後篇:可聴域の妙

 建物の中だとディアマンテも比較的具合が良さそうに見えたので、ひとまずはお留守番ということで、一旦アナスタシアさんの家に入ってもらうことにした。人間たちは再び緑地の検分作業。実に楽しそうに休日の昼下がりを楽しむ犬たちを見ながらなので、若干集中力が持って行かれている気もするが、その辺りは仕方が無い。


「3週間くらい前からこうなったということでそのくらいの時期で何か変わったこととか新しく始まったことを伺っていましたが、……それらしいモノはやはり思い当たりませんか?」


「そうですねー……」


 原因はどう考えてもその辺りに起ったことにあるはずだ。だから依頼が来た段階で既に訊いてはいたのだが、その時のアナスタシアさんの反応は芳しくなかった。


 ならば実際にふたりで見てみることで少しは思い付くことがあるだろうという判断だったのだが、それでも反応は今ひとつだった。


「この辺り、わりといつも工事が多くて。どこかしらで工事が始まって終わって――という感じなので……」


「なるほど」


「もちろん3週間前辺りから始まった工事については既に当たってみてもいます。新しい機材を使った工事などもあるようですが、それが犬の騒ぎに繋がるようなモノにも思えず……」


 ここから見える程度の距離の工事現場で使われている機材は現代日本ほど機械的ではないが、それでも近代化は進んでいる。稼働音もそれなりにはあるが、あのタイプの騒音で喜んで踊り出すような動物を見かけたことはない。


 さらに手近なところをいくつか回ってみたものの、他の場所もあまり変わらない。彼女の言うとおり、騒ぎに繋がるようなものは見えなかった。


 これではさすがに埒が明かないのでアナスタシアさんの家にお邪魔して工事に関する資料を見せてもらうことになった。すでに彼女が整理していてくれていたおかげで、かなりの時間節約に繋げることができた。仕事が出来る人でとても助かる。


「ディアマンテさーん」


 俺が資料確認をしている間、時折説明をくれるものの、アナスタシアさんは基本的にディアマンテの興味を引こうとしていた。猫じゃらしを即席で作って目の前でふりふりするも、ディアマンテは当然のように無反応だ。コイツにそのような野生的な一面はない。


「クールですねえ、ディアマンテさん」


 軽くあしらわれている側のアナスタシアさんはご満悦のようなので、とくに俺から言うことはない。ニコニコと見つめてくる視線を受けながら、ヤツは暢気に顔など洗っていた。


「はぁ……、たまりません」


「ただ無愛想なだけだと思うんですけどねえ」


「いやいや、リューギさん。そこがイイんですよ、ディアマンテさんの場合は」


「……なるほど?」


 なるほどとは言ってみたが、その感覚はよくわからなかった。時折にゃおにゃおと声を発するディアマンテに完全にメロメロ状態のアナスタシアさんをとりあえず放置して資料を読みあさるが、少し気になる工事項目を発見した。


「アナスタシアさん、ちょっとすみません」


「ディアマンテさーん……。あ! はい、なんでしょうかっ」


「コレなんですが……」


 俺はある種の確信を持って、珍しくわたわたしている彼女にその資料を差し出した。



        §




 翌日。


 本来はお休みの日なのに、わざわざアナスタシアさんが我らが根城までやってきてくれた。満面の笑みであることからも、その首尾は明らかだった。


「素晴らしいです、リューギさん!」


 物凄くテンションの高い彼女がどうにか落ち着きながら言うことには、俺たちが取った判断が正しかったというものだった。


 原因はやはり工事であり、その時に発生していた『音』が原因だった。



        §


「ココなんですが」


 少々の買い出しを終えてアナスタシアさんとディアマンテを連れてきたのは、犬で溢れる公園の緑地エリアだった。


 アナスタシアさんは当然のように『え、ここ?』というような顔をしているし、ディアマンテはいつも以上に無愛想な態度を取っているし何なら表情にも嫌そうな感じが思いっきり出ていた。機嫌と体調を損ねられても困るので、話は短めにする。


「ココの……コレですね。ちょうど、工事現場へ繋がっているらしいのですが」


 言いながら示すのは低い柵で仕切られたその奥。坑口のようなモノが開けられている部分だった。一応は扉も付いているが、しっかりと閉じられているわけではなかった。空気は通っているようで、外気温よりも少しだけ涼しい風が周囲に広がっているような気はする。


