1+1=2 ではなく、、、、、

石川タプナード雨郎

第1話 1+1=?

        E県 T市 

私は高中あみ、聖マクファーソン学園に通う高校三年だ。家から一番近いこの高校を選んだのだが、まあ漠然と入学はしてみたものの、部活にも入らずに退屈な日々を送っている。三年になって変わった事といえば、二学期に入り新しく赴任してきた教師が担任となり、その教師がクラスの女子をざわつかせていた。周りの子いわくイケメンまではいかないが高身長でスラッとしていて清潔感のある風貌に高校マジックとでもいうのか?が働いたせいもあってか何かにつけて女子がちょっかいをかけていた。

「先生独身?」

「彼女はいるの?」などという声が聞こえてくるのだ。

「あたしはそうは思わないがねえ。」あみは至極冷静に判断していた。

「まあアリかナシでいったらアリの部類には入るかも?だが騒ぐほどのもんかねえ?」と心の中で女子につぶやいていた。あみ自身はというと可愛い部類には入るであろうがイマイチ恋愛には興味が持てず、一度だけ後輩に告白された事もあったが何故か付き合う気にはなれなかった。そんななか、あみがこの教師の事で気になる事といえば左足を引きずってる事位か。まあ交通事故にでもあってその後遺症なのだろうが本人は日常生活には全く支障はないと言っていたし、私にはどうでもいい事だなあと思い、時は過ぎていくのだった。

なんの変哲もない日常が一変したのは二学期が始まってすぐの事だった。

母が病気で倒れ入院したのだ。肝臓癌である。確かに母は酒が好きだったが外に飲みに行くのではなく家で飲むのが好きだった。夕食後の父との晩酌には必ず付き合い、そして父よりも早く酔って眠る。眠った母を父がベッドへ運ぶのが高中家の夜の日常だったのだが、まさかその結果がコレなのか?40半ばだし早過ぎやしないか?

父と私で受けた医師からの説明ではかなり悪い状況で根治の可能性は五分らしい。

そこから私の高校生活に変化が生まれた。といっても喜ばれる変化ではないが、学校帰りに母の見舞いをする日課が加わったのだ。それは普通の高校三年が体験する現実としては厳しいものだった。骨折などとは違い生死がかかっている治療の様子を日々見続けなければならないのだ。あれほど退屈だった日常がどれほど恵まれた環境だったかを認識するには十分な現実だ。日々衰弱していく母を見舞いながら過ごしていたある日、下校しようとしたあみは担任から声を掛けられた。

「高中さん、このあとはお母さんのお見舞いにいくの?」

「はい、そうですけど、何か?」

「自分も一緒にいっていいかな?」

「ほら、事情はお父さんから聞いてはいたけど、顔出せてなかったから一度お見舞いしておきたいんだけどいいかな?」

「別にかまわないですけど。」

「そう、よかった。じゃあ先生の車で直接、病院にいこうか。学校側には了承はとってあるから。」

そうして教師の車に乗り込み走り出してから五分過ぎた頃に、少し気になっていた足の事を聞いてみた。

「先生は足が不自由みたいだけど、やっぱり交通事故かなんか?」

「うん、まあね。昔に車に跳ねられて、それでリハビリしたんだけど治りきらなくてね」

「でもこうやって車にも乗れるし特に問題はないよ。」

「そうなんだ。」と、とくに会話も弾むことなく病院に着き、予めトランクに積んであった果物の詰め合わせを私に渡してこう言った。

「デリケートな状態かもしれないし、私が来た事で気を遣わせたくないから、終わるまで待ってるから。」

「ここまできて顔ださんのかい?」と心の中でつぶやいたが。まあ教師にとっては通過儀礼みたいなもんで一回位は見舞いに行ったという既成事実を作りたかっただけなのだろう。と妙に冷静に判断するあみだった。

「全然急がなくて大丈夫だから」

それに声を出して返答はせず、少し頭を下げてから病室へ向かった。

病室で会う母は、半身を起こしいつもよりは体調が良さそうだった。持たされた果物の詰め合わせが目に入った母が聞いてきた。

「あら、どうしたのソレ?」

「実は担任と一緒に来てて持たせてくれたんだ。」

「顔くらい出せばいいのにね。」

「へぇー、優しい先生じゃない。」

「見た目はどんななのよ?イケメンなの?」

「そこそこ若いけどごくごく普通だよ。」

「学校としては一回くらい見舞っとかないといけないような感じじゃないの。」

「ふーん」

「ところで進路は決めたの?」

「うーん、まだなんとも言えない。」

「私の事は気にしなくていいから大学いけば?」

「うーん、本当に何とも言えないなあ。」

「特にやりたいこともないし、大学いってもなあ。」

「馬鹿ね、大学言ってる内に考えるのよ。」

「4年ありゃ考える時間としては充分でしょ。」

正直母がこの状態で大学になんか行く気にはなれないのが本音だが、当の母は自分の病状を置いているかのような冷静な物言いだ。

私の妙に冷静な所は母譲りなのかもしれない。そんなたわいもない会話が30分位続き、一段落した所で母に別れを告げ病室をあとにした。

駐車場で待っていた教師の車に乗り、家まで送られたあみは礼を言って家に入った。

普通なら当たり前に母が迎えてくれる日常が今は無い事がつらい。

そうした重い現実を振り切るかのように夕食の準備にとりかかる、あみなのであった。

それから二週間もたたないうちに母の容体が急変し、集中治療室に運ばれてから二日後に母は亡くなった。46才だった。あまりにも突然に叩きつけられた現実にあみは放心していた。

