【第1章最終話】二十七話

 私立浅倉紫水学園中等部、高等部の教員採用試験の二日目。

 私は他の応募者とは別室に案内され、既にかれこれ小一時間ほど、待たされていた。

 前日の筆記試験はヤマが外れ、あまり良い成績ではない状態で二日目の面接を受ける事になったが、それは最初から想定内なのであまり気に病んではない。


「アナタの学力じゃ、多分、筆記試験で危ういんじゃないの?」


 清水さんには、もうこの学校を受けると言った瞬間に、居合い切りの名人のような返す刀でそう言われた。

 ただ、私の作戦は最初から面接重視だったので、むしろ筆記はただの通過儀礼に過ぎないと思っていた。

 そもそも、全く勉強なんてしないで臨んだのだから、わからないのは当然だ。


 待っている間、私は部屋を見渡しながら、「この部屋って何の部屋だったっけ?」と中学時代の記憶を呼び起こしていた。

 浅倉紫水学園中等部は私が卒業した中学だ。

 私が卒業してから、中等部高等部の全ての生徒に行っている無記名のアンケートによると、私が卒業以降、この学校でのイジメの発生件数は九年連続で0件。

 中等部、高等部、千人を超える全校生徒がいるこの学校で、九年間、一件のイジメも起きていないと言うのは、側から見たら驚異的だ。

 その評判で私が入学した時よりも偏差値はさらに上がり、今では全国でも最も難関校の一つになっていた。


 そりゃ、どんな親だってイジメが絶対に起こらない学校と聞けば、自分の大事な子供をそこに預けたいと思うだろう。 


「色鳥松葉さん」


 試験官がやっと私を呼びに来た。もう、忘れられたかとさえ思っていた。

 私は普通の面接の時と同じように「はい」と立ち上がった。

 そう言えば、部屋の中を観察していて、面接の練習とかメイクの確認とかするのを忘れていた。


 まぁ、いいか。


 試験官に先導されて、面接会場に向かったが、途中、廊下の向こうに他の応募者達が面接室に入って行くのが見えた。

 確かあそこは会議室だった部屋。

 やはり、私だけ別室での面接試験になるようだ。


「こちらです」


 私がそっちの方を見ていたのに気がついた様子で、試験官は会議室とは反対の方を指差した。

 中等部の校舎を出て、私一人だけ事務棟へと案内された。

 ここには校長室や理事長室など偉い人の部屋が並んでいて、私も中学時代はあまり近寄らなかった所だ。


──副理事長室──


 試験官は看板にそう書かれた部屋の前で立ち止まった。


「こちらが面接会場になります。どうぞ、お入り下さい」


 私はスーツの襟を正し、ご愛嬌の深呼吸をしてから、ドアをノックした。


「お入り下さい」


 部屋の中から若い声がした。

 副理事長は私が通学していた頃も務めていた方が一昨年に退職し、去年から二十四歳の若い松平副理事長という人に代わったとニュースに書いてあった。


「失礼します」


 私は重いドアを開けて中に入った。ドアの重さで権力を象徴しているつもりなのか、私が人生で開けたドアの中でもトップクラスに重たくて憎たらしいドアだ。


 部屋に入ると大きな机の副理事長の席に座った女性が一人いるだけ、面接官らしき人物はどこにも見当たらない。


「どうぞ、こちらにお掛け下さい」


 副理事長はそう言って、自分の机の前に設置されたパイプ椅子を指した。

 今、私の手前には応接用の向かい合うソファとローテーブルがあり、そこと理事長用のデスクの間の狭いスペースにポツンと置かれた不自然なパイプ椅子。

