリアは激しく泣き始める。

「大丈夫、そんなことさせないから!」

 アルシェはユリアの手をギュッとにぎって、力強く言った。

 牢屋にはしばらくユリアの泣き声が響きわたる……。


「公爵派の陰謀だろう」

 ユリアが落ち着くのを待って、アルシェが言った。

 ヒック、ヒックとしゃくりあげながら、ユリアは涙でぐちゃぐちゃになった顔でアルシェを見つめる。

「こ、公爵派……?」

「そう、王国は多くの王侯貴族の連合体。王家でも絶対権力者じゃないんだ。そして、最近公爵派が攻勢を強めている。『蒼天の儀』を失敗させれば王家の威信は揺らぐから、公爵派にとっては都合がいいだろう」

「ゲーザが……公爵派?」

「実は少し前にゲーザが魔法の勉強会に誘ってきたんだ。でも、出席者を調べたら明らかに公爵派だったので断ったんだ」

「危なかったですね……。何とか……ゲーザを捕まえられないかしら?」

「うーん、証拠があれば……。ある?」

 ユリアは必死に考えるが、物証など思いつかなかった。

「証拠は……むずかしいわ……」

 ユリアは肩を落とす。

「そうだよね……。分かった。僕ができること考えてみるよ。これは差し入れ」

 そう言ってアルシェは食べ物と毛布を鉄格子の間から差し出した。

「ありがとう……」

 ユリアは受け取って、アルシェの手を握る。

 二人はしばらく見つめ合った。二人を隔てるのは数本の鉄の棒。でも、この鉄の棒で仕切られた二つの世界には絶望的な断絶があった。

「こんな事しかできずにゴメン……」

「ううん、ありがとう……」

 ユリアは涙を浮かべてギュッとアルシェの手を握りなおす。

 王子が夜中に差し入れを用意し、身の危険を冒して秘かに牢屋までやってくる、それは簡単なことではない。ユリアはアルシェの気持ちの温かさに救われる思いがして、またポトリと涙をこぼした。


        ◇


 その頃、東京の田町にある高級マンションの最上階、メゾネットタイプの広いリビングで、美しい女性が物憂げに画面を見ていた。画面には各星から上がってくるニュースが流れ、女性はつらつらとスクロールしていく。

 すると、ユリアが涙をポロポロ流している映像が出てきて、スクロールを止めた。


「ん? これ、どうなってんの?」

 チェストナットブラウンの髪をゆらしながら目を細めて画面に近づき、しばらく眺めると画面をパシパシと叩く。そして、ずらずらと出てくる関連情報に見入った。

「ルドヴィカ……、あいつか……」

 そう言うと大きく息をつく。

 女性はしばらく何かを考えると、おもむろに初老の男性のアイコンを押した。

「陛下、お呼びですか?」

 画面から誠実そうな声が響く。

「キナ臭い奴見つけたわ。ルドヴィカ。ちょっと洗ってくれる? それからそこの大聖女がかわいそうだから、さりげなく助けてやって」

「かしこまりました」

 男性はうやうやしく答える。

「じゃ、ヨロシクー」

 そう言って通話を切った女性は、腕時計をチラッと見ると、焦って言った。

「ヤバいヤバい、遅れちゃう!」

 彼女はクローゼットからブラウンのジャケットを取り出してはおり、バッグを持ってベランダに出る。

 そして、

「それっ!」

 と、掛け声をかけながら軽く地面を蹴って跳びあがり、ツーっとそのまま上空へと飛んで行った。

 赤くライトアップされた綺麗な東京タワーの脇を、どんどんと高度を上げて行く。虎ノ門から新橋、汐留に続く高層ビル群が演出する東京の夜は、とても賑やかできらびやかに見える。さっき上がったばかりの雨は東京の夜を艶やかにいつもより輝かせ、女性は楽しそうにさらに速度を上げていった。


       ◇


 翌朝、憲兵たちがドヤドヤと牢屋に入ってきて、ユリアを後ろ手に縛り、粗末な馬車に手荒く乗せた。

 馬車が動き始め、王宮の門を抜けると、待っていた群衆が険しい顔をして馬車を取り囲む。

「詐欺師ユリアを許すな!」「ユリアを出せ!」

 なんと、ユリアをリンチにかけたい怒りに燃えた群衆だったのだ。


 ガンガン! と馬車を叩く音が響く。


 ユリアは真っ青になって両手で耳を押さえ、かがんだ。街の人のために今まで大聖女として二年間、言いつけ通りに日々祈りをささげ、結界を維持してきたというのに、なぜこんな仕打ちを受けるのか、ユリアは胃がキリキリと痛み、絶望で吐き気を催す。


「お前ら離れろ!」「妨害するなら斬るぞ!」

 騎士たちが群衆に向かって剣を抜き、凄む。

 馬にムチが入り、馬車は強引に動き出した。

 しかし、今度は投石が馬車を襲う。馬車にガン! ガン! と次々と当たり、そのうちの一つが窓ガラスを破り、破片が車内に飛び散った。その一つが、かがんでいたユリアの頬を切る。

 タラリと垂れてくる鮮血……。

「えっ!?」

 ユリアは手の甲にポトリと落ちた真紅のしずくに、思わず息を飲む。慌てて治癒の魔法を使おうとしたが……、神聖力は湧き起こらず、傷はいやせなかった。

 はぁぁ……。

 ユリアは声にならないうめきを漏らすと、そのままバタリと床に崩れ落ちてしまった……。







1-4. 破られたブラウス


 その日は馬を替えながら一日中走り続けた。ユリアはガラスのなくなった車窓から、夕方の黄色に染まっていく風景を暗い顔でボーっと眺める。

 すると、見慣れた小さな山が見えてきた。

 その山は小さいころティモと一緒によく遊んだ遊び場だった。確か犬くらいの大きさの傷ついたトカゲの幼生をティモが見つけて、ユリアが治癒魔法で治してあげたりしたのもあの山だった。今思えば、小さな羽が生えていたのでワイバーンの幼生だったのかもしれない。あの頃は毎日朝から晩までティモと一緒に野山を駆け回って、毎日が楽しい冒険だった。


「ティモ……」

 ユリアはティモに裏切られたことを思い出し、涙をポロリとこぼした。ティモがゲーザの色仕掛けに堕ちたということは、そういうことに興味がある歳になっていたということなのだ。なのにユリアはそういうティモの成長を無視し、いつまでも子供の関係を維持し続けようとしていた。もちろん、背も高くなり、ヒゲも生えてきたティモの変化に気づかない訳ではなかったが、ユリアには大聖女の仕事のことしか頭になかったのだ。従者としていつもそばに置きながら距離を保つユリアのやり方を、生殺しだと恨んでいたのかも知れない。しかし、ティモと男女の関係になることはとても想像もできなかった。

 ユリアがどうしようもない事を延々と考えていると、ジフの街に馬車は進んでいく。石造りの大きな城門をくぐり、馬のひづめが石畳をパカパカと叩く音が街に響いた。

 やがて見えてきた大きな屋敷の前で馬車は止まる。領主の屋敷についたのだ。優美な曲線を描く鉄のフェンスに囲まれた屋敷は、手入れされた植木の庭園に囲まれ、ジフの街の中心部に潤いを与えていた。

 ユリアはまた縄で後ろ手に縛られ、離れの二階まで連行されていく。


 男はドアを開けるとユリアを突き飛ばし、身体をなめ回すように見ると、含みのあるいやらしい笑みをニヤッと浮かべた。そして、

「お前はこの部屋から出てはならん。外出禁止処分だ」

 と言うと、ドアを閉め、ガチャリとカギをかけて降りて行く。


 部屋には質素なベッドとほこりをかぶった古い家具がいくつか並ぶだけ。当面ここで暮らさねばらないのかと思うとユリアはゲンナリし、ベッドにそのまま倒れ込んだ。

 男は縄を解いてくれなかった。きっと誰かが解いてくれるのだろうと思ってしばらく待っていたが、誰も現れない。窓から夕焼け空の美しい茜色が見えるが、その美しい色もユリアには何の慰めにもならなかった。


 憔悴しょうすいしきっていると誰かが階段を上ってくる。


 ガチャリ!


 カギが開けられドアが開いた。

 現れたのは中年で小太りの男、領主のザロモだった。

 ザロモは脂ぎった顔で、几帳面に整えたひげを指先でいじりながら、ベッドのユリアを見下ろす。

「りょ、領主様……」

 ユリアはあわてて立ち上がった。

 ザロモはユリアが大聖女として選ばれた時、まるで自分のことのように喜び、いろいろと良くしてくれた男だった。ユリアはホッとしてザロモに微笑む。

 ところが、ザロモはカツカツとユリアに近づくと、手のひらでユリアのアゴを持ち上げ、じーっとユリアの顔を眺める。

「りょ、領主様?」

 ユリアは朝に切った頬の傷が痛み、顔を歪めた。

「お前、大変なことをしてくれたな……」

 ザロモはそう言うとユリアを鋭い目でにらんだ。

「えっ!? 今回の事は公爵派の陰謀です! 私は利用されたのです!」

 味方になってくれると思っていたザロモににらまれ、ユリアは焦る。

「ジフの街の代表として、お前を大々的に王都に送り込んだ俺の顔に泥を塗りやがって!」

 ザロモはそう言うとユリアをベッドに突き飛ばした。

 きゃぁ!

 後ろ手に縛られたままのユリアはなすすべもなくベッドに転がった。

「お前の身体で払ってもらうしかないな……」

 ザロモはユリアに近づき、ブラウスに手をかけると、一気にビリビリと音を立てながら引き裂いた。

「いやぁ! やめてぇ!」

 必死に逃げようとするユリアだったが、後ろ手に縛られていてうまく逃げられない。

「貧相な身体だな。揉んで育ててやろう。暴れるんじゃねーぞ」

 ザロモはいやらしい顔でスカートをたくし上げると、ショーツに手をかけた。

「や、止めてください! いやぁぁぁ!」

 ベッドの上を必死に逃げるユリア。


 パン!

 ザロモはユリアの頬を平手打ちした。

「おとなしくしてろ! お前なんてもう男を喜ばせるくらいしか使い道が無いんだ」

 ユリアはあの優しかった男の豹変ひょうへんに驚き、そして、自分はもう娼婦同然なのだという言葉に涙が止まらなくなる。

 堕ちるところまで堕ちてしまった……。

 ユリアはその理不尽な運命を呪った。














1-5. 不可思議な青年


 泣きぬれるユリアをいやらしい笑みで見下ろすザロモ。

 そして、彼はショーツを力任せに引っ張り、ビリビリと破きながらはぎ取った。


「いやぁ!」

 ユリアは必死に転がって逃げる。


「いい加減観念しろ!」

 ザロモはユリアの両足をつかむと引っ張り持ち上げる。

 もはや猶予はなかった。

 自分は冤罪えんざいなのだからアルシェがいつか迎えに来てくれるはず。こんな所で大聖女として守ってきた純潔を穢されてしまう訳にはいかないのだった。

「やめてぇ!」

 ユリアは思いっきりザロモを蹴り飛ばす。


 ぐはっ!

 もんどり打って転がるザロモ……。

 フーフーというユリアの荒い息が静かに部屋に響いた。


 ザロモはパンパンと服のほこりを叩きながら起き上がる。

 そして、真っ赤になってユリアをにらみつけた。

「お前の両親を王族侮辱罪で投獄してもいいんだぞ?」

「えっ!?」

 ユリアは息をのんだ。

「お前の親の処遇を決めるのは俺だからな!」

 ザロモはユリアに近寄ると勝ち誇ったように見下ろした。

「パパママは関係ないわ!」

 そう叫ぶユリアだったが、領主の横暴を止める手立てがないのも分かっていた。

「よーく考えろよ?」

 ザロモはいやらしい笑みを浮かべながらズボンを下ろす。

 ユリアは奥歯をギリッと鳴らし、動けなくなった。たっぷりと愛情をこめて育ててくれたパパとママ……。親不孝など絶対できないのだ。

「痛いのは最初だけだ。そのうち欲しくなってお前の方からせがんでくるようになる」

 ザロモは再度ユリアの両足を持ち上げた。


 ユリアの嗚咽おえつが部屋に響く。

「さーて、どんな声で鳴くのかな……」

 そう言いながらザロモが両足を広げた時だった。


 誰かが後ろからザロモの股間を蹴り上げる。

 ぐわっ!

 悲痛な声をあげながらザロモは床に倒れ込んだ。


「えっ!?」

 ユリアが目を開けると、そこにはグレーのシャツに黒いジャケットを羽織ったスレンダーな長身の青年が立っていた。ショートカットの黒髪に印象的な切れ長の目と高い鼻、まるで俳優のような華のあるいで立ちだった。

 ユリアは急いで足を閉じ、破けたシャツで胸を隠す。

 すると青年はジャケットを脱いでそっとユリアにかけ、

「もう……、大丈夫だよ……」

 そう言いながらじっとユリアを見つめた。アンバーの瞳の奥にはゆらりと真紅の炎が揺れる。

 そして青年はユリアの前にひざまずき、そっと手を取ると、甲に優しく口づけをした。

「えっ!?」


 カチッ


 ユリアはその瞬間、自分の中で何かのスイッチが入った音を聞く。ユリアは何かを言おうと思ったが、言葉にならず、ただ、青年の美しい瞳に吸い込まれるように見入っていた。

 真紅の炎が揺れる瞳……、ユリアは見覚えのある懐かしさを感じたが、それが何だったのかは思い出せない。


「我と一緒に……来るか……?」

 青年は優しい笑みを浮かべる。


 ユリアはどういうことか一瞬混乱したが、ここにいたらレイプされてしまう以上、彼についていく以外道はなかった。

 ユリアは困惑した表情を浮かべながら、ゆっくりとうなずく。


「ふざけんなこの野郎!」

 ザロモが木の椅子を振り上げ、そのまま青年の後頭部に打ちおろした。


 激しい音を立て、砕けながら飛び散る椅子……。普通の人間なら即死の勢いである。

 しかし、青年は全く意にも介さずに、スクッと立ちあがり、ザロモの方を向く。

 後頭部をクリーンヒットしたのに効果なし、ザロモはその想定外の出来事にゾッとして、思わず後ずさった。これはつまり、青年は人間ではない、人智の及ばない存在だということなのだ。

「殺しておくか……」

 青年はそう言うと腕に赤い光をまとわせ、振り上げた。

「ま、待って! 殺さないで!」

 ユリアは青年に抱き着いて制止する。

「なぜ止める? こいつは……あなたを傷つけようとした」

「そ、そうなんだけど、私はまだ無事だわ。殺すほどのことじゃない……ありがとう……」

 ユリアはそう言って、ギュッと青年を抱きしめた。


「そうか……」

 青年は目をつぶり、しばらく何かを思案すると、

「今後、彼女や彼女の関係者に危害を及ぼすようであれば、お前とその一族郎党皆殺しにしてこの屋敷は焼き払う……。分かったな?」

 そう言って、瞳の奥の炎をゆらりと光らせながら、ザロモに警告した。

 ザロモはうんうんとうなずくと、冷や汗をたらしながら聞く。

「お、お前は何者か?」

「我は超越者……、人間よ、調子に乗るなよ……」

 青年は不愉快そうにそう言うと、手のひらをザロモの方に向け、光を放つ。

 ぐはぁ!

