眩しい我儘、眩しすぎる光

東美桜

常務にゃんの望み

 広い窓から午後の光が差し込む。木目調の壁や床が広がる店内にはキャットタワーが幾つか天井へと伸びていた。日当たりのよい椅子に腰を下ろし、小柄な少女がキャットタワーを眺めている。ボブカットの茶髪が日差しを浴びてきらめき、カチューシャについた猫耳が気持ちよさそうに外側を向く。幸せそうに細められた瞳の先で、灰色がかった毛並みのスコティッシュフォールドが危なっかしい足取りでキャットタワーを降りていく。少女に見守られながらもなんとか降りきった猫は、壁の近くまで歩いていくと香箱座りで休みはじめた。その様子を見届け、少女……八坂カノンは膝の上のコートを抱え直して猫カフェの店内を見回す。カウンターの方では丁度、赤毛の少年が店員との話を終えたところだった。

「常務、聞き込み終わったよー」

「あ、千草くんおつかれにゃんっ!」

「おつありー。あーもう、あの迷探偵にも困ったもんだよ。聞き込みくらい自分でやれってば……」

 呆れたように頭を押さえながら、赤毛の少年……社員の芝村千草はカノンの正面の席に腰を下ろした。白いパーカーの上に羽織られたダウンジャケットの襟を直し、やれやれと首を振る。

「あの探偵さんからのおつかいにゃん?」

「そうそう。あの、時効過ぎた未解決事件を専門に扱う変人ね。なんなのあの人。ってか、そもそもMDCうちってそういうことする会社だっけ? 荒事専門じゃないっけ?」

「にゃははぁ。まぁ細かいことは気にしたら負けにゃん。ほら、あの探偵さん、何だかんだで弊社にいっぱい依頼くれるにゃんし、よくごはん奢ってくれるにゃんし」

「そうだけどさ……ってかご飯は完全にプライベートじゃん。業務関係ないじゃん。まったくもう……」

 疲れはてたように溜め息をつき、千草は気を取り直してスマホを開いた。連絡ツールを呼び出し、探偵への連絡事項を打ち込みはじめる。それを眺めていると、ふとカノンの足元に白猫が歩み寄ってきた。水色の瞳が悪戯っぽく瞬きながらカノンを見上げる。くすりと微笑んで片手の指を差し出すと、白猫は柔らかい頬を擦りつけてきた。ふわふわの毛並みが心地よくて、つい何度も撫でてしまう。悪戯っぽい目つきをした猫は一通り撫でられると、ぷいっと顔を背けて壁の段差に飛び乗った。

「……よし、これで送信……っと。……あれ、常務どしたの?」

「にゃんこ可愛いにゃぁって思ってたにゃん」

「……あぁ、うん、そう、だね……」

 マイペースに動き回る猫たちを眺め、目を細めて幸せそうに微笑むカノン。周りに薄桃色の幸せオーラすら幻視できる。呆れたように頬を掻く千草を気にせず、カノンは仏のような笑顔で猫たちを見守っている。


「……っていうかさ」

「にゃん?」

「常務って何で語尾『にゃん』にしてるの? 入社した頃からずっと気になってるんだけど、聞く機会ずっと見失っててさ」

「にゅー、大した理由ではないにゃあ」

 カノンの大きな瞳が中央のキャットタワーを映す。真ん中あたりの段でキジトラとハチワレが猫パンチを交わし、それを最上部からペルシャ猫がふてぶてしく見下ろしている。

「にゃんこって周りの人間が何を言っても何をしてほしくても気にせずマイペースに生きてるにゃ」

「……まぁ、そうだね。猫さんにもよるけど」

「にゃはは、それはホントのことにゃんねー。それで、……常務にゃんもそうなりたいなーって思ったのにゃん」

 遠い目をしたカノンを眺め、千草は何となく居住まいを正した。……彼も詳しくは知らないが、MDC入社前のカノンは双子の姉……子役出身の高校生女優として名をはせた鍋島一桜かずさの影武者をしていたらしい。いつかに社長が嫌そうな顔でこぼした話を思い出し、千草は口元を苦々しく引き結ぶ。本当の名前を名乗ることすら許されずに、他人を演じることを強要されて生きていく気持ちなど……想像したくもない。

「あの子のために、あの子を待ってるたくさんの人たちのためにって、いっぱい我慢してたにゃん。すごく寂しかったにゃ……あなたのままでいいよって言ってほしかったにゃ。でも、……両親以外は皆、にゃんにゃんだってことすら知らないにゃん。本当のことが世間にばれたら、病気で辛い思いしてるあの子はもっと苦しんじゃうと思った……だから、誰にも話せなかったにゃん。あの子のために頑張り続けるしかなかったにゃん」

「…………」

「あの子は注目されることが何よりも好きだったにゃん。カメラの前で笑ってる時が一番輝いてたにゃん。……せめてあの子の病気が治るまでは、あの子の居場所を守り抜こうと思ってたにゃん。でも……あの子の笑った顔をカメラが映すことは、もうない」

