最終話 当たり前の日々
「飛鳥、早く! 逃げちゃうよ!」
大翔は慌ててダイニングテーブル上にある物を取ってくれと頼んだ。
ちょうどそばにいた飛鳥はそれを取るや、少し離れたカーペットの上にいる大翔の方に向かって、いいコントロールで投げる。
受け取ったのは、赤ちゃんのオムツ交換時にはなくてはならない黄金のアイテム“おしりふき”だ。
「サンキュー飛鳥っ! ほらほら、オムツ取っ替えるからおとなしくしろよー」
大翔はカーペットの上で寝転がった男の子の赤ちゃんに向かい合い、手際よくおむつ交換を始めた。昔から弟達のも散々やってきたから、お手のもんだ。まさか、また弟と妹が両方増えるなんて思いもしなかったけど。
「飛鳥〜、そっちもジュース飲ませといてあげてな〜。ゆかりがもうすぐ迎えに来るから」
「わかった」
そう言われ、飛鳥は自分の膝の上に座ったもう一人の女の子の赤ちゃんに、テーブルにあったストローマグでジュースを飲ませる。
「こぼすなよ……おいしいか?」
お気に入りのグレーの膝掛けにジュースがこぼされそうになり、飛鳥は赤ちゃんを抱え直して語りかけていた。
そんな二人の様子が(まるでホントのパパだよな)と思えて、おかしくて笑えてくる。
「飛鳥もすっかり子守りに慣れちゃったな。悪いな、オレの弟と妹の面倒を見させちまって」
飛鳥は「別に問題ない」と赤ちゃんの顔を見ながら、ほほ笑んでいた。
それは一年前には信じられなかった飛鳥の変化、そして素顔だ。それを見ていると自分の今がすごく幸せだというのを感じる。
遊園地での件から一年以上が経ち、季節はまた春となった。
無事に退院したオレは猫の手に復職し、今では正社員として高澤所長に世話になっている。ほんの少しだが苦手なビジネスマナーとやらも少しは学んでいる最中だ。といっても、あまり使う気はない。自分はいつでも素の自分でいくようにしてるのだ。
あとここにいるけど。母親が妊娠出産したのは、まさかの弟と妹の双子という結果になった。また家族が増えてにぎやかで楽しいが、大変な両親を助けるために、たまにこうやって赤ちゃんを飛鳥宅で預かったりしている。
それは飛鳥も快く受け入れてくれて、こうして膝の上に乗せてはご機嫌を取ってあやしてくれる。これがまた結構上手なので驚きだ。
そして自分は飛鳥と一緒に生活をすることになった。洗濯干しに使っていた、あの部屋をオレの部屋にし、いつも飛鳥のそばにいる。飛鳥の世話と仕事をし、毎日を楽しく過ごしている。
遊園地のあの建物は全焼はせず、今は復旧工事中だ。直ったら二人であらためて行きたいと思っている。なんだかんだで思い出の場所だ。またアトラクション乗せて飛鳥をビビらせてやるぜ、という企みは絶対にバレてはいけない。
「あ、そうだ。オレ飛鳥に渡したいものがあったんだ〜」
大翔はテレビボードの引き出しにしまっていた“あるもの”を取り出そうと手を伸ばした。その時、リビングのドアが勢いよく開かれたので、慌ててその手を引っ込めた。
「大翔さん! 兄貴」
リビングに飛び込んできたのは髪を黒く染めた隼人だった。
「荷物の準備終わったよ、三日分の着替えとか、シャンプーとかリンスとか全部、スーツケースにね。楽しみだなぁ、俺、旅行なんて全然行ったことないからさ。しかも大翔さんと一緒! 大翔さん、俺と一緒の布団で寝ようよ」
「せっかく旅行に行ってんのに、なんで布団で一緒に寝て狭い思いしなきゃなんねぇんだよ」
大翔の否定に、隼人は「えー」と残念がって口を尖らせていた。でも楽しみだなぁ、という声を上げながら自室に再度荷物確認しに戻っていった。
そう、自分達はこれから三人で旅行に行く。三泊四日のちょっとした国内旅行。隼人は旅行が初めてらしく「全員分の荷物とお土産は俺が持つから!」そう言って張り切っている。
