二十三話 

 阿雲さんは何しに来たんだろう?


「高校の名前をわざわざ直接聞きに来るなんて、確かに不自然ね」


 清水さんにその日の事を話すと、電話の向こうで「うーん」と考え始めた。

 私も思った。

 その気になれば学校に聞けば良いだけだし、今まで私への質問などはスマホに電話して来て終わらせていた。


「私に余計な事をするなって釘を刺しに来たのかな?」

「別に学校から出るんだから、そんな事言うのもおかしいわね」

「だよね? 私の事なんて眼中にない感じだったもん」


 その時の笑顔を思い出したら、また少し腹が立った。


「なんか本題を言おうとしたら、松葉に邪魔されたんじゃないの?」

「私が?」

「他に何かあの男に言った?」


 他には……


 一つ、思い出して私はハッとした。


「静香ちゃんの事、聞いた」

「海道静香……何かあるのかもしれないわね」

「何かって?」

「師匠も言ってたのよ。近々、大きな動きがあるって」

「大きな動き? 静香ちゃんの?」

「わからない。師匠とは別チームが動いているらしいから、詳しい情報が掴めないのよ」


 大きな動き、なんだろう?


「新学期になるとフレンズが本格始動するし、何か変わるのかも」

「それが静香ちゃんと関係あるの?」

「わからないわ。今はなんとも言えないわ」


 清水さんは少し嫌な予感がしている様子だった。


 それから卒業式があり、高校の入学式まで春休みとなった。

 そして、その大きな動きはある日、突然、私たちの目の前に現れた。



 私はその映像を清水さんに呼び出され、清水さんの家のパソコンで動画を見ていた。

 都心の何処かのホテル、壇上のいかにも偉そうなスーツを着た貫禄のある大人たちに囲まれて、静香ちゃんがニコニコと笑顔で立派な額縁に入った賞状を掲げていた。


「静香ちゃん、綺麗」


 シャッターが次々と切られてる壇上で、大人の人みたいなメイクとドレスを身に纏っている画面の向こうの静香ちゃんを見て、私は一旦、危機感を抱いている表情をしている清水さんの横でボソッと呟いてしまった。


「呑気に見惚れてないでよ」

「あ、ごめん」


 でも、ちょっと前まで柄が壊れたメガネをしていた静香ちゃんを知っている私からしたら、その完全に彼女の魅力が引き出された姿は嬉しい反面、どんどん置いていかれてる気分になり寂しく、不安になった。


「あり得ない」


 横の清水さんがそう呟いた。


「あり得ないって?」

「中学生の文章力で、こんな大きな新人賞を受賞できるわけない……」

「そんな凄いの?」

「凄いなんてレベルじゃないわよ。ここから人気作家になった人なんてごまんといるんだから!」

「ご、ごめん」


 清水さんは何故か怒っている様子だったので、思わず私は何故か謝ってしまった。その時、私はふと静香ちゃんが「小説家になりたい」と前に言ってたのを思い出した。

 だけど、今の清水さんには言わない方が良いと思った。清水さん、本いっぱい読んでたし、本好きだし、もしかしたら……。


「これもフレンズの一環なの?」


 清水さんは私の質問に無言でしばらく返事もせずに考えていた。


「とにかく、受賞作を見ないと何とも言えないけど……可能性は高いと思うわ」


 やっぱり、清水さん、動揺している。

 師匠さんが『近々何かある』と言っていた訳で、私ですら、あからさまにそうだと確信しているのに……何か彼女のプライドが許さないのか。


「静香ちゃんを小説家にするのと学校のイジメと何か関係があるの?」

「フレンズを世間に広めていくには、誰かが発信して行くしかないから……政府の人がやるより、若い海道静香がやる方が浸透しやすいんだと思う」


 その後、清水さんはボソッと付け足すように言った。


「彼女、外見も美人だから」

「インフルエンサーってやつ?」

「簡単に言うと、そう、だと思う」


 私は「ふーん」とだけ頷いた。


「松葉って、有名人になりたいとか思わないの?」

「なんで急に私?」


 清水さんは画面を指差しながら言った。


「本来だったら、アナタがあそこにいたかもしれないのよ?」

「私が?」

「アナタは紛れもない、フレンズの第一号なのよ? すごい他人事みたいに話してるけど」


 そう言われ、私は改めて画面の向こうの静香ちゃんを見た。

 偉そうな人達に囲まれて、偉くもない自分を偽ってニコニコする彼女。一度、スポットライトを浴びたら、もう、あの、体育館の裏の二人みたいには戻れない。


「あんまりやりたくないなぁ」


 ボソッと勝手に声が出た。

 きっと、あの時の静香ちゃんも同じことを思っているんじゃないだろうか?


