二十六話

 お母さんの説得が終わった後、私は小早川さんたちをマンションの下まで見送りに行った。

 付き添ってきた弁護士の人が車を取りに行った間、私は小早川さんと二人で話をする事になった。


「今日はありがとうございました」

「御礼なんて良いのよ。むしろ、私たちのせいで松葉ちゃん達に迷惑を掛けたんだから……むしろ、これからが大変よ」

「そうですね……これからどうなるのか、やっぱ不安です」


 小早川さんは「進路の相談とかあったら話聞くよ」と連絡先を教えてくれた。


「でも、先生になるんだ」

「まぁ……一応」


 さっきは勢いで言ってしまったが、まだ具体的なことは何も決めていない。


「と言うか、冷静になって来ると『本当になれるの?』って不安の方が大きいんですけど。なろうって決めたのが、さっき駅のホームだったんで」


 そう言うと小早川さんはプッと吹き出した。


「清水ちゃんが言ってたけど、松葉ちゃんって本当に勢いで決めるんだね」


 そう言われると恥ずかしくなってきた。そもそもフレンズのサンプルだって、何も考えずに勢いで飛び付いた形だし……私ってこんなに思い切りのいい性格だったろうか?


「まぁ、と言っても私もさっき仕事辞めて来たばっかりなんだけどね」


 小早川さんが苦笑いを浮かべながら言った。


「あの仕事、辞めたんですか?」

「うん」


 それで名刺の役職が無かったのかと私は納得がいった。


「本当はもっと早く辞めるつもりだったけど。官僚ってね、留学して五年以内に辞めると、そのお金全額返金しないといけないのよ。だから辞められなくてね」


 小早川さんは苦笑いを浮かべた。


「まぁ、課長にも薄々睨まれてたし、清水ちゃんに動画を流したりとか、やらかしてるから、処罰を受ける前にズラかろうってね」


 初めて会った時、こんなお茶目な表情をする人だなんて、夢にも思わなかった。


「でも、なんで阿雲さんに歯向かうんですか?」

「それは……秘密」


 そう言った瞬間、小早川さんがスッと暗い顔をした。


「まぁ、私も清水ちゃんと同じ。あの男が死ぬほど嫌いってのは確かね」


 その時、車のクラクションの音がした。弁護士の人が車に乗って戻ってきた。


「さーて、家に帰ったら就職活動の勉強しないと、試験まで時間がないからねぇ」

「え? もう決まってるんですか、次の職場?」

「私も……一応かな。試験があるからさ」

「すいません。そんな忙しい時に家に来ていただいて」

「良いのよ。アナタには借りがあったし」

「借り、ですか?」

「正直、土師美月を倉庫に助けに行った時は驚いたわ。あれ見たら、嫌いなやつの言いなりになってる自分が馬鹿に見えてきたの。だから、辞めるって決心できたのは、松葉ちゃんのお陰なのよ」

「私の、ですか」


 私は頭が真っ白になってしまった。

 こんな大人の人が、自分の行動に影響されるなんて、夢みたいだ。


「あのイジメられてた子がこんな勇気ある子になるなんてねぇ。今風に言うと、松葉ちゃんは私の推しだから」

「おし」


 そう言われて、私の顔は赤くなった。

 大人の人に褒められるなんて、生まれて初めてだ。


「ただ、これからも気を付けてね」

「あ、大丈夫です。私はイジメられるのは……あ、慣れてはいないですけど、ちょっとなら我慢できますから。クラスは違いますけど、清水ちゃんもいますし」

「実は……今回の件だけじゃないのよ」


 急に小早川さんの口調が変わった。


「詳しい事は今は言えないけど。実は……アナタがサンプルから外されたのには深い理由があるの」

「理由? 美月達がイジメなくなったからじゃないんですか?」

「それは理由の一つではあるんだけど……もう一つ、大きな理由があるの。むしろそっちの方が重大だったわ」

「大きな理由?」


 なんだろう? イジメられなくなった以外に、何か私におかしな事があっただろうか? 

 何も思い当たらない。

 でも……じゃあ、あの時、平良さんが公園で『用済み』って言ったのはイジメられないからじゃなくて、もう一つの理由の事だったのだろうか?


「もしかしたら、その事であの親子がアナタに何かしてくるかもしれない。何か危険があったら連絡してね」

「あ、はい。ありがとうございます」


 小早川さんはそれだけ言って、友人の弁護士の人の車で帰って行った。

 

 小早川さんは窓を開けて、私に話しかけてくれたけど、私の頭は別の事でいっぱいだった。

 私が外された本当の理由……いったい、何なんだろう?



