二十四話

 春休みが終わり、私たち三人の新しい高校での生活が始まった。

 クラス分けで美月と清水さんは同じクラスになり、私一人だけが別のクラスだった。と言っても、あの二人が学年に一クラスある特進クラスに入って、成績ギリギリで入学した私は普通のクラスだってだけなのだが……やっぱり一人だけ除け者になったみたいで寂しい気持ちになった。


「アナタに勉強教えるのだって大変だったのに、クラスのことまでは面倒見きれないわよ」


 体育館での入学式の時、偶然隣の席にいた清水さんに突き放された事を言われた。


「でも、清水ちゃん、中学時代はずっと同じクラスだったんだよ。私がいなくて寂しくないの?」

「アナタ、私がいる事に中三まで気付いてなかったじゃない」


 それを言われるとぐうの音も出なくなる。意外とまだ根に持っているようだ。


「そういえば、あなた出席番号何番?」

「二番だった。そこは色鳥だからいつも早いよ。なんで急に聞くの?」

「……べつに」


 入学式の後、一人で心細く新しいクラスの教室に入った。元々、人見知りで明るい方ではない私が、誰一人知っている人のいない世界でやっていけるのだろうか?

 しかも、クラスの半分が男子生徒が外国人みたいに見えて、三年間女子校だった私には衝撃で、余計、心が重くなった。


 しかし、ホームルームの時間が流れていくと、あの中学の教室で感じていた様な絶えず誰かに支配されている様な閉塞感や、いつでも誰かに狙われているような殺気は感じなかった。

 休み時間になると、みんな辿々しく会話をしているのが同い年なのに初々しく見えた。普通の同い年の男女がいるだけの平和な教室だ。


 阿雲圭一から制服が入学式の三日前に届いた。

『サンプルとしての契約は続いている為、くれぐれも自覚を持って行動をしてください』と書かれていた。

 要するに『お前の行動はいつも見ているぞ』と言う事だろう。

 ホームルームの後に担任の先生に職員室に呼ばれ、『前の中学で何かあったのかい?』などとそこはかとなく尋ねられた。

 急に政府の人が来て、監視カメラを学校中に付けるとなれば、教師側からしたら困惑するのは仕方が無いのかもしれない。それに、あの中学から公立にやって来る生徒なんて珍しいし。

 先生は親身になってくれそうな態度だったけど……こちらから何も話せないから、無味無臭で話は終わり、職員室を後にした。


 二人の教室に行こうと、静かでのんびりした廊下を一人で歩いた。学校でこんな気が緩んだ気持ちになったのは、いつ以来だろう?

 また胸のところにカメラが入っている様子だけど。この三年間はそれを意識しないで生活できるかもしれない。


「成績はあの中学と同じくらいだけど。公立の生徒だから、平凡な家庭の人が多いみたいね」

「だよね。なんか、中学の時みたいなヒエラルギーが無かったよね?」


 入学式の帰り道。

 清水さんも美月も公立のほのぼのした空気に少し面食らった様子だった。別に争いを求めているわけではないが、普通ってこういう所なんだと、三人ともカルチャーショックを受けてしまった。


「スクールカーストって公立にもあるみたいだけど、むしろあの中学が特別だったのかもね。平良とか美月とかいたし」


 清水さんがそう言って、嫌味っぽく笑いながら美月の方を見た。

 美月は「なんだよ」と清水さんを見た。 


「ん?」


 なんだろう?

 最近、この二人、私を差し置いて距離が縮まっている気がする。ちょうど、去年の体育倉庫の騒動の後なんかは、私がいないとギスギスして会話もしなかったのに。

 そういえば、この前、清水さんが美月を家に誘ってたし……


「頭のいい人たちだから、無駄なイジメとかもしないと思うわよ。松葉も新しい友達ができるんじゃない?」


 清水さんがニコッとそう言った。

 何、その笑顔……『松葉は一人でやっててくれ』と言いたいのだろうか?


