【短編】不良

塩野秋

不良


 雨の日、彼は歩いていた。彼は町でも手のつけようのない不良である。まだ無知な学生身分であることをいいことに、名前のつく軽犯罪を繰り返しては周りから距離を置かれてしまう。今日も一人、傘をさすこともなく、着崩した制服を濡らして歩いていた。


 そんな不良とクラスも一緒で、運悪くもご近所で通学路が一緒のクラスメイトである女学生は彼を抜かすことがないよう、大きく距離をあけて、彼の後ろを歩いていた。


 不意に、不良が立ち止まる。不審に思い、彼女はこっそりと目線を上げた。視線の先では、彼が、段ボールに入れて捨てられている一匹の子犬を拾っていた。

 子犬はつぶらな瞳で不良を見上げていた。この小さな生き物はなんといじらしいのだろうか。


「お前も一人なのか……うちに来いよ」


 そう言って子犬を抱えて不良は歩き出した。なんてことだ、と女学生はギョッとして、どぎまぎと不揃いな足並みで、彼と方向が一緒だから、後ろをついて歩く。


 まさか学校一恐れられている彼が、子犬を拾うなどという場面に出くわすとは。なんだか彼女は嬉しかった。まだ彼は人の心があるのだ。


 また不良が足を止めた。つま先に、段ボールに入れて捨てられている一匹の子猫がいた。子猫を入れるには随分と大きな段ボールだ。

 子猫はつぶらな瞳で不良を見上げていた。このか弱き生き物はなんといじらしいのだろうか。


「お前だけ置いてかれたか……うちに来い」


 そう言って子犬と子猫を両脇に抱えて不良は歩き出した。

 女学生はますますどぎまぎとした。先ほどよりも駆け足で、彼の後ろをついて歩く。かといって、彼の隣に並ぼうという気がある訳ではなく、雨が強まりつつあるからだった。


 不良はまた立ち止まる。彼女も慌てて足を止め、視線の先を見る。雨の中を所在なく佇んでいる一頭の天然記念物のカモシカがいた。街中である。


 カモシカはつぶらな瞳で不良を見上げていた。この四足歩行の生き物はなんといじらしいのだろうか。


「お前もハグれもんか……うちに来な」


 そう言って子犬と子猫を両脇に抱え、カモシカを引き連れて不良は歩き出した。


 女学生は流石に距離を空けた。どぎまぎとした感情は明確な困惑に変わっていた。


 雨は午後の熱帯雨林のごとく降り注いでいる。雨煙の中に見えるシルエットに、不良はやっぱり立ち止まる。不良は雨に打たれ黄昏ている絶滅危惧種のニシローランドゴリラと出くわした。成獣の雄である。


 ゴリラはつぶらな瞳で不良と見つめあっていた。この霊長類はなんといじらしいのだろうか。


「お前も群れから追い出されたか……うちに来たらいい」


 子犬と子猫を両脇に抱え、カモシカとゴリラを引き連れて不良は歩き出した。

 ターザンだ……女学生はもう向かいの歩道へと渡り、店の軒下で不良一行をうかがっていた。世界が灰色に変わるほどの大雨で、人々は疲れていて、誰一人不良と目を合わそうとはしなかった。ただ傘の隙間から窺える人間ではない足を、こっそりと二度見をするくらい正気ではあった。


 不良の制服は、すっかり水を吸い重くなっている。両脇の子犬と子猫と後ろを歩くカモシカとゴリラはしっとりと張りつく体毛の冷たさに震えていた。


 彼は少々、うろたえているようだった。

 女学生はほんの少し、その下げられた眉にどぎまぎとした。困惑の中にまたどぎまぎとした感情が戻ることに困惑したが、手元にある傘を差し出すべきかと迷っているうちに、不良の視線は一点に注がれていた。


 不良は、雨に打たれる路上駐車の黒のリムジンと出くわした。鍵は挿しっぱなしのようだった。リムジンも寒さで震えている。

 リムジンはつぶらなハイビームで不良を見上げていた。この黒光りの高級車はなんといじらしいのだろうか。


「お前も主人からほっとかれたか……来いよ、うちに」


 不良は運転席のドアを開けた。リムジンの後部座席には、大きなアタッシュケースが置いてあった。中身を見ると、もし不良が将来刑務所に行くことになっても、十回はすぐ出ることが可能だなと思う、札束たちが入っていた。


 諭吉たちはつぶらな瞳で不良を見上げている。この福沢諭吉はなんといじらしいのだろうか。


「お前ら……行くところがないのか」


 いいぜ、みんなうちの子だ……。


 ふっと不良は笑みを見せた。

 不良は子犬と子猫とカモシカとゴリラとアタッシュケースを乗せ、ハンドルを握りレバーを下げた。リムジンは雨と共に、通学路を走り去って行く。ノーシートベルト、ノー免許である。こんなに歯に物が挟まった気持ちは初めてだった。



 女学生が家につく頃、雨はすっかり上がっていた。

 彼女はドアの前に立ち気がついた。今日は両親が遅いのに、合鍵を持つのを忘れてしまった。


 ドアに背を預けて向かいの家へと目を向ける。先ほどのリムジンが嬉しそうにエンジンを蒸していた。車のドアを開けて、ゴリラが降り立つ。カモシカをエスコートした後で、運転席のドアを開け、脇に子犬と子猫を抱えて降りる不良を補助していた。ゴリラの瞳は優しかった。

 不良は彼女を一瞥し、また視線を向けることはなく、言葉を続けた。


「ひとりか」

「うん」

「うちに来るか?」

「うん」


 言いたいことはたくさんあった。彼女はつぶらな瞳で、彼を見つめていた。

 こんな男がいまだに好きな私は、なんといじらしいのだろうか。


 女学生はドアから身を離す。彼の母親のカレーは、絶品なのだ。

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