第5話
その日の朝は、最悪だった。
爆発したような泣き声に慌てて階段を駆け下りばリビングの机にはコーンフレークが散乱していて、牛乳もポタポタと零れていた。泣きわめいている裕翔を険しい顔で見つめながら、母は珍しく大声で怒っていて。
「ねえ、どうしたの?」
私の問いかけに母は何とも言えない表情のまま机を指さす。裕翔の強いこだわりの一つで、朝はチョコ味のコーンフレークしか食べない。しかしどうやらチョコ味をきらしてしまったらしく仕方なくプレーンのシリアルを出したら、それをひっくり返して癇癪を起してしまったようだ。牛乳を拭きながら裕翔に声をかけるが、全く届かない。近づいて起こそうとするけど手を払われてしまう。
「ねえ裕翔。おいで、お姉ちゃんの顔見て。」
声をかけながら近寄るけどその泣き声は大きくなるばかりだ。もう一度手を伸ばせば、また振り払われた表紙に爪が当たって手に鈍い痛みが走る。
プチン、と何かが自分の中で切れた気がした。
駄目だ駄目だ。頭の中では冷静な自分がそう声をかけるのに、それが体と連動しない。気づけば私は裕翔の手を強く引っ張ってしまっていた。
「ねえそんなことで泣いててどうすんの!?いいじゃん別にこれ食べれば!何が不満なの!?」
「ちょっと・・・」
「もう小学4年生なんだよ!!高学年なんだよ!どうして!どうしてそんなんなの・・・!!」
「雪奈!!」
「なんで普通に出来ないの!?ねえ!!なんで他の子達みたいに・・・!」
「やめなさい!!」
母の鋭い声に現実に戻された。と同時に、自分が口走ってしまった酷い言葉達に胸を引き裂かれる。裕翔は泣いたままで、私が掴んだその手には赤い跡がついている。母が今度はじっと私を見つめていた。でもその顔は険しい顔ではなくて、とても悲しそうな顔で、それが、一番辛かった。
机の上にいつものお弁当箱が置いてあるのが見えたけど持たずにそのまま家を出た。雪奈、と私を呼ぶ声も聞こえないふりをしてドアを閉める。体中のなにもかもがドロドロと溶け出しているようで、心臓をにぎりながら全力で走った。全て投げ捨てたかった。
「ねえなんか元気ない?」
「ん?そんなことないよ。」
ふーん、と疑うように陽菜が私を見つめる。曖昧に笑い返せば彼女はそれ以上何も言わず私の頭をポンポンと叩いてくれた。なんだか泣きそうになってしまったのを堪えて俯く。もう一度陽菜が口を開く前に、仲の良い友達の一人がいそいそと駆け寄ってきた。
「ねね、これ食べてみてくれない?」
「すごい美味しそう!どうしたの?」
「実は今日須賀先輩にあげようと思って。ほら、もうすぐ大会だから。」
お願い自信ないから味見して!と彼女が私と陽菜に1つずつカップケーキを渡してくれる。クッキーの耳が付いた犬の形のカップケーキ。とても可愛かった、おいしそうだった、けれど私の心臓はバクバクだった。
何の躊躇もなく陽菜が一口かぶりつく。んー!と目を輝かせて陽菜はファイトポーズを作った。
「すっごい美味しい!間違いなしだよこれは!」
「ほんとに!?良かったあ。」
安堵したように息をついて、今度は私の方を見る。陽菜も、私の方を見る。分かっているのに、動けなかった。今食べなかったら絶対に不自然だ。一口だけでいいから食べよう。頭の中は騒がしいのにまた体が連動しない。徐々に2人の顔が怪訝そうに変わっていって、ああもうだめだ、だめなんだ。私は、私は。
「河合さん。」
優しく、2回。誰かに肩を叩かれた。
零れそうな涙を、必死で堪える。
「小関先生のところにノート持ってくの手伝ってほしいんだけど、いい?」
「・・・え、あ、えーと。」
「お願いできたら助かる。」
私の返答を待つ前に彼女は私の手にノートを数冊載せる。慌ててカップケーキを一度鞄にしまえば、後で感想教えてね、なんて陽菜たち呑気に笑った。安心して全ての力が抜けてしまいそうだったけど、歯を食いしばって教室を出た。
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