第五集 怒りの太祖拳
その夜は、夕食の後もしばらくは
彼は趙匡胤の事が大好きだった。幼くして父を亡くし、父より先に兄たちも亡くしていた柴宗訓にとって、趙匡胤こそが
場合によっては趙匡胤自身が、統一を成し遂げた暁に帝位を返上すると言い出すやも知れなかった。
だが柴宗訓は、帝位に返り咲く気などは全くない。どちらも天下を乱す物であるとして辞退する気でいた。歴史を学べば学ぶほど自身に天下を治める器があるとは思えなかったからである。
あるいはそれは、趙匡胤と敵対する未来を何としても避けたいが為に自身に言い聞かせた面もあったであろうが。
いずれにしても彼を指導した辛文悦の方が、十一歳にしてその境地に至っている柴宗訓の聡明さに舌を巻いていた。
そうして夜も更け、眠りについて間もなくの事である。
寝室の扉が勢いよく開かれ、柴宗訓がその音で飛び起きると同時に、剣を手にした衛兵と数人の宮女が飛び込んできた。
「
そういうが早いか、それを伝えた衛兵が苦悶の声を上げて床に倒れ込む。その背中には矢が刺さっており、周囲の宮女が悲鳴を上げながら柴宗訓のところへ走り寄ってきた。
夜陰に紛れる為の黒衣を身に着けた敵が次々と寝室に押し入って来る。その数はざっと十人はいるだろう。その手には例外なく刀が握られている。
柴宗訓は恐怖を押し殺して立ち上がると一歩進み出た。てっきり逃げ惑うと思っていた刺客たちが一瞬の動揺を見せる。
「私が鄭王・柴宗訓である。こんな夜更けに何用かは知らぬが、そなたらの雇い主の思惑がどうあれ、既に帝位に無い私を殺したところで天下は何も変わりはせぬぞ」
毅然とした態度で言い放った十一歳の少年を前に、思わず動きが止まった敵の刺客であったが、あくまでも任務の遂行を優先するべきと思い直す。しかしそのわずかな隙が命取りとなった。
まるで巨大な
柴宗訓の目の前にいた刺客が思わず振り返ると、目の前にあったのはふたつの
趙匡胤の放った強烈な
「陛下!」
これ以上ない援軍の登場に顔を輝かせる柴宗訓と、肩越しに笑顔を見せる趙匡胤。
そして周囲にいる敵に振り返った趙匡胤の瞳は怒りに燃えていた。彼が袖をまくると丸太のように太い腕が露わになる。
「どこの何者かは知らねぇが、俺の目の前で陛下に手を出そうとするなんざ、良い度胸じゃねぇか」
思わず後ずさった刺客たちであるが、相手が武器らしいものを持っていない事を見て取ると、次々に斬りかかって行く。
しかし趙匡胤は、その巨体からは想像もできないほどの速度で立て続けに繰り出される刃を難なく回避すると、次々と敵に拳を叩き込んでいく。
それは宋の太祖(趙匡胤)が使った事から、後世に「
その開祖・趙匡胤の動きを指し、猫のようにしなやかに、龍のように堂々と、
そうして瞬く間に十人の刺客が気を失って地に伏せるまで、趙匡胤は体は勿論のこと服にすら傷ひとつ無いままであった。
城の衛兵が大挙して駆けつけたのは、その直後の事である。
「おいおい遅ぇぞ。俺がいなかったら陛下がどうなってたと思ってるんだ!」
衛兵を叱り飛ばすと、すぐさま刺客を捕縛させた。全員が意識を失っているか呻き声を上げて動けなくなっているが、誰一人として死なせてはいなかった。
恐らくは
「陛下!」
柴宗訓が趙匡胤に駆け寄って抱き着いてくる。趙匡胤もまた笑顔を浮かべて柴宗訓を抱き上げた。
「陛下、ご無事で何より!」
二人同時に全く同じ言葉を発し、互いの無事を喜んだのであった。
五代十国の乱世は、北宋による天下統一によって終わりを迎える事になるのだが、それを二人が生きている内に見る事は無かった。
しかしその大業達成には、統一を目指して立ち上がった後周の
趙匡胤と柴宗訓の関係は、この後も生涯崩れる事は無く、王朝を円満に禅譲させた中国史上でも稀有な例として、後世に語り継がれる事となったのである。
皇帝デブゴン ~怒りの太祖拳~ 水城洋臣 @yankun1984
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