ベーリー・オクルス王宮廷の無愛想な猫

御子柴 流歌

前篇:犬は集まり、猫は逃げる?

 大きな河のほとりにあるこの街は比較的過ごしやすい気候だという。エアコンのような類いのモノなんて無くても楽に過ごせるという事実は、寒暖差に弱い俺としてはとてもありがたい話だ。流れ着いたのがこの街だったことは幸運だった。


 そんなことを思いながら、俺は外を見ながら紅茶を楽しむ。


 見た目はいわゆるハーフティンバー様式だが、その実態をざっくばらんに言い捨ててしまえば3階建ての雑居ビルのような建物。それがいくつも立ち並ぶエリア。それが俺の居住区兼仕事場だ。


 喧噪からも少し離れているので、小洒落た曲をかけつつ紅茶なんかを嗜みながら落ち着くというのもなかなかオツだ。


 ――もちろん、たとえここが、いわゆる『異世界』であっても、である。


        §


「たしかに、それは困りますよねえ……」


「そうなんです。いくら可愛い仔たちとは言えども、そう思わない方もいらっしゃるし、何よりも……。とにかく、どうにかして穏便に済ませたいのです」


 形式的に同意はする。しかしながら、依頼人である彼女には申し訳ないが、今日も仕事がやってきてくれたと言う意味合いでは内心感謝をする。我ながら打算的である。


 だけど、それくらい許して欲しい。こっちだって、気付いたらいきなりこんなところに居たわけで、そんなところで生活を成り立たせるにはそういうことも必要なのだ。


 フォス・アステール連合王国に属する国であるベーリー・オクルス王国。この世界のこの街にやってきてからしばらくは日雇いみたいな形式で日銭を稼いでいたものの、ひょんなことからその王宮の関係者と繋がることができたのはこの上なくラッキーだった。何なら人生すべての運をここで使い果たしたのではないかとも一瞬考えたが、こんなところに飛ばされたことを考えれば、何処の馬の骨ともわからんような神様が償いとしてここに置いてくれたのかもしれなかった。この世界の言語が突然理解できているのもその一環なのだろう。


 とにもかくにも、そんな関係が出来上がって以来、こうして事務所のようなものも構えながらの、いわゆる便利屋稼業に就くことができている。


 しかし、だいたいの仕事は浮気調査とか失せ物捜索とか失せ人調査とか、地球で言うところの探偵事務所とか興信所あたりがやっていそうなものだったりする。俺の目線からすれば異世界ではあるが、結局は人間が住むところだからか、仕事の中身は地球と存外に変わらないらしい。こちらの世界でも案外何とかやっていけるんじゃないかと思わせてくれるきっかけであったのでその意味では助かったし、若干拍子抜けしたのもまた事実だった。


 ただし、今回の依頼人である彼女――アナスタシアさんは王国政府機関の人間だ。要するに、わりとしっかり大事な依頼ヤマである。その中身はアレだが、今後の俺の生活に充分関わってくるはずなので、当然心してかかる必要がある。


「なるほど…………ん?」


 彼女の説明を書き取っていると、いつものようにがやってきた。足音もなく静かにやってきたそれは、ここが定位置だと宣言するように机の上に座る。本当は大きい机のはずなのに、そのサイズ感のせいで小さく見えてしまう。


「……あ、カワイイ」


 思わずこぼれた声。俺は微笑みだけ返すが、意図するところを少し勘違いしたらしく彼女は赤面した。


「す、すみません、リューギさん。相談に来ているのに、思わず……」


「いえいえ、構いません」


 なおも微笑んであげると、彼女は安心して机の上へと視線を戻した。


 ちなみに『リューギ』という名前は、こちらであくまでもこちらで名乗っているモノで、本名はたつよし。名前を音読みしたら意外とこちらでも違和感の無い雰囲気になったので、そう名乗ることにしていた。


「その仔、リューギさんが飼っていらっしゃるのですか?」


 いつもは王宮や政府機関の近くの建物に呼び出されるパターンが多い。彼女がこちらに来てくれるのも初めてだったはずだ。もう少し部屋をキレイにしておけばよかったと今更ながら後悔する。


 机に鎮座してこちらを見下すような視線を送ってくるのは、太陽系第3惑星にある日本という国で『ネコ』と呼称されている動物に似ている動物だった。――というか、あまりにも猫だった。大柄で、毛量たっぷりで、例えるならまさしくメインクーンという品種の猫だ。


「……まぁ、そんな感じです。いろいろと故がありまして」


「というと、何処かから?」


「ええ、まぁ」


「そうなのですね。というと王宮廷あたりからですかね」


 関係者と親しくなれる程度にはベーリー・オクルス王宮はご近所さん的位置関係にあるが、その庭園にはかなりの数の猫が住んでいることでも有名だった。


 しっかりと飼育しているわけではなく、いわゆる地域猫のような側面もある。家々のねずみ取りなんかを気まぐれにやっているとかいないとか。少なくとも迷惑をかけるようなタイプの仔たちは居なかった。