「どうかしたの、松葉?」

「清水ちゃん、私を置いてけぼりにしようとしてない?」

「え?」

「だって、私に新しい友達を作って欲しそうに言うし……」

「いや……それは、クラスが違うんだから、松葉もそっちで友達を作らないと、別にもう平良たちもいないんだからって」


 冷静になれば、清水さんの言葉は私を気遣って言ってくれていたのに、私はいつものイジイジモードでなんでもネガティブに捉える能力が発動してしまった。


「二人は一緒のクラスで、私だけ別のクラス……このまま私一人だけ除け者にされちゃ……」


 と、いよいよ私の気持ちが急降下と言うところで、私は後頭部をカバンか何かで叩かれた。


「いたっ」


 振り返ると美月は私を見て睨んでいた。


「そうやってイジイジするなっての! お前は。またイジメられるぞ」

「……イジメてた人にだけは言われたくないよ」

「口の聞き方だけは達者になったな、ほんと最近」


 と、美月は私の頭にチョークスリーパーをかけてきた。ギブギブギブギブ。


「まぁ、美月の言う事も経験者の意見なんだから、参考にしたら?」


 清水さんがため息をつきながら言った。


「でも、イジイジするなって言われてもなぁ」


 自分ではそんなつもりは無いから、てんで直しようが無い。


「ああ、そうだ、松葉。丁度いいや。ほらよ」


 美月が突然、鞄からプリントを取り出して私に差し出した。このタイミングで丁度いい代物が何でカバンから出て来るんだろう?


「ん? 何このプリント?」

「お前の部活。私が決めておいてやったから」

「は?」

「で、さっきと清水と入部届、出しといてやった」

「はぁ! 何勝手にしてるのよ!」


 一気にイジイジモードが吹っ飛んで、怒りが湧いた。何考えてんの、この女。


「あ! さっき出席番号聞いたの、そう言う事! 清水ちゃんもグルなの?」


 と、私が鋭い視線を送ると清水さんは目を逸らした。あ、グルだ、これと一瞬で分かった。


「来週までには仮入部しないといけないらしいのに、どうせ何も決めてないんだろ、お前?」

「ぐっ」


 美月に痛い所を突かれた。

 何か入らないといけないのは分かってるが、知らない人ばかりのところに飛び込むのが怖くて、この問題は春休みの間、できるだけ考えないようにしていた。


「さっき、お前が職員室に呼ばれてる間に顧問の先生に色々聞いといてやったから。明日から一ヶ月は仮入部扱いだからジャージで良いんだとよ」

「ん? じゃあじ?」


 え、運動部?


「で、そのプリントの必要な道具に丸打てば、学校でまとめて安く注文できると、さっき顧問の先生が言ってたぞ」


 と、美月に渡されたプリントに目を落とした。

 は? 道着? 帯?


「どうせお前、道着なんて持ってないだろ?」

「あの……美月さん。何部に私の入部届出して来たの?」

「道着なんだから。柔道部に決まってるだろ」


 柔道部……?


「お前が入部第一号だとよ。初心者だけど」


 美月が私の肩に手を置いた。


「まぁ、そう言う事だから。明日から頑張れよ。柔道部」

「明日から、私、柔道部?」


 あまりにも自分の世界とかけ離れた出来事に私の脳が理解を示すのに、かなりの時間を要した。

 そして、事の非情さを理解した瞬間……私の口の中は文句の言葉で溢れかえって、大渋滞を起こした。


「ちょっと、私が柔道なんてできるわけないじゃん! 何考えてるの、バカなんじゃないの! 人の入部届勝手に出すのなんて非常識だってわかんないの? そんな勝手な事を許す清水ちゃんも清水ちゃんだけど、清水ちゃんに出席番号聞かせてんじゃないわよ! やるわけないでしょ、柔道なんか! 私ができるわけないじゃん、体育の成績ずっと2だったのに。それも1よりの2だったのよ。なんか、最近、あなたたち二人、私にコソコソおかしいわよ! もう、明日行って断ってきてよ!」