 家に戻ると、いつもなら付いてる部屋のテレビが消えていた。お母さんは何もなかったかの様に夕飯の準備をしている。


「私さ、明日、学校行くから」


 そう言うとまな板で漬物を切っていたお母さんが「えっ!」と目をギョッとさせて振り向いて来た。


「だ……大丈夫なの、アナタ?」

「こう言うのって休む方が足が重くなっちゃいそうだし」

「そうだけど。ちょっと間を開けた方がいいんじゃ無い?」

「……私さ、中学の時、ずっとイジメられてたの」

「え?」


 お母さんは包丁を置いて、私の方に体を向けた。


「誰に?」

「美月達に中学一年生から、二年生まで」


 そう言うとお母さんの血の気が引いていくのが分かった。


「美月って……あの土師さんがなの?」

「うん」

「でも……あの子とは今は」

「今は友達だよ。美月はもう私をイジメないし」

「でも、そんなイジメてた子と一緒にいちゃ……」

「美月はもうイジメないから」


 少し強めに行ったら、お母さんの体がビクッとなった。


「色々あったの。お母さんには話せない様な事が」

「そ、そうなの?」


 お母さんが硬い表情で作り笑いをしている。

 何をそんな怖がってるんだろう? そんな強く言いっちゃったかな?


「でも、ダメだったら言いなさいよ。なんか言って来る子とかいたら、ちゃんと先生かお母さんに言うのよ」

「大丈夫。自分の問題はちゃんと自分でオトシマエつけるから」


 そう言ってお母さんの目を見ると、お母さんがまた怯えた表情になってしまった。

「どうしたんだろう?」と不思議に思ったけど、話を続けた。


「話を戻すと、ちょっとくらいなら嫌な思いしても我慢できるから、私は大丈夫。部活もやってくる」

「そ……そう」


 お母さんの返事を聞いてから部屋に戻って、制服を着替えた。


 でも、お母さんどうしたんだろう?

 なんか、急に怯えてたけど。私、別に変なこと言ってないと思うけど。


 気のせいかなぁ。


 そう言えば、この前の一年生だけの試合でも相手の子がやたら私の事を怖がってる様子だった。さっきのお母さんみたいな顔をしてたような……でも、あの試合、途中から集中しすぎて記憶がないし。

 最近なんか集中しすぎると、たまに記憶が飛んじゃうんだよな。美月を体育倉庫に助けに行ったときも、途中、記憶が飛んでるところがチラホラある。

 

 まぁ、普段の私が大人しいから、みんなギャップで驚いてるだけかも。柔道も始めたし。



 翌日。

 清水さんが「迎えに行こうか?」と聞いてきたけど、彼女に余計な流れ弾が行くといけないから「一人で行くよ」と返事をした。


 朝、学校が近付くにつれ、同級生達の私を見る視線が昨日までと明らかに違う。

 ヒソヒソと何を言っているかは聞こえないけど、明らかに私の事を噂してい流雰囲気はする話声。

 私に怯えているような、笑い者にしているような、得体の知れない生物を見る様な、色んな眼差しが相まった視線を向けてくる。


 なんか、イジメられていた時とはまた違う性質の不快な空気感だ。


 教室に入ると、私がいなかった時まで続いていた談笑がピタッと止まり、クラスメイトが無言で一斉に私の方を見た。

 私は何事もない様に自分の席について、周りの人に「おはよう」と声をかけた。

 みんな、苦笑いをしながら小さい声で「お、おはよ」とだけ返して、逃げるように何処かへ言ってしまった。

 