 ザロモは吹き飛ばされ、壁にしたたかに叩きつけられると崩れ落ち、意識を失って転がった。


「さぁ……、いきましょう……」

 青年は振り返り、優しい笑みでユリアを見つめる。

「お、お願いします……」

 ユリアは急いで頭を下げた。










1-6. 伝説のドラゴン


 青年は窓から外に飛びだすと、ボン! と爆発を起こし、一面煙で覆われた。

 やがて、煙の中から巨大なものが姿を現してくる。

 それは厳ついウロコで覆われた巨大な恐竜のような生き物……ドラゴンだった。なんと、青年はドラゴンの化身だったのだ。

 大きな翼をゆっくりとゆらしながら、地面に降り立ち、巨大な鋭いかぎ爪に恐ろしげな牙を光らせ、ギョロリとした真紅に光る特大の瞳をユリアに向ける。


「ド、ドラゴン……」

 ユリアは口に手を当て、驚きのあまり固まった。

 ドラゴンは後頭部を窓枠に合わせると、重低音の声を響かせる。

「さあ、乗って」

 ユリアは一瞬躊躇ちゅうちょしたが、このままここにいる訳にもいかないのだ。意を決すると窓枠に乗り、腕を伸ばし、ドラゴンの頭に生えている長いとげをつかむと恐る恐るドラゴンの上に乗り移った。

 ウロコはつやつやとして綺麗で、意外にも温かかった。

「こ、ここでいいのかしら?」

 ユリアはトゲのないウロコの上にペタリと座って聞く。

「しっかりとつかまって振り落とされないように……」

 ドラゴンはそう言うと、バッサバッサと翼を大きく羽ばたかせた。

 そして太い後ろ足で一気に跳び上がると、そのまま翼で空気をつかみ、大空へと飛び立った。

「うわぁ!」

 初めて乗る伝説の存在、ドラゴンにユリアは歓喜の声をあげた。

 地平線に残る茜色から夜の群青色へと続く、美しいグラデーションの空をドラゴンは優雅に飛んだ。

 見下ろすとジフの街には明かりが灯り、美しい夜景が広がっている。

「すごい、すごーい!」

 大喜びのユリア。

 見ると、地平線の向こうからポッカリと黄色い満月が昇ってくる。いつもよりはるかに大きく見えるその満月にユリアは思わず見入った。

「落ちないでね……」

 ドラゴンはそう言うとさらに力強く翼をはばたかせ、一気に速度をあげた。

「きゃぁ!」

 ユリアは驚きながらも、くらく押しつぶされていた心が一気に軽くなっていくのを感じていた。

「ねぇ、あなた、お名前は?」

 ユリアは弾む心で聞いた。

「我はジェイド……、ユリアに昔助けられた龍だ」

「あ、あの時のトカゲ……じゃなかった、傷ついた生き物があなただったのね!」

「そうだ。ユリアは我の命の恩人だ」

「ふふっ、傷ついた者は誰でも助ける、それが私の仕事なの」

 ユリアはうれしそうに言った。

「でも、それだけじゃ陥れられる……。人間界は恐ろしい」

 ユリアはあまりにも正しいジェイドの言葉に、返す言葉を失う。

「我のでゆっくりと暮らすといい。もう誰にもユリアを傷つけさせない」

「……。ありがと……」

 ユリアは目をつぶると、温かいドラゴンのトゲに頬ずりをした。


        ◇


 巨大な火山オンテークの方へ、満月の照らす森の上をしばらく飛ぶ。力強くバッサバッサと羽ばたく翼……。ユリアは風になびくダークブラウンの髪を押さえながら、すごい速さで後ろへと流れていく景色を楽しそうに眺めていた。


 やがてジェイドは下降を始める。見るとオンテークの中腹にある断崖絶壁にポッカリと大きな穴が開いている。

「あそこがあなたの家?」

「そうだ。誰も近づけない」

 そう言いながらジェイドは翼を大きくはばたかせて減速し……、器用に洞窟内に着地をした。

「我のにようこそ」

 そう言いながらジェイドは首を地面にまで下ろし、ユリアはトゲをつかみながら器用に床に降りた。

 ボン!

 ジェイドは爆発をすると、煙の中から長身ですらりとした男となって出てくる。そして、

「お疲れ様……」

 そう言いながらユリアの手を取り、微笑んだ。

 ユリアは頬を赤らめてうつむいて言う。

「ありがとう……。お世話になります……」

 ジェイドはニコッと笑うと、

「こっちだ」

 と、ユリアを引っ張った。


 洞窟をしばらく歩くと、魔法の光に照らしだされた荘厳な白亜の神殿が現れる。それは優美なグレーの筋が入った純白の大理石で作られており、随所に精緻な彫刻が施されて厳かな雰囲気を漂わせていた。


「えっ、ここがお家?」

「龍のとはこういうものだ」

 ジェイドはそう言って階段をのぼり、巨大な大理石の広間にユリアを案内した。







1-7. 温かい指先


「うわぁ……、広い……」

 ユリアは広間を見回し、壁際のリアルな彫刻群や立派な円柱を眺める。

「龍の姿だとこれでも狭い」

 ジェイドはそう言って肩をすくめた。

「全然生活の匂いが……しないわ。家具もないの?」

「奥に倉庫と……、人用の小部屋がある。おいで……」

 ジェイドは奥の重厚な扉を開いて廊下を進み、突き当りの部屋へユリアを案内した。

 そこにはベッドやテーブルなどが配してある。

「ユリアはここを使うといい」

 部屋のランプに魔法の明かりをつけ、ニッコリと笑うジェイド。

「あ、ありがとう……」

 ユリアは窓に駆け寄り、外の景色を眺めた。見渡す限りの森が満月に照らされて静かにたたずんでいる。オンテークは魔の火山として人々に恐れられており、近づく者など誰もいない。確かに安全な棲み処ではあったが、昨日まで王宮で暮らしていたユリアには少し心細く感じた。


「どうした? 不満か?」

 いつの間にか隣に立っていたジェイドに聞かれ、ユリアは焦って返す。

「ふ、不満なんて無いわ。ただ……ちょっと寂しいかなって……」

 そっと目を閉じるユリア。

「我ではダメか?」

 ジェイドは少し寂しそうにユリアを見る。

「そ、そんなこと……ないわ……」

 ユリアはほほを赤くしてうつむいた。

「ん? ちょっと見せてみろ」

 ジェイドはいきなりユリアが羽織っていたジャケットのボタンを外した。

 破かれたブラウスのすき間から胸元が露わになる。

「えっ!? 何するの?」

 焦って腕で胸を隠し、後ずさるユリア。

「いいから、見せてみろ」

 ジェイドはユリアに迫る。

「えっ!? えっ!?」

 ユリアは身をかわそうとして、不覚にもスツールにつまずき、ベッドに転がってしまった。

「逃げなくていい」

 ジェイドはそう言うとベッドの上でユリアの腕を押さえた。

 美しい切れ長の目に真紅の炎が揺れる。

「ちょ、ちょっと待って、こういうのは順序が……」

 ユリアは抵抗しようとしたが、ドラゴンの力は圧倒的で身動きができない。

 ジェイドの細く長い指がスッとユリアの胸に伸びた。

 ひっ!

 ユリアは目をギュッとつぶる。

 ジェイドの温かい指づかいが優しく胸のあたりをスーッとう。


「あっ……」

 ユリアの漏らした声が部屋に響いた。


 ペリペリペリ……。

 ジェイドはユリアの心臓の辺りに貼られていた、ごく薄いフィルム状のものをはがした。

 直後、ユリアは光に包まれる。

「えっ!?」

 ユリアは驚いた。失っていた神聖力が復活したのだ。

 身体を起こし、両手を向かい合わせにして気を込めると、以前のように激しい輝きが両手の間に戻ってきた。

「うわぁ……」

 ユリアは満面に笑みを浮かべ、その神聖な輝きに見入る。

「封印の魔法陣が貼られていた」

 ジェイドはそう言って、剥がした封印のシールに火を吹きかけた。シールは一気に燃やし尽くされ、紅く輝く火の粉がパラパラと舞う。

「これでもう安心だな」

 ジェイドは微笑んだ。

 しかし、ユリアはジェイドをジト目でにらむ。

「どうしたんだ? 嬉しくないのか?」

 ジェイドは不思議そうに聞く。

「嬉しいわよ! でも……、やり方ってものがあるわよ!」

 口をとがらせて言う。

「何がマズかった?」

「乙女の身体に勝手に触っちゃダメなの!」

「そうか……」

「そうよ!」

 ユリアは腕組みをして、キッとジェイドをにらんだ。

「……。分かった。二度と……触らないと……誓うよ」

 しょんぼりしてうつむくジェイド。

 そのしょげっぷりを見てユリアは言い過ぎたと思った。やり方はともあれ、純粋に善意で神聖力を取り戻してくれたのにお礼も言っていない。

 それにあの指先の温かさは、不思議に不快ではなかったのだ。むしろ……。

「あ、いや……絶対に触るなって……言ってる訳じゃ……ないのよ?」

 ユリアは真っ赤になって言う。

「触ってもいいのか?」

 ジェイドはキョトンとする。

「じゅ、順序っていうものを守ってってだけなの!」

「順序?」

「あー、何でもない!」

 ユリアは大きな枕に抱き着くと、真っ赤な顔を隠して転がった。

 自分は何を言っているのだろう? 男に体を触らせるなど絶対の絶対にダメなはず。それを順序だなんて……。

 ユリアはしばらく動けなかった。










1-8. ドラゴンのディナー


 グゥ――――ギュルルル。

 ジェイドが心配そうにユリアを見守っていると、静かな部屋にユリアのおなかの音が響いた。

 クスッとジェイドは笑い、

「夕飯にしよう。肉しかないんだがいいか?」

 と、優しく声をかけた。

 ユリアは恥ずかしくなってさらに真っ赤になって固まる。

 ジェイドは首をかしげ、そっとユリアの手をさすった。


 ユリアは枕をそっとずらし、心配そうに見つめるジェイドを眺める……。

 そして大きく息をつくと、バッと起き上がり、言った。

「ごめんなさい、言い過ぎたわ。夕飯、お願いします。何か手伝うことがあったら……」

「大丈夫、ちょっと待ってて」

 ジェイドは優しく微笑んでそう言うと、部屋を出ていった。


 ユリアは、ふぅと息をつき、立ち上がる。そして、窓辺から月を眺めながら、

「私……、どうしちゃったのかしら……」

 と、眉をひそめ、ため息をついた。

 満月の青い光が優しくユリアの美しく張りのある肌を照らす。

 ホーゥ、ホーゥ

 どこかで鳥が鳴くのが聞こえた。


    ◇


 しばらくして、ジェイドがプレートに、大きな肉と飲み物などを載せて部屋に戻ってきた。

「あっ、手伝うわ」

 ジェイドはニコッと微笑むと、

「大丈夫、座ってて」

 そう言ってテーブルにプレートを置き、手早く食器を整えた。

 肉は五キロくらいはあろうかと言う大きな塊で、いい焼き色がつき、表面にはローズマリーなどのハーブがついていた。

 ジェイドは人差し指の爪を鋭くナイフのように伸ばすと、シュッシュと肉をスライスしていく。そして、全部スライスし終わると斜めに倒し、切り口が並ぶようにして綺麗に盛り付けた。

「美味しそう!」

 ユリアは目を輝かせ、思わずつばを飲む。

 そんなユリアを見てうれしそうに微笑むと、ジェイドはブランデーを全体に振りかけた。そして、手のひらから魔法で豪炎を放つ……。


 ゴォォォ――――。

 炙られた肉はブランデーが燃え上がって大きな炎を噴き上げる。そして、ジュ――――というおいしそうな音を放ちながら香ばしい香りをあげていく。


「うわぁ……」

 ユリアはその見事な料理ショーに魅せられる。

 王宮でもこんな見事なディナーは見た事が無かった。


 ジェイドはユリアを席に座らせると、肉を三切れ皿に盛ってサーブする。

 そして、リンゴ酒をグラスに入れてユリアに渡した。

「どうぞ召し上がれ」

「ありがとう……」


 二人は見つめあい、シュワシュワ音を立てるグラスをカチンと合わせる。

「我のにようこそ」

「素敵なおもてなしに乾杯……」

 ユリアはと口の中ではじける泡の感覚を楽しみながらリンゴ酒を飲み、鼻に抜けていく華やかな香りにウットリする。

 肉も柔らかく、ジューシーで、表面はカリッと香ばしく極上の味わいだった。こんなのを自分で作ってしまえるなんてドラゴンは相当な美食家なのだ。

「これ、すんごく美味しい」

 ユリアはパアッと明るい顔をしてジェイドに微笑む。

「口に合ってよかった。ハーブと塩をまぶして低温のオーブンに入れただけなんだ」

 そう言って静かにグラスを傾けた。


 ユリアは少し酔いが回ってきたのかそんなジェイドをボーっと見つめる。凛とした切れ長の目にシュッとした高い鼻、見れば見るほど美形なのだ。そして細く長い指。あれがさっき胸を這っていた、温かな指先……。

