ママの彼氏に胃袋掴まれた件

麻木香豆

一話完結

「うわぁ、藍里ちゃんのお弁当……やっぱり美味しそう」

「毎日見てても飽きが来ないわー」


 この高校に転校してきて半年が過ぎようとしていた。全く見知らぬ土地で私は友達ができるかどうか不安だったけど、気づいたら仲の良い友達も増えてホッとしている。


「お、今日は三色弁当か。鶏そぼろに卵にいんげん……あとグラタン?」

 覗き込んできたのは宮部くんだ。彼は私の幼馴染で、中学は別だったけど私が高校一年の時に色々事情があって引っ越してこの高校に転校したらたまたま宮部くんがいて、社交的な彼のおかげですぐクラスメイトと打ち解けたのだ。


 そんな彼は焼きそばパンとメロンパンを購買で買ってきたみたい。他の子もお弁当だったり、学校で提携してる弁当だったり。私は家から待ってきた弁当である。


 一段目は三色弁当、二段目はグラタンとウインナー入りの焼きそばとトマト。

 手を合わせていただきますと言ってまずは鶏そぼろから。


「朝から鶏そぼろなんて無理よ。腕が疲れちゃう」

 と女友達のアキは分かるわかると話してるのを見るとみんな一応料理はするんだなぁって。

 私は作ったことはほとんどないし。


「あ、このそぼろはよく売ってる、瓶に入っているそぼろだよ。時短だとか言ってた」

「え、全部手作りかと思ってたけど……焼きそばとか朝から作るなんてすごいし」

「グラタンもレンチンのだよ。手を抜くところは抜かなきゃって言ってた」


 そう、言ってた。誰がって……。



 この弁当、そして私の家の料理洗濯家事全部を担ってるのは私でも私のママでもない。







 お弁当の時間も終わり、午後からの授業も終えてまっすぐ家に帰ったらその作ってくれた人に感謝の気持ちを込めて弁当箱を真っ先に洗ってごちそうさまでした、それをいうまでが食事だと思ってる。


 そしてその弁当箱を受け取ったのは

「こちらこそ、食べてくれてありがとう」

 と笑顔で答えてくれた、時雨くん。くん、と言っても32歳。


「今、晩御飯作ってるから、藍里ちゃんは着替え終わって落ち着いたら洗濯物カゴ持っていってね」


 優しくて時に面白い、人懐っこくてすぐに仲良くなった。

 ……こんなに男の人を好きになったのは初めてだ。

 

