二十五話 

「アナタ、まだ決めてないの?」


 高校二年生になり、そろそろ進路を決めないと行けないと言う空気が学校のアチコチから漂い始めた頃だった。

 私が将来の事どころか、志望校も理系か文系かすら決めていないと聞くや、例の如く秀才コンビに呆れられた。


 この一年、部活と勉強についていくのに必死で、将来の事なんか考える余裕もなかった。

 おかげで三学期にあった一年生だけの大会で、私は初めて柔道の公式戦で勝利して、冷やかし半分で見に来ていた美月と清水さんは驚いていた。

 柔道部に入って筋肉がついたからか、以前の様に人を見ても臆することがなくなり、同級生とも自然に会話ができる様になり、一人ぼっちのクラスでも他のクラスメイトにちゃんと溶け込めていたと言う。


 私が普通の人並みにちゃんと生活したんだから、少しは褒めてほしい。


 一方、静香ちゃんは最初の本が売れて、次に出した二冊目の本もヒットし、三冊目の本がゴールデンウィークが過ぎてすぐに発売された。

 そして発売されたその日に、清水さんから早速連絡があった。いつも通りの書評レビューかと思って部活の休憩中にスマホに出たが、清水さんの様子がどうもおかしい。


「アナタ、今から家に来れる?」

「え? 部活中なんだけど」

「なら、終わってから来て」

「あ、うん。あれ、本は?」

「その時話す」


 私は部活が終わると同級生と別れて、清水さんの家に向かった。

 電車の中でもずっとモヤモヤした気分がしていた。清水さんが小説の内容について一切話さなかった事が気になった。


 何かあったんだろうか?


 清水さんの家に着くと、美月が既に来ていて、机の上に静香ちゃんの新しい小説が置かれていた。

 いつもより、部屋の時計の針の音が大きく、鬱陶しく聞こえた。


「アイツらが仕掛けて来たのよ」


 清水さんが口を開いた。


「仕掛けたって……」


 私がボソッと呟くと、清水さんが机の上の小説を手に取った。


「この本の内容……あなた達の事が書かれているのよ。それも実名で」

「えっ」


 私の心臓の鼓動が一気に速くなった。

 自分の名前が小説の中に書かれている、しかも、静香ちゃんが書いた小説に。

 何を書かれたんだろう?