「えっ!?」

 なぜそんなことを思い出してしまったのか、ユリアはポッと頬を赤らめてブンブンと首を振った。


「どうした?」

 ジェイドは心配そうにユリアの顔をのぞき込む。


「な、な、な、何でもないわ!」

 ユリアは両手を振って全力で否定する。

 そして、リンゴ酒をゴクゴクと飲んだ。

 ジェイドはそんなユリアを不思議そうに眺める。


「し、神聖力、と、取り戻してくれてありがとう……」

 ユリアはちょっと伏し目がちに言った。

「あんな封印をするなんて許し難い連中だ」

 ジェイドは眉をひそめ、自分の事の様に怒る。

「ありがとう……」

「王都を焼き払うか?」

 ジェイドは恐ろしい事を平然と言う。

「あ、いや、悪いのは一部の人だけだから……」

 ユリアは驚いて否定する。

「では、そいつらに復讐するか?」

 ジェイドは瞳の奥を真紅にゆらりと光らせた。

「だ、大丈夫。誰にどう復讐したらいいのかもわからないし、復讐したからと言って元には戻らないわ……」

 ユリアはため息をつき、うつむく。

「このままでいいのか?」

「うーん、なんか疲れちゃった……。しばらくはここでゆっくりさせて欲しいの」

「そうか……。我は構わない。好きなだけここで暮らすといい」

 ジェイドは真剣なまなざしでユリアを見つめた。

「ありがとう……」

 目をつぶりしばらくユリアは何かを考える……。

「私……神聖魔法しか使えないからここでは役に立てそうにないの。それでもいい?」

「別に何もしなくていい。ただ、ユリアに使えない魔法なんて無いぞ」

「へ!? だって、私、神聖力しかないわよ?」

「それが原因だ。『使えない』と思ってるから使えないだけだ」

「え――――!? そんなことって……あるの?」

「明日、使い方を教えてあげる」

 ジェイドは優しく微笑む。

「そ、そう……」

 ユリアは半信半疑で静かにうなずいた。












1-9. 温かい安らぎ


「ユリアはベッドを使って」

 食後にジェイドが片付けながら言った。

「ダ、ダメよ! 私は床で寝るわ!」

「ふふっ、我は龍となり広間で寝るから気にするな」

 ジェイドは優しく微笑む。

「あ、そ、そうなの?」

「歯ブラシやタオルなどはそこの棚にある。好きに使っていい。パジャマは大きいが我慢して欲しい。ではまた明日……」

 そう言うと、ジェイドは食器などを一式持って出ていった。


        ◇


 ふぅ……

 静かになった室内で、ユリアはベッドに転がり今日あったことを丁寧に思い返す。

 群衆や領主に襲われ……、ドラゴンに助けてもらい……、それで、胸のシールをはがして……もらった……。

 ボッと顔が真っ赤になり、ユリアはベッドを転がり、悶えた。

 そして、毛布をかぶり、気持ちを落ち着ける。

 一体自分はどうしてしまったのか……。

 悩んでいるとすぐに意識が遠くなり……寝入っていった。牢屋でほとんど寝ていない上に長旅で疲れがたまっていたのだ。


       ◇


「い、いやぁ!」

 夜半にユリアが叫んで跳び起きる。

「あ、あれ……?」

 はぁはぁと荒い息をしながら暗い室内を見渡すユリア。


 ホーゥ、ホーゥ……。


 窓の外からは鳥の声が聞こえている。

「ゆ、夢……だったのね」

 ユリアは大きく息をつき、びっしょりと汗をかいた額を手のひらでぬぐった。

 男たちに追いかけ回され、襲われる夢。それは弱っていたユリアの心の傷をさらにえぐっていた。


 うっうっう……。

 今までの人生をすべて否定され、プライドも尊厳も粉々にされたユリアの心はボロボロだった。昏い想いが胸を蝕んでいくのをどうしても止められない。一体どうしてこんな事になってしまったのか。


 うううう……。

 ユリアは流れる涙を止めることができず、綺麗な顔を歪めながら月明かりに照らされた毛布を濡らした。


 コンコン!

「どうした? 大丈夫か?」

 ドアが叩かれ、ジェイドの声がする。

「ご、ごめんなさい……、大丈夫……」

 ユリアは急いで涙を拭いた。

 ジェイドは部屋に入ってくると、涙にぬれ、憔悴しょうすいしきったユリアをしばらく見つめ、そして、静かに近づいてユリアの隣に座る。

 ユリアは恥ずかしくなってうつむいた。

 するとジェイドは、涙にぬれたユリアの手を取り、両手で包んで温める。


 うっうっう……。

 ユリアはその温かさに、押さえていた涙が止められなくなり、またポロポロと涙をこぼしてしまう。

「我慢……しなくていい……」

 ジェイドは優しくそう言って、ユリアの頭をそっとなでた。

 するとユリアは、ジェイドに抱き着いて、せきを切ったように大きな声で泣き叫ぶ。

 うわぁぁぁ……。

 ボロボロになった心が求めていた温もりを、自然とジェイドに求めるユリア。

 ジェイドは優しく抱きかかえ、何も言わず、ただゆっくりと背中をさすった。


      ◇


 しばらく泣き叫ぶとユリアは落ち着きを取り戻し、ジェイドの厚い胸板から伝わってくる温かさに癒されていた。


「添い寝してあげよう」

 ジェイドはそう言うと、優しくユリアを横たえる。

「えっ……」

 ユリアは驚いた。男の人と一緒に寝るなんて、想像もしてなかった事態だった。

「嫌か?」

 ジェイドはちょっと寂しそうにユリアを見る。

「い、嫌じゃ……ないけど……、ちょっと、そのぉ……」

 ユリアは何と言ったらいいか悩んだ。

 するとジェイドはニコッと笑い、ユリアの隣に寄り添うと、毛布を掛ける。

「えっ、えっ……」

 思わず身体を硬くしてしまうユリア。

 ジェイドはそんなユリアの頭をそっと持ち上げると腕枕をして、優しく髪をなでた。

 最初は緊張していたユリアだったが、温かいジェイドの手の動きに徐々に心がほぐれていく。

「安心して寝るといい」

 ジェイドは耳元でささやく。

 ユリアはゆっくりとうなずくと眠気に身をゆだねる。

 最後にはユリアはまるで赤ちゃんになったかのようにジェイドに抱き着き、温かい安らぎに包まれ、すうっと眠りに落ちて行った。


      ◇


 その頃、ジフの南、公爵が治める王国第二の都市ダギュラの宮殿で、公爵ホレス・ダギュラは土下座をしていた。

 静まり返った夜の宮殿の応接間、高い窓から差し込む月明かりを浴びながら少女は豪奢な椅子に深く腰掛け、すらっとした細い足を組んでキセルをくゆらせている。

 土下座されている少女はつまらなそうに、薄くなったホレスの頭を眺めながら言った。

「大聖女、ドラゴンに取られちゃったわよ? あんた何やってんの?」

「ル、ルドヴィカ様、申し訳ございません。まさかドラゴンが来るとは……」

 小太りの中年男、ホレスは冷や汗をたらしながら弁解する。

 少女はスクッと立ちあがり、細いヒールでホレスの後頭部をガシッと踏むと、

「私、いい訳嫌いって言わなかったかな?」

 そう言ってヒールでグリグリと薄い頭を踏みにじった。

「ぐわぁ……、お、お許しくださいぃ……」

 少女はその間抜けなさまを眺め、首を軽く振ると、ボスっとまた椅子に腰かける。ウェーブのかかった金髪が月明かりにキラキラと揺れた。

「まぁいいわ、次はスタンピードよ、うまくやんなさい」

 と言ってニヤッと笑う。

「はっ! 大聖女なき今、スタンピードは相当効くでしょう。お任せを!」

 挽回しようと必死のホレス。

 少女は美味しそうにキセルを吸い、

「楽しみになってきたわ……」

 そう言うと、すぅっと消えていった。








1-10. アールグレイの魔法


 チチチチ! チュン! チュン!


 鳥の声で目を覚ますと、すっかり明るくなっていた。

「えっ!? あれっ!?」

 急いで飛び起きて、目をこすりながら周りを見回すユリア。

「あっ、そうだわ……。ここはジェイドのお家……」

 ユリアはぶかぶかの男物のパジャマをじっと見つめながら、何か大切なことを忘れている感じがした。

「えーと、昨晩は悪い夢を見たような……。それで……ジェイドに腕枕してもらって……。えっ!?」

 ユリアはジェイドとの事を思い出し、真っ赤にした顔を両手で覆う。

「あわわ……、な、なんというはしたない……」

 今まで男性の胸なんて触ったこともなかったのに、自ら抱き着いていってそのまま添い寝してもらうなんてありえない話だった。追放されたとはいえ、復帰する可能性がない訳でもない。自分の中ではまだ大聖女なのだ。

「ど、ど、ど、どうしよう!?」

 ユリアはどんな顔でジェイドに会えばいいのか途方に暮れた。

「ジェ、ジェイドはドラゴンだから、こんな小娘のことなんて何とも思ってないよね? そう! ジェイドは人間じゃないからノーカウント!」

 ユリアは頭を抱え、必死に正当化を試みる……。

 ふと、パジャマの袖からジェイドの匂いがする事に気がついた。

「えっ……?」

 ユリアは思わずパジャマに鼻を近づけ、そーっと嗅いでみる……。

 昨晩の温かな気持ちがよみがえってきて、思わず顔がほころんだ。


 コンコン! と、ドアが鳴る。

「ひぃっ!」

 思わず跳び上がるユリア。

「どうした? 大丈夫か?」

 ドアの向こうでジェイドが聞く。

「だ、だ、だ、大丈夫よ!」

 爽やかな顔をして入ってきたジェイドは、両手に袋を下げていた。

「市場でユリアの食べ物を買ってきた」

 見ると、大きく丸いパンやトマトやキュウリ、柑橘に瓜などが入っている。

「わ、私のために!? ごめんなさい、ありがとう」

「人間は肉だけじゃダメだから」

「うん、嬉しい!」

 喜んでジェイドを見上げたユリアだが……、ジェイドの優しいまなざしに昨晩の事を思い出し、顔を真っ赤にしてうつむいた。

「どうした?」

「さ、昨晩はごめんなさい……」

「ん? 寝返り打ちながら蹴ってきたことか?」

「えっ!? 蹴ったの? 私が!?」

 目を真ん丸に見開くユリア。

「元気にゲシゲシ蹴ってた」

 うれしそうに目を細めるジェイド。

 ユリアは思わず天をあおぐと、

「ごめんなさい! ホント――――に、ごめんなさい!」

 と、ひたすらに謝った。

「大丈夫。食事にしよう」

 ジェイドはそう言うと、朝食をつくりにキッチンへと出ていった。


     ◇


 肉料理に、サラダ、パン。美味しそうな食卓をかこんで朝食を食べる二人。

 チチチチと鳥のさえずりが森から聞こえてくる。


「お茶はアールグレイでいい?」

 ジェイドが優しく聞いてくる。

「あ、もう、何でも……」

 ユリアはまだちょっとぎこちない。


 ジェイドはニコッと微笑むと、水魔法で空中に水玉を浮かべた。何をするのかと思ったら次は火魔法で水玉を器用に囲む。


「うわぁ、すごーい!」

 まるでマジックショーのようなジェイドの技に思わず歓声を上げてしまうユリア。

 ジェイドはそんなユリアを優しい目で見る。そして、火を止めると湯気の立ち昇る水玉にサラサラと茶葉を振りかけた。茶葉は茶色の軌跡を描きながらゆらゆらと踊り、ふんわりとベルガモットの爽やかな香りを放つ。

 王宮でも見たことのない、素敵なお茶のショーにユリアはじっと見入った。


 水玉をクルクルと回して渦を作って茶葉を集めると、ジェイドは水玉から茶葉のない小さな水玉を作り、ティーカップへと落としてユリアへと差し出した。

「はいどうぞ」

「うわぁ! ありがと!」

 ユリアは満面の笑みで受け取る。

 そして一口含むと、目を閉じて満足そうに軽く首を振った。

 

「うーん、美味し~! ジェイドは魔法上手なのね」

 ユリアはニコニコしながら言った。


「我は魔法をこの世界に導入した時に作られ、魔法の調整を手伝わされたりしたからね」

「へっ!?」

 ユリアは目を真ん丸くして言葉を失った。生まれてからずっと親しんできた、自分の一部ともいえる魔法。それは大いなる自然の摂理の一環だと思っていたら、誰かに作られたものだと言う。

 一体この世界はどうなっているのか? 知られざるこの世のカラクリの裏を垣間見たユリアはブルっと震え、背筋に悪寒が走った。


「だ、誰が……導入したの?」

 ユリアは恐る恐る聞く。

「うーん、説明が難しいな。そのうち……会えるかもね」

 ジェイドは眉をひそめながら言った。


 魔法を作った存在、それはもはや神と言えるような存在だろう。一体どんなお方なのだろう……。

 ユリアはゆっくりとうなずき、今まで想像もしたことのなかった新しい世界観を、どうとらえたらいいのか困惑していた。









1-11. 賢者となったユリア


 日も暮れて、昨日より少しやせた月が昇ってくるのをユリアがボーっと見ていると、ジェイドが料理と食器をプレートに入れて持ってきた。

「今日は照り焼きにしてみた」

 そう言ってニコッと笑う。

「うわぁ! 美味しそう!」

 ユリアは目を輝かせて湯気の上がる大きな肉の塊を見つめた。

 ジェイドは皿に肉を盛ってユリアに渡す。

「どうぞ」

「ふふっ! ありがと!」

 ユリアは受け取るとフォークで口に運ぶ。

 そして、目を大きく見開くと、

「美味し~!」

 と、言って、目をギュッと閉じて首をフルフルと振った。


 気を良くしたユリアはリンゴ酒を何杯かおかわりしながら、上機嫌で魔法の魅力を語り、肉料理をモリモリと食べる。

 そんなユリアを、ジェイドは微笑みながらうんうんとうなずいて聞いていた。


 絶好調に盛り上がり、すっかり満足したユリアは、

「うーん、お腹いっぱ~い!」

 と、言ってベッドにダイブする。


「歯を磨かないとダメだぞ」

 そんなユリアに声をかけるジェイド。

「だいじょぶ、だいじょぶ、それ~! 生活浄化クリーナップ!」

 ユリアはそう叫んで手を上にあげた。

 すると、ユリアは光に包まれていく。

 そして、光が消えた後にはツヤツヤでさっぱりとしたユリアが満足げに横たわっていた。

「さすが大聖女……」

 ジェイドは感心しつつも釈然としない様子で、だらしなく転がる幸せそうなユリアを眺めていた。


        ◇


「今夜も添い寝でいいな?」

 パジャマを着たジェイドが部屋に戻って来て聞く。


「え? 今夜……も?」

 うつらうつらしていたユリアは驚いて目を見開く。

 もちろん、ジェイドはドラゴン、自分をどうこうしようとする意図なんてないだろう。しかし、自分は十六歳の純潔の乙女なのだ。一緒に寝てるなんてことを誰かに知られたら……。

「どうした?」

 ジェイドは悩んでるユリアに聞いた。

「一緒に寝てること……、誰かに知られたらまずいかな……って……」

 モジモジしながらユリアが答えると、

「じゃあ、二人の秘密にしよう」

 そう言ってニコッと笑う。

「ひ、秘密って……。そ、そうじゃなくて!」

 秘密にしたらすべて解決……な訳ではない。

 若い男女は一緒に寝ちゃいけないことをどう説明したらいいのか?

「大丈夫、誰にも言わない」

 ジェイドはまっすぐな目でユリアを見る。

「あー! もぅ! 間違いがあったらどうするのよ!」

 ユリアはイライラして叫んだ。

「間違いって?」

 ジェイドはキョトンとする。

「ま、間違いっていうのは……そのぅ……」

 ユリアは説明しようとして固まってしまった。

 そして、みるみるうちに真っ赤になり、頭から湯気が上がる。

 ユリアは目をつぶってブンブンと首を振り、大きく息をついた。


 よく考えればジェイドから迫られることはないだろう。彼のユリアを見る目はまるで妹を見るような優しい目で、異性に向けるようなまなざしではないのだ。

 で、あれば、ユリアから迫らない限り間違いなど起こりようがない。

 なんだ、大丈夫。そう思いかけた時、ふと、ジェイドの厚い胸板の感触がよみがえり、顔がボッと真っ赤に染まった。


 うそ……。

 一体自分は何を考えているのか?

