母さんの味マカロニサラダ
仲津麻子
第1話母さんの味マカロニサラダ
「あれ、このマカロニサラダ、いつもと違う」
高校野球の練習で、散々走り回って来たため、お腹が空いて限界だった。料理ができるのを待ちきれずに、食卓に陣取って、時々つまみ食いをしていた。
「ごめんね、残業で遅くなったから、買ってきちゃったのよ」
キッチンで夕食の用意をしている母親の
「なーんだ。スーパーのは、じゃが芋もゆで卵も入ってないし、玉ねぎだって入ってないんだ。それに、魚肉ソ-セージじゃなくて、ハムだしさ。ギョニソーがいいんだよな」
「ごめん、ごめん、今度作るから」
「んー マカロニサラダくらい作ってよ、簡単なのに」
太一ががぼやいた。
「母さん、今夜のおかず、なに」
入って来た次男、
中学生の彼は、ガッシリして背の高い太一よりも、頭一つ背が低く、線も細かった。
「エビフライよ」
「ええー フライか、俺、揚げ物苦手なんだ」
母の答えを聞くと、ガッカリしたように、肩を落とした。洋二は和食派なのだ。
「それじゃ、俺が食ってやるよ」
隣の太一が、ニンマリ笑った。
太一は体格がいいだけあって、何でも好き嫌いなく食べる。育ち盛りのせいか、一人前では足りないこともしばしばだった。
「そしたら、俺、何食べればいいんだ、母さん、何とかしてよ」
「しょうがないわね、じゃ、鮭の切り身があるから、焼いてあげる。それでいい?」
惠子が、冷蔵庫をのぞきながら言った。
「うん、それでいい」
洋二が、納得して口をつぐんだ。
「ただいま、珍しく夕飯前に帰ってこられたぞ」
父親の
ネクタイを緩めながら、片手で洋二の頭をクシャクシャかき回した。
「あら、お帰りなさい」
惠子は、香ばしい匂いがする、揚げたてのエビフライを食卓に乗せた。
木村家のいつもの夕食風景。
兄弟二人が大人になるまでは、ずっと続くと思っていた。
あの日までは……
五時間目の授業中だった太一が、突然呼び出され、病院へ駆けつけたときには、もう、遅かった。
霊安室のベッドに横たわる惠子の前で、茫然と立ち尽くす父親と、その横でどうしていいかわからずに、オロオロと戸惑っている洋二がいた。
「母さん? なんで寝てるんだ」
太一は、足がすくんでベッドに近づくこともできずにいた。
「交通事故だった。ほぼ即死らしい……」
健がつぶやいて、手で顔を
それからは、家族みんな、感情を無くしたかように、まわりから言われるままに惰性で動いていた。
通夜、告別式、納骨、そして初七日と、悲しみなど、どこへ置いてきてしまったかというほど、慌ただしく、決められた通りに進んだ。
すべてが終わった日の夜。三人になってしまった木村家の家族が、食卓で向き合っていた。
どの顔も疲れているようで、黙ったままだ。手持ち無沙汰にぼんやり宙を眺めていた。
「これからは、三人で協力して行かなくてはならない」
父親の健が切り出した。
「父さんは仕事、お前たち二人は学校。これまで通りだ」
太一と洋二が、神妙な顔で、父の顔を見つめるのを確認して、健は、ふうと息を吐いた。
「自分でできることは、それぞれ自分でやることにしよう。それで、洗濯や掃除や食事の用意は交代制だ。いつも母さん任せだったから、うまくできないかもしれないが、じき馴れるだろう」
うなずき合って、当番で家事をすることを決めた。
太一が初めて食事当番になった日。学校が終わり、部活を休んで、買い物をするためスーパーへ立ち寄った。
夕方の店は、夕食の買い物をするお客で混んでいて、元気の良い店員の売り声が響いていた。
いつもは、スナック菓子とドリンクしか買わない彼だった。何を買えば良いのかわからず、戸惑ったまま、
まずは、何を作るか、だよな。インスタント麺くらいしか作ったことないし。考えながら、キュウリ、人参、じゃが芋、玉ねぎと、次々に籠に入れていった。
カレーか、煮物か、そうだ、マカロニ買って、サラダにしよう。あれなら簡単に作れそうだ。彼は考えた。
ウロウロと、店の中を歩きまわって、やっとマカロニの棚をみつけた。一口にマカロニと言っても、色々な形のがあって迷ってしまった。
貝のの形やリボンの形、アルファベットのもあったが、迷ったあげく、真ん中に穴がある見慣れた形のを籠に入れた。
次は、魚肉ソーセージ。これもどこにあるのかわからずに、ハムやベーコンの置かれた冷蔵棚の前を言ったり来たりした。
買い物に時間を取られて、太一が家へ戻ったのは午後五時を過ぎていた。
もうすぐ、サッカー部の練習を終えた洋二が帰ってくる。
急いで作らないと。太一は慌てて制服を着替えると、キッチンのシンクの前に立った。
洗い
それから、じゃか芋と人参の皮を…… むけない! 皮どころか、身まで深くえぐってしまう。薄くむこうと必死になって集中するが、疲れるばかりで、一向にうまく行かなかった。
それでもなんとか、皮をむき終え、細かく切っていく。
こんなもんか__ 鍋に、切ったじゃが芋と、人参と、ついでにマカロニも加え、水を入れて火にかけた。
まあ、柔らかくなれば食えるだろう。 そう考えながら、キュウリと玉ねぎ、魚肉ソーセージを切る。
うーん、キュウリも玉ねぎも薄く切れない。母さんはトントントンと、リズミカルな音を立てて野菜を切っていたが、実態にやってみると、難しいものだと思った。
「ただいま、兄さん、今夜はなに?」
洋二が帰宅して、台所へ入ってきた。
「今、作ってるとこ。忙しいから手伝って」
「うん、これ飲んだらやるよ」
洋二は、冷蔵庫から牛乳のパックを出して、湯飲みに注いでゴクゴク飲んだ。
「コップで飲めよ。湯飲みで飲むと、母さんニオイがつくって嫌がったぞ」
太一が
「だな、母さん、天然のくせに、意外に細かいんだ」
少し寂しそうに笑いながら、洋二はシンクで湯飲みを洗った。
「ああ、兄さん、鍋が
洋二に指摘されて、太一は慌てて火を止めた。ガス台が、吹きこぼれたお湯でひどいありさまだった。
「やっちゃった」
太一は、あわてて鍋の中身をザルにあげ、水を切った。
茹でられた野菜と、マカロニは、確かに、見た目は柔らかくはなっているように思えた。
なにしろ、じゃが芋は、崩れて形がないし、マカロニは茹ですぎたのか、クタクタになっていた。
人参はどうかと言えば、一切れ口に入れてみると、まだ少し固かった。
「ま、最初だからな」
太一は言いわけを
ここまで来て、ハッと、ゆで卵を茹でていなかったことに気がついた。
今回はいいことにするか、考えながら、ぐるぐるマヨネーズを絞り出して混ぜた。
夕食時、父親の健も、残業を切り上げて、早めに帰ってくるようにしたようだった。
三人揃っての夕食。食卓には、大きな深皿に山盛りになったマカロニサラダと、カップ麺がおかれていた。
「ごめん、ご飯炊くの忘れてた」
太一が気まずそうに頭を下げた。サラダ作りにばかり気をとられて、他のことには気が回らなかったのだ。
「いいよ、いいよ、馴れないことをしたんだ、無理しないで。しばらくはお惣菜を買ってきてもいいんだぞ」
父親が笑って言うのに、洋二も、うんうんと首を振った。
「そうだよ、俺、当番になっても、料理できないし。買ってくるつもりだったし」
「次はうまくやるよ、ご飯は最初に炊くか、タイマーをセットしておくべきだった」
太一は言って、ラーメンのカップにお湯を注いだ。
はじめて作ったマカロニサラダは、母さんが作ってくれたものとは、まったく別物になっていた。
くずれたじゃが芋は、まあいい。ポテトサラダ風になって、これはこれで良かった。
ただ、茹ですぎてクタクタのマカロニは、口触りが悪かった。キュウリは水っぽかったし、玉ねぎはひどく辛くて、頭にツンと響いた。
みんな微妙な顔をして、黙々とサラダを口に運び、カップ麺をすすった。
三年後、高校を卒業した太一は、調理師専門学校へ進学した。
高校生になった洋二に、キッチンで講釈をたれていた。
「いいか、野菜はそれぞれ固さが違うんだ。一緒に茹でたらダメだ、別々に茹でろ」
「うん」
洋二が神妙にうなずいた。
「普通は、じゃが芋、人参などの土の下に生える野菜は水から、ほうれん草や小松菜など、土の上に生える野菜はお湯から茹でる」
「へえ、初めて聞いた」
「マカロニは、沸騰したお湯で。他のパスタもそうだが、アルデンテだ」
「なにそれ? アンデルセン?」
「アルデンテ。少し芯がのこるくらい、噛み応えが残るゆで方だ。だいたい、袋の裏に書いてある茹で時間で間違いない」
「へえ、あるでんて、あるでんて」
洋二は、口の中で反芻しながら、手元のメモ帳に書いて行く。
「マカロニサラダって、思ったより手間がかかるね。材料を別々に茹でなくちゃならないなんて面倒だ」
洋二の言葉に、太一も同意して、苦笑いした。
「そうだな、俺、最初にみんな一緒に茹でて、失敗したからな」
「薄く切ったキュウリは、少し塩を振っておくと水分が出るから、手で絞る」
「わかった」
「スライス玉ねぎは、水さらしして辛みを取る。ザルに広げて空気に触れさせて、辛みを取る方法もあるけど、俺は水さらし派だな」
「なるほど、そしたら、マヨネーズをぐるぐるだね」
洋二は手で、マヨネーズを持つ仕草をして言う。
「そうだな。これは好みだが、俺はレモン汁少々と、砂糖も少し入れる。隠し味に醤油を入れてもコクが出る」
「おお」
「たぶん、母さんのマカロニサラダは、そんな味だったと思うよ」
「そうか、よし、俺も作れるようになるぞ。母さんの味は、俺らの味だ」
洋二は言って、こぶしを突き出した。
「だな、母さんの味か、そうだな」
太一も笑って、こぶしを握り、洋二のこぶしに突き当てた。
(終)
母さんの味マカロニサラダ 仲津麻子 @kukiha
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