 清水さんと初めて話した時、泣いていた静香ちゃんの意味……これだったのかもしれない。


「フレンズが世の中に広まるのは10年後。それまで、彼女は名前と顔を売ることになる。作家って言うのは世間の人から見たら頭がいい職業だから、フレンズを広めるにはちょうど良いし」


 清水さんはちょっと落ち着いたらしく、そう言って台所にお茶を取りに行った。

 私は一人で画面に映る静香ちゃんを見ていた。


「こんな笑い方、できる子じゃなかったのに」


 画面の向こうにいる彼女は明るい可愛い才能に溢れた女の子。

 でも、そこに彼女の匂いは感じない。


 きっと、この女の子の中で本物の静香ちゃんはずっと歯を食いしばって耐えているんだ。

 私のせいでそうなったと思ったら、胸がキュッと苦しくなった。


「私だけ、逃げてきちゃったんだ」


 静香ちゃんだけが、ただただ明日が来るのを耐えるだけの日々を続けている。

 今後、10年以上も、一人で体育館裏で座っている彼女を想像したら、悲しみを通り越してゾッとした。


「私が助けに行かないと」


 私が言うと、お茶を持って帰って来た清水さんが諭すように言った。


「恐らく、今後数年はフレンズは水面に潜ってしまうわ。

 あの学校での実験、その実績で他の学校へとジワジワ広めていく。色々と考えても、表舞台に出て来るのは私たちが大学を卒業したくらいじゃないかしら?」

「そんなに……」

「それまでは私達はただ待つことしかできない。来たるべき日が来るまでにできるだけ準備をするしか」


 ただ、勢いで静香ちゃんを助けるなんて言ってしまったけど。


 どうすれば……何をすれば助けられるんだろう? 少しでもあの人たちに近付ける方法は……何かないかな?


「まぁ、まだ時間はあるわ。高校生に間に考えれば良いと思うわ」


 その時、呼び鈴が鳴った。


「あれ、おばさん、今日、お仕事早いの?」

「違うわよ。やっと来たわね。アナタと同じ時間に呼んだのに」


 清水さんは文句を言いながら、玄関に向かった。


「なんだよ、この辺。道がグチャグチャしてて、迷路かよ」


 玄関の方から聞き覚えのある声が聞こえて来た。


「江戸時代の名残よ。江戸城があった都心に向かおうとすると、敵の方向感覚が狂う様にできているのよ。だから家賃が安いの」


 と、玄関で清水さんと言い合いをしているのは、


「あ、美月。珍しい」

「清水から呼ばれたんだよ」


 美月は初めて来たとは思えないくらい偉そうに、さっきまで清水さんが座っていた座布団の上にふんぞり返った。


「美月、バイト見つかったの?」

「入学式の日から働けるってよ。どこもコンビニは人手不足らしい」


 と、美月はパソコンを操作して静香ちゃんが映っている動画を消してしまった。


「どうせ何かズルでもしたんだろ。中学生で受賞できるハズねぇし」


 と、鼻で笑いながらパソコンの電源まで消してしまった。


 流石に鋭いなと私は内心で感心した。

 多分、私と清水さんに気を使って、ぶっきらぼうなフリをして消してくれたんだろう。

 

「ま、海道静香のことは今はいいわ。今日、美月にも来て貰ったのは、私の個人的な用事なの」


 と、清水さんは美月の分のお茶を出して、座布団のない畳の腕に正座をした。仕草がいよいよお婆ちゃんみたいだなと私は思った。


「個人的ってなんだよ?」


 美月は清水さんが持って来たお茶をすぐ飲み始めた。そして「しょっぱ」と驚いた様子で湯呑みをすぐに話した。

「初めて来た人には梅昆布茶なんだ」と私は心の中で思った。

 が、美月は私と違い、そのまま何も言わずに梅昆布茶を飲み続けた。


「私の家族の話。それとフレンズっていう私の父親がやっている仕事のこと」

「えっ!」


 清水さんが美月の前でフレンズと言った瞬間、私は思わず立ち上がってしまった。


「清水ちゃん、それは……」

「良いのよ。どうせ、三人ともあの学校を出るんだし、それに守秘義務があるのはアナタだけで、私は契約書なんかは書いてないわ」


 横で驚いた私を美月がじーっと見てきた。


「なんだ、松葉もなんか知ってるのか?」

「知っている。と、いうか松葉が今まで関わっていた事よ」

「は?」

「美月、中学二年生の二学期くらいから、松葉と海道静香が急に変わったと思わなかった?」


 美月はお茶を飲みながら考え出した。


「ああ。そりゃ思ったぜ」

「その変化の原因が『フレンズ』っていう私のお父さんが関わっているプロジェクトの影響なの」


 美月は「ふーん」と言いながら何かを考えている様子だった。


「そのフレンズについて、アナタに知ってもらおうと思ったのよ」

「別に聞きたくねぇよ、そんなの」


 美月はそう言って湯呑みをテーブルの上に置いた。


「なんか松葉がある日急に、私達を怖がらなくなったからオカシイと思ってたんだよ。それがフレンズっていうのが原因だったって事だろ?」

「まぁ、そういう事ね」

「原因があったって事が分かれば良い。細かい話は聞くが面倒だ」


 清水さんも驚いた表情で美月に返事をした。こんなアッサリ話が終わってしまうなんて、私も思わなかった。

 ただ、美月にとってもあの過去は、思い出したくない過去になってるのかもしれないと私はふと思った。


「清水の話ってのは、それだけか?」

「いえ。もう一つあるの。これは松葉にも聞いてほしい事」

「私にも?」

「これから二人には気を付けてほしいの。私の姉の阿雲平良と私の父親、阿雲圭一は、アナタたち二人には絶対に何かして来るはずよ。それもアナタたちが自分達に逆らった事を後悔する様な事を」