 ユリアは自分に自信が持てなくなってしまう。


 スゥ――――、……、フゥ――――。

 スゥ――――、……、フゥ――――。


 ユリアは深呼吸を繰り返した。

 やがて眼がトロンとしてきて、雑念は消え去っていく。

「どうした? 大丈夫か?」

 ジェイドは心配になって声をかける。

「大丈夫、一緒に寝ましょう」

 賢者となったユリアはうつろな目でほほ笑んだ。















1-12. 蠢く悪意


 それから数週間、ユリアはオンテークの森で暮らした。人の手の入っていない鬱蒼うっそうとした森には、巨木が茂り、リスやタヌキがちょろちょろと動き回っている。オオカミやクマなどはジェイドの匂いに警戒して近寄ってこないので小動物にとっては楽園だった。

 そんな森の中でユリアは散歩をしたり、リスに餌付けをしたり、ジェイドから飛行魔法を教わったりしながらゆっくりと心の傷を癒していく。

 しばらくゆったりとした時間を過ごすユリアだったが、元気を取り戻してくるとだんだん物足りなくなってくる。王宮でのピリピリとした暮らしはウンザリではあるが、いろいろな人と接することが生活に張りを出すためには必要だと気づいたのだ。


「ねぇ、街に行きたいわ」

 ユリアは上目づかいにジェイドにねだる。

「街? 危ないぞ」

 ジェイドは渋い顔をする。

「大丈夫、変装してたらバレないわよ! ねぇ……、お願い……」

 ユリアはウルウルとした目でジェイドを見つめる。

「うーん。仕方ないな……。では、我から離れないように」

「わーい! ありがと!」

 ユリアはジェイドにハグし、ジェイドは少し苦笑いしながら優しく髪をなでた。


        ◇


 傾きかけた日差しの中をドラゴンの背に乗ってスウワの街へと飛ぶ。ユリアは金髪碧眼に変身して、パッと見大聖女とは気づかれないようにしている。

 山をいくつか越え、遠くに大きな湖が見えてくる。スウワの街はその湖のほとりにあるのだ。


 ジェイドは街の近くで速度を落とし、

「そろそろ人に戻るぞ」

 と、重低音の声を響かせる。

 そして、ユリアを空中に浮かび上がらせると、ボン! と煙を上げて人化してユリアをお姫様抱っこする。

「わぁ!?」

 驚くユリア。

「舌を噛まないようにしてて」

 ジェイドはそう言うと一気に速度を上げ、隠ぺい魔法を展開して街の中心部へと降下して行く。

 高い城壁に囲まれたスウワの街は、湖の水を生かし、水路が整備されている水の街である。

「うわー、綺麗……」

 金髪をなびかせながらユリアは、小舟が行きかう美しく整備された街を眺めた。

 ジェイドは人気ひとけのない裏通りにスーッと着地して、ユリアを下ろす。

「ありがとう!」

 ユリアにとっては久しぶりの街である。目をつぶってしばらく人々の生活の匂い、響いてくる生活音を感じながらうれしそうに笑った。


 ジェイドはアイテムバックから金貨をひとつかみ出し、ユリアのポーチにジャラジャラと注いで言った。

「今日のご予算はこのくらいで」

「えっ!? そんな、悪いわ」

 驚くユリア。

「龍はお金には困ってないんだ」

 ジェイドはそう言ってニコッと笑う。

「うーん、じゃ、いつか返すから使わせてね」

 ユリアはうれしそうに笑った。


      ◇


 服や調味料、小物などを買って、ちょっと高級なレストランに来た二人。

「久しぶりの街に、乾杯」

「カンパーイ!」

 二人はグラスを合わせてリンゴ酒を口に含んだ。

 爽やかな香りとシュワシュワした炭酸が身体に沁みる。

「美味しいわ……」

 ユリアはトロンとした目で、心地よい疲れが癒されていくのを感じる。

 森でゆったりと暮らし、街で遊ぶ、新たな人生が楽しみになってきていた。


 その時だった――――。


「ねぇ、聞いた? スタンピードですって!」

 隣のテーブルのおばさんがキナ臭いことを言っている。

 ユリアは思わず眉をひそめてジェイドを見た。

 ジェイドも険しい表情で聞き耳を立てる。


 話を総合すると、数日前に王都にスタンピードが襲ってきたらしい。幸い撃退はできたようではあったが多くの死傷者が出たという話だった。

 ユリアはがっくりと肩を落としてため息をつく。自分が張っていた結界が健在であれば死傷者など出なかったはずなのだ。ゲーザだか公爵派だか知らないが、彼らの陰謀が引き起こした被害に腹が立って……、それでもどうしようもない自分に打ちひしがれていた。


 食べ物がのどを通らなくなってしまったユリアを、ジェイドは心配そうに見つめる。

 二人は早々にレストランを引き上げ、オンテークの家に帰った。


     ◇


 ベッドの上で月明かりを浴びながら、泣きそうな顔でユリアは言った。

「ねぇ……、私、どうしたらいいのかしら……」

「どう……って?」

 ジェイドが少し困惑したように返す。

「手を尽くして、また大聖女に復帰できるように頑張った方がいいんじゃないかって……」

「でも、ユリアは罪人とされてしまってるから、公爵派の陰謀を暴いて名誉の回復をしないとならないんだろ? できるのか?」

「そう……、そうなんだけど……」

 ユリアは沈む。どう考えてもそんな事不可能に思えたのだ。







2章 崩れ行く世界

2-1. 想定外の言葉


「我と暮らすのは嫌になった?」

 寂しそうな声を出すジェイド。

「そ、そんなこと無いわ! いつまでも一緒にいたいわ!」

 ユリアは慌ててジェイドの胸に顔をうずめながら言った。

 優しく背中をさするジェイド。

「ただ……。多くの人が傷つくのが耐えられないの……」

「ユリアは優しい娘だな……」

「神様にもらった『大聖女』の力を生かさないのは……なんだかサボってる気がして……」

 ジェイドは優しくユリアの頭をなで、しばらく思案すると言った。

「分かった。我の方で、それとなく王都の情報を調べておこう」

「……。ありがとう……。ジェイド大好き……」

 ユリアは自分の口をついた、とんでもない言葉に仰天する。

「あ、いや! だ、だ、だ、大好きっていうのはね……」

 真っ赤になって慌てて取り繕う言葉を探すが……、見つからない。

「我も好きだぞ」

 ジェイドはそう言ってユリアをギュッと抱きしめた。

「えっ!? えっ!?」

 ユリアは激しく高鳴る心臓の音にどうしたらいいのか分からず、頭から湯気をあげながらただギュッとジェイドにしがみつく。

 そんなユリアの頬を愛おしそうにジェイドはなでた。

 優しい指使いに、ユリアはゾクッと背筋に痺れるものを感じ、恐る恐るジェイドの顔を見上げる。

 月明かりに照らされた部屋の中で、ジェイドの瞳の中には紅く炎が揺らめいて見えた。

 ユリアは思わずジェイドの頬に手を伸ばし……、指先でそっと触れる。

 ジェイドの整った顔に真剣な表情が浮かび、ゆっくりとユリアに近づいた。

 ユリアは緊張で硬くなりながらもそっと目を閉じる。

 温かなジェイドの唇がユリアの可愛い唇に重なり、柔らかな舌がユリア唇を温かく湿らせる。

 ユリアはピクッとファーストキスの感覚に驚き、固まる。

 でも高まってくる熱い胸の内をどうしたらいいか困惑し……。

 そして、意を決した時、ジェイドは離れる。

「おやすみ……」

 ジェイドはユリアの額にキスをして、髪をなでると毛布を優しくかける。


 ……、え……、終わり?

 ユリアは思わず口をポカンと開けてしまう。


 モジモジと動くユリアだったが、やがて、ジェイドの寝息が聞こえてくる。

「えっ!?」

 ライト・キスだけで放置するジェイドに、

「バカ……」

 と、つぶやくと、寝返りを打ち、毛布をかぶった。

 

 ただ、火照った身体は鎮まらない。

 ユリアは毛布をそっと持ち上げて、幸せそうに寝ているジェイドをちょっとにらむと、

「あー! もう!」

 と、一人で憤慨し、また毛布をかぶる。


 その晩ユリアはしばらく寝付けなかった。


      ◇


 それから数週間、ユリアは森の中で静かに暮らした。

 言われた通りに、きっちりと大聖女の仕事を全うしてきたはずの自分が追放され、多くの死傷者が出てしまった。なぜこんな事になってしまったのか?

 これまでの自分の生き方は正しかったのか? これからどう生きたらいいのか?

 天気のいい日、ユリアは少し足を延ばし、水の透き通った綺麗な池のほとりに座って、鳥のさえずりを聞きながらゆったりと流れていく白い雲を眺めていた。

 ただ、幾ら悩んでも答えなど分からない。

 ふぅ、ユリアは大きく息をついて小石を投げ込み、広がる波紋をしずかに眺めた。


「ユリア、ここにいたのか」

 ジェイドが爽やかな笑顔でやってくる。

 吹っ切れた表情でユリアが言った。

「ねぇ、ジェイド。海を見に行きたいわ」

「海? 魚でも獲るのか?」

「違うわよ、泳ぐの! 海辺の街の人は暖かい季節にはビーチでくつろいだり泳いだりするって聞いたわ」

 ユリアは楽しそうに言う。

「それ、楽しいのか?」

「知らないわよ! だから行ってみたいの!」

 ユリアは口をとがらせる。

「……。南の島まで行けばもぐると綺麗かもな……。でも……、南の島はちょっと遠いぞ?」

 ジェイドはユリアの気迫に押され気味だ。

「ふふっ、頼りにしてるわ!」

 ユリアは最高の笑顔を見せる。

 ジェイドは大きく息をつき、目をつぶってしばらく考えると、

「では、ピクニックセットを用意して、肉多めで行くか」

 そう言ってニッコリと笑った。


        ◇


 ジェイドはドラゴンとなり、ユリアを首の後ろに乗せ、言った。

「すごく高い所を行くからシールド張って」

「わ、分かったわ」

 ユリアは得意の神聖魔法で自分の周りに強固なシールドを張る。

「では行くぞ!」

 気合を入れた声が響いた。

 後ろ足で大きく跳び上がり、そのまま大きな翼でバサッバサッと羽ばたいていくジェイド。

 羽ばたくごとに森の木々が小さくなり、グングンとオンテークの山が遠ざかっていく。

 ジェイドは加速しながら雲をつき抜けた。

 すると一気に雲海の世界が広がる。燦燦さんさんと太陽がまぶしく輝き、真っ青な空に真っ白い雲の海。

「うわぁ、素敵……」

 ユリアは初めて見る雲海に驚く。

 すると、ジェイドは羽ばたくのをやめて翼を畳み、気合を入れると身を青白く光らせた。

「えっ!?」

 ユリアがビックリしていると、ジェイドは飛行魔法でものすごい加速を始める。

「うわわわわ」

 速度はグングンと上がり、やがて、ドン! という衝撃音を立てて音速を突破する。そして、さらにジェイドは高度を上げていった。












2-2. 黄金の祝福


 やがて青空は暗くなり、昼なのに夜のような空になる。宇宙に近づいたのだ。

 下を見ると、まるで地図を見ているみたいにくっきりと海岸線が見て取れる。

 しばらく行くと、小さく城壁で囲まれた街がある。なんとそれは王都だった。

「えっ!?」

 あの壮大な街がまるでオモチャみたいなのだ。

 ユリアは大聖女として奮闘した二年間を思い出す。最後は追放されてしまったが、思い出の詰まった王都。

 よく見ると城門の周辺が黒く焼け焦げて見える。その激しい戦闘の傷跡に思わず心臓がキュッとする。

 ユリアは急いで手を合わせ、魔物の襲来で死傷してしまった人たちのことを思い、祈った。

 そして、手を金色に光らせるとキラキラとした光の祝福を王都に向けて放つ。祝福はまるで黄金のオーロラの様にゆらゆらと光跡を描きながら王都の上空に展開し、まばゆい光の粒をひらひらと振りまいた。

 王都の人々は皆、いきなり現れた光の舞う空を驚きながら見上げる。一体何が起こったのか分かっていなかったが、みんな神聖なる光に手を合わせ、幻想的な光景にしばらく見入っていた。

 ゲーザは王宮の執務室で知らせを聞いて急いでテラスに出る。そして、美しくきらめく黄金のオーロラを見上げ、目を見開くと、キュッと唇を噛む。

「ユリアめ……、やはり殺しておけばよかった。忌々いまいましい!」

 そうつぶやくと急いで教会へと走り出した。


         ◇


 ジェイドはさらに速度をあげながら南西へと進む。西隣の国オザッカ、その南の小さな島国サヌーク、そして遠く向こうに見えてくる大きな島国のサグ。

 ユリアは地図でしか見たことのない国々を静かに眺めていた。ここのところ平和な時代は続いているが、噂によればこれらの国々は軍拡を進めているという。王国とは友好関係にはあるもののいつまでも平和な時代が続く保証はない。手を合わせて平和を祈ってはみたものの、何の力にもなれない自分の無力さに思わずため息を漏らした。


 しばらく飛んで、サグを越えた辺りでジェイドは高度を落としていく。見ると、広い海の中に点々と島があった。

 さらに降りて行くと、島の様子が見えてくる。島の周りはエメラルドグリーンに明るく彩られていた。最初は何の色か分からなかったが、近づいて行くと、それはサンゴ礁と透明度の高い海の色だった。

「うわぁ……」

 ユリアはシールドを解いて思わず身を乗り出す。

「どうだ? 綺麗だろ?」

 ジェイドが言う。

「うん! すごい、すごーい!」

 ユリアはキラキラとした笑顔を振りまきながら、初めて見る南国の海に魅了されていた。


      ◇


 ジェイドはさらに高度を落とし、そのまま真っ白なビーチの沖へ着水する。

 ザザザザー! と派手に波しぶきをあげながら徐々に減速し……、ビーチのそばまでくるとゆっくりと止まった。

 ザザーンという静かな波の音が響き、爽やかな潮風が吹き抜けていく。

「到着だ。お疲れ様」

 ジェイドは首を低く下げる。

 熱を持つジェイドのウロコは、波を受けるとシュワァと音を立てながら湯気を立てた。


 真っ白なビーチにエメラルドグリーンの透明な海、真っ青な空にポッカリと浮かぶ白い雲。ユリアは周りを見回して、

「ヤッター!」

 と、両手を突き上げて叫ぶ。そして、そのまま海に飛び込んだ。

 ザッブーン! と上がる波しぶき。

 ユリアはしばらく陽の光の煌めく透明な海の中をスーッと進み、

 コポコポコポォと上がる泡の音を楽しむ。そして浮力に身を任せて水面に戻ってくると、

 プハ――――!

