婚約破棄からは逃げられない

テリードリーム

婚約破棄からは逃げられない



 ピサロは全力でドアを押し返しながら叫んだ。


「ロザリー、もう限界だ! はやく!」


 ピサロは全体重をドアに傾けて必死に抵抗する。



 だが、ドア越しに伝わってくる圧倒的なまでの膂力。

 その暴力の前に……もはや抗うことが難しいと彼は感じていた。


「もう少しだけ待って! いますぐに取り出すわ!」


 ロザリーは鞄を開けて、ピンク色の様式と万年筆を取り出した。

 

 そして、すぐさま様式に自らの署名を書きなぐった。



「はやく! ピサロも! あとは貴方が書きさえすれば……ッ!」


 そう声に出しながらロザリーはピサロに駆け寄った。


 あとは彼さえ署名すれば……、この差し迫った悪夢から逃れられるのだ。

 たとえ、二人の間に愛が存在しないとしても。




 ドアを必死で押さえるピサロのもとに彼女が辿りついたときだった。





 バキバキバキッ。


 突如としてドアが破壊された。

 そして、木片の隙間から顔を出した大振りの刃物。



 おそらくは鉈であろう。


 ドアの向こうから顔を覗かしている刃物には、明確な殺意が載せられていた。



 

「キャアアアアーーーー!!!」

 

 ドア越しでも余すことなく伝わってきた衝撃に、ピサロはロザリーともども吹き飛ばされた。

 なんとか受け身をとったが、ピサロは頭部を強打した。



 だが、自らの頭部からの出血に臆することなく、彼は万年筆に手を伸ばす。


 



 ヌゥ。


 重しがなくなったドアを悠然と押し開いて、ソレは現れた。

 






 そう。



 現れたのは……



 婚約破鬼。



 

 はちきれんばかりの胸筋。それにより盛り上がった胸元。

 頭部にまとった、特徴的な白いホッケーマスク。

 いずれもおびただしい返り血が見られた。


 一体、どれだけの婚約者たちの息の根をとめてきたのだろうか。




 だが、その無機質な仮面からは感情を窺うことはできない。

 読み取れるとしたら……殺意だけだ。




 この婚約破鬼という、"絶対に婚約破棄させるマン"が何処から現れたのかは定かではない。


 ただ、主に物理で婚約破棄を強制的に行うようになってからというもの……王国では婚約をする者たちは減っていった。

 

 そして……いまや、ピサロとロザリーは、王国に存在する最後のペアの婚約者だった。

 

 二人の存在を察知した怪物は……この山奥の山荘まで二人を追い詰めたのだった。

 まるで狩猟犬が野兎を追い込むかのように。

 二人は逃げることしかできなかった。



 そして、とうとう追い詰められてしまったのだ。




「ヒ、ヒィイーー」 

 婚約破鬼が漂わせる害意に捕らわれて、ロザリーは恐怖に立ちすくむしかなかった。

 もはや、本能的に死を覚悟してしまったのだ。




 だが、ピサロは違った。




 彼は起死回生の秘策に賭けた。


「これで、終わりだーーーーー!!!」


 まさに鉈がロザリーの顔面に振り下ろされようとした瞬間だった。


 ピサロは様式への署名を書き終えた。




 そう。



 終わったのだ……。




 婚姻届への署名が。





 婚約破鬼が滅ぼそうとする関係は、あくまで婚約だ。

 それが婚姻に至れば、もはや化物には襲われることなどない。


 たとえ、それが愛の存在しない偽装結婚だったとしても……。







「はははっ! やった! 思ったとおりだ!」

「戸籍が汚れるのは嫌だけど……しょうがないわね」


 二人の間には愛などなかった。



 単なる政略結婚にすぎない体面だけの婚約関係だった。

 だからこそ、婚約破鬼が出没するようになってからも二人は婚姻関係に踏み込むことができなかった。


 相互に敬意など微塵も抱いていなかったから。



「ざまあみろ! 怖がらせやがって! 化け物の分際で!」


 鉈を振り下ろそうとして硬直したままの婚約破鬼に対して、ピサロが罵声を浴びせかける。


 与えられた恐怖が大きかっただけに、もたらされた安堵も大きかった。

 いままでの恐怖をかき消すかのように、ただ囃し立てた。

 




 そんな時間がしばらく続いたときだった。





「すこし、様子が変よ……」

「うん?」


 まず、ロザリーが異変に気付いた。




「たしかに……婚約破鬼の様子が……」

「ホッケーマスクが変形しようとしている……?」




 メキメキッ。



 ホッケーマスクに亀裂が入った。



 そして、脱皮するかのように、般若の面へと様変わりをしたのだ!




 なんと!

 婚約破鬼が、鬼装血痕に進化したのだ!



 再び、化け物は二人に対してゆっくりと歩み寄ってきた。



「や、やめろ……」

「ち、近寄らないで……」


 再び放たれる明確な殺意に、二人は怯えて後ずさろうとした。

 だが、二人は知ることになるのだ。


 背後には壁しかないということを。











■■あとがき■■

2022.02.21

 思いつきの一発ネタです。お目汚し失礼しました。

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