 だけど。


「タダイマァ……」

 ママが帰ってきた。夕方に帰ってくるのは珍しい。どうしたのかな。シングルマザーで私を育ててくれている。仕事も掛け持ちしてていつも疲れている。

 時雨くんがヨロヨロのママを支える。と、ママは私がいる前で時雨くんに抱きつくのだ。


「さ、さくらさん! ちょっと酔っ払ってないのに……藍里ちゃんの前で抱きつくのはやめてくださいよ」

「いいじゃん、減るもんじゃないし」

 とママは時雨くんのほっぺにキスをした。


 そう、時雨くんはママの恋人なのだ。


 私は一旦自分の部屋に入った。時雨くんはなかなか採用が決まらないらしく、そのかわりママが家事全てをやってくれたら家賃いらないし、なんならお小遣いもあげているとか。

 宮部くんはそんなのヒモじゃんとか言ってたけど……。


 ママは40歳。8歳年下の時雨くんが可愛く思えるのだろうか。彼は私の前では甘えたようにはしてないけど二人きりだと甘えてるのかな……。


 ってあまり考えたくないよ。ベッドにうずくまる。私がこうやって部屋に入ってる時、二人は抱きついたりキスしたりしてるかもしれない。

 てかもう数ヶ月も一緒に住んでいるからママと時雨くんはもうそんな関係だろう。ドラマや漫画の見過ぎだ。


 ママはお父さんと離婚して岐阜から関東に逃げて数年住んで、今年になって愛知に引っ越して数ヶ月ですぐ彼氏できるって……羨ましいよ。


 そもそも仕事の接待で時雨くんの働いている料亭に行って彼に一目惚れして付き合いはじめたって。

 その直後に料亭が潰れてすぐ居候、時雨くんはヒモ状態。宮部くんには心配されたけど変なことされてないよと言っておいた。ほんと心配性なんだから。



 スウェットに着替えて台所に向かうとソファーにだらしなく寝てるママは毛布をかけられていた。お疲れ様。


 それを横目に……台所からいい匂いがしてきた。じゅーっと音がする。今日は揚げ物かな。台所へ行くと時雨くんが唐揚げを揚げていた。


「いい匂いだね」

「でしょ。今日は焼肉のタレを漬け込んだ唐揚げだから」

「へー、それだけでいいの」

「うん。好みでニンニクチューブ入れてもいいし」

 そう言いながら彼はキャベツを取り出した。普通のキャベツと紫キャベツ。


「藍里ちゃん、キャベツ切ってみる?」

 料理なんて本当にできない。時雨くんに任せっきりだし、彼が来るまではキャベツの千切りだなんてママはカット野菜で買ってくるから家で切るものだなんて知らなかった。


 私はとりあえず頷いて袖をまくって手を洗う。時雨くんは私が家事も料理もできないのは知っている。私はドキドキして包丁を握る。

「緊張するでしょ、前教えたようにやってごらん」

 時雨くんは時折唐揚げを気にしながらも私をみてくる。実のところ千切りは前やったけど全くできなかった。私はキャベツをちぎってまとめて丸めてゆっくり切っていく。

 その間にも唐揚げ第一陣が揚がってキッチンペーパーの上に置かれた。美味しそう。色も形も最高。


「よそ見しないでしっかり、リズム良く」

「はぁい……」


 やっぱり私の不恰好な千切りじゃない千切りキャベツはそんな美味しそうな唐揚げの横に置くのは不憫だ。


 彼は紫キャベツも千切りにしてくれたけどとても器用に千切りにしていく。私の不恰好なキャベツの上に乗せて混ぜ合わせて……コーン缶開けてまぶしていく。


「うわー美味しそうじゃん。太いキャベツと千切りキャベツがいい具合に混ざってるし」

 気づいたらママが起きてきた。そんなに寝てないよね。まだ寝ていて欲しい。私と時雨くん2人の時間だもん。

 てか……キャベツのことは突っ込まないで。メインは唐揚げでしょ。


「焼肉のタレ漬け唐揚げとザクザクキャベツサラダにコーン乗せの完成だよ。キャベツのシャキシャキ感がいいんだよ、居酒屋みたいで」

 彼なりのフォローなのか。ママは笑ってるけどさ。


 ママは冷蔵庫からビールを持って唐揚げと一緒にダイニングは持って行った。

 これをおつまみにするのか。他にも味噌汁、白ごはんがあるけど酒呑みのママはまだいらないだろう。

「唐揚げはまだ揚げるから。たくさん食べてね」

 時雨くんは何で心の広い人なんだろう。ママがあんなにリラックスしている表情は彼と付き合ってからである。


 私のママの印象はずっと何か怯えていて、目線を気にしてて無表情に近かった。笑うことも少なくて常にお父さんの表情を伺っていた。


 もともと家事も料理もできなかったママ。それをお父さんは常に馬鹿にしていた。インスタントやレトルトに頼ると常に説教。かと言ってママが捨てようとするとそんなことをするな! ってお父さんは怒鳴る。ビクビクしたママの表情。かと言ってお父さんも家事も掃除もしない。


 ママはママなりに頑張っていた。耐えてきていた。次第にママはお父さんを怒らせないように、としか行動しなくなった。私はそれを知っている。ずっと見てきた。

 ああ、ママは何でお父さんと一緒にいるんだろう。専業主婦だから? お金がないから?


 と思ったとある日にいきなり

「荷物まとめなさい、行くよ」

 と言われ家を一緒に出たのは高校に入ってすぐのことだったっけ。ママはこっそりお金を貯めて逃げる資金を作ってこっちまで逃げてきたのだ。

 一時期保護施設に私たちは匿ってもらって周りの人のおかげで半年かけてママとお父さんは離婚した。


 それから関東に数年住んで、愛知に移住して数ヶ月でママには時雨くんという彼氏ができて家事も料理もしてもらって今までにない優しく穏やかな顔のママを見た時、私はびっくりした。