 と、水面から頭を出し、満足げな顔で大きく息をつく。

「素敵! でも塩辛いね」

 ユリアは片目をぎゅっとつぶりながら、それでもうれしそうに言った。

 ジェイドはうなずくと、

「準備してるね」

 そういってザバザバと波を立てながらビーチに上陸し、ボン! と人化する。そして、アイテムバッグから敷物やロープなどを取り出すと拠点を設営し始めた。松のようなモクマオウの樹にロープを結んでタープを張り、その下に敷物を敷いて小さなちゃぶ台を出す。そしてガラスのピッチャーに魔法を使って氷水を注ぐと、そこにレモンとハチミツを入れてレモネードにし、グラスに注いでグーっと一気飲みをする。


 ふぅ……。

 ジェイドは一息つきながら、エメラルドグリーンの海ではしゃいでるユリアを見て目を細めた。











2-3. やっぱり見てた


 しばらくすると、ユリアが大きく手を振りながらビーチに上がってくる。

 ジェイドは最初ほほえましくユリアを見ていたが、何かに気がついて手のひらで目を覆った。


「ジェイドどうしたの?」

 ユリアは目を合わせようとしないジェイドを不審に思う。

 ジェイドはアイテムバッグから麻のベストを出し、

「これを着て」

 と、そっぽを向きながら渡す。

「え……?」

 何のことか分からなかったユリアは自分の身体を見て驚いた。白いシャツは身体にピッタリと張り付き、濡れて透け透けになっていたのだ。

「きゃぁ!」

 ユリアは両手で胸を隠し、

「み、見たわね!?」

 と、真っ赤な顔で言いながら、ベストをサッと奪い取った。

「遠目だったから見えてない……」

 そう言って、ジェイドはそっぽを向きながらちょっと頬を赤らめる。

 ユリアは急いでベストを羽織り、

「ウソばっかり……」

 そう言って体育座りをしてひざに真っ赤な顔をうずめた。

「レ、レモネードでも飲んで……」

 ジェイドはグラスにレモネードを満たすと、ちゃぶ台に置いた。

 ユリアはしばらくむくれて動かない。

「裸じゃないんだから大丈夫だよ」

 ジェイドはフォローするが、ユリアは微動だにしない……。

 やがて小声で言った。

「ひ、貧弱で恥ずかしいの……」

 ジェイドは首をかしげて言う。

「貧弱? 綺麗だったぞ?」

 するとユリアはガバっと起き上がり、

「やっぱり見てたんじゃないのよぉ――――!!」

 と、叫んでジェイドの二の腕をパシパシと叩いた。

「ごめん、ごめん……」

 ジェイドは渋い顔で目をつぶる。

「……。でも……、ジェイドが悪い訳じゃないもんね……。ごめんなさい……」

 そう言ってユリアはまた体育座りをして小さくなった。

「レモネード、美味しいよ」

 ジェイドは優しく勧めた。

 すると、ユリアは大きく深呼吸を繰り返し、チラッとジェイドを見ると、

「ありがと……」

 と言って、レモネードをゴクッと飲み、水平線を眺めた。

 コバルトブルーに見えるまっすぐな水平線、ぽっかりと浮かぶ南国の雲、燦燦さんさんと照り付ける太陽……、そこは楽園だった。

 ユリアはふぅ、と息をつくと、

「美味しい!」

 と、言って、まだ少し恥ずかしそうな笑顔でジェイドを見る。

 ジェイドはうんうんとうなずき、優しい目で微笑んだ。


       ◇


「では、潜りに行くか……」

 そう言うとジェイドは指輪を見せた。

「ゆ……指輪?」

 困惑するユリア。

「この指輪をしておくと水中でも息ができる」

「そ、そうなの……? じゃ、つけて!」

 そう言うとユリアは両手の指を広げてジェイドに差し出し、赤くなってうつむいた。

 ジェイドは微笑むと、聞いた。

「どの指がいい?」

「ジェ、ジェイドが決めて!」

「そうか……」

 ジェイドはそう言うと、右手の薬指にスッとはめた。

「えっ!?」

 ユリアは真っ赤になっておずおずとジェイドを見上げる。

「嫌か?」

 ニコッと笑うジェイド。

「こ、これって……」

 とまどうユリアにジェイドは、

「さぁ行くぞ」

 と、言ってユリアの手を優しく引いて海へといざなった。

「えっ!? ちょ、ちょっと……」

 ユリアは困惑しながら手を引かれるままに真っ白なビーチを歩き、透明な水の浅瀬をバチャバチャと進んだ。

 腰の深さまで来ると、ジェイドは魔法のシールドをユリアの頭の周りに張って言った。

「では、海の世界にご招待だ。のぞいてごらん」

 ユリアが恐る恐る海の中に顔をつけると、そこには美しいキラキラとした南国の海の世界が広がっていた。白い砂には陽の光が網目状の模様となって揺れ動き、小魚たちが群れ泳いでいる。

「うわぁ……」

 ユリアは満面に笑みを浮かべ、トロピカルな海の世界に魅せられていた。










2-4. 天然のコンサートホール


「さぁ、行こう……」

 そう言うとジェイドも一緒に潜り、ユリアの手を引いた。

 二人は海の世界の中をスーッと潜っていく。

 白い砂浜はやがてサンゴ礁となり、青や真紅の鮮やかな小魚の群れがサンゴの周りを覆っている。ひらひらと舞うミノカサゴを追い越し、さらに沖へと進んで行くと、徐々に風景が青くなっていく。

 上を見上げると海面がキラキラと揺れ、陽の光がオーロラのように煌めきながら光のカーテンを作り、そこをウミガメがゆったりと横切って行った。

「うわぁ、素敵……」

 ユリアは生まれて初めて見る海中の景色に、思わずウットリとしてしまう。

 すると、巨大なナポレオンフィッシュが近づいてきて、好奇心旺盛にユリアの周りをゆっくりと泳ぐ。

 ユリアが手を振ると不思議そうに目玉をキョロキョロさせながら手を眺め……、そして急に身をひるがえすと逃げていった。

 何だろうと思っていると、巨大な影が近づいてくる。ゆうに三メートルは超えようかというイタチザメだった。体には特徴的なしま模様が見える。サメはスーッと近づいてくると、ギョロリとユリアをにらみ、通過していく。ユリアは思わず身をこわばらせた。そして、ゆったりとUターンすると、こちらに戻ってくる。

 ジェイドはサメをにらむと、

 グルグルグル、と重低音を発する。

 するとサメはビクッと驚き、スーッと逃げて行った。

「ふぅ……、ビックリした……」

 ユリアが胸をなでおろすと、ジェイドはサムアップしてニコッと笑う。

 そして、ジェイドはさらに沖へとユリアを引っ張っていく。

 しばらく行くと、紺色の海中の中にぼんやりと黒いものが見えてくる。何だろうと思っているとそれは巨大な穴だった。どこまでも真っ黒な底の見えない深さに思わずブルっと身を震わせるユリア……。

 ジェイドはそんなユリアを見てニコッと笑うと、手を引いてその穴の中へと降りて行く。

 穴は洞窟となっており、向こうの方に開いたいくつかの穴からは陽の光が差し込み、まるでスポットライトが当たっているかのように、揺らめきながら洞窟内を淡く照らしていた。そして、バラクーダのような長細い大きな魚の群れがスーッとそこを横切っていく。それはまるで天然のコンサートホールのようで、ユリアは思わず見とれてしまう。


 海の中は驚きと感動の宝庫である。その後もあちこち海中を散歩し、ビーチへと戻ってきた頃には陽はすでに傾き、砂浜はオレンジ色に染めていた。

 ユリアはタオルで髪の毛を拭きながら、

「海って素敵ね!」

 と、嬉しそうに笑う。

 ジェイドはレモネードを作り直しながらニッコリと微笑んだ。


 ユリアは徐々に傾いていく太陽を見ながら、

「帰るのがもったいないくらいだわ……」

 と、つぶやく。

「今晩はここに泊まる?」

 ジェイドは楽しそうに聞いた。

「えっ!? ど、どこで寝るの?」

「ハンモックを釣ればいい」

 ジェイドはそう言ってタープを結んでるモクマオウの樹を指さす。

「い、いいわよ」

 ユリアは初めての野宿にちょっと不安を覚えつつも、好奇心に惹かれて答えた。


 ジェイドは良さそうなモクマオウの樹を二本探し、それらの枝の間にロープを二本平衡に結び付け、ロープの間に毛布を張った。

 試しに寝転がるジェイド。ハンモックはゆらゆらと揺れ、いい具合である。

 ジェイドは目をつぶり、満足したようにうなずいた。

 それを見たユリアは、

「私も~!」

 と、ジェイドの脇に強引に滑り込む。

「おっとっと……」

 ギシギシと揺れるハンモックに慌てるジェイド。

「うわぁ、ハンモックって不思議ね」

 ユリアは無邪気に喜ぶ。

 やがて夕焼けが空を覆い、水平線の向こうに真っ赤な太陽が沈んでいく。

 二人は何も言わず、その荘厳な大自然のショーを見つめていた。

 茜色に染まる雲、キラキラと夕陽を反射する海面、ザザーンと音を立てながら夕日に染まる波打ち際……、その全てが神聖な感動をともなって胸に迫る。


「ジェイド……、ありがとう……」

 ユリアはジェイドの手をギュッと握って言った。

「どうしたんだ? 改まって」

「私……、ジェイドに良くしてもらってばかりで申し訳なくって……」

「我はユリアといるだけで楽しいぞ」

 ジェイドはユリアの髪をなでながら言う。

「ふふっ、ありがとう……」

 ユリアはそう言うと伏し目がちに続けた。

「私ね、反省してるの」

「えっ?」

「私、幼なじみに裏切られて追放されたんだけど、それって半分私のせいなのよね」

「そう……なのか?」

「私、彼のことは便利な従者だとしか思ってなくて、一人の人間として接してなかったのよ」

「そんな、自分を責めなくても……」

「彼だけじゃないわ。公爵派が暗躍してたなんて知らなかったし、何の興味もなかったの。私は目の前の自分の仕事だけちゃんとしてればいいわって、狭い世界に閉じこもって自分のことだけ考えてたのよ……」

 そして、ユリアは来る途中に見た王都の傷跡を思い出す。

「大聖女だからとおごっていたんだわ。結果として、多くの人を傷つけ、殺してしまったの……」

 ユリアは目をギュッとつぶり、ポロポロと涙をこぼした。

「ユリアはまだ十六才だろ? 責任を感じることなんてない」

 ジェイドはそう言ってギュッとユリアを抱きしめる。

 うっうっうっ……。

 ユリアはしばらく肩を揺らしていた。


 やがて陽は沈み、茜色から群青色への美しいグラデーションが空を覆う。

 宵の明星が西の空に鮮やかに輝き、いよいよ夜がやってくる。

 ユリアは泣き疲れ、ジェイドの体温を感じながらいつの間にか寝入っていった。











2-5. ガラスの五十階建てビル


 パチ、パチン!

 薪のはぜる音でユリアが目覚めると、満天の星々の中、濃い天の川がまるで光の柱の様に立ち昇っていて思わず目をこすり、息をのんだ。

「うわぁ……、綺麗……」


 脇の方ではジェイドが焚火をたいて、ディナーの準備を進めている。香ばしい肉の焼ける匂いが漂ってくる。


「ごめんなさい、何か手伝うわ……」

 ユリアは急いで駆け寄ると、ジェイドは

「では食器を並べて」

 と言ってニコッと笑った。


        ◇


 ジェイドはお皿に肉を削いで、グラスにリンゴ酒を注ぐ。そして、焚火のほのかな明かりの中で乾杯をした。


「さっきはごめんなさい……」

 ユリアは、腫れぼったい目をしながら謝る。

「魔物で被害が出たならそれは魔物のせいだろ? 責任を感じることなんてない」

 ジェイドは肉を食べながら淡々と返した。

「でも……」

「そんなことより、肉が冷めちゃうよ。早く食べて」

 ジェイドは微笑んで言った。

 ユリアは目をつぶって大きく息をつくと、

「そうよね……。それに、終わったことを悩んじゃダメね」

 そう言ってこんがりと焼けたお肉をほお張る。

「美味しい……」

 ユリアはしばらくジューシーな肉の旨味に癒されていた。


「たくさんあるから、いっぱい食べて」

 ジェイドは肉を削いでユリアの皿に肉を追加する。

「ふふっ、ありがと……」

 ユリアはうれしそうに笑った。

 ジェイドはそんなユリアを見て微笑む。


       ◇


 たらふく食べた後、紅茶を飲みながらユリアは聞いた。

「ジェイドさぁ……、魔法は作られたモノって言ってたよね?」

「そうだね」

「でも……、魔法って自分と深い所ですごいなじんでて、後付けされたように思えないんだけど……」

 首をかしげるユリア。

「んー、人間もまた神様たちに作られたものだからね」

「う? 神様……?」

 ユリアは驚いた顔でジェイドを見つめる。

「この星も一万年くらい前に作られて、その時に人間も生まれたんだ」

「ちょ、ちょっと待って!? 一万年!?」

「正確には一万二千年前くらいかな?」

「いやいや、地層とか化石とか、何千万年前の物だってあるわよ?」

「それは神様が埋めたんだよ」

 ジェイドは笑いながら答える。

「埋めた!?」

「神様にしてみたら、その辺をシミュレートしてそれっぽく仕上げるのはお手の物だからね」

 ユリアは絶句した。この世界は神様に作られ、自分の先祖もその時にできたものらしい。

「何か変かな?」

 ショックを受けているユリアを見てジェイドが聞いた。

「え? いや……、神様はなんでそんなことを?」

「さぁ……、神様のすることなんて龍には分からない」

 ジェイドは肩をすくめる。

「会ったこと……あるの?」

「前世で一回、視察に来られた女神様に会った。気さくな方だったよ」

「気さくな女神……。会って何したの?」

「この星の状況を聞かれたので答えたのと……、女神様の住む街、東京に連れてってもらった」

「東京? 神様の街?」

「住んでるのは人間だね。その中に紛れて神様たちの拠点があるんだ。とんでもない街だったよ。ガラス張りの五十階建てのビルとかが建っていて、それがたくさん並んでるんだ」

 ジェイドは両手を広げ、少し興奮気味に言う。

「ガラス張りで五十階!? すごい魔法ね……」

「それが、魔法のない街なんだ」

「へ……? 魔法も無くてどうやって?」

「わからない。東京には一千万人の人が住んでいて、空には何百人乗りの乗り物が飛んで、時速三百キロで走る乗り物が街を繋いでいるんだ」

 ユリアは絶句する。魔法もなしで一体そんなことどうやって実現するのか、皆目見当もつかなかった。

「次に機会があったら連れてってもらうといい」

 微笑むジェイド。

「そ、そうね……」

 この星と自分たちを作った神様が、五十階建てのガラスのビルの街で人々に紛れて暮らしている。ユリアはその信じがたい不思議な話をどう捉えたらいいか途方に暮れ、パチパチとはぜる焚火の炎をボーっと眺めていた。