「ちなみに、お名前は……?」


「『ディアマンテ』です」


「ステキなお名前なのですね」


 キラキラした目で猫を見つめるアナスタシアさん。しっかり猫好きなのだろう。


 猫の方も熱い視線を浴びて気分が良いのか、こちらを見下すような色を視線に込めて毛繕いなんて始めた。


「まるで『看板猫』ですね」


「ええ、まぁ。……では、依頼内容は以上ということで」


「はい、よろしくお願いいたします」


 この日は別の依頼をこなさないといけない。現地には明日以降伺うことにして今日はお引き取り願うことにした。



        §



 翌日。暦の上では休日とされる日。自営業のようなモノにはあまり関係の無い話。問題の区域に着いたのはお昼の少し前くらいだった。


 空は曇りがちだが雨の心配は無さそうなくらい。そんな中やってきたのは比較的新しい家々が立ち並んだ住宅街のような区域で、ところどころ工事中の場所もある。俺たちが住んでいる区域は例えて言うなら中世から近世のヨーロッパの雰囲気があるのに対して、こちらは近代に近い雰囲気がある。


 問題の場所というのは、アナスタシアさんが住む家にも近い場所だ。一度そちらに出向いて調査開始する旨を説明した上で、まずは近隣を見て回ろうとする。


 ――が、正直その必要は無かった。何ならこの近くに来ただけでも充分解るくらいだ。


「たしかに、これは……」


「……そうなんです」


 見てすぐ解る異様さだった。


 いや、見るよりも早く、聞いてすぐ解る異様さだ。


 ――犬だらけ。


 もちろん、あくまでも太陽系第3惑星にある日本という国で『イヌ』と呼称されている動物に似ているという話であって――って、まぁいい。長ったらしくなるから『ネコ』と同様、以下同文。


 緑地のような広い公園のようなところ一帯を、犬が埋め尽くしている。まるでこの街に暮らす野良犬をすべてここに連れてきたのではないかと錯覚するくらいだった。まさに圧巻。犬好きならたまらず飛び込んでいきたくなる光景だろうし、犬嫌いならたまらず背を向けて猛ダッシュする光景だろう。


 ただ、迷惑なことに、この集まった犬たちが一様に踊っているようにも見えるくらいにテンションが高いのが問題だった。なかなかにうるさい。ギャンギャン鳴き喚くほどではないものの、日中とはいえこれは迷惑だ。


「では、その……よろしくお願いいたします」


「はい……」


 そして、この犬たちの群れをどうにかするというのが、今回の俺のミッションだった。


        §


 まるでダンスパーティーでも開いているかのような光景。もちろん踊っているのはみんな犬。それを近隣住民と思われる数名が遠巻きに見ているが、とくに何か行動を起こすような素振りはない。不審がっていたり少し迷惑そうにはしているが、向こうから襲いかかってくることもないので、ある程度距離を取って様子を見ているという感じだった。


「改めてお訊きしますが、だいたいいつくらいからこんな感じに?」


「だいたい、3週間くらい前からですね……」


「最初からこんな数の?」


「いえ、最初はもっと少なくて。どこから集まったかいつの間にか増えてきて……」


「こんな感じだった、……と」


 何度か関係部署の職員が追い払いには来ていたらしいが、とくに意味もなく翌日には元通り。しかもだんだんとその数が増えてくるモノだから徐々に上の部署へと話が上がっていき、最終的に自分も被害者の内のひとりだからということでアナスタシアさんが担当者になり、ならばということで便利屋の俺に話が振られたという流れだった。


「そういえば、リューギさん。それは……?」


 メモを取りながら聞いていると、アナスタシアさんの視線が完全に俺の足下に放置されたままの大きなケージに向いていた。そういえばここに来てからずっとこの状態だった。申し訳ない。


「ああ、コイツです」


 ケージの扉を開けると、いつも通りに颯爽と――。


「……ん?」


「あ、来てくれてたんですね」


「え、ええ、まぁ……。留守を守ってもらうよりは、一緒の方が良いので」


 ――いろんな意味で、良いので。


 って、そういうことを思っている場合じゃなかった。


「……ディアマンテさん、体調良くないんですか?」


「いえ、家を出るときは全然そんなこと無かったんですけど……」


 いつもならもっと泰然自若。構おうとすれば無愛想。その身体の大きさによく似合う悠々さがあるのだが、今日は全くそんな感じが無い。大人しいというよりはむしろ体調でも悪いのかと思わせる雰囲気でケージ内に丸まっていた。


「だいじょ――」


 さすがに心配になって声をかけようとした瞬間。


「うわっ」「ひゃあ!?」


 俺のビビった声と、アナスタシアさんの可愛らしい悲鳴が重なる。


 ケージの扉が開いたのに気付いた此奴はまるで何かから逃げるようにケージを飛び出し、その勢いのままアナスタシアさんの家の玄関前まで走って行った。


「……どこかへ行ってしまわれるかと思いました」


「元野良みたいなモノではありますけど、フラッとどこかへ行っても必ず戻ってきますので、そこまでの


心配はしなくても大丈夫ですよ」


「賢そうなお顔ですもんね」


 俺がそういうと彼女も安心してくれたようだ。


 ――というか、アナスタシアさんは、何故に彼奴あやつへ敬語を使うのか。


 気持ちは解らないではないが。

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