第2話 エリカ様

雑居ビルの一室のような、東西方向に伸びた長方形の部屋。ヤニで焼けた壁紙は、時計型に浮かび上がった箇所を除いて本来の白さを失っていた。部屋は整理され、一切が収まるべき場所に納まっているよう男には感じられたが、柱のコンクリートにはひび割れがあり天井の電灯には曇りがあった。古さを感じる建物だった。


部屋の中央にはコーヒーカップと一台のノートパソコンが置かれた鼠色のデスクがあり、机を挟んで男と相対するかたちでスーツの女性が笑みを浮かべている。


「いらっしゃいませ。」


男はうろたえた。数秒の沈黙。


「・・・GANTZ的な?」


回らない頭で絞り出す。


「半分正解で半分間違いです。確かにあなたは死んでいます。あなたはトラックにひかれて死にました。そしてその瞬間、あなたの肉体と精神はここに再現されました。その点はGANTZと同じです。」


「もう半分の間違いはなんですか?」


「まず私がお客様に提案するのは異星人との殺し合いではありません。そしてお客様はこの部屋であなた以外の死者に出会いません。そして何より私は黒い球体ではなく絶世の美女です。」


確かに女の外見は整っていた。切れ長の目に濡れた瞳、すらっと伸びた鼻に乗った黒のメガネと小ぶりな口は知性を感じさせる佇まいで、頬骨やあごの輪郭と完璧に調和していた。ただし、絶世の美女と自称するほどには美しくなかった。目の下には深いクマがあり肌は荒れ、後ろで一つに束ねた髪はぼさぼさだった。疲れが彼女の美貌を曇らせていた。


女は説明を続けた。


「お客様に提案させていただくのは異世界への転生です。勇者になって魔王を倒す冒険に出たり、魔法使いとして世界を平和に導くことも夢ではなくなります。お客様の次の人生には幾千もの可能性が開かれているのです。」


女は大げさに抑揚をつけ、普段より半トーン高いであろう声で異世界転生について語り始めた。曰く、この事務所的空間は男がかつていた世界と、それ以外のあらゆる異世界とを繋ぐ中継地点になっているとのことだった。女は自らを“エリカ”と名乗った。


「お客様の能力を弊社、異世界人材派遣会社ソラリスで詳細に検討し、転生先の希望を加味したうえで最適な異世界への転生をサポートしております。ですが、お客様には転生しない権利もございます。」


エリカは男に丁寧に説明を続けた。


「太陽系惑星の一つ、地球で亡くなられたヒトの魂は必ず弊社へと向かいます。そして弊社ではまず、お客様の転生意思の有無を確認させていただいております。お客様の意思と人権は死後の世界でも何より尊重されております。ご安心ください。

 そのうえで、転生を希望される場合は転生先の異世界を選択していただき、異世界ごとに設定されたスキルのなかから任意のモノをお客様にお選びいただきます。

 ですが、転生を希望されないお客様の場合、規則に則りその魂は煉獄へと送られます。文字通り地獄の苦しみを受け、まっさらになった魂は無に帰します。」


「煉獄に行く人なんかいるの?」


「弊社にご来店いただいたお客様は100%異世界転生していただいております。」


当然そうなるだろう。次にエリカは転生を誓約する書類を何枚か持ち出し、男はそのすべてに親指で判を押した。


「ありがとうございます。」


エリカは笑顔で書類を回収し、デスク横のプリンターでどこかにFAXを送った。FAXの揺れを安物のラックが増幅してガタガタと音を立てる。不規則な揺れを男が眺めているとエリカはスーツを脱ぎはじめ、どこからか取り出したジャージに着替えた。FAXの揺れが収まった。

唖然とする男は無視されスーツは脱ぎ散らかされた。デスクに頬杖をつき、だらしなく口を開けたエリカは男に呼びかける。




「畳んで」




エリカはスーツを指して顎をしゃくる。男は直感した。あのFAXは何か重要な分水嶺であり、自分はもはやお客様ではないのだと。そしてエリカの態度から、転生先の裁量は彼女が握っていることを理解した。


「はい!」


事態を理解した男は即座に這いつくばりスーツをラックにかけ、しわにならないようカッターを折り畳んだ。


エリカはデスクの引き出しだから取り出したA4用紙を持ち、ペタペタと事務所を歩き回りながら朗読し始めた。机の上のノートパソコンとコーヒーは、いつの間にか急須とお茶うけになっていた。


「西野タクマ27歳、中肉中背。大阪に生まれる。幼少期を無為に過ごし、流されるまま高校受験をする。そこそこの進学校に進み、中程度の文系大学に進学。新卒でアニメ会社に就職し5年間動画マンを続けるも、その間に受けた原画試験の全てに落ちる。」


エリカが読み上げているのはタクマのプロフィールだった。ここに記された特徴から適した異世界をエリカが選択するのだろう。


「恋愛経験はなく童貞で包茎。包皮をつまんで亀頭を刺激するみっともないオナニースタイル。“二次元でしか抜けない“とTwitterで毎日のように発言しているが、リアルの女に相手にされないことを自分の性癖が原因だと意図的に曲解して自尊心を守っているだけである。“アンジャッシュ渡部は芸能界の宝”など時折核心をつくこともありフォロワーは1000人を超えている。

運動能力は著しく低く頭も悪い。連絡を取るような友人はおらず、会社の同期とは四年会話していない。」


「ここまでの内容に訂正は?」


「ございません。」


引き続きタクマの半生が読み上げられる。タクマは正座で自分のプロフィールを聴き、上目遣いにエリカの表情を盗み見た。彼女の深い発声と冷たい目線、自らの醜悪な半生を読み上げられるという本来最悪なはずの状況が、なぜかタクマの股間を充血させ始めていた。

































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どの異世界がお好みですか?~異世界人材派遣会社ソラリス~ @tomitasu

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