2-6. 王都陥落


 寝る時間になり、ジェイドはハンモックにユリアを寝かせると毛布を掛けた。

「え? ジェイドはどこで寝るの?」

 ユリアが聞く。

「我は龍となってビーチで寝る」

 そう言って優しく笑うとジェイドは立ち去ろうとする。

 ユリアは急いでシャツの裾をつかんだ。


「ま、待って! さっきみたいに一緒に寝たら……いいんじゃない?」

 少し引きつった笑顔を見せるユリア。


「狭いよ?」

 ジェイドは首をかしげて答える。

 ユリアはうつむいて、

「そ、そうよね……」

 そう言って手を離し、ジェイドに背を向けて毛布をかぶった。

 ベッドで添い寝してもらう暮らしに慣れてしまったユリアには、一人寝はさみしく感じられてしまう。

 ふと気がつくと涙がうっすらと滲んでいる。ユリアはあわてて手でぬぐった。

 男女の営みのないプラトニックな二人ではあったが、ユリアにとってジェイドがそれだけ大きな存在になってしまっていたのだ。


 すると、毛布がそっと持ち上げられ、ジェイドがハンモックに乗り込んでくる。

「寝付くまで一緒にいてあげる」

 ユリアは何も言わず、ギュッとジェイドを抱きしめた。

 急いで動いたものだからハンモックは大きく揺れる。

「おっとっと……。急に動くと危ないぞ」

 ジェイドは飛行魔法でハンモックの揺れを抑えながら言った。

 ユリアは幸せそうにジェイドの胸に顔をうずめる。

 ジェイドはそんなユリアの髪をそっとなで、微笑んだ。


          ◇


 翌日も二人は海に潜り、魚と戯れ、南国のリゾートライフを満喫する。

 午後に海からビーチへと戻ってきた二人は、レモネードを飲んで静かに海を眺めていた。


 すると急にジェイドが険しい表情でブツブツと何かをつぶやきだす。

「……、王都? ……、オザッカ? ……、ありがとう……」

 そして眉をひそめ、考え込む。

「ど、どうしたの?」

 そのただならぬ雰囲気にユリアは恐る恐る聞いた。

 ジェイドは大きく息をつくとユリアをじっと見て切り出す。

「戦争だ。王都が襲撃され、すでに陥落したらしい」

「えぇっ!?」

 ユリアは思いもしなかった事態に青ざめた。

「オザッカの軍隊が一気に王都を襲い、王都側はまともな反撃もできずにあっという間に制圧されてしまったそうだ」

「そ、そんなことあり得ないわ! 王都の軍隊の方が圧倒的に強かったはず……」

 そこまで言って、ユリアはスタンピードのことを思い出す。

「もしかして、魔物との戦いで弱ってしまって……いた……?」

「それもあるが、あっという間に城門を突破されてしまったらしいので、誰かが手引きしたのだろう」

「誰かって!?」

「公爵派じゃないか?」

「そ、そんな! 公爵だって王国の一員よ。王国を裏切るなんて……」

「王国を乗っ取るために公爵はオザッカと手を組んだ、と考えれば全てつじつまが合う。実際、公爵の軍隊は援軍として出てきていないそうだ」

「な、なんてことを……。私が居たらスタンピードも防げたし……」

 と、言ってユリアは、気がついてしまった。

 大聖女の追放、スタンピード襲来、オザッカによる制圧、全部最初から計画だったのでは?

 青ざめるユリア。

 自分が呑気に暮らしている間に進んでいた恐るべき計画。こんな所で遊んでる場合じゃない。

「行かなきゃ!」

 ユリアは目に涙をいっぱいため、ジェイドの手をガシッと握った。

「行って……、どうする?」

 ジェイドは淡々と言う。

「どうするって、決まってるじゃない! オザッカの兵士たちを王都から追い出すのよ!」

「その後は? もう、王族は残っていないと思うが」

「えっ!?」

 ユリアは言葉を失う。

 確かに公爵派が仕組んだとすれば王族は皆殺しにされているだろう。と、なると、オザッカの兵士を追い出しても後に入るのは……誰?

「追い出しても次は公爵の軍隊が攻めてくるだろう」

「そ、そんなぁ……」

 ユリアはがっくりと肩を落とし……、うなだれた。


「これは権力闘争であり、覇権争いだ。ユリアは近づかない方がいい」

 ジェイドは諭すように言う。

 ユリアはあまりにもたくさんの想い、考えが渦巻いてぐちゃぐちゃとなり、頭を抱えた。

 確かに権力闘争であればユリアは近づくべきではない。でも……、優しくしてくれた侍女や聖女のみんながひどい目に遭っているとしたらそれは助けたい。そしてアルシェ……彼がまだ生きているなら力になりたい。自分が強制収容所送りにならなかったのは彼のおかげなのだから。

 ユリアはガバっと身を起こすと、しっかりとした目で言った。

「ジェイド、王都まで送って。この目で見て、できることを考えたいの」

 ジェイドは目をつぶって大きく息をつき、しばらく考える。

 そして意を決すると、ユリアを見てゆっくりとうなずいた。










2-7. 大聖女の矜持


 ジェイドはすさまじい速さでかっ飛んだ。行きよりもずっと高く、ずっと激しい光を放ちながら飛んだ。

 島国サヌークを超え、オザッカを超え、やがて盆地の向こうに小さく王都が見えてくる。

「あぁっ! 燃えてるわ!」

 ユリアは思わず叫んだ。王都はあちこちから黒煙が上がり、物々しい雰囲気が伝わってくる。

 ユリアは初めて見る戦争の恐ろしさに思わず背筋が凍る。あの煙の下では多くの人の命が奪われているのかもしれない。優しかった侍女たちがひどい目に遭っているのかも……。ユリアは目の前が真っ暗になり、うなだれた。


         ◇


 王都が徐々に近づいてきて、被害の様子が明らかになってくる。黒煙は中心部のあちこちから立ち昇っており、宮殿の美しかった庭園も黒焦げになっていた。

「どこに行けばいい?」

 ジェイドは王都へと急降下しながら聞いてくる。

「きゅ、宮殿北側の大広間にお願い!」

 ユリアは青い顔でガタガタと震えながら答える。

 ジェイドが宮殿に接近していくと、炎の矢や氷の槍といった攻撃魔法があちこちから一斉に放たれた。


 ユリアは金色の魔法陣のシールドを展開してそれらの攻撃を弾き飛ばし、ジェイドは攻撃が放たれた拠点に次々とエネルギー弾を打ち込んでいく。


 ズン! ズズン!


 宮殿のあちこちが爆発炎上した。きっと何人も死者が出たに違いない。

 ユリアは、すでに取り返しのつかないレベルで戦争に関与してしまったことに顔面蒼白となり、思わず震える自分の手を見た。

 しかし、これが自分の選んだ道なのだ。元大聖女として、王都を守り続けた矜持きょうじにかけてこの狂った世界を正さねばならない。

 ユリアは涙をポロポロとこぼしながら前を向いた。


          ◇


 宮殿の大広間の大きな窓から中の様子が見える。どうやら宴会が行われているようだった。もう呑気に祝勝会をしているのだ。よく見ると、侍女の女の子をはべらせて酒を飲んでいる。ユリアはぎゅっと奥歯をかみしめ、覚悟を決めた。オザッカを追い出した後の事など後で考えればいい。今は彼女たちの救出が先である。

「ジェイド! 大広間の壁をぶち抜いて!」

 と、叫んだ。

 ジェイドは一瞬考え込み、意を決すると、

「分かった。まかせろ」

 そう言って、中に人がいない辺りの壁にそのまま体当たりしながら着地した。


 ズガーン!

 激しい衝撃音を放ちながら大広間にドラゴンが乱入し、浮かれ切っていたオザッカの将校たちは呆然とする。


「キャ――――!」「うわぁ!!」

 大広間には悲鳴が響いた。


 直後ユリアは

範囲催眠エリアスリープ!」

 と、叫んで激しい光を放つ。

 大広間には金色に輝くオーロラが展開され、無数の光の微粒子が人々に降りかかっていく。

 将校たちも女の子たちも意識を奪われ、バタバタと次々と倒れた。

 しかし、上級将校たちは魔法をレジストし、立ち上がる。


「これはこれは、元大聖女様じゃないですか」

 一番奥で、頬に大きな傷を持つ筋骨隆々とした男が声を上げる。将軍クラスだろう。


「今すぐ王都から出ていって!」

 ユリアは男をにらみ、叫んだ。

 将軍はドラゴンをチラッと見ると肩をすくめながら言った。

「いいでしょう。ドラゴンと事を構えるほど馬鹿じゃない……。その代わり、王都の統治権は公爵殿に取ってもらってください。王都がまとまらずに荒れては困るのでね」

「それはダメよ。今回の侵略の裏に公爵がいることくらい知ってるのよ!」

 将軍はピクッと眉を動かし、腕組みをして考えこむ。すると隣の将校が言った。

「大聖女さまはドラゴンを使って公爵家を滅ぼすつもりですか?」

「王都の街の人たちの安全と平和のためなら何だってやるわ!」

 しかし、将校はいやらしい笑みを浮かべて言う。

「あなた、追放されたんですよね? 何の権限でそんなことを?」

 ユリアはハッとする。追い出す正当性を問われるとユリアは弱い。政治的に言えば無関係な第三者がドラゴンを駆って王都を侵略している形になってしまう。

 そして、言葉を失い、ギュッと唇を噛んで将校をにらんだ。


「黙れ!」

 ジェイドの重低音の叫びが大広間に響いた。

 その腹に響く重低音は本能的に人間には抗いがたい恐怖を呼ぶ。将校たちは青い顔をして黙り込んだ。

「今後どうするかはお前らには関係ない! 今すぐ撤退の指示をしろ!」

 ジェイドはそう叫び、将校に撤退の指示を出させた。

 王宮の外でパッパッパー! パッパッパー! と、撤退ラッパの音が響きわたる。


「て、撤退させました……」

 将校は報告する。

 するとジェイドは、

「ご苦労」

 と言って、カッ! と衝撃波を放ち、将校たちを吹き飛ばした。

 屈強な将校たちもドラゴンにかかれば赤子同然である。皆意識を失って転がっている。

 

 ユリアは侍女たちを起こし、オザッカの将校たちを縄で縛るように指示すると、アルシェを探しに牢屋へと急いだ。














2-8. ざまぁな惨状


 ユリアは人化したジェイドと一緒に、自分が監禁されていた牢屋への階段を下りていく……。

 すると、もわぁと、すえた悪臭が漂ってくる。

 ユリアは眉をひそめ、慎重に降りて行く……。

 最初の牢をのぞくと、衣服をビリビリに破られ、ぐちゃぐちゃに乱暴された女性が白い肌をさらしながら倒れ、痙攣けいれんしていた。


「ひっ!?」

 思わず後ずさるユリア。

 それはついさっきまで男たちにもてあそばれていた女の子。体のあちこちには悪臭を放つ体液が残されていた。


「えっ……? ゲ、ゲーザ……?」

 思わずユリアは口を手で覆う。

 それはよく見ると銀髪を編み込んだ紅い唇の女性、ゲーザだった。

 ユリアを陥れ、追放させた悪女は自らの愚行で墓穴を掘ったのだ。


「じ、自業自得だわ……。ざまぁよ!」

 そう言いながらもユリアの目には涙が浮かび、おもわずジェイドに抱き着く。


 うっうっうっ……。

 ユリアは涙を流しながら、不幸の連鎖、どこかで歯車が狂ってしまった世界を呪った。

 ジェイドはそんなユリアを心配そうに見つめ、髪を優しくなでる。


 すると、隣の牢からもすすり泣く声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。

 ユリアはハッとして隣の牢へ走る。

 そこで倒れていたのはかつての聖女の仲間たちだった。彼女たちにもまた、乱暴された跡が生々しく残り、悲痛なうめきが牢に響く。

 ユリアは清浄化の魔法と治癒魔法を部屋全体にかける。牢の中は金色の光の微粒子が舞い、緑の光の渦がゆったりと牢の中を回った。

「ユリアさまぁ……、うわぁぁん!」「ユリアさまぁ!」

 ユリアは泣きながら飛びついてくる聖女たちを両手いっぱいに抱きしめ、そして一緒に涙を流す。

 例え大聖女であっても、彼女たちの穢された悲しみを癒してやることなんて到底できない。ただ一緒に泣いてあげることしかできなかった。


            ◇


 さらに隣の牢を見ると、教皇が囚われていた。

 教皇はユリアを見るとビクッとして無言のままうつむく。

 ユリアの追放に関与していたはずの教皇。ユリアは険しい声で言った。

「公爵派の暗躍について証言してもらえますか?」

 すると教皇は口を開いた。

「ワシも全貌は知らん。じゃが、こうやって収監されてしまった以上、公爵派の肩を持つ気もない。全て話そう」

「私の追放は公爵派の陰謀だったという事でいいですね?」

「そうじゃ、そなたには……、申し訳ない事をした」

 そう言って教皇は頭を下げる。

「ふざけるな!」

 ジェイドは目の奥に赤い炎を揺らし、重低音のどすを聞かせた声を響かせた。

 ひぃ!

 教皇は恐ろしいドラゴンの威圧にやられ、しゃがみこんで頭を抱え、

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 と、泣き叫んだ。

「謝ってすむ話じゃない!」

 ジェイドはさらに凄んだが、ユリアはそれを制止する。

「そういうのは後にしましょう。今は公爵派の陰謀の立証を優先させたいの」

「な、何でもする。だから許してくれぇ!」

 すっかり恐怖で追い込まれた教皇は、ユリアに手を合わせてひたすら頭を下げた。


         ◇


 次に捕虜が拘束されている大講堂へと移動する。

 大講堂はすでに解放の喜びで大騒ぎとなっていた。

 ユリアが入り口を入ると、

「ユ、ユリア様だぁ!」「あ、ありがとうございます!」「ユリア様――――!」

 と、歓声が上がり、次々と人が集まってくる。

 予想外の大歓迎を受け、圧倒されるユリア。

 もみくちゃにされながら奥に進むと、向こうの方には負傷兵たちがたくさん横たわっていた。雑に巻かれた包帯は血で滲み、高熱を出してうなされているものも少なくない。

 ユリアは、ギョッとし息をのむと、ギュッと目をつぶった。そして、大きく深呼吸を繰り返して心を落ち着かせ、「範囲上級治癒エリアハイヒール!」と、叫んで緑色の光の渦を大講堂中に展開した。

 緑の光の流れは負傷兵たちの身体をすり抜けながら少しずつ治癒の奇跡を起こし続け、やがて、みんな元の身体を取り戻していく。

「おぉぉぉ!」「うわぁぁぁ!」「す、すごいぞ!」

 大講堂にいた人たちは皆、ユリアの起こす奇跡に圧倒され、あるものは涙を流し、あるものはユリアにひざまずいて手を合わせた。


 すると、下級兵士の服装をした黒髪の少年が駆けてきて、

「ユリア、ありがとう!」

 と叫んでユリアの手を両手で包んだ。

 ユリアは一瞬戸惑った。透き通るような白い肌に凛とした鼻筋……、それはアルシェに見えるが……。

「あれ? アルシェ……よね?」

「あ、ゴメンゴメン」

 そう言うと、少年はかかっていた変装の魔法を解き、輝くような金髪とエンペラーグリーンに輝く瞳を取り戻した。

「アルシェ! 無事だったのね!」

 ユリアは死んだと思っていた恩人の登場に感極まってハグをする。

 死を覚悟していたアルシェも緊張の糸が切れ、涙が止まらなくなった。

 二人はしばらくお互いの体温を感じながら無事を喜びあう。

 周りの観衆たちもそんな二人の涙にもらい泣きをして、鼻をすする音がいくつも響いた。












2-9. 公爵の街、ダギュラ


「こんな事態になったのは君たち王族の問題だ」

 ジェイドはアルシェに厳しい声で言う。

 アルシェは驚いて顔を上げ、ジェイドを見る。

「そ、そうかもしれません……」

 アルシェはうなだれた。

「ジェイド、彼はまだ十四歳よ。責任は無いわ」

 ユリアはアルシェをかばう。

 そんなユリアをジェイドは少し不機嫌そうに見つめた。

「ユリア、いいんだ……。王族……というのはそれだけ責任が……あるんだ」

 アルシェはうなだれながら絞り出すように言う。

「これからどうするんだ?」

 ジェイドは淡々と聞く。

「父や兄……主要な王族は全員……処刑されてしまいました。僕が立て直すしかありません……。うっうっう……」

 アルシェはそう言ってうなだれ、ポトポトと涙を落とす。


「アルシェ……」

 ユリアはアルシェを引き寄せ、優しくハグをする。

 ジェイドは何かを言おうとして……、目をつぶるとため息をついた。


        ◇


 今は亡き国王の執務室に移動し、善後策を話し合う。ポイントは二つ、内政をどう立て直すか、と対公爵などの外交をどうするかだった。内政はアルシェが王位を継承したことを国民に広く周知し、生き残った幹部で新たな体制を作り回していくしかない。これは大変だがそれでも作業の話だ。

 問題は外交、これは喫緊の課題だ。公爵の影響を排除をしなくてはならないが、公爵と全面戦争なんてしたらまた外国に狙われてしまう。あくまでも戦争をせずに公爵家をお取りつぶしにしないとならない。しかし、どうやって?