 清水さんがそういうと、美月が私の方をチラッと見た。


「え、私だけじゃなくて、美月も逆らった事になるの?」

「プライドの高い人間って、恥をかかされた人間を一生覚えてるのよ。本当に二人には迷惑をかけてしまって、ゴメンなさい


 清水さんは正座の体勢から私達に頭を下げた。


「そんな、清水ちゃんが謝る事じゃないよ」


 私は謝罪された事に慌ててしまったが、美月は冷静な態度を崩さずに清水さんに質問を続けた。


「その仕返しってのは、具体的にわからないのか?」

「流石にそこまでは、わからないわ。でも、覚悟して置いて欲しい。特に平良は人生であんな屈辱味わったの初めてのはずだから」


 覚悟。

 そんなものは決まっている。私は、一年前に美月を平良さんから助けた時に、腹を括ったんだ。


「話ってのはそれだけか?」

「ええ、私からは以上よ」

「松葉は、何かあるのか?」

「私は別に」

「じゃあ。私は忙しいから帰るわ」


 と、美月は来て早々に帰り支度を始めた。


「あ、美月、私も帰るから。駅まで一緒に行こうよ」


 私も急いで帰り支度をして、美月を足止めした。珍しく文句を言わなかった。多分、駅まで辿り着く自信がなかったんだろう。


 駅までの道、美月と二人きりで並んで歩いた。


 私は美月に聞きたい事があったけど、切り出し方がわからないでチラチラと横目で彼女を追うだけになってしまった。


「何か聞きたそうだな?」

「あ、その……なんでフレンズの事、聞かなかったの?」


 私が尋ねると美月はしばらく無言で何も言わなかった。


「……お前がなんか聞いて欲しくなさそうだったからな。私に知られたくないんだろ。そのフレンズってやつ」

「あ、はい……できれば」

「なら、良いじゃねぇか」

「珍しいね、私に気を使ってくれるなんて」

「つーか……」


 美月は、そこまで言って、急に無言になった。


「……私のせいなんだろ? お前らがその、フレンズってのに巻き込まれたのは」

「えっ」


 私はそこまで見抜かれていたのかと驚いた。


「なんで分かるの?」

「あんな気を使った顔してれば、わかるよ」

「美月って、鋭いね」

「たまに嫌になるぜ」


 それで会話は一息ついて、また私たちは無言で歩き出した。


「美月ってさ」

「あ?」

「意外と暗いよね?」

「殴られたいのか、お前」


 私が言うと、美月は顔を歪ませて私を睨んできた。


「元々こんなんだよ、私は」

「だって、私をイジメてた時って、もっとおちゃらけた感じだったじゃん」

「あれは……色々あるんだよ。クラスの中心にいるってのは」

「へぇ、結構大変なんだね」


 私はそれから美月の顔をジロジロと見ていた。


「なんだよ」

「言われてみれば、全部、美月のせいなんだよね。こんな事になったのって」


 美月は私から目を逸らしながら、聞いてはいるようだった。


「私も静香ちゃんも、美月に振り回されっぱなしなんだよね、ずっと。ここは私がちゃんと美月に復讐してやらないとね」

「……その復讐ってのは、まだ続いてたのかよ」


 美月は呆れたような口調で言ってきた。


「当たり前でしょ。むしろ、復讐はこれからなんだから、覚悟しておいてよね」

「……へいへい」


 美月の返事を聞いて、てっきり鼻で笑われるもんだと思っていた私は意外な返事に「あれ?」と違和感を感じた。


「てか、お前。部活とかどうすんだ?」

「ん? 何も決めてないけど」


 違和感の正体を掴めないまま、美月が咄嗟に話題を逸らしてきた。

 なんだろう、今までの美月とちょっと違う。


「公立だと、部活動は義務なんだぞ」

「そうなの? じゃあ美月は何するの?」

「バイトする奴は届けを出せば免除なんだよ。清水もしねぇって」

「なら私もバイトしよっかなぁ」

「お前は部活しろ。少しはオドオドした性格を治せ」

「でも、やりたい事とか別にないし」


 それから駅まで考えたけど、本当に何もしたい事がない事に驚いた。


 部活。

 私に向いてる部活ってなんだろう?


 それからしばらくテレビは静香ちゃんの話題をあちこちで扱っていた。

 お母さんに「アナタの同級生だった子でしょ?」と聞かれ、テキトーに「うん」と答えておいた。


 私と静香ちゃんの関係をお母さんに伝えたら、何て言うんだろう?


 そして、春休みはすぐに終わって、私たちは高校生になった。














  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る