 ママ、こんな顔して笑うんだ。そしてこんなにも美しい人だっけ。


 ……時雨くんも笑いかける。優しい顔で。何もできないママに対しても私にでさえも馬鹿にしない。


 唐揚げは私たち3人あっという間に食べてしまってお腹が満たされた。

 と同時にメールが一件入った。

「おや、彼氏からかな」

 ってママが茶化す。

「そうなの?」

 反応した時雨くん。私は首を横に振るが、画面を見ると宮部くんからでドキッとした。

「図星でしょ」

「……彼氏じゃないもん、幼馴染」

「別のところに行ったのにまた再会するなんて運命の人じゃん」


 ……確かにそうかもしれない。住んでいる街は違えど電車で互いの住んでる場所から今の高校には行ける。本当に運命かもしれない。

 もう会えないと思ってた。特に別れの言葉は交わさなかった。だって急だったもん。好きだって言えないまま。


 それからして……私が時雨くんという好きな人ができてから宮部くんと再会するなんて思わなかった。


 メールはさっきご飯食べる前に唐揚げの写真を送った返事だった。

 宮部くんは時雨くんがごはんを作ってくれるって知ってて一度写真で料理見せたら毎晩送ってよって言うから送っている。

『それ、明日の弁当に持ってきてよ』

 だって。


『ごめん、全部食べちゃった』

 って送り返した。


「ほら、ニヤッとして。仲良いんだからー、青春ってやつね」

「だから違うってー」

「ムキになってるの可愛いんだから」

 ママは昔はこんなこと言うような人じゃなかったなぁと思いながらも私は席を立ち食器を台所に運ぶ。


 時雨くんがシンクの前に立って私が運ぶお皿を軽く濯いで食洗機にうまいこと入れている。私にはなかなかできないなぁ。

「ねぇ藍里ちゃん、本当に彼氏じゃないよね」

「だから時雨くんもまに受けないでよ」

「だよね。……よかった」


 えっ、よかったって? 時雨くんはせっせと食洗機に入れていく。なんか微妙な空気。ママはテレビを見始めて笑ってる。ビール3杯目突入。この空気感がもどかしい。


「あ、明日の弁当に唐揚げ入れるね」

「えっ、もう食べちゃったじゃん」

 ふふふって時雨くんが笑った。冷蔵庫から取り出したのは唐揚げが漬けてある袋だった。

「まだ残しておいた」

「さっすがぁ」

「明日は金曜だからカレーかハヤシどっちにしよう」

「カレーがいいな」

「さくらさんはー」

 ママがこっちを見た。

「私はどっちでも〜」

 時雨くんと私は目があった。

「じゃあカレーにしようか」

「そうだね、楽しみ」

 っていつも通りの晩御飯の風景ではあったのだが……。





 次の日のお昼、宮部くんに誘われてお昼は2人で屋上で食べることにした。


 私と宮部くんはベンチに座って私はお弁当を開けた。昨日の唐揚げと白いご飯と卵焼き。

「質素だな、普段より」

「でしょ……実はさ、時雨くんのご実家のお母さんが倒れちゃったみたいで朝一に帰省しちゃった。昨日残してくれた唐揚げをママが揚げてくれて。あと卵焼きも……」

「ごめん、質素って言っちゃって」

 私は首を横に振ってもう一つのお弁当箱を開けた。


「おおお、これが特製焼肉のタレ漬け唐揚げぇ。少し焦げてるけどさ……ってすまん、ケチつけて」

「いいよ。私が作れればよかったんだよ。ママだって仕事忙しいのに慌てて作ってくれた」

「ほんと凄いよ。藍里の母ちゃん。じゃあこれ本当にもらっていいのか」


 だって宮部くんはまた学食のパンだけだもん。


「上手い、揚げたてだったらもっと上手いかもしれんけどこれでも十分美味しい」

「時雨くんとママに言っていくね」

「おう……でもこのキャベツ、ざく切り」

「あ……その」

 昨日切って盛り付けできなかったキャベツの残り。でも彼は気にせず食べてくれた。ホッ。

 あっという間に唐揚げは無くなった。


「今度時雨くんとやらに会いたいなぁ」

「……えっ、まぁいいと思うよ」

「ごちそう出てきそう」

「うんうん、喜んで作るよあの人」

「その時にはこの唐揚げがいいな」

「言っておくよ」

 食べ終わって2人でベンチに座ったまま空を見上げる。周りには数組カップルはいるし、遊んでるっグループもいる。私たちはどう見られているのかな。


「あのさ……時雨くんにね宮部くんは彼氏じゃないよって言ったら『よかった』っていったんだけどどう思う? ママの恋人だよ、普通恋人の娘に……手なんて出すわけないよね。32歳だし、その、ねぇ」


 ってなに言ってんだか。私って突拍子もないことをつい言ってしまうの、昔から。でも宮部くんはそんなこと知っててまた笑ってくれた。


「どう思うってそれ僕に聞くことかよ。お前ってほんと昔から変わってるよな。まぁそこが好きなんだけどさ」

 好き……好きって今言ったよね。どんどんドキドキしていく。


「ますますその時雨くんっていう人に会いたくなったなぁ。僕の恋敵」

 恋敵……。じっと私の目を見る宮部くん。


「それにそんなに自分の母親の彼氏に意識してるって……そっちの方こそ……」

 こんなにジトっとした目で見ないで、宮部くん。


「時雨くんから料理教わろうかな」

「それもいいね。私も習おうと思う……いつも学校から帰ると出来上がってるからさぁ。休みの日も1人でつくってるし」

「……2人で作れるようになれるといいな」

 宮部くんはそう言って私を見た。

「2人で?」

「そ、そのー2人で作るってのはそれぞれ作れるようになろうなっていう意味で、2人で一緒に台所に並んで、じゃない」

「わかってるって」

 お互いもうあたふたしてる。

「それにすっかり藍里は時雨くんに胃袋掴まれてる。それが心配だ」


 心配だって……そんなこと言われると確かにそんな気もする。美味しいんだもん、時雨くんの料理。そして優しい。

 宮部くんはニヤッと笑った。その意味深な笑顔は何?

 昔から私を知ってる人、落ち着く。こうやっているだけでも。ああ、わたしたちが再会するのが時雨くんと会う前だったら……素直にすぐ宮部くんを好きって言えたのに。

 神様は意地悪だ。




 終





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