二十二話
あの騒動から数日、学校はまた平穏な生活に戻っていた。
平良さん達は休み時間になる度に教室の外に出て行き、静香ちゃんも何処かへ行っている様子で、席はいつも空になっていた。
「てか、お前、毎回何しに来てんだよ」
美月が前の席に座っている私に聞いてきた。
「別にぃ」
私はニヤニヤしながら、ただボーッと美月がしている事を眺めていた。
「別に何の邪魔もしてないんだから良いでしょ、見てても」
「邪魔なんだよ、ずーっとお前の視線が気になって!」
「え、私のこと気にしてくれてたの? ずっと無視してるんだと思ってたのに」
ただ、友達の机の前の席に座ってるって言うのに、ずっと憧れを抱いていた私はあの日以来、休み時間になる度に美月の教室に行って、ただ美月の前の席に座っていたのであった。
ただ、前の席に座って何をしたら良いのかがよく分からず、ずーっと美月が作業をしているのを無言で眺めているだけになっていた。
「いつも一緒にいる、あのちっこいのがいるだろ」
「ああ、清水さん。なんか今日は本を読みたいからって言ってたから、邪魔しちゃ悪い」
「こっちが邪魔なんだよ」
美月の机を見ると問題集とノートが広がっていた。休み時間の度に美月は自習みたいに勉強をしている。巾着から腕を外して、器用に字を書いている。
「なんで、そんな勉強してるの? 美月って頭良いでしょ?」
「一週間も休んでたら、授業がわかんねぇんだよ。それに、受験しなくちゃいけなくなったからな、勉強しないと」
「え? 美月、高等部行かないの?」
「ここの授業料は高いからな。中学までは保険でなんとかなるけど、高校は金のかからない公立に行くしかねぇんだよ」
そう言って「だから、あっち行け」と私を追い払うアクションをして来た。
「へぇ、なら私も受験しよっかな」
「は?」
「実は清水さんも高校は公立行くって言ってたし、二人が行くなら私もそうしよって。三人で同じところに行ったら、友達っぽいじゃん」
「お前、本気で私と仲良くする気かよ?」
美月が改まった真面目なトーンで聞いてきた。その声には、何か寂しさも混ざっているようだった。
「本気だよ。これから私をイジメてた事を後悔させてやるから、覚悟しておいてよね」
「お前と私が友人なんて、想像もつかねぇよ」
美月は鼻で笑って、勉強に戻った。
実際、清水さんにも同じ事を言われ、「頭おかしいわよ」と指摘されたし。
ただ、私の中では絶対に行けるっていう確信があった。
「割と気が合うと思うけど、私たち」
「何処がだよ。てんで真逆だろ」
「だって、一番深い所で分かり合えてるでしょ、私と美月」
そう言って美月の腕のギプスを触った。
美月の手が小動物みたいにビクッと動くのを感じた。
「逃げらんない人の気持ちは私達にしか分からないよ」
「あの、すいません」
そこで私の座っていた席の持ち主が帰って来た。
「そこ、私の席なんですけど」
彼女が無表情で事務的に私にそう言って来たのに、私はニコッと笑って返事をした。
「じゃあ、また来るね、美月」
「いいよ、来なくて」
私が立ち上がると、彼女は私の目も見ずに入れ違いで自分の席についた。彼女の上履きを見ると綺麗で真っ白だった。机の中の教科書も落書きなどはされていない様子だった。
「フレンズは一旦、中止になったそうよ」
その日の放課後、清水さんから聞かされた。
「ていうか、海道静香をイジメる人がいないんだからデータを集める事も出来ないし、今は何もする事がないんでしょうね」
「じゃあ、平良さんは勘当されるんですか?」
「いえ。土師美月の取り巻きだった二人に半年間、海道静香の私物をいたずらさせていたでしょ? それをデータとして提出するようね」
「でも、あの二人は……」
「多分、相当でっち上げのデータになるはずよ」
あの二人は美月に命令されていた節があるし、正確に言えばイジメの主犯ではないだろう。
「データとしては弱いけど……私たちからしても、今は平良に大人しくしていて貰いたいから、勘当にならなくて良かったわ」