 アルシェはジェイドに頭を下げて言った。

「申し訳ありません、僕に力を貸してくれませんか?」

 ジェイドは不機嫌そうに答える。

「お前たちはユリアを傷つけた。気軽に味方などできん」

 アルシェはうつむき、ギュッとこぶしを握ると、ジェイドに土下座して、

「それについては申し開きもありません。でも、ユリアを陥れたのは公爵です。公爵を倒すのだけ、ご協力いただけませんか? なにとぞ!」

 と、大きな声で頼んだ。

 ジェイドは返答に詰まる。仮にも一国の王が額を床に付けている。その意味は重い。

 大きく息をつき……、そして、ユリアの方を向く。

 ユリアは悩む。もちろん、公爵は倒さねばならない。でも、それはジェイドとは関係ない話なのだ。ユリアが頼めば力は貸してくれるだろうが、それでいいのだろうか? 自分への好意を利用する、それは正しいことなのだろうか?

「ジェイド……。私はどうしたらいいの……?」

 ユリアも答えが出せずにジェイドの袖をつまみ、うつむいて言った。

 ジェイドはしばらく思案し、毅然とした態度で言う。

「やはりダメだ。一緒に家に帰ろう。人間界の争いに首など突っ込んじゃダメだ」

 ユリアは泣きそうな顔でジェイドを見上げる。

「王都解放までやったんだ。それで十分じゃないか。追放されたユリアがこれ以上助ける筋合いなんてない」

 確かにその通りである。追放された時、群衆に石を投げられたことを思い出せば、王国で大聖女として復帰する事も素直に喜べない自分がいる。もちろん、大聖女の力を人々のために使い、安心と平和をもたらしたいという思いはある。だが、それは王国の大聖女という地位とはイコールではない。国に帰属しない道だってあるのだ。


「ユリア! お願いだ、見捨てないでくれ!」

 アルシェは立ち上がり、ユリアの手を取って真剣な目で頼む。

 ユリアは悩んだ。アルシェは助けてあげたいが、ジェイドを巻き込むのも気が引けるし、公爵軍の兵士たちにだって家族がいるのだ。敵だからと簡単に殺していい話ではない。

 何が正解か全然見えてこなかった。

 ユリアは目をつぶり、しばらく考えると、ジェイドに聞く。

「公爵をさらってくる。これだけ……、お願いできるかな?」

「さらう……」

 ジェイドは気乗りのしない顔でしばらく考え、

「まぁ……、さらうだけなら……」

 と、嫌そうに答えた。


         ◇


 ユリアを乗せたドラゴンは澄んだ群青色の空を飛ぶ。力強く羽ばたきながら雲を越え、ひたすらに東を目指す。公爵の支配する街、ダギュラが見えてきた頃にはすっかりと暗くなり、上弦の月が高く輝いていた。

「見えてきた、あそこだ」

 ジェイドが言う。


「あそこね……、結界……かしら?」

 ぼうっと明るく光る城郭都市の中心部にはガラスドームのような結界があり、淡く虹色に蛍光して神秘的なイルミネーションとなっていた。宮殿はそのドームの中にある。

「あのくらいなら破れるだろう」

「さすがジェイドね!」

 ユリアはジェイドのウロコのトゲにギュッとしがみつく。


 ジェイドは宮殿に向けて急降下しながら青白く全身を光らせ、直後、衝撃波を放つ。

 衝撃波は結界を砕き、ガシャ――――ン! パリパリというガラスが割れたような音を立てながら崩壊していった。

 ジェイドはそのまま一気に突入し、綺麗に手入れされた庭園の広がる正面玄関前に着地する。

 しかし……、宮殿には明かりはなく、静まり返り、ただ、不気味に街灯だけが魔法の炎を揺らしていた。












2-10. ドラゴンスレイヤー


「これは……、どういうことだ?」

 ジェイドは首を低くしてユリアを下ろしながら言った。

「誰も……いないのかしら?」

「いやいや、まだ宵の口、ディナータイムだ。誰もいないなんてこと無いだろう」

 ジェイドはそう言うと人に戻る。

 そして、二人は不気味に静まり返る宮殿へそろそろと近づいて行った。

 正面の巨大なドアを引いてみると、ガチャリと重厚な音がして動く。カギもかかっていない。

 二人は顔を見合わせ、うなずき合うと恐る恐るドアを開けた……。

 中は真っ暗で、静まり返っている。

「誰も……、いないみたいよ?」

 ユリアがキョロキョロと見回した時だった。急に魔法のランプがポツポツと光り始め、豪奢で広大なエントランスを照らしだす。

 ひっ!

 思わずジェイドにしがみつくユリア。

 ジェイドはそっとユリアの頭をなで、辺りを見回す……。

 エントランスの床には青を基調とした壮大なモザイクが施され、大理石でできた真っ白との壁との対比が美しく、壮麗な雰囲気を演出していた。

 そして、優美な曲線を描きながら二階へと続く赤じゅうたんの階段、王宮よりも立派な造りにユリアはいぶかしがる。


「お待ちしていましたよ、グフフフ……」

 いきなり声がした。

 二人が見上げると、正面の階段をニヤけた男がスタスタと下りてくる。

 それはユリアも見覚えもある、頭の薄くなった小太りの中年、ホレス公爵だった。

「こ、公爵! いたのね!」

 ユリアは公爵の不気味さに気おされながら声を上げる。

「ドラゴンを殺す様子なんて、家の者には見せられないのでね……」

 いやらしい笑みを浮かべるホレス。

 『ドラゴンを殺す』というホレスの言葉にユリアは激しい違和感を覚えた。そんなことただの人間にできる訳がない。なぜ、そんなことが言えるのだろう? ホレスの異様な雰囲気にユリアは背筋に冷たいものを感じた。

「よ、よくも追放なんてしてくれたわね! あなたの悪だくみはバレてるの。法廷で裁いてやるから神妙にしなさい!」

 ユリアは勇気を振り絞って叫ぶ。

「グフフフ、弱い犬ほどよく吠える……ほわぁぁぁ!」

 ホレスがそう叫ぶと、全身がボコボコと膨れだし、肌の色も緑へと変わり始める。

「へっ!?」

 思わず後ずさりするユリア。

 グッ、グッ……グギャァァ!

 ホレスが瞳を黄色に光らせながら苦しそうに喚くと、シャツがパン! と破け、ボコボコと盛り上がった筋肉が不気味に緑色に光った。それは、もはや人間ではない、まるでオーガのような姿だった。

 ひぃぃぃ!

 異形に変化してしまった公爵、その異様さに圧倒されてユリアはジェイドの後ろに隠れる。

「この姿を見た以上、君たちには死んでもらわんとな……」

 ホレスはそう言うと、スラリと幅広の剣を引き抜いた。それは瑠璃色に輝く刀身を持つ美しい剣。表面には幻獣の模様が彫ってあり、もはや宝剣といった風格がある。

「くっ! なぜ、お前がそれを!?」

 ジェイドの表情が険しくなる。

「そう、ドラゴンスレイヤー、龍退治用の神の剣だよ、グフフフ」

 ホレスはまるで曲芸師の様にドラゴンスレイヤーをブンブンを振り回し、クルクルと回した。

 

 ちっ!

 ジェイドは美しい顔を歪めると、気合を込め、全力の衝撃波をホレスへと放った。


 ズン!

 衝撃波はホレスに直撃し、周囲の階段やインテリアがぐちゃぐちゃに壊れて吹き飛ぶ。


 きゃぁ!

 その爆風にユリアは思わずしゃがみ込んだ。


 コツコツコツ。

 爆煙の中から靴音を響かせながらホレスはにやけ顔で現れる。

「物理攻撃無効、魔法攻撃無効、ドラゴンと言えどこの身体、かすり傷一つつけることはできんよ、グフフフ」

 そう言いながら、ホレスはブンとジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振った。刀身から放たれた青く輝く光の刃がジェイドを襲う。ジェイドは瞬時にシールドを展開したが、刃はシールドを素通りし、そのままジェイドの身体を切り裂いた。

 ぐはぁ!

 ジェイドの肩口がザックリと斬れ、血が噴き出す。

「ダ、ダメだ……、逃げる……ぞ!」

 そう言ってジェイドはユリアの手を取って出口に駆けだしたが、

「逃がさんよ」

 ホレスはそう言いながら瞬歩で一気に間合いを詰めると、ジェイドめがけてドラゴンスレイヤーを振りかかぶった。

「ダメぇ!」

 ユリアはジェイドの手を振りほどくと、渾身の神聖魔法を瑠璃色の刀身に放つ。


 ガン!

 強固な結界が膨張する衝撃で刀身が弾かれ、ドラゴンスレイヤーはホレスの手から離れた。

 カン! カン! と音を立てて床を転がっていく。

「くっ! このアマが!」

 ホレスは瞳に憎悪の炎を燃やし、逃げようとするユリアに向けて魔法の鎖を放つ。

 きゃぁ!

 鎖は不気味な紫色の光を放ちながら、まるで触手のようにユリアに巻き付いていく。

 ユリアは魔法で何とか鎖を外そうとあがいたが、全ての魔法は跳ね返され、あえなくグルグル巻きにされ、引き倒された。

「いやぁ!」

「ユ、ユリア!」

 ジェイドは傷口を手で押さえ、血をボタボタとたらしながらユリアを助けようとしたが、ホレスはドラゴンスレイヤーを拾って再度ジェイドに狙いを絞る。

「ダメ! 逃げてぇ!」

 ユリアの悲痛な叫びが広間にこだました。


















2-11. 瑠璃色の刀身


 くっ!

 敵は攻撃の効かない身体にドラゴンスレイヤー、活路を見いだせないジェイドは悔しさで顔を歪めながら一旦外に逃げた。

 そして、そっと窓から中の様子をのぞく。


「おやおや、イケメンに逃げられちゃったな」

 ホレスはそう言いながら鎖を引っ張り、ユリアをソファまで引きずると、髪の毛をガシッとつかみ、ソファに転がした。

「痛ぁい!」

 ユリアは苦悶の表情を浮かべる。

「さーて、ドラゴン。この女をヒィヒィ言わせちゃうぞ!」

 ホレスは金色の目で窓をにらみながらユリアの身体をまさぐった。

「何すんの! やめて!」

 ユリアは身体をよじらせながら叫ぶ。

 するとホレスは、ドラゴンスレイヤーの刃をユリアの頬にピタリと当てる。


 ひっ!

 氷のように冷たい瑠璃色の刀身がユリアを硬直させる。

「暴れると……、この刃が食い込んじゃうかも……しれないよ?」

 そう言ってホレスはドラゴンスレイヤーの刃を少し引く。

 柔らかいすべすべとしたユリアの頬が切れ、血がタラリとたれた。


 ひぃぃぃ……。

 ユリアは何も言えなくなり、涙がポロリとこぼれる。

「さて、ショータイムといこう!」

 ホレスは窓に向いて叫ぶと、ドラゴンスレイヤーの刀身の平たい面でユリアの白いワンピースをパン! と叩いた。

 すると、ワンピースは一瞬閃光を放ち、ポン! と破裂音を伴いながらはじけ飛んだ。

「い、いやぁ!」

 ユリアは全裸となり、かろうじてボロきれが大切な所を覆っている。

 なんとかしたいと、もがくユリアだったが、鎖にガッシリと縛られてどうにもならない。

「なんだ、お前まだ男を知らんのか。イケメンとよろしくやってると思ったんだが……」

 ホレスはいやらしい笑みでユリアの身体をなめるように見た。

「うっうっうっ、やめてぇ……」

 ユリアはか細い声をあげて泣く。

「さーて、ドラゴン! こいつが女になるところをしっかりと見とけよ!」

 ホレスはそう言うとユリアの両足をつかんだ。

「ダメぇ!」

 ユリアは足を動かそうとするがビクともしない。まるで鋼鉄に足をつかまれたかのようにほんの少しも動く気配がなかった。

 その時だった、バン! という扉を蹴る音がしてジェイドがダッシュで駆けてくる。

 血をふりまき、美しい顔を苦痛でゆがめながら瞳を真っ赤に輝かせて飛ぶようにホレスに接近した。


「バカめ!」

 ホレスはドラゴンスレイヤーを振り上げ、ジェイドめがけて振り下ろそうとする。

 その時、ボシュ! という音がして盛大な蒸気がホレスの目の前に吹き上がった。ジェイドは水魔法と火魔法を同時に出し、煙幕としたのだ。


 くっ!

