「悪かったね、店の方は大丈夫」

「一日ぐらいなら」

 春樹さんが店に現れてから数日後に新幹線でここまでやってきた。

「もう歌ってはいないのかい」

「空いている時間に細々ですが」

「稀代のブルースシンガーに申し訳ないとは思っているんだ」

「そんなことないですよ。実際食べていけないし」

「おやじさんにはずいぶん世話になったし、今はマチがいてくれるから」

 マチが病室から戻ってきた。

「行ってあげて」そう言って我慢しきれず中庭のほうに走り出す。

「お願いします」春樹さんが言う。

 久しぶりに見たミキの顔は以前とあまり変わらなかった。

「元気そうじゃない」

「ありがとう」ミキはそう言って笑いながら、手を差し出す。

 すべすべだったはずのミキの手は少しゴツゴツしていた。

「年を取ればこうなるのよ。でも死ぬには早いよね」

「ねえ、お願いがあるの」

「ブルースを歌って」

「でもギターが」

 ミキは部屋の隅を指さす。ギターが立てかけてある。

「マチちゃんにコッソリ送ってもらったの」

「チューニング合ってるかな」

「ハルさんが合わせてくれた」

 ギターを取って「カインド・ハーテット・ウーマン」を歌った。

 一か月後、ミキが亡くなった知らせとともにギターが帰ってきた。

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ブルースを歌って 阿紋 @amon-1968

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