「もう入部したから、一度入部したら仮入部の間は辞められないらしいぞ」

「何してくれてるのよ! 私の青春返してよ! なんで、そんな意地悪するのよ!」

「清水と話し合って決めたんだよ」

「え?」


 私はギョッと再び清水さんの方を見ると、今度は目を逸らさず真っ直ぐ私の方を見ていた。


「清水ちゃん、なんで止めなかったの! 私は柔道とかありえないでしょ!」

「私も最初はありえないと思ったんだけど……」


 清水さんがしばらく考えて言った。


「松葉って身長いくつ?」

「たぶん……157、くらい、かなぁ」

「その言い方は54ってところね」


 バレた。


「美月は165くらいでしょ?」

「この前、64だった」

「わ、私もまだ伸びてるし! てか、私と美月の身長がどう関係あるの?」

「アナタ、10センチも体が大きい美月相手に互角に喧嘩してたんでしょ?」

「え?」


 今まで気付かなかったけど。

 言われてみれば、美月ってなんか私のお姉ちゃんって感じに一回り大きい。


「私もお前に首根っこ引っ張られた時、マジで背骨折れると思ったし」

「アナタ、たまに物凄い馬鹿力出すじゃない。それに、平良たちがいる体育倉庫に一人で乗り込んでくし……意外とアリかもって」

「調べたらよ。ここの学校の柔道部、都内じゃ強豪らしいぞ。そのイジイジした性格直すにはちょうど良いだろ」

「で、でも……」


 自分が柔道着を着て、相手と組み合っているところなんて、微塵も想像ができなんだけど。


「でもじゃねぇんだよ。『フレンズ』だかなんだか知んないけど、変な奴らに振り回されたくないなら、まず物理的に強くなるんだよ」

「強くなる……」


 凄い前に清水さんに言われた事を思い出した。


 この世界は強い方に弱い方は従わざるえないんだ。

 静香ちゃんをあんなのから解放する力ってなったら、並大抵じゃないけど。物理的に強くなるのは、何か役に立つかもしれない、けど……けど……


「明日からは、急過ぎるでしょ!」


 人間、こんな直ぐに心の準備ができるはずが無い。


「うるせーな。私と清水なんて今日からもうバイトだぞ! 一日猶予あるだけマシだろ!」

「美月と清水ちゃんは自分の意思でやるんでしょ!」

「だったら、お前も明日までに自分の意思にして来いよ!」

「無理に決まってるでしょ、本当にドS!」


 そこで喧嘩別れして、家に帰ってお母さんに話したら、驚くと思ったのに「あら、良いじゃない」とすんなり受け入れて、プリントもすんなり記入してしまった。

 なんか、世界で私だけが間違っている様な気分になってしまった。


「なんか松葉が最近、自分の意思で新しいこと始めてて、あの土師さんと清水ちゃんと付き合う様になってからねぇ」


 お母さんは呑気に喜んでいた。

 全部、周りに流されてるだけで、自分の意思でやってる事なんて、一つもないんだけど……そんなにお母さんと会ってないのに、なんで美月って大人に気に入られるのが、こんなにも上手いんだろう。


 そんなこんなで、私は高校入学初日に、自分のイメージとは180度逆の柔道部に入部する事となった。


 そして、運動未経験の私が柔道部の地獄の猛練習に耐えられるはずもなく、毎日「辞めたい辞めたい」と泣き声と言うと、放課後に美月に無理やり柔道場に連れて行かれる毎日だった。

