第14話 「じゃあね、芥生くん」

「去年のゆずちゃんみたいなのは嫌だもんね☆」


口角を吊り上げて、刻先輩はそんなことを言う。

時間が止まった。

反射的にゆず先輩の方を見る。


「…………」


俯いて、静かに、息を潜めるように、そこに。

いつもの引きつった表情さえ見せず、ゆず先輩はただ俯いていた。

そんなゆず先輩を見て満足したのか、刻先輩はニコッと笑って。


「それじゃ、アタシは仕事あるから、これでお暇するねー☆」


そう、続けた。

ルンルンと何処かへかけてゆく刻先輩を横目に、俺はゆず先輩の方に向き直った。


「…………」


刻先輩がいなくなったとて、ゆず先輩の表情は変わらない。

むしろますます酷くなっていく。


「その、大丈夫ですか……?」


なんと声をかければ良いのかわからないまま、流されるように俺はそうゆず先輩に問いかけた。

するとゆず先輩は、まるで雷に怯える幼子のように身を震わせて、こちらを向く。

しかし目があったのは一瞬で、すぐにゆず先輩は目をそらしてしまった。


「う、うん。大丈夫。……大丈夫、だよ」


俺に言っているのではなく、まるで自身に言い聞かせているように、彼女はそう言う。


「………そ、それじゃあわたしこのあと用があるからこれで失礼するね」

「は、はい」


何かを誤魔化すようにそう言い残し、「じゃあね」と小さくつぶやいてから彼女は視聴覚室から飛び出した。


×××


ゆず先輩がいなくなっても、委員会は何事もなく進み、そして何事もなく終わりを告げた。

当然といえば確かに当然なのだが———まるで彼女はいてもいなくても変わらないみたいで―――虚しく感じる自分もいた。

荷物をまとめて、視聴覚室から出る。

ゆず先輩の説明を聞いた時点で帰ってもよかったのだが、しかしなんとなく残ったほうがいいような気がして俺は残っていたのだが、しかし他の選考部の人間は全員帰ってしまっていたようだった。

少し歩き、靴を履き替えて玄関を出る。

校庭を眺めると野球部とサッカー部がまだ部活をしているようだった。

こう遠くから見ると、本当に人っていうのは小さいものだなと、そう思う。

一つ一つが集まって、大きな一つを作る。

それらが争って、勝敗を決めるのだ。

人間社会はきっとそうやってできているんだろう。小さな力が集まって大きな力となる。『みんなで力を合わせて』という言葉は聞こえだけはいいが、実のところ人は『で力を合わせ』るせいで生きづらくなっているのだ。みんなで行動するということは、誰かの行動を制限するということなのだから。

そうやって少しずつ犠牲を生みながら、人間社会は象られていくのだ。

——— 梅雨時の夕方はジメジメして気持ちが悪い。

汗ばんだシャツは湿気とともに体に張り付いて、なんとも動きづらかった。

そんなことを考えていると、後ろから肩を叩かれる。

俺に話しかけるなんて何者だと、そう思い振り返るとふにっと頰に人差し指が刺さった。


「あー、引っかかった♡」


どうやら犯人は刻先輩だったらしい。

マッタク、オチャメナヒトダナー。


「ら、らんすか」

「いや、帰ろうと思ったら面白そうな後輩を見つけたから、話しかけたってだけだよ☆」

「あろ、これ、やめれもらっれいいれすか」


俺の頰に刺さった先輩の指を指差しながら、俺はそうお願いした。

とはいうもののそれでやめてくれるほど刻先輩は優しくもないらしい。


「えー、やだよ〜。だって君の頰プニプニしてて可愛いし♡」


さらに俺の頰をえぐってくる先輩。

いや、そろそろ本気で痛いんですが。

それが顔に出たのか、先輩はどうやら俺が痛がっているのを察したようで、刺すのをやめてくれた。


「……ありがとうございます」

「いーよー☆また触らせてね♡」

「え、いやですけど」

「もうケチだな、芥川くんは☆」


そういって先輩はウィンクしながら舌を出した。

なるほど、これが噂のてへぺろってやつか。

可愛いのが少しムカつく。


「あと名前間違えてますから。俺芥川じゃないです」

「ねえねえ、ぶっちゃけゆずちゃんどう?どう思ってるの?」


俺の指摘を丸ごと無視して、刻先輩はそんなこと聞いてくる。


「どう思ってるって、どういうことですか」

「そのまんまの意味だよ?ようはゆずちゃんのこと、好きなの?ってこと☆」


どうやら刻先輩は俺がゆず先輩に気があるものだと勘違いしているらしい。


「そんなわけないじゃないですか。まだ会って数日なんですから。俺もそんなに惚れ性じゃないですし」

「そうなの?仲よさそうにしてるじゃん〜」

「その理論で言ったら先輩に話しかけてくる男子は全員先輩のこと好きってことになっちゃいますよ」


そんな例え話をすると、刻先輩は満面の笑みで。


「実際そうじゃん♡」


と、そう言った。

ふむ。

これはなかなか出来上がってるな。


「……まあともかく、俺は別にゆず先輩のこと好きでもなんでもないですよ。勘違いして言いふらすとかやめてくださいね」

「あら、考え読まれちゃった☆」


そう言って、刻先輩は、もう一度てへぺろ顔をした。

———彼女と今話して、わかったことがある。

いや、聞いていれば誰でもわかるようなことだろうけど。

彼女は間違いなく、俺の苦手とする———否、嫌いな人間だろう。

この世界は全て自身を中心に回っていると、そう信じてやまない、そういう人間。

きっと彼女は身の回りの全ての男性は自分に惚れているものだと、そこまで思っているだろう。

だからあんなことを言えるし、それにこんなにも堂々と『てへぺろ顔』をできるのだ。

ようは、自意識過剰。

そんな分析を傍目に彼女は続けた。


「ま、流石に惚れないよね〜。別にゆずちゃん、可愛いわけじゃないしね☆」

「…………」

「芥川くんも、そう思うでしょう??」


ふむ。

自意識過剰の上に人を自分の尺度で測っているのか、この女。

そして彼女は依然、俺に答えを求めているような顔をしている。

本当に、よくできてるわこの人。

彼女のご機嫌をとってもいいが、しかし彼女と仲良くしたいわけでもないし、彼女に転がされるのもいやなので。


「そうですか?別に好きってわけじゃないですけど、ゆず先輩普通に可愛いと思いますけど」

「…………」


固まる先輩。

心の中でしてやったり顔を俺は浮かべた。

しばらく沈黙が流れたのちに、彼女は笑顔のままで続けた。


「ふーん。面白い人だね、君」


まただ。

この背筋が凍る感じ。

その笑顔は、途方も無い暗く深い深淵から覗き込んでくる笑顔だった。

思わず少しだけ後ずさりしてしまったが、しかしここで引いては俺の名が廃るというもの。


「お褒めに預かり光栄ですよ」


少し声が震えてしまっていたかもしれないが、しかしなんとか言葉にできた。

すると彼女は笑顔を崩さぬまま続けた。


「ま、いいや☆じゃ、アタシ帰るね〜。また明日♡」

「…………」


そう言って、駆けていく彼女。

しかし一瞬立ち止まって振り返らずに彼女は続けた。

その声は先ほどの、背筋が凍るような声で。


「もし暇だったら、千歳駅前の喫茶店に行ってみるといいよ。面白いものが見れるから」

「?それってどういう———」

「じゃあね、




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リア充、引退します。 黒崎白 @KurosakiSiro

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