「確かに……」
私たちの取引は平良さんが養子として、阿雲さんの再婚相手の家族に向かい入れて貰わないと成立しない。
もし、成立しなかったら、開き直った平良さんの暴走に振り回される事になる。
「ただ、下級生へのフレンズの導入が二学期から始まるらしいわ」
「来年からじゃなかったんですか?」
「あの男からしたら、大きな手柄を得られると思ってたら、私達のせいでご破産になったから、早く手柄を上げたいんでしょうね。
とにかく、暫くは相手が動くのを待つしかないわね。平良も、もう学校では何もできないでしょうし」
「そっか」
「アナタに御礼を言っておくわ」
「御礼って、二人で協力したんじゃん」
「私一人じゃ、あんな強行突破、一生できなかったと思うし。多分、『いつか復讐する』って一生何もできずに終わったかもしれないし。お陰で少し胸がスーッとした」
清水さんが珍しくニコッと微笑んだ。可愛い顔だなぁ、と思った。
「そう言えば、アナタ、進路はどうするの?」
「あ、そうだ。私も清水さんと美月と一緒の高校行く事にした」
「一緒の高校?」
私が言うと清水さんが苦い顔をした。
「あれ? 嫌だった?」
「いえ……正直、この学校に残るのは危険だと思うし、外に出るのは良い事だと思うわ」
「でしょ? で、美月に聞いたら、清水さんと同じ高校志望してたの! だから、私も一緒に行こうと思ったんだけど……嫌?」
「嫌とかじゃなくて……アナタ、大丈夫なの?」
「え?」
「その高校、公立だと都内で一番偏差値高いところよ?」
「え?」
「だから、土師美月と進路が被るのは予想通りだけど……アナタって成績良かったっけ?」
そう言われて、友人関係しか見ていなかった私は、その時、初めて事の重大さに気付いた。
私が一緒に進学しようとしている美月と清水さんは学年でもトップクラスの成績だ。
で、私はと言うと……お母さんが褒めてくれる時で中の下くらいだ。
「言っとくけど、進路で妥協はしないわよ。着いてこれないなら、松葉も置いてくわよ」
それから私の受験勉強が始まったのだ。
放課後、私と清水さんは美月が逃げないように待ち伏せして、三人で勉強する事にした。
「なんで、松葉だけじゃなくて、モジャモジャもいるんだよ」
「松葉に教える負担をアナタにも背負って貰うためよ」
「はぁ?」
「一応、アナタは私にも借りがあるんだから、ノーとは言わせないわよ」
清水さんだけに負担を掛けるわけにはいかず、美月にも教師役を頼んだ……ゴネると思われた美月は「しゃあねぇなぁ」と以外にも二つ返事でOKをしてくれた。
「まぁ、言っとくけど、私は厳しいからな。覚悟しとけよ、松葉ちゃん」
そう言って、美月が歯を見せてニヤッと笑った。
それを見た時、「しまった」と私は引き戻せない地獄行きのトロッコに乗ってしまったのだと確信した。
それから私達三人は放課後に集まって、勉強をするようになった。
「じゃあ、松葉ちゃん。今日も楽しく勉強しようか」
出来の悪い私にスパルタ指導する事に美月が味を占めるのに、そう時間は掛からなかった。
やっぱり、あの時の笑顔の理由はこれだった。
美月の地獄のような指導に私は泣きながら耐え、成績は一応上がり出した。
それと同時に私たちが三人でいるのに違和感を感じなくなっていた。
次第にお互いの性格を少しづつ理解し合っていた。次第に三人でいる事に居心地の良さを覚えていたけど、三人それぞれにある心の中の事情が、友達になる事を阻害していた。
それから大人になってもずっと一緒にいたのに、私は二人が心の底から笑う姿を見ることは一度もなかった。
そして、受験の日はあっという間に過ぎ、私達は三人とも第一志望の高校に合格した。
そして、卒業を間近に控えたある日。
私が家に帰ると、マンションの前に見覚えのある車が停まっていた。私は知らないふりをして横を通り抜け、エントランスに入ろうとした。
「色鳥さん」
中から出てきたのは、阿雲圭一。
「ご無沙汰しています」