「ど、どう言う内容なの?」

「ほとんど、中学時代の海道静香の自伝的な内容ね」

「それって」

「イジメられていた時の事が克明に書かれているわ」


『自分は苦しい目にあっていても、イジメている人は毎日ヘラヘラ笑って、そして大人になれば社会の中へ何事も無く消えて行く。それが許せない』


「ただ、イジメを行なっていたのが全部、美月になってて平良の名前は何処にも出てこない」

「それって嘘じゃない」

「イジメてたのは本当だから、嘘にはならないんじゃないのかしら」


 美月は私たち二人が話している間も、自分で買って来たらしい静香ちゃんの小説を読み続けていた。


「それで、アナタは仲間の海道静香の事を裏切って、美月と仲良くなった元親友って形で出て来ているわ」

「私が、元親友」


 そう言われて、胸がズキンと痛くなった。

 体育館の裏、下駄箱での静香ちゃんの顔が今でも頭によぎる。


 清水さんがポストイットを貼っていた場所の自分の登場シーンを読んで、私は腕が震えた。


「こんな事、してもいいの?」

「恐らく問題になるでしょうね」

「ならなんで?」

「アナタと美月は絶対に訴えてこないって確信があるからじゃないからしら」


 確かに。

 私は静香ちゃんへの罪悪感、美月は資金面や証拠を向こうが持っている以上、訴えたって勝てない。


「イジメられた海道静香側の証拠は揃っている。それに今の海道静香の知名度と好感度なら、世間は味方になってくれると踏んだんでしょうね」


 美月はずっと本をペラペラとめくっていた。正直、表情から美月の感情が読めなかった。


「実名を出してワザとネットで問題にする。そして『いじめていた方が悪い』って風潮へ世論を扇動していく気なんじゃないかしら」

「それが狙いなの?」

「まぁ、平良とあの男が、アナタと美月に復讐したかったってのが理由のほとんどだと思うけど」


 清水さんが梅昆布茶を飲みながら言った。


「逆らう人間は一生根に持つのが阿雲家の血筋なのよ。まぁ、もう再婚して苗字は変わっちゃったらしいけど」


 他人事のようにそう続けた。


「それが問題の一つ目」

「え、まだあるの?」

「今のは小説の前半の内容。後半になると『フレンズ』が普通に小説の中に登場するの」

「えっ」

「それで美月とアナタは海道静香に復讐される。そう言う内容になっているわ」


 美月がそこでボソッと言った。


「ネットで『フレンズを現実に導入してくれ』って意見が多くなれば、それからフレンズを学校側が検討するって流れで自然に世間に浸透させるって事か」

「まぁ、お金のある私立なら可能でしょうね」


 美月と清水さんが話しているのを私は追いかけながら聞いていた。


「それのついでに松葉と美月に復讐をしたんだと思うわ」

「復讐って?」


 私がキョトンと尋ねると、二人はおめでたい人を見るような目で私を見た。


「要するに私とお前は、今後、真っ当な社会生活を送れなくなるって事だよ」


 美月は読んでいた本を力強く閉じて、テーブルの上に置いた。


「真っ当な社会生活って?」


 ピンと来ていない私を美月が「おまえ、まじか?」と言う目で見て来た。


「要するに、つまり……」


 美月は何故か言葉を選んでいる様子だった。


「おそらく、まともな一般企業にはもう入社できないでしょうね。今、ネットでの入社希望のエゴサーチは、どこの企業でもやっているらしいから。あと大学も、私立、国立、公立で、素行調査や内申点での足切りがある所は無理ね」

「え、大学にも行けなくなるの!」


 私はそこまで言われて、やっと事の重大さを実感し始めた。


「今、インターネットに残った悪評は死ぬまで付きまとう時代だし」


 清水さんはスマホを開いて、私たちに見せてきた。


「もうSNSで本人特定が始まったみたいよ」


 そう言って見せて来たネットの匿名掲示板には美月と私の写真が拡散して表示されていた。


「進路がどうのこうのって言う前に、明日、学校すら行けないかも知れないわよ。アナタ達」

「だな」


 美月は他人事のように頷いた。


「美月、何で他人事みたいに言ってるのよ。学校、どうするの?」

「それより、お前はもっと大事な事を心配しろ」


 その時、私のスマホがブルブルと震え出した。

 表示は『お母さん』と出ていた。


「お母さん……」

「おそらく、アナタのお母さんの耳にも入ったんでしょうね」


 電話に出ると、お母さんは『今すぐ家に帰って来なさい』とそれだけ言って電話を切った。

 今まで聞いた事のないような、怒りを通り越して、赤々と静かに燃える炭のような怒りだった。


「とりあえず、今日は帰るしかないわね」

「……うん」


 美月と一緒に清水さんの家を出た。

 駅まで、私たちは無言で歩いた。というか、今日、美月が話した声を聞いたのは一回だけだ。


「私は学校を辞める」


 半分くらい歩いた所で美月が突然言った。


「でも、お前は辞めるな」


 美月の声は落ち着いていた。

 私は何故か、泣きそうになっていた。多分、美月は今、私に謝ったんだと思う。


 私達が駅に着く頃には、すでに土師美月の特定は終わって、個人情報も全て曝け出されていた。


「お前、なんで落ち込んでんだ?」

「は? そりゃ落ち込むでしょ」

「私が不幸になったんだぞ。嬉しくないのか?」


 美月はそう言って、ちょうど来た反対の電車に乗り込んで言った。


「嬉しくないよ」


 私が呟いた時には電車の中で、美月はスマホをいじって俯いていた。

 嬉しくなんてない。むしろ、怒りが沸々と湧いて来ている。


 静香ちゃんに……いや、阿雲親子に私の復讐を邪魔された。これはもしかしたら私への復讐にあの二人が美月を利用したんじゃないだろうか?

 ここまで私の美月への復讐はいい感じに進んでいた。私と美月は少しづつ打ち解け合ってて、美月は私への罪悪感を感じている素振りがチラホラと見られていた。

 なのに、今回の剣で私と美月の間に距離ができてしまった。あの親子に邪魔された。


「潰してやる、あの親子」


 その時、私の心の中に大きな岩のようなものが出来上がった。断固たる決意と言うのか、私の中にできたとある決意だ。


「絶対にムチャクチャにしてやる」


 その瞬間に私は自分の進路をどうするのかを決めた。ちょうど私が乗る電車がホームに入って来た。



 電車の中で、とりあえずお母さんに何を話せばいいのかを考えた。私一人の問題なら何ともないが、お母さんにまで迷惑が掛かるのは避けたい。

 けど、話せば、お母さんが気絶しそうな事もこの三年間で色々あったし……電車を降りて、家に歩く道のりでも、何にも良い言い訳ができなかった。


「マジッ! 実話なの、これ!」


 駅のホームであの中学の制服を着た生徒達がスマホを見ながら叫んでいた。内容を聞かずとも、私と美月のことを話しているんだと分かった。


 家のマンションの周りをグルグルしながら時間を稼いだが、お母さんへの良い言い訳は出なかった。

 お母さんからまたスマホに連絡が入り、さすがに時間切れだと観念して、私は重い足で自宅へ向かった。


「ただい……」


 家の玄関のドアを開けると、そこに見覚えのない革靴とハイヒールが脱いであるのが目に入った。

 先生かな? と思ったけど。私の担任は男性、大人の女性で家に来る人が思い当たらない。


「あ、帰って来ました」


 リビングからお母さんの声がした。

 やっぱり誰かいるんだ。

 私の予想に反して、声は落ち着いていた。来客があるから他所行きの声にしていると言うのを差し引いても、あまり怒っていない気がした。


「アナタにお客様来てるから、カバン置いたら直ぐに来なさい」

「……それだけ?」

「何がよ?」

「あ、いや。分かった」


 何があったの?