 ホレスはあてずっぽうにドラゴンスレイヤーを振り回したがジェイドには当たらない。

 直後、ジェイドがホレスの頭上に現れた。

「ワシには攻撃など効かん!」

 そう言いながらドラゴンスレイヤーを構えなおすホレス。

 直後、ジェイドは何かを振り下ろす。


 うひぃぃ――――。

 奇妙な声を残して、ホレスは消えた……。

「えっ!?」

 ユリアは驚いた。緑色の巨体が一瞬で消え去ったのだ。

 あっけに取られていると、ジェイドがアイテムバックを見せる。なんと、ホレスをアイテムバッグに収納してしまったのだった。

 通常、生き物を吸い込んでしまわないようにアイテムバッグにはセーフティロックがかかっているが、ジェイドはそれを解除して武器として使ったのだ。


 クッ……。

 ジェイドがガクッとひざをついて、血がポタポタと落ちる。

「あぁっ! ジェイド!」

 魔法の鎖が解けたユリアはボロ布で身体を隠しながら、うずくまるジェイドに治癒魔法をかける。しかし、ジェイドの傷はふさがらず、血がだらだらと流れるばかりだった。


 ツゥ……。

 ジェイドは痛みに顔を歪ませる。

「えっ!? なんで効かないの!?」

 ユリアは必死に何度も治癒魔法をかけた。

「神の力でついた傷には魔法は効かないんだ」

「ど、どうしたら治るの?」

 ユリアは涙をポロポロ流しながら聞く。

「自然治癒で直すしかない。棲み処へ帰らないと……」

 ジェイドはアイテムバッグからユリアの服を出しユリアに渡すと、立ち上がったが……、貧血でふらついた。

「あぁ!」

 ユリアは急いで支える。ジェイドの暖かい血がたらたらとユリアの白い肌を赤く染めながら流れていく。

「ジェ、ジェイド……?」

 ジェイドは荒い息で凄い高熱を発している。

 ユリアはことの深刻さに目の前が真っ暗になる。

「えっ!? ジェイド、ジェイドが死んじゃう――――!」

 ユリアは急いでソファにジェイドを横たえると、傷口に布を当て、ジャケットの袖を器用に縛って止血をする。

 ジェイドは苦しそうに荒く息をするばかりだった。















2-12. 口移し


「ジェイド! お家に帰ろう!」

 ユリアはジェイドに話しかけるが返事がない。意識がもう失われてしまっている。

 一刻を争う事態に、ユリアはジェイドを背負うと飛行魔法で浮かび上がった。

 そして、月夜の空へ飛び立っていく。

 ダギュラの街明かりを受けながら徐々に高度を上げるユリア。

 だが、ジェイドを担いで飛ぶのはユリアには荷が重かった。何度もフラフラとバランスを崩しながらも必死に飛び続ける。

「ジェイド、死んじゃダメ!」

 ユリアは月明かりを浴びながら涙をポロポロとこぼし、必死にオンテークを目指す。

 自分が余計なことを頼んだがためにジェイドを傷つけてしまった。ユリアは自分の考えの甘さが招いた悲劇に打ちひしがれながら必死に飛んだ。

 ジェイドのいない人生なんてもうユリアには考えられない。ジェイドを失ったらもう生きていく自信なんてなかった。

 自分を救ってくれた大切な人、こんな自分を「好き」と、言ってくれたかけがえのない人、自分が命にかけても救うのだ。

 ユリアは歯をぎゅっと食いしばると飛行のイメージを固め、さらに加速していく。

 途中何度も強風であおられるも、ユリアは自分の命も燃やす勢いで力を絞り出し、ただひたすらに遠くに見えてきた火山、オンテークを目指した。


          ◇


 月が沈みかける頃、ユリアはボロボロになりながらようやくジェイドの棲み処に戻ってきた。

 ユリアはジェイドをベッドに寝かせると、服をはいで傷口を露わにする。パックリと開いた肩口の傷はまだ血が止まらず、青黒く変色しており、その痛々しいさまにユリアは思わず歯がガチガチと鳴る。この傷をうまく治療できないとジェイドは死んでしまうだろう。ユリアは涙をポロポロとこぼしながら、浄化魔法をかけた。


 ぐわぁぁ!

 ジェイドは、苦しそうに叫ぶ。浄化魔法が瘡蓋かさぶたになりかけの部分までぬぐってしまっているからなのか、相当に痛そうだった。でも傷口を綺麗にしなければ化膿してしまう。

「ごめんね、ごめんね」

 ユリアは泣きながら手を握り、浄化魔法を続けた。


 消毒が終わると、裁縫道具から糸と針を取り出す。戦場では消毒して傷口を縫うと聞いたことがある。自分は回復魔法が使えるから無関係だと思っていたが今、大切の人の命を懸けて縫わねばならない。

 ユリアはブルブルと震える手を何とか押さえ、溢れてくる血の中、一針ずつ涙をポロポロとこぼしながら縫っていった。

 縫うたびにジェイドは歯を食いしばり、苦しそうにするが、どうしようもない。

「もう少し……もう少し、我慢してね」

 ユリアは袖で涙をぬぐいながら針を進めた。


         ◇


 全部縫い終わると、タオルを縫い合わせた包帯で患部をグルグルと巻き、毛布を掛け、寝かせた。

 しかし、ジェイドの息は荒く、高熱で汗が止まらない。

 このままだと脱水症状になってしまう。ユリアは、水をくんでくると、ジェイドに飲ませようとした。しかし、意識がもうろうとしているジェイドはうまく飲んでくれない。

「あぁ……、どうしよう。ジェイド……」

 ギュッと手を握って、苦しそうに喘ぐジェイドを悲痛な思いで眺めるユリア。

 そして意を決すると、ユリアは自分の口に水を含み、そのままジェイドのくちびるに重ねた。そして舌で少しずつすき間を作り、ジェイドの中へと口移しで流し込んでいく。最初は戸惑っているようだったジェイドも、無心にゴクゴクと飲む。

 何回か水を飲ませると、ジェイドは少し安らいだ表情になって静かに眠りについていった。


        ◇


 ベッドわきで看病しながら眠り込んでいたユリアは、頬を優しくなでられて目が覚めた。

「ん……?」

 目を開けると、ジェイドが優しく微笑んでいる。

「ジェ、ジェイドぉ!」

 ユリアはバッと身を起こすと、ジェイドの手を抱きしめ、ポロポロと涙をこぼした。

「ユリアのおかげだ。ありがとう」

 ジェイドはそう言って震えるユリアに頬を寄せる。

 うっうっうっ……。

 ユリアは大切な人が回復した喜びと同時に、自分のせいでジェイドを失いかけた恐ろしさを思い出し、頭の中がぐちゃぐちゃになってただ泣きじゃくっていた。


 

















2-13. 神様の戯れ


 ジェイドの傷は快方には向かっているものの、重傷であり、少なくとも一週間は寝たきりである。

 その間、ユリアは食事を用意したり、包帯を替えたり、身体を綺麗にしたり、かいがいしく看病をした。

 公爵を捕縛した事はアルシェには伝えてあるが、ジェイドがこんな状態である以上、しばらく王都へは行けない。王国の立て直しは十四歳の新王には荷が重いとは思うが、化け物と化した公爵を見てしまったユリアには、もう政治の世界に近づく気にはなれなかった。


「公爵は……、なんであんな化け物になっちゃったのかな……?」

 ユリアは食後に紅茶を入れながら聞いた。

「分からない。だが、彼が使っていたのは神の力……、人間が手にできるような力ではない」

「後ろに神様がついてるってこと? 神様が私を追放させ、王国を滅ぼそうとしたってことなの?」

「そうなるが……、神様にはそんなことするメリットなんてない。公爵なんか使わなくても一人で王国なんて滅ぼせてしまうし」

 ジェイドは眉をひそめながら紅茶をすすった。

「そうよね……。どういうことなのかしら……」

「神様が関わっているとしたら我はもう出られない」

 ジェイドは傷口をさすりながら言う。

「そうよね……」

 アルシェを手伝ってあげたい思いもあるが、これ以上ジェイドを危険な目に遭わせるわけにはいかないのだ。

 神様の戯れに振り回される人間たち……。

 ユリアは大きくため息を漏らし、紅茶をすすりながら思案に沈んだ。


         ◇


 その晩、ユリアがベッドに入ると、ジェイドが腕枕をしてきた。

「えっ!? 傷口が開くわよ?」

 ユリアは驚く。

「このくらい大丈夫だ。いろいろありがとう」

 ジェイドはユリアの頭をなでながら言った、

 ユリアはジェイドの精悍な男の匂いに頬を赤らめながら、

「このくらい大したこと無いわ」

 と言って、スリスリと頬でジェイドを感じた。

「最初の晩に……」

 ジェイドがちょっと恥ずかしそうに切り出す。

「え?」

「もしかして、水を……飲ませてくれた?」

 ユリアはボッと顔から火が出る思いで真っ赤にして、

「ごめんなさい、あれは必死だったの!」

 そう言ってジェイドの胸に顔をうずめた。

「謝らないで……。もっとして欲しいくらいなんだから……」

 ジェイドはユリアに頬を寄せ、耳元でささやく。

「え……?」

 ユリアは恐る恐るジェイドを見る。

 すると、ジェイドは優しくユリアの頬にキスをした。

 唇の温かな感触にユリアは少しボーっとして……、そして、吸い寄せられるようにジェイドの唇を求めた。

 ぎこちなく唇を重ねるユリアをジェイドは優しく受け入れる。しばらく二人はお互いの想いを確かめるように舌を絡めた。


 想いが高まったユリアはついジェイドを抱きしめようと、もう片方の腕に触れてしまう。

 うっ!

 ジェイドが痛そうな声をあげて固まる。

「あっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 ユリアは慌てて離れた。

「だ、大丈夫……」

 ジェイドは美しい顔を歪めながら傷口を押さえる。

 ユリアはジェイドの様子を申し訳なさそうにしばらく眺め、毛布を広げるとそっとジェイドにかぶせた。


        ◇


 翌日、ユリアが食事の用意をして部屋に持ってくると、ジェイドが深刻そうな顔をしている。


「ど、どうしたの? 何かあった?」

 ユリアがプレートをテーブルに置きながら、引きつった笑顔で聞く。

 ジェイドは大きく息をつくと言った。

「王国で内戦だ。公爵軍が反旗を翻した」

「えっ!? 公爵はもういないのに?」

「先日のオザッカの侵攻で王国軍がかなりやられてしまったので、統制が効かないのだろう」

「ど、ど、ど、どうしよう……」

 ユリアは青くなってうつむく。また多くの人が死んでしまう。アルシェも死んでしまうかもしれない……。

「どうしようもない。人間同士の争いに首を突っ込んじゃダメだ」

「そ、そんな……」

 ユリアが行ったとして戦争なんて止められない。それは分かっているが、王都の人たちが傷つくのは何とか減らしたい。何かいい手は無いだろうか……?

「治癒だけ、ケガを直すのだけやればいいのかも?」

「ダメだ。直した兵士はまた戦いに行くし、ユリアも標的になる」

「じゃあどうしたら!?」

 ユリアは今にも泣きそうな目でジェイドを見る。

 ジェイドは目をつぶり、大きく息をつくと諭すように言う。

「祈る……しかない」

「そんなぁ!」

 ユリアはガックリとうなだれ、涙をポロポロとこぼす。

 自分の無力さ、神の理不尽さ、そんな神に踊らされる人間たちの不甲斐なさに打ちのめされ、動けなくなった。










2-14. 荒廃した大地


「勝敗がついたら……、復興を手伝いに行こう」

「そんなこと言って、アルシェが死んだらどうするのよ!」

 ジェイドはムッとした様子で言う。

「あいつは特別なのか?」

「と、と、特別……、なんかじゃないけど……。追放された時にずいぶん助けてもらって勇気づけられたの」

 ジェイドはふぅ……と、息をつくと言った。

「分かった、友達に言って彼が死ぬことのないように警護してもらおう」

「えっ?」

「この情報をくれたのも彼女なんだが、友達の妖狐が今、王都で様子をうかがってくれている。本陣が危なくなったら彼だけでも助けだしてもらうよう頼んでみよう」

「あ、ありがとう!」

 ユリアはジェイドの手を取り、涙をぬぐう。

「戦争が終わったら彼女に美味しいものでも食べさせてやってくれ」

 ジェイドはユリアの手をギュッと握る。

 ユリアはゆっくりうなずいた。


      ◇


 しばらく二人は妖狐からの戦況情報を聞きながら、一喜一憂する落ち着かない日々を過ごしていた。

 すると、突然、とんでもない情報がもたらされる。

 南西にある大きな島国のサグが挙兵してオザッカに攻め込んだというのだ。オザッカは先の王都侵攻で将校たちが囚われ、軍事力に陰りが出ているのは確かだったが、全く予想外の事態にユリアはうろたえる。


「王国が分裂してるからチャンスだと思ったんだろう」

 ジェイドが淡々と言った。

「サグがオザッカを制圧したら王国にも……来るかな?」

 ユリアが泣きそうな顔で言う。

「反乱をうまく鎮圧できなければ来るだろうね」

「そ、そんな……」

 うなだれるユリア。

 ジェイドは心配そうにユリアを見つめ、そっとハグした。


 事態はさらに混迷を深めていく。

 オザッカをあっという間に制圧したサグはその勢いのまま王都へと侵攻していった。

 アルシェたちは王都で籠城をし、サグを迎え撃ったが、なんとその時、島国サヌークの軍隊が電撃的にサグの首都を急襲したとの報が駆け巡る。

 これですべての国が戦争に突入し、全土が戦火に覆われることになった。

 街の人たちは次々と田舎へと逃げだし、街は閑散として経済もマヒする。さらに軍隊の特殊部隊は敵地の農村の田畑を焼き払い、兵糧攻めを図る。

 食べ物を失った人々は次々と飢えに倒れ、地獄絵図があちこちで展開されることとなった。


          ◇


 じっとしてられないユリアは、朝早くジェイドに内緒で王都へと飛んだ。

 森を越えると焼け焦げた農村が広がり、人の姿はどこにも見えない。あれほど豊かな実りを見せていた豊穣の大地はただの焼け野原となり、まさに地獄と化していた。

 ユリアはあまりのことに呆然とし、涙をポロポロとこぼしながら飛ぶ。


 うっうっうっ……。

 とめどなくあふれてくる涙を止めることをできないまま、ただ、王都へと急いだ。

 遠くに王都が見えてきたが、どうも様子がおかしい。いつもならにぎやかに人が行きかい、あちこちから湯気の上がる活気を見せていた街には何の動きも見られない。

 はやる気持ちを押さえながら近づいて行くと、そこはゴーストタウンだった。あれほど活気にあふれていた街には誰もいなかったのだ。


「うそ……」

 ユリアはその惨状に言葉を失ってしまう。

 つい先日まで王国の中心として十万人の人が暮らしていた活気のある巨大な街が、あちこち焼け焦げた廃墟の街と化してしまっていたのだ。


 かろうじて中心部の方に人の気配があり、ユリアは急いで飛んだ。

 王宮が見えてきたが、美しかった庭園は掘り起こされ、畑となっており、何人かが畑仕事をしている。

 ユリアが着陸しようとすると、魔法が飛んできた。急いでシールドを張って防いだが、次々と攻撃を受け、やむなく引き返すことにする。

 敵意がない事をちゃんと示して丁寧にやればよかったのかもしれないが、荒廃しきった王都や農村を見てしまったユリアは、もういっぱいいっぱいでそんな余裕もなかったのだ。

 


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