 やっぱり、イジメられてた時とは全然違う。

 私を馬鹿にしているんじゃない、みんな、私を恐れているんだ。


 目を合わそうとすると、昨日までニコニコと雑談をしていた人も目を逸らして逃げて行く。そして、私の見えないところで私の陰口をコソコソと言っている。

 まるで私一人だけが人間で、私以外のクラスメイトが虫になってしまったようだ。


 廊下ですれ違っても、私とわかるや、ビクッと警戒のセンサーが反応して目を背けるクラスメイトもいた。

 まるで、廊下で美月とすれ違った時の中学時代の自分を見ているようだった。

 その過剰な怯えぶりに、私は流石にイラッとしてしまった。


 その苛立ちに、私はハッとさせられた。


 中学時代みたいにイジメられると思ったら、むしろ逆だった。

 みんなが私に怯え、みんなが中学時代の私みたいになってしまっていた。


 つまり、今、私が見ている景色は……中学時代の美月が見ていた景色ってことだ。


 その事に気づいてから、私は自分の中の美月と会話をしているような気分になった。

 そして、クラスメイトの中で一番、あの頃の私に似ている生徒を探す様になった。


「あっ」


 私の目に入ってきたのは、さっき廊下で私を見て目を逸らした子。大人しそうな外見をして、私のことを過剰に恐れていた。

 こっちは何もするつもりもないのに、一方的に私のことを恐れて、頭の中で恐怖を妄想して怯えている様子が伝わってくる。


 それに私は自分を拒絶され、自分の感情も制御できない人間だと見くびられている様な気分になった。


──ああ、なるほどなぁ──


 思わず、口からボソッと声が出た。

 なんとなく、美月が私をイジメていた理由が分かった気がした。


 これが美月の見ていた世界なんだなぁ。


 寂しかったんだ、あいつ。



「で、どうなの? 炎上翌日の学校のお味は?」

「茶化してる?」


 お昼休み、清水さんと屋上に行って話した。


「なんか……人の空気って怖いなぁって思った」

「は?」

「美月がなんで私をイジメていたのかがさ、分かったんだよね。あと、速攻で学校辞めたのも」


 清水さんは返事もしないで聞いていた。多分、私の言ってることが支離滅裂だったからだと思うけど。


「なんか、私が何もしなくてもさ、みんなが空気で『私は恐いやつ』って勝手にイメージを作っちゃうの」

「まぁ、よくある事よね」

「でも、今の私なら、多分、本当にクラスメイトの女子くらいなら倒せちゃうし……否定するのもおかしいし」

「うん」

「でもさ、「私そんな人じゃないよ」って否定しても誰もそれを本気で考えてくれないし……そうなってくるとさ、なんかもう私の行く場所っていうか、クラスでの立ち位置が一箇所しか無くなるんだ。そこ以外、いることを許されないっていうかさ」


 また清水さんは無言で聞いて来た。


「多分さ、平良さんと美月って真逆の人間なんだと思う」


 清水さんは「ほう」とだけ言った。


「昔の私にそっくりなクラスメイトがいてね。その子がさ、廊下で私を見ただけで、ビクッてなって目を逸らしたの。俗に言うビビってるってヤツでさ」

「出世したわね、アナタも」

「やっぱ、茶化してるよね?」


 清水さんがクスッと笑った。この子が何考えてるのか、よく分からなくなった。

 なので、話を続けた。


「多分さ、平良さんは自分を恐れている人を見ると快感を覚えるんだと思うんだ。でも、美月は逆で、自分に過剰に怯えてる人にイラッと来るんじゃない? 『私はそんな事しないのに』って」


 清水さんは私が言いたかった事を悟ったのか、「面白い分析ね」と言った。


「性格は正反対なのにさ、その二人が行き着く先は『人を虐める』っていう行動になっちゃうってわけ」

「松葉にしては深いわね」

「私さ、美月に復讐してやるって、悪い事言っちゃったかな」

「は?」


 清水さんが目を飛び出させて私を見た。


「まぁ、イジメてたのはさ、美月が悪いんだけど。ちょっっっっとだけ、美月のこと許せるかもって思った」

「……そう」

「どう思う?」

「『ご自由にどうぞ』としか言えないわよ」

「だよね」

「まぁ、そう言う松葉のが、松葉らしいとは思うけど」

「どう言う意味、それ?」

「『さっきから何言ってんの、この人?』って腑に落ちない感じにしてくれる所とか」

「やっぱ、ずっと茶化してるよね?」

「だって、全然、辛そうに見えないもの、あなた」

「そりゃ……色々ありましたからねぇ、この数年」


 ぼーっと雲を眺めていたら、昨日、なんとなくで決めた進路が今日一日で、はっきりとした形になった。


「今の私が中学一年生に戻ったら、きっと美月とも仲良くなれるし、その頃の自分とも仲良くできると思うんだ。『美月は怖くないよ』って私に教えてあげるだけでさ」

「なんか、一日で大人になったわね、アナタ」

「きっとさ、世界中でさ、たった一言を知らないだけで、永遠にすれ違ってる人達っていっぱいいるんだろうね」


 そこで、チャイムが鳴った。


「その為にはさ、柔道強くなるしかないよね。大学の推薦とか貰えるくらいに」

「決まったのね、進路」

「うん。先生になる。あと、どこで先生やるかも、もう決めたんだ」


 そう言って、清水さんにニコッと微笑みかけた。


「あなた、まさか……」

「まぁ、その為に大学行けるように推薦が欲しい。で、とりあえずさ、クラスで一番怯えてた子と仲良くなろうかなぁって思った。予行演習で」

「なんの予行演習なのよ、それ?」

「てか、美月、何してんだろうね、今?」

「さぁ、寝てるんじゃないかしら?」

「電話してみよっか?」


 とても自然な流れで、二人とも五時間目の授業をサボってしまった。



 









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