「だから言ったんだよぅ」と、おにの首を取ったように男が急に切り出す。「あったかいソバにしといたほうがいいって」

「ええまあ、たしかに、失敗したなとは思います。だけど、冷たいやつのほうが好きなんですもん」

「『もん』ってかわいいね」

「……真顔まがおでなに言ってんですか」

「だからかもね」

「なにがです?」

「あったかいの作るの、ヘタなのかも」

「ああ、なるほど……料理りょうり火加減ひかげんって言葉、聞いたことありますね」女の声は、煮崩にくずれたようにうつろだった。

「それか、雪子ちゃんのベロがおかしいか」

「そのセリフそっくりそのままお返しします」

「うわぁ、定型文ていけいぶんって感じだね」

「そんなこと言ったら、ぜんぶそうですよ、言葉なんて」

「まあね。――ねぇ、雪子ちゃん」男の声は、人生で一番感銘かんめいを受けた漫画マンガを、貸しあたえるように真剣だ。

「え、なんです? あらたまって……」、対する女はギクリとこたえる。

「よかったら……もう一回おソバ食べない? 列車、まだ当分とうぶんこないみたいだし」

正気しょうきですか……?」

「さむいんでしょ? 雪子ちゃんがあったかいのを食べて、僕が冷たいの食べてみるよ」

当然とうぜんみたいに言いますね……。何度でも言いますけど、私いちおう女の子ですよ?」

「え? でも……食べれるよね? いつもはあんなに……」

「そういう問題じゃないですよっ! でもまあいいです……行こうじゃないですか! 決着けっちゃくつけましょう、味覚みかくの!」

「マズい思いするかもしれないけどね」

「さむいよりはいいですよ! はらえられませーん!」

「声大きいよ? ここホームなんだから……」

「う、すいません。というか先輩、冷たいのでいいんですか? けっこう冷たかったですよ?」

「うん。マズいほうが嫌だなぁ僕は。まあ、冷たいのもマズい可能性あるけど」

「こだわりますねぇ。そんなに私を味オンチにしたいんですか?」

「いや、そういうわけじゃないよ……。でも、味オンチは武器ぶきだと思うよ」

「武器?」、ボキと首のふし

「たくさん美味しい思いができるし、なんでも食べられるし」

「まあそれはたしかに……。でも恥ずかしいじゃないですか」

「人とくらべなければいいんだよ」

「それがむずかしいんですけどねぇ」この世のすべてをくくるように女は言う。一拍子ひとひょうしいて、でんぐりがえしのような起立きりつの気配。「……あ、思い出しました、そうです、パンケーキの話ですよ」


 男女の声は、ベンチから徐々に遠ざかっていく。

「ん、なんだっけそれ?」

「パンケーキを、どういう腹積はらづもりで食べてるかって話だったじゃないですか」

「そうだっけぇ?」

「ですよ。それで……」

「……う~ん、円盤かなぁ」

「ああ、なんかさっきも言ってましたね……、で、どういうことです?」

「だからね、ハチミツ味の円盤だなぁって思いながら……」

 やがて二人の声は、雨だれの静けさの向こうへと抜けた。そして、それと入れ違うように、轟音ごうおんが辺りにわたる。


 降りしきる雨をらし、つか霧中むちゅうをたずさえ、新幹線がホームに飛び込んでくる。普通列車ふつうれっしゃを待ちわびる人々の期待きたいを切りきながら、その疾走しっそうはすぐさに闇へと消えていく。


 いつからそうしていたのか、三十男は、ベンチに横になり寝息ねいきを立てていた。腹の虫が鳴くように、ふと、彼は寝言ねごとを呟く。

「……おかあさん、もうたべられ……ないよ……」

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背中合わせる腹の虫 倉井さとり @sasugari

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