 リビングに誰が来てるんだろう?


 部屋に鞄を置いて、私は制服のままリビングに向かった。


 お母さんが小走りでキッチンの方へ行ったり来たり、一人だけ慌ただしく動き回っているスリッパの音。


「こんにちわ、松葉さん」


 リビングに入るとスーツを着た女性がニコッと私に微笑んだ。そしてその女性の隣にはスーツを着た男性が一人いた。


「こ、こんにちわ」


 私は警戒したまま女性に挨拶をした。

 すると女性は苦笑いを私に向けて来た。


「私の事、覚えてない?」

「え?」

「アナタが中学二年生の時……一度お会いしているんだけど」


 そう言われて、ハッとした。


「あの時の阿雲さんと一緒にいた人?」

「清水ちゃんから聞いてたけど。松葉ちゃん、なんか逞しくなったわね」


 清水ちゃん……


「もしかして、清水ちゃんの師匠って……」


 そこでお母さんが、私の分のお茶を持って戻って来た。


「とりあえず、松葉ちゃんも座って」

「あ、はい」


 あの時のお姉さんはお母さんに改めて挨拶をし、名刺を差し出した。横にいたのは弁護士の方だと言っていた。

 名刺には『小早川 梅』と名前が書かれていたけど……前まであった役職とかが消えていた。


「とりあえず、お話をする前にお母さん。こちらの書類にサインをお願いします」


 と、小早川さんはお母さんの前に誓約書を差し出した。


「あの、何の紙でしょ?」


 お母さんは戸惑っている様子で、自分で質問してる癖に、内容も確認せずもうハンコを押してしまっていた。


「これからお話しする事を決して口外しないと誓っていただく契約です。もし、誰かにお話しした場合、一億円を支払っていただきます」

「いちおく……」


 ハンコを押してしまったお母さんは手からハンコを落としてしまった。


「お母さん、話さなければ良いんだよ」


 私がサポートして、お母さんは我に返った様子だった。


「今日、発売した海道静香さんの小説の内容は、ご存じですか?」

「え、ああ、なんか職場で『うちの娘が話題になってる』って若い子達に騒いでて、それで松葉に話を聞こうと思っていた所で……」

「では、私からご説明させていただきます。まず、この小説の松葉さんの話は出鱈目です」

「え、そうなんですか?」


 お母さんが私を見ながら、小早川さんに聞いた。


「私は前職で文部科学省のこの小説の製作にも関わっている部署に所属していました。そして、松葉さんに関してのエピソードはほぼ全て作り話である事は確認ができています」


 小早川さんがそう言ってくれたけど、私はそれとは裏腹にお母さんを騙している気分になった。


 私が静香ちゃんを裏切ったのは、紛れもない本当の事だったからだ。


「じゃあ、なんでウチの娘がそんな目に遭わないといけないんですか! こんな出鱈目が世の中に出回って、松葉の将来は……」

「お母さん、その事なら大丈夫、私は覚悟できてるから」

「松葉、あなた」

「私が静香ちゃんを助けられなかったんは本当だし、それを静香ちゃんが裏切ったと思ったのも分かるから」


 私は少しだけ自分に有利な風にお母さんに説明した。静香ちゃんも私の名前で嘘を吐いたから、これはお相子だ。


「それに私、もう進路決めたから。今から努力すれば、なんとかなると思う」

「アナタ、進路って何になるのよ?」


 阿雲親子がそう来るなら、私だってやり返すしかない。私なりの方法であの親子に復讐してやる。


「学校の先生」


 お母さんには私の進路の「半分だけ」をその場では伝えた。


「と言う事ですので、この小説で松葉さんのことを責めるのは控えてください。今日はその事をお伝えしに上がったので」


 その後、小早川さんがお母さんの口からこぼれる泣き言とか不安とかを辛抱強く聞いてくれた。

 そのお陰で、お母さんの方もかなり落ち着いた様子になった。


「もし、何かありましたら、こちらの金田がいつでも相談に乗りますので」


 と、小早川さんの隣にいた弁護士の方の名刺をお母さんが受け取り、今日のところはひと段落した。












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