 そして、後ちょっとで仮入部期間が終わる4月のゴールデンウィーク直前、静香ちゃんの受賞作が載っていると言う文芸誌が発売になった。

 私は一応読んでみたけど、眠気に襲われて全くページが進まなかったから、清水さんと美月の判断に任せることにした。


 その晩、部活終わりに家のベッドで倒れていると、清水さんから電話が来た。


「やっぱり、海道静香が書いたモノじゃないわね」


 清水さんが言った。どこか安心したような口調に感じられた。


「どうして、静香ちゃんじゃ無いってわかるの?」

「上手すぎるのよ」

「上手すぎちゃ、いけないの?」


 私はズブの素人丸出しの質問を清水さんに返した。


「中学生が書いた文章なら、どんなに才能があっても稚拙な表現とか展開、間違った言い回しとかがあるはずよ。でも、この作品にはそれがなかった。恐らく、大人の経験豊富な人、プロが書いてる」

「プロ……」


 という事は、この小説は静香ちゃんのゴーストライターが書いたって事か……


「でも、静香ちゃん。前に小説家になりたいって言ってたけど。本当に自分で書いてないの?」

「仮に海道静香の夢がそうだったとしたら、むしろ彼女に同情するわ」

「どう言うこと?」

「自分の力じゃなくて、勝手に夢が叶っていくなんて、人生で一番虚しい事ですもの。子供が一生懸命作っているプラモデルを大人が勝手に作っちゃうような」

「……清水ちゃんって、物書きに興味あるんだね」


 私が言うと、電話の向こうの清水ちゃんが「ひゃっ」と聞いたことのない声を出した。


「わ、私の事は今は良いのよ」

「うん。そうだね」


 なんか、静香ちゃんが泣いてた時の顔を思い出してしまった。


「前に松葉が言っていたこと、私にも理解できたいわ」

「え?」

「海道静香は敵だと思っていたけど。むしろ、一番の被害者かもしれないわね。アナタの助けたいって言う意味が分かったわ」

「……うん」


 清水さんの言葉に余計しんみりしてしまい、顔を枕に埋めた。


「この本は話題性だけで嫌でも売れるでしょうし、海道静香は自分の意思とか裏腹に、これからどんどん有名になって行くはずよ」

「有名にして、どうするの?」


 清水さんは「多分」と小さく前置きをして、言った。


「イジメという物への考えを広げる広告塔の様な形になる。これから次々現れるフレンズのサンプルになる生徒たちの代表になるのが、あの子」


 清水さんに説明されても、漠然としていて私にはイメージできなかった。


「海道静香を使って、フレンズに肯定的なイメージを植え付けてから、一般にも広めるんだと思うわ」


 私は聞いていた途中で部活の疲れのせいで、電話をかけながら眠ってしまった。


 清水さんの言う通り、静香ちゃん本が発売になると、小説なんて読まないお母さんまでが本を買ってきて読んでいた。


「本当にアナタと同級生だったの、この子?」

「うー、うん」

「アナタ、話した事ないの?」

「うー、うん」

「どっちなのよ、その返事は」


 お母さんには、やっぱり私達二人の複雑な関係性を話すわけにはいかず、また微妙な空気になった。


 その後、夏が過ぎると、静香ちゃんの小説は映画、ドラマ、アニメ化までされることになった。

 この辺りから静香ちゃんはよくテレビに出演する様になった。

 かわいいルックスと知的なイメージ、ワイドショーなどで有名なタレントたちの意見を一刀両断にしていく静香ちゃんはどんどん人気になって行った。


 そして、


『私は中学時代まで、イジメにあっていました』


 人気と知名度が上がるにつれ、静香ちゃんはそれをあちこちでオープンに言う様になった。 

 そして、私はその物言いに違和感を覚えた。

 それを言う時の静香ちゃんはいつもカメラの向こうの私を見ながら言っている様な視線をするからだ。 

 その度に私は心臓を抉られる様な恐怖と不快感を覚えた。


 平凡な高校生活を送る日々で、なんだか、平和な日々がじわじわ浸食されていくような、見えない恐怖を感じながら、私は生活をする様になった。


 ネットでは静香ちゃんをイジメていた人間の特定などが始まり出した。


 そして、あの日がやって来た。

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