 しかし、見た目が変わっているようなところはないし、おかしなところも見当たらない。だからこそ、彼女は俺の言うことが信じられないようで、怪訝な表情を色濃くした。


「では、ちょっと失礼して」


 柵を乗り越え、適当に付けられている扉を手で押さえて、隙間を小さくしてみる。


 ――すると。


「きゃっ!?」


 ディアマンテは一目散に逃走。勿論行き先はアナスタシアさんの家。リビングの窓を開け放しておいてもらっていたのだが、ディアマンテはその窓に素早く飛び込んでいった。


 そんなヤツとは逆にこちらに飛ぶようにやってきたのは犬たち。ハッとしたようにこちらを見ると一目散に駆け寄ってきた。


「え? えぇっ?」


 そのまま犬たちの騒ぎに巻き込まれても嫌なので、困惑するアナスタシアさんを他所に坑口の扉を閉じる。ただし、その前に少し細工をする。先ほど買ってきた空気が通る程度に粗いスポンジ状のようなモノを扉の裏に貼って閉めた。


 ――すると。


「あれ?」


 少しずつ、こちらに近い側から犬たちの騒ぎが収まっていく。徐々にその波が他の犬たちにも広まっていき、最終的にはすべての犬が落ち着いた。


「あくまでも応急処置なので、後で工事担当者に来てもらって、ココをきっちり閉じるか逆にもう少し開けるかするように決めた方がイイと思います」


「……一体、何が」


「原因は、音です」


「音、って……」


 俺がそう言うが、思った通り、アナスタシアさんは信じられないようだった。


「でも、何も聞こえてませんでしたよ?」


「ええ、たしかに聞こえませんでした。……


「……え? どういうことですか?」


 生き物によって、見える色の種類や聞こえる音には違いがある。音に関しては耳で聞くことができる音の高さの範囲を可聴域というが、その範囲は人間よりも犬の方が高い音を聞き取れるし、猫は犬よりもさらに高い音を聞き取れる。


 要するに、この坑口は犬笛のような構造になってしまっていたらしい。


 つまり人間には聞き取れず、犬は喜び、猫が逃げ出すような音波が空気とともに漏れ出ていたという話。坑口が半開きのようになっていたことがまさにその原因のひとつで、微妙な隙間を無くすような処理をしたのはその一環だった。


「……ということなので、この坑口のような部分への処理をすれば恐らくは」


    〇


 アナスタシアさんの話によれば、俺が言ったような対策を今日の午前中に講じた結果犬たちは完全に大人しくなり、さらには副産物として野良猫の姿も見当たるようになったとか。猫には忌避感でしかなかった音が止めばそんなもんだろう。ただ、集まってきた動物たちは皆以前のような落ち着きを取り戻しているということだった。


 報酬についての説明を終え、何度も頭を下げながらまた何かあったらすぐに依頼をすると言いながら帰って行く彼女を見送る。


 これにて晴れて任務完了。今日は安心して少しイイお酒でも飲めそうだ――なんてことを考える。


「……っと」


 さっきまでアナスタシアさんに撫で回され続け、何とか喉鳴りを抑えていたようなディアマンテが、ようやくいつも通りに机の上に鎮座する。そして――。


「ありがたいと思ってほしいものだな。今回は、とくに。……いや、今回、か」


 ――ソファに座る俺を見下ろしながら、はっきりと言い切った。


「毎回思ってますって」


「本当か? ……その割には、随分とあの彼女にヘラヘラしていたように見えたが? 工事の資料から件の部分を見つけたのも私だし」


 それはアンタもだろう、カワイイカワイイとしこたま言われてなかなか気持ちよくなっていたのは何処の誰だ――と言いそうになる口を精神力で押さえつける。資料を見逃したのを指摘されたのは事実だった。偉そうなことは言えない。


「……ったく、いい気なモンだ。私がしっかりと人間に転生していれば、少なくとも君のような態度は取らないだろうよ」


 そう言いながらも慣れた動きで毛繕いをする姿は、明らかに猫だった。


「それにしても、だ。私が猫の身体をしていたからこそのスピード解決だぞ」


「それはもう、紛れもない事実で」


「しかし、君たちは耳があまり若くないんだな。あの周波数帯であれば、耳の若い人間なら聞こえているはずの高さだったぞ?」


「……犬笛が聞き取れたところでそこまで得することは無いので、別に構いません」


「ハハハ、そうかいそうかい。……まぁ、私はこの身体でなくても聞こえる周波数帯だったけどね」


 勝ち誇ったように笑うディアマンテ。


「そっすか」


 返しが面倒くさいので、無反応かつ無礼にならないあたりで済ませることにした。


 ディアマンテ。


 見た目は無愛想なメインクーン


 しかしその実態は、俺と同じく異世界転生者。


 転生の際、何かしら不測の事態が起きたとやらで猫の姿となり、王宮廷とその周辺で過ごしていたところ、何故か彼奴きゃつが話す猫語を理解できた俺とバディを組むことになった、真の便利屋である。

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ベーリー・オクルス王宮廷の無愛想な猫 御子柴 流歌 @ruka_mikoshiba

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