いやいや、シャンプーとかリンスは泊まる先にもあると思うんだけどな……数ヶ月前の自分を見ているようでウケるから、それは言わないでおく。
隼人はこの春、高校を卒業する。全寮制の大学へ合格し、家を出ていく。それは兄を自分から自由にしたい、という弟の気づかいもありそうだ。本音は言わないけど、隼人も兄が大事だから。
そして髪の色は大学の面接で真面目さアピールのために染めたのだが、しばらくしたら「また金に染める」と言っていた。黒髪も隼人ならかっこいいと思うんだけど。
そしてこんなことも言っていた。
『大翔さん、兄貴をよろしくね。こういうのって、ふつつか者ですが、とか言うの?』
まるで古いドラマの嫁いだ人みたいなセリフ。だけどそれに対して「まかせろ」と答えちゃった自分がいる。そこまで言っちゃったら、もう後戻りはできない……する気はないけど。
この“契約”は対価が果てしなく大きいが破棄が効かないのが問題だ。いや、だからする気はないけど。
(契約……あ、また忘れそうになっていた)
大翔は先ほど飛鳥に渡そうとした物のこと思い出し、テレビボードの引き出しに手を伸ばした。
そこから取り出したのは薄い一枚の書類だ。ちょっと照れ臭いのだが、飛鳥の世話を一生すると約束するために何がいいかなと思った結果が、コレだ。
「飛鳥、これ契約書」
そう言うと飛鳥は「契約書?」と言葉を繰り返し、不思議そうにそれを受け取る。
そしてそれが何かと理解した瞬間、驚きに目を見開いていた。
「契約書って、これは」
「いいだろ、それ」
飛鳥は戸惑っていたが膝の上にいる赤ちゃんの頭をなでながら照れたように笑みを浮かべた。嬉しそうに見えるその表情は多分喜んでくれている。
それがわかり、大翔はホッした。まさか破り捨てるなんてしないとは思っていたけど。えぇ〜と引かれたら、どうしようと心配ではあった。
「それさ、提出するわけにはいかないんだけど書いて額にでも入れて飾っとこうよ。オレと飛鳥の契約書なんだから」
「か、飾っておくのか?」
書類を見ながら飛鳥が「うーん」と悩んでしまったので。大翔は「ダメ?」と、わざと甘えてみた。
「う……別にかまわないが……」
飛鳥はあきらめたようにつぶやくと「後で書いておく」と言ってパソコンの間に大事そうにしまってくれた。
「それにしても、どこから持ってきたんだ」
「あ、それ? 高澤所長が教えてくれたんだよ。こういうのがあるから書いておけば安心じゃないかって、お互いに。まぁ、紙がなくてもオレはよかったんだけど。でもいいだろ、なんか契約違反は許さねぇって感じが」
「夕のヤツ……だが契約違反か、確かにそれは大罪だな」
「だって飛鳥はオレのことを愛してくれてるんだろ。アンタの世話への対価は、アンタからの愛っていうことで決まったんだ。その対価をくれなくなったら、オレはマジで許さねぇからな。その代わり、オレは飛鳥に『普通の生活』をやる。オレの作ったチャーハンが毎日食えればいいだろ?」
大翔は飛鳥の顔を見て、ニッと笑い返す。飛鳥も「当然だが、からあげやオムライスもいいな」とさり気ないワガママを言ってきた。
そんな自分達を見て二人の赤ちゃんもキャッキャッと楽しそうに笑う。まるで二人の赤ちゃんみたいだ、そう思うとちょっと照れる。飛鳥のことを呼んでくれるように「パパ」という単語を覚えさせてみようかな。
でも自分がそんなことを思っているのはナイショにしておこう……ふてくされちまうから、この頑固な人間は。
普通に笑って過ごせる日々、何も気にすることなんかない時間。ボーッとして、笑って、怒って。おいしいものを食べて、好きな時に遊んで、寝る。
これからもずっと二人で過ごしていくのは、そんな当たり前の日々だ。
世話してやるから対価をよこせ 神美 @move0622127
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