アンコウの話

@yuzo82

第1話


 「お母さん、ぼく今日おじいちゃんから面白いお話を聞いたよ」「聞かせてちょうだい」

 ぼくはちょっとお母さんの顔を見て声を確かめて、じいちゃんの話しぶりを真似た。

 「昔々、江戸の昔小さな漁村に年老いた漁師が住んでいました。お天気が良いと小舟を出して釣りに出ていました。ところがある日旅人がやって来て、船を沖へ出して遠くに見える富士山をよく見たいと頼まれました。長いこと漁師をしていましたが釣りではなく景色を見に連れて行くのは初めてのことでした。遠くの景色は陸から見ても余り変わらないと漁師の老人は思いました。沖へ出て波に揺られながらただじっと前の景色を眺めているばかりで風景を写し取る様子もありませんでした。何か変わった人だと思いながら釣り糸をたれていると、ぐぐっと当たりが来て(魚がくいついて)あっという間に釣り糸が海中へ引き込まれました。お客を乗せているのも忘れて無我夢中でつり上げると大きなアンコウでした。すると今までじっとして富士山の景色を眺めていたお客さんが急に矢立(筆を入れた道具)を取り出し、あばれるアンコウを目にもとまらぬ筆の動きで何枚も描いていた。じいさんはアンコウを釣り上げた喜びよりも跳ねている魚を一瞬で描き上げる旅人の絵の出来ばえにおどろいた。 漁師は自分を釣り名人だ、と思っていた。ところが旅人の筆の穂先の動きのすごい速さを見て、うぬぼれが消えてしまった。

 次ぎ次ぎにつり上げる魚を全て見事に描いていた。漁師はいつもと違って釣り上げる度に誇らしい気持ちになった。

 その晩は生きの良い魚で酒をくみ交わし、お互いの仕事の苦労話や楽しさや嬉しいことを夜が白むまで続けていた。すっかり眠るのを忘れていた。夜明けの海へ出ると旅人はすっくと立って朝焼けの富士山を眺めて筆を走らせていた。老人の漁師はただただあっけにとられて筆の先を見ていた。好きこそ物の上手なれ、と昔の人は上手いこと言ったものだと思った。

 老人は旅人が江戸の有名な絵師で船からの風景が版画に刷られ、大きなアンコウや魚が漫画になって売られていると聞いて又々おどろいたらしい」

 じいちゃんは自分の北斎漫画を本棚から取り出して見せてくれた。江戸時代の北斎漫画はぼくが想像していた漫画とは違って、今の漫画の絵の元のようなものだった。ぼくはじいちゃんの話に出てきたアンコウが描かれている絵を見ながら漁師と旅人の舟の上での様子を、漫才のように、じいちゃんが漁師でぼくが旅人になって思いつきのセリフを言い合って楽しんだ。

 釣り好きのぼくはアンコウのことが気になって仕方がなかった。

 じいちゃんと一緒にお風呂へ入って舟で釣り上げたアンコウや色々な魚の種類、そうして海の中の様子や江戸時代の生活はどうだったのだろうか、などゴッチャ混ぜの話になって二人は頭から湯気が出るほど長湯してしまった。それでもまだ話したらず湯上がりを良いことにして、話が続いて旅人の旅姿が気になって靴をはいて歩くの、と聞くとじいちゃんは大笑いした。靴などないよ、米わらで編んだわらぞうりだよ、直ぐすり切れるので方々で売っていた、今の人のように靴をポイ捨てするような事はしないではき物は大切にしていた。

 旅人、漁師、富士山、アンコウ、靴のポイ捨て、わらじ、とぶつぶつ言いながら思い返しているとまどろみ始めたのでお母さんに寝るようにうながされた。じいちゃんはもっと話をしたいようだった。

 ベッドへ転げ込むと直ぐに寝入った。

 そして夢を見た。

 ぼくは海の中にいた。大きなアンコウがゆうゆうと泳いでいて変な形をした物をみつけて、けげんそうに、これはおれ様を釣るエサ、それとも珍種の魚かな、とつぶやいているのを聞いて、つい声が出た、それはポイ捨てされた靴だよ、シューズとも言うんだ、江戸の昔のわらぞうりだよ、それにしても変わったヤツだ、おれのエサにはならないのだな、何で海の底へやって来たのだ、海はきれいでなくちゃおれ様が生きていけない、お前も魚にありつけなくなるぞ、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和と百五十年もたっておれ達の住みなれたいきれいな海を汚すなんてゆるせない、お前らの勝手な生き方は周りにいやな物ばかりまき散らしている、優しさを忘れた生活は時代遅れだ、と大きな口をパクパクと動かして太ったお腹を波打たせ、しわがれ声で怒られた、ぼくたち海岸清掃をしているよ、と言おうとしてとっさに口をつぐんだ、汚さないのが自然への優しさだ、尻拭いではダメだ、の声で目が覚めた。

 この夢もお母さんに話さなくちゃ。

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