「何なのコレ?」

「ただ少しお酒が好きだっただけじゃない?。楽しく呑んでただけじゃない?」

「命を奪うだけの事を母が何かした?」

「ひどい、ひどすぎるよ。」

やり場のない哀しい感情をぶつける相手も無く、自問自答し続ける日々が続いた。

葬式、お通夜を終え、初七日が過ぎ父と二人での夕食を終え後片づけをしているあみに父が声をかけた。

「あみ、ちょっとこっちに来て座ってくれないか。」父はリビングのソファーに座っていた。父の左隣に腰かけたあみは不思議な顔をして聞いた。

「何?なんか改まってる感じだけど。」

「実は母さんからあみへ預かってる手紙があるんだ。」

「ああなってしまったのは急だったけど、母さんなりに感じるものがあって準備しておいたんだと思う。ほら母さんって妙に冷静なとこあっただろ?」

「それはあみにも受け継がれてるだろ?」精一杯の笑顔を作りながら父は言った。

「うん、そうだと思う。」

渡された手紙の内容はこうだった。

               あみへ

もしこのまま最悪の結果を迎えてしまうと、どうしても後悔してしまう事があるから念の為に手紙を書く事にしました。貴方が生まれてから少しづつ成長を見守り、今まで元気に健やかに育ってくれた事を感謝しています。自分の娘ながらいい子に育ってくれたなあと我ながら思います。思春期にありがちな父親を毛嫌いする事もなく平和な毎日だったと思います。ありがとう。ただね、もしこのまま私が病気で死んでしまうとなると、どうしても心残りな事が一つあります。それは貴方が今何故生きられているのか?という事です。どういう事かというと貴方は5才の時に私が目を離した間に居なくなり、道路に出て車に轢かれそうになった事がありました。幸い近くにいた高校生の男の子が貴方を身を挺して助けて下さり、貴方は擦り傷程度で無事でした。でも貴方を救ってくれた男の子は生死の境を彷徨い、一週間程、昏睡状態が続いたあと無事、命は取り留めました。でも両手両足に酷い損傷を負い、日常生活に支障が出るほどの後遺症が残ると知らされました。それから父さんと幼い貴方を連れて

足繫く見舞いに通ったり何かとお世話をする日々が続きました。貴方は幼かったので覚えていないでしょう。見舞いに来てくれた貴方に精一杯の笑顔で迎えてくれました。辛さをおくびにもださずに。そんなある日、より高度な治療、リハビリを受ける為に男の子は遠方へ転院する事になりました。それを聞いた時、私は内心ホッとしてしまった自分がいました。それは毎日、治る可能性の低いリハビリ治療に苦しむ彼の姿を見るのが辛く耐えられなくなっていました。ちゃんとしたお礼を返すことも、ままならず彼の家族はこの町を去りました。しばらくは手紙のやり取りを続けていたものの、あるときから音信不通になってしまったのです。それから13年の時が経ち、今こうして病室で手紙を書いている私は天罰が下ったのかもしれません。

そこでもし私が亡くなることになったら貴方を救ってくれた男の子を探して、思いを伝えて欲しいのです。ありがとうと。その男の子の名前は森園正太郎君といいます。当時高校三年生だったので今は30才になっているはずです。転院先はN県S市のピニンファリーナ大学病院だったと記憶しています。母さんの最後の願いを叶えてもらえるかな?最後に毎晩酔っぱらった後の後かたずけしてくれてありがとうね。今更言う事でもないけどさ、とても感謝していました。ありがとうね。じゃあね。


そこで手紙は終わっていた。

「普段はあんたとしか呼ばないのに手紙では貴方なんて変わってるよ母さん。」

あみは自分が車に轢かれそうになった事、見舞いにいった事は全く覚えていなかったが、森園正太郎という名前には聞き覚えがあった。

二学期に担任になった教師の名前と同姓同名である。

「えっ?どういう事?」涙で頬を濡らしながら父に聞いた。

「お父さん、この森園正太郎っていう名前に聞き覚えがあるんだけど。」

「担任の先生と同じ名前で年も30位だったと思う。」

「うん。私も担任の先生の名前が同姓同名なのは母さんが亡くなる前に気が付いていたんだ。忘れようのない名前だからね。」

「だから、明日進路相談があると無理いって家庭訪問してくれるように頼んでおいたんだ、」

「父さんと二人で明日先生に話を聞いてみようか?」

そういって父は私の肩を抱き寄せて幼い子供をあやすように頭を撫でた。

              5年後

高校を卒業した私は看護系の大学に入り看護師の資格も取り地元の大学病院に就職した。そして今、家でくつろいでいる隣には歩く時に左足を引きずって歩く夫がいる。

「別に母さんに言われたわけじゃないけどさ、これでよかったよね?」

「もうすぐ元気な男の子生むからさ、そっちで見ててよね。」

「父さんなんか妊娠が分かった時、わんわん泣いて大変だったんだから。」

「困った事があったら、また話しかけるから酔って寝てるのだけは勘弁してよね。」

「またね、母さん。」           END

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