 俯き、寂しそうに微笑むカノン。大きな窓から差し込む日差しが陰り、カノンの表情に影を落とす。……千草は何となく居住まいを正したまま、かける言葉を探しあぐねていた。鍋島一桜の訃報を聞いた時は日本中のファンが悲しんだが、同時に隠蔽された形跡がある真相を求めてSNS上で様々な憶測が飛び交ったのを覚えている。と、ふと壁際にいたスコティッシュフォールドが目を開け、カノンの傍に歩み寄る。小さな頭をぐりぐりとブーツに押しつけられ、カノンは小さく笑って猫を抱き上げた。優しくその背中を撫でると、猫は気持ちよさそうに耳を外に向けた。

「……それで、これからは自由に生きようと思ったってわけ?」

「そうにゃんっ。にゃんがになってすぐ、スカウトしに来た社長が言ってたのにゃ。『あなたはもっと我儘になっていい』って。……でもね、にゃんはその時すごく困ったにゃん」

「え……まさか」

「そのまさか、にゃー」

 千草の首筋に冷や汗が垂れる。金色の瞳が冗談じゃないと言いたげに見開かれた。……己を殺し続け、望みを必死に封じ込め、心の声に耳を塞ぎ続けた人間がどうなるか。きっと――望みを持つことすら諦めてしまう。カノンは自嘲するように微笑み、灰色がかった毛並みの猫を撫で続ける。

「……だから、にゃんはMDCの皆が羨ましかったにゃん。皆ちゃんとやりたいことがあって、やろうとする意志があって、人の話なんか聞かなさそうで、すっごく輝いて見えるにゃん」

「……ねえ、さり気なくディスってない?」

「ディスってない、にゃ……ん」

 危うく叫びかけて踏みとどまる。猫は大きな声が苦手な生き物だ。しりすぼみになった言葉を聞き、千草が怪訝そうにカノンを眺める。なだめるように猫の背中を撫でながら、カノンは取り繕うように笑顔を浮かべる。

「えっと、その、言葉の綾にゃん! ……誰が何と言おうと我が道を突き進むところがすごく輝いて見えるにゃ。周りに言われた通りに他人のふりしてた昔の常務にゃんと真逆だったから、かにゃ?」

「あー……そういうことね。なんかごめん、こっちこそ」

「気にしないでにゃんっ!」

 明るく笑って片手を振る。……と、膝の上から猫が飛び降りた。きれいに着地した猫はカノンの方を振り返り、すぐに顔を背けて別の猫の方に歩いていく。自由な後ろ姿と、それを眺めて苦笑する千草。平和な風景を眺め、カノンは脇に置いていたコートを抱え直した。

「にゃはは、かわいいにゃー。……それで、にゃんもそうありたいって思ったにゃん。誰かに流されるんじゃなく、自分の心で望んで、自分の頭で考えて……自分のやりたいようにできるように。人間の都合なんて興味なさげな顔してるにゃんこみたいに、にゃっ」

 そういうこと思えたのって何年ぶりだったかにゃー、と足をぱたぱたするカノン。千草は何となく直していた姿勢を崩し、ふっと微笑みを浮かべた。

「……そっか。常務、僕が入社した頃にはもう今みたいにねこねこしてたから、ずっとそうだと思ってた」

「にゃはっ、昔からそうだったら困るにゃん。にゃんにゃん言ってるのは忘れないためにゃん。常務にゃんは常務にゃんだってことを」

「そうなんだ……それで、何か常務自身の望みは見つかったの?」

「もちろんにゃんっ!」

 温かみのある木製の椅子から立ち上がり、カノンは勢いよくダッフルコートを羽織った。ボタンを閉めてしまうと、腕を組んで胸を張る。

「――MDCの皆には、ずっとずっと皆らしくいてほしいにゃん。だから皆が皆でいられる居場所を……MDCを守る! それが常務にゃんの望みにゃん!」

 片手を掲げ、顔の横で猫の手にしてみせる。窓から広がる陽光が再び強まった気がした。柔らかい光に包まれながら、少女は猫耳をぴんと立てて笑う。それはまるで台風が過ぎたあとの青空のように晴れやかな笑顔だった。


「……そっか。なんていうか、これからも頼りにさせてもらうよ」

「にゃははっ。大船とまではいかないけど、うーん、屋形船に乗ったつもりでどーんと任せるにゃん!」

「な、なんで屋形船?」

「サイズが丁度よかったにゃんっ。……おっと、そろそろ出なきゃにゃ。確か千草くん、この後も任務入ってたはずにゃ?」

「あ、そういえばそうだった」

「なんか無理やりついてきちゃった上に、変な話してごめんにゃん。あ、先に払っとくから後で千草くんの分ちょうだいにゃー」

「はーい……ってか僕気にしてないよ、そういうの」

 のんびりと会計をしに行く常務を眺め、千草は困ったように頬を掻く。……かつて社長がこぼしていた。『カノンはきっと他人のためにしか生きられない。本当の意味での我儘になるには、人格を殺されすぎた』と。猫に似た可憐な姿の奥深くに広がる虚無は、きっと千草のちゃちな渇望よりも遥かに根深いものなのだろう。奇人変人狂人悪人集団MDCに身を置くこの常務は、眩しすぎる光で何かをかき消そうとするように笑う。

(その割に幸せそう、だけどね。変な常務)

 薄く微笑み、ダウンジャケットの襟を直す。会計終わったにゃー、と手を振る常務を見て、千草は肩をすくめて歩き出した。……ちょっとは自分のために生きても罰は当たらないんじゃないかな、なんて言葉を飲み下して。

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眩しい我儘、眩しすぎる光 東美桜 @Aspel-Girl

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