ギニュライドッチン

葛西 秋

ギニュライドッチン

 城の中庭におだやかな日の光が降りそそぐ昼下がり。

 この城の主にして水の公国の領主である僕は、ゆったりした椅子に座って紅茶を飲み、これからの政務に備えていた。


 今日はそんなに仕事がないから、城の中を行き交う皆の足取りも、のんびりしている。ちょっとぐらい昼寝しててもいいんじゃないかな。

 

 僕はちらっと横目でかたわらのテーブルを見た。


 テーブルの上では僕が魔術で使役しているオナガカケスのデューイが翼の内側にくちばしを突っ込んで熟睡している。


 ぷう、ぷうと小さな音が聞こえるけれど、鳥もいびきをかくんだ。


 ふかふかで葡萄色の羽を掻いてやると、デューイはその場に、ごろん、と寝転がった。鳥とは思えない仕草に本来の竜の姿のおもかげがある、気がする。


 ゆっくり上下するデューイの腹を見ていると僕も眠たくなってきて、手にした紅茶カップをいったんテーブルに置いた。


 途端、凄い勢いで部屋に駆け込んでくる人影があった。デューイが飛び起きて本棚の上に素早く飛んで避難した。


 蜂蜜色の長く柔らかな髪に菫色の瞳、レースのドレスに細く長い手足が人形の様な、僕の妹のマーリンだった。


「兄様、ちょっとお願いがあるんだけどっ……!」


 息を切らせたまま僕の両肩をがっつり握ってくる妹の形相に怯えていると、妹付きの女官が盆の上に何かを乗せて持ってきた。


 白磁の深皿の上に乗せられた、……なんだこれ。


 黒くて灰色でぶよぶよして、けれど場所によってはすごく固そうに見えるそれ。

 白磁の深皿は食べ物を乗せるためのものだけれど、これ、食べ物なのかな。


「マーリン、痛いから手を離して。なんだい、それは」

「・・・・・・それ?」


 僕の言い方が気にくわないらしく、マーリンが掴んだままの僕の肩に爪を立ててくる。痛いって。


「じゃあ、えっと、そちら様はなんでショウカ? 痛てて」


 見かねたらしい女官が助け舟を出してくれた。

「こちらはマーリン様がさきほど作られたギニュライドッチンというお料理です」


 ・・・・・・料理? ギニュライドッチン?


 僕の頭は「?」マークで占められた。

 どこからどう突っ込んでいいのか分からない。


「ずっと前から材料を探していて、ようやく7日前に全部揃ったから作ってみたの! 初めてにしては上出来でしょ?」


 マーリンの合図で女官が盆ごとギニュ、ギニュライドッチン? という食べ物? を僕の目の前に差し出した。


「・・・・・・焦げ臭い」

 僕は思わず不用意な一言を漏らしてしまった。


「香ばしい、っていうのよ!」


 ああ、うん、そう、香ばしい……。僕はなるべく黙っていることにした。


「それでこれをせっかくだからラジルにも食べさせてあげたいって思っているのだけど」

 マーリンがいきなり女の子の表情でそんなことを云い出した。


 ラジルは家臣ではあるけれど僕の友達で、マーリンとも仲がいい。


 ・・・・・・ラジルを守らなければいけない。


 僕の心の中、この城を総べる領主としての責任感が呼び起された。


「えっと、マーリン、そのギニュライドッチン? という料理、誰かもう味見したのかな?」


「いいえ。何だか皆