阿雲さんは白い歯を見せながら、こちらに歩いて来た。
一年半前、この笑顔に私は、自分を救ってくれるかもしれないと言う淡い期待を抱いていた事が恥ずかしく思えた。
私は返事もせず、無表情で立ち止まった状態でも、いつでも逃げれる体勢を取っていた。
「そんなに警戒しないで下さい。アナタに危害を加えるつもりはありません」
そう言ってまたニコッと私に白い歯を見せた。無理に笑うと言うのは、私を敵と見做してるって事だ。
「娘と仲良くしていただいてる様ですね。いつもありがとうございます」
「……何の御用ですか?」
私と阿雲圭一は数秒、睨み合うように目を逸らさず、瞬きもしなかった。
「あの学校の高等部には進学しないと聞きました。それで、進学する高校の名前をアナタの口からお聞きしたいと思いまして」
「そんなの清水さんから聞けば良いんじゃないですか?」
「……忘れないで下さい。最初に交わした契約はまだ続いている事を」
「何か、私が契約を破る事をしましたか?」
また私と阿雲圭一は睨み合ったまま数秒の沈黙が続いた。
「いえ。あなたのお陰で貴重なデータが取れたと以前、お伝えした通りです。その感謝は変わっていません。
新しい学校でもサンプルとしてのお仕事は継続していただきます。それに制服も作らねばなりません。ですので、進路先が決まりましたらなるべくお早めに連絡をお願いします」
「私からも質問を良いですか?」
阿雲圭一がまた笑った。
「何なりと」
子供にボクシンググローブをつけて「殴ってこい」って笑いながら言ってる父親みたいな笑顔。
全然、敵だって見られていない。
「静香ちゃんに何をやらせてるんですか?」
阿雲圭一は笑顔のまま、無言になった。
「何って、あなたと同じサンプル以外に何かあるんでしょうか?」
「惚けないでください。彼女、いつも放課後に居残って、図書館に一人でいます。私が美月の自殺を止めた日も、階段ですれ違いました。
なんで、いつも一人でいるんですか? いじめられてデータを取るんじゃないんですか?」
「守秘義務がありますので、お話はできません」
「何かやらせてるんですね? 平良さんが言ってました、私は用済みで静香ちゃんに私の代わりに中心になってもらうって。『中心』って何なんですか?」
「彼女、個人の事はお話できません」
「こんな方法じゃイジメなんてなくなりませんよ。フレンズなんて消えた方が良いと思います」
私の進言に、阿雲圭一は馬鹿にするように笑った。
「ご忠告ありがとうございます。ですが、アナタはフレンズに命を救われたって言うことをお忘れなく」
私は返事に窮した。それを言われると何も言えなくなる。
「それとも、フレンズの前の土師美月さんにイジメられていた日々のほうがましだって言いたんですか? あんなに死にたいって思っていた癖に? フレンズに一番最初に救われた人間が、何を言っているのか?」
阿雲圭一はため息を吐きながら踵を返して、車に戻って行った。
「今日は高校の名前だけを聞きに来ただけですので。別に言いたくないのでしたら、こちらで清水の行く学校を調べるだけですが」
その一言に阿雲圭一の本当の姿が込められていた。
清水さんが進学する高校をこの時期に知らないなんて、親だったらあり得ない。清水さんの言っていた通りの人間だ。
「A高校です」
「驚いた、公立ではトップの高校ですね。勉強、さぞ頑張られたんでしょうね」
「その言葉、清水さんに言ってあげたらどうですか?」
「検討しておきましょう」
阿雲圭一はそれだけ聴いたら、車に乗り込んでしまった。
阿雲圭一が乗り込んだ後部座席の窓が下がった。
「アナタも少し自分の身の振り方を考えた方が良い。そんな大人に噛み付く態度では社会でやっていけなくなりますよ」
阿雲圭一は後部座席に座りながら、私にそう言って、ニコッと笑った。
「では、高校生活楽しんでください」
彼を乗せた車は去っていった。
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