 この面接がいかに突貫工事で組まれたのかが想像できて、笑いそうになった。


「失礼します」


 少し狭いけど、まぁ、面接を受ける立場として、促されたら座らないわけにはいかない。


「それでは面接を始めます」

「よろしくお願いします」


 副理事長室で、私と松平副理事長の二人だけの面接が始まった。


「まずお名前と最終学歴をお願いします」


 副理事長はそう言って、私の記入した履歴書とエントリーシートに目を落としニヤニヤしている。


「色鳥松葉です。天正体育大学教育学部卒業です」

「体育大学出身ですか……何のスポーツをされていたんですか?」

「高校時代から柔道を始めました。一番の経歴は三回生の時のインカレでベスト4に入り、その後、全日本の強化合宿にも呼ばれました」

「高校時代から初めてその進歩とは、才能がおありだったんですね」

「とんでもありません。ただ、止むに止まれぬ事情があっただけです」


 そう言っている間も副理事長は私の顔を一切見ていない。

 私も作り笑いをせず、無表情で質問には対応していた。


 壁掛け時計の針の音だけが聞こえる。

 ほんと、退屈で無駄な時間だ。


「あれ? 卒業をして一年間、何もしていなかった様子ですが……就職浪人をされていたんですか?」

「就職活動は行なっていましたが……まぁ、厳密に言えばそういう事になります」

「どういう意味ですか、それは?」

「教員免許は四回生の頃に所得しました。ですが、教員採用試験で悉く不合格になったからです。公立以外に私立も受けましたが、どこも採用されませんでした」


 私は大学を卒業してから、一年間、全国の受けられるだけの教員採用試験を受けていた。

 しかし、やはり高校時代の静香ちゃんの書籍の件による炎上事件のせいで、どの採用試験も不採用という結果に終わっていた。


「それで、ウチの学校を受ける事にしたというわけですか?」

「はい」

「それは何故でしょう?」

「まず、ここが私の母校である事、それと……」


 私は咳払いを一回した。嘘を吐く準備をした。


「この学校のフレンズに大変関心を抱いたからです。フレンズという制度を導入して以来、約十年間、校内のイジメ件数は中等部、高等部、共にゼロ。素晴らしい成果だと思います。

 フレンズという制度がどう言ったものなのか、詳しい情報は公開されていませんが、そんな素晴らしい教育制度があるこの学校で教師として働き、一人の人間として生徒への指導法などを学びたいと思いました」

「……は?」


 私の返答に副理事長が返した来た言葉は、その一言だった。

 そして、副理事長の顔が初めて私の方に向いた。まるで苦い虫でも噛んだような表情で私を睨んでいた。


「なんだ、お前、その顔は? 面接受ける人間の表情か?」


 思っていたよりも早く顔を上げて来たので、私はうっかり俯く副理事長に向けていた嘲笑の顔を見られてしまった。


「色鳥松葉さん、面接で嘘を吐かないでいただけますか?」

「いえ、私は本心で答えています」

「もう一度お聞きします! アナタがこの学校を志望した理由は何ですか?」


 私はクスッと笑い、答えた。


「先ほども申しましたが、私はどこの教員採用試験にも受かりませんでした」


 正直、例の炎上事件は予想以上に尾を引いていた。

 柔道の代表合宿でも、私は世界大会に選ばれるかもしれないところまで行った。しかし、マスコミに過去のその事をほじくられるのを恐れた協会は結局、私を出場される事はなかった。


「ですが、この学校だったら採用されるだろうなぁと思ったからです」


 それを聞き、副理事長は鼻で笑った。


「ご存知ですか? 教員採用試験の合格率は最大でも六倍程度です。それに比べ、ウチの学校の採用率は幾らだと思いますか?」

「そこまでは存じ上げません」

「去年は九十倍です。さらに年々増加し、今回に至っては百倍を超えています。それも応募して来ているのは全国の選りすぐりの一流の教員達です。

 たかだか公立の学校の六倍の競争率も突破できない人間ごときが、何故ウチの学校では雇われると思ったんですか?」


 怒鳴り声に近い副理事長の声に部屋はシーンとなり、試験官がドアを開けて中を確かめに来た。

 だが、松平副理事長は「なんでもない」と言って、すぐに追い返した。


「なぜ、雇われると思ったか、ですか?」


 私は笑いを堪えられず、思わずクスッとしてしまった。


「では、逆にお尋ねしますけど。アナタが私を不採用にできるんですか?」

「なに?」

「実は私、松平副理事長とは気が合うと思っていたんですよ」

「どう言う意味ですか?」

「覚えていませんか? 中学三年生のクラス替えの時、アナタ、私にこう言いましたよね? 『なんかムカつくんだよなぁ、お前』って」


 私は満面の馬鹿にした笑みを理事長にくれてやった。


「それがどうかしたのか?」

「偶然ですね。実は私もずっとアナタの事が気に入らなかったんですよ」


 それを聞いた松平副理事長は私の履歴書とエントリーシートをグシャグシャに破り捨てた。

 昔と全然変わっていない。頭に血が昇ると自分を制御することが出来ない。それで何回も足元を掬われているのに。柔道なら秒殺されるな。


「それにしても、ふざけた名前になっちゃいましたね、松平平良って。言い辛いったら無いですよ。清水ちゃんも美月も、名前を聞いて笑ってましたよ」

「テメェ、誰に物言ってるのか、分かってんのか! お前、この学校に落ちたらもう、まともな就職先なんてないんだろ!」


 相変わらず、馬鹿な人だ。


「そちらこそ、良いんですか、私を不採用にしても?」


 もう、私の口からどんどんと笑いが漏れてくる。


「なに笑ってんだ、さっきから!」

「アナタの性格はよく分かってますよ。一度、プライドを踏み躙った人間は一生忘れない。ソイツをボロボロにして地獄に送ってやんないと気が済まない。

 アナタにとっても、これは最後のチャンスですよ? 

 私と清水ちゃんに復讐。

 いまだに根に持ってるんですよね? 体育倉庫で私達に土下座させられた事」

「テメェ!」

「良いんですか? みすみす私を不採用にしても。私が泣いて土下座する所が見たく無いんですか?」


 平良さんの右拳がプルプル震えている。

 私がこの学校を受けると言った時、清水さんからもらったアドバイスは一つだけ『平良を怒らせれば、受かるわよ』と言うものだけ。


「人を平伏させることしか楽しみがないアナタに、私を不採用にする事なんて……できるはずありませんよね、平良お姉様?」

「テメェら! グルでやってんのか!」


 平良さんは顔を真っ赤にさせて、私に目掛けてくしゃくしゃに丸めた私の履歴書を投げつけて来た。

 私はそれを軽々片手で受け止めた。こっちは中学卒業してから柔道で反射神経を培っている。もう、こんな物、当たるわけがない。


「お忘れですか? 私はフレンズの最初のサンプルですよ? この学校でこの紙が私に当たったら、またお父様に叱られますよ?」


 私は丸めた紙を、デスクの上に戻した。

 平良副理事長はその紙を手に取って、速攻でゴミ箱の中に投げ捨てた。

 そして、松平副理事長は机を拳で殴りつける様な勢いで、私の評価シートに大きなハンコを押しつけた。

 バン! という大きな音が室内に響き渡った。


「採用だ」


 それを聞いた私はパイプ椅子から立ち上がり、副理事長に頭を下げた。


「ありがとうございました」

「覚悟しとけよ。四月から地獄を見してやるからな」

「アナタなんかに私をイジメられるんですか? また返り討ちに遭うのがオチですよ、平良さん」

「テメェ、立場分かってんのか!」

「そっちこそ、覚悟しておいて下さい。あの炎上事件、こっちは相当頭に来てるんで。あんたら親子もろとも、潰してやるから」


 副理事長室を出ると、私を連れて来た試験官がビクビクした表情で廊下に立っていた。


「ありがとうございました」

「え、あ、はぁ」


 試験官のキョトンとした顔を見て、妙にホッとした。


「あ、そう言えば、今年の採用人数は一名だけでしたよね?」

「あ、そうですが、それが何か?」

「いえ……では、失礼します。あ、また春からよろしくお願いします」

「はぁ」


 私は試験官さんに頭を下げて、その場を後にした。


 本流の面接、まだ続いているのかな?

 なんか、あの人達には申し訳ない事しちゃったな。



 面接も終わり、ホッとした気分で事務棟を出ると、さすがに懐かしさが込み上げてきた。


 あれから、もう、十年も経ったんだ。


 すると向こうからハイヒールの音をさせて、一人の教員らしい女性が歩いて来た。


「あ……こんにちわ」


 挨拶をしたが、彼女は返事もせず、私の横を通り過ぎて行った。


「あの、四月から、こちらの学校の教師になります、色鳥です。よろしくお願いします!」


 私は、ただ歩いていく彼女の後ろ姿に話しかけ続けた。


「あと……遅くなったけど。助けに来たよ、静香ちゃん」


 そう言った途端、彼女の足がピタッと止まった。


「海道です。こちらこそ、四月からよろしくお願いします、色鳥先生」


 彼女は振り向きもせず、素っ気なくそう言い、校舎の中へ入って行った。

 

 私は「よっしゃ!」と気合いを入れて、学校を後にした。


 それから三日後に、改めて採用通知が私の元に届いた。




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第一章はこれで終わりです。

あと数話、短い話を書くかもしれません。


第二章はそのうち始まると思います。



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フレンズ 〜イジメられるとお金が貰える世界〜 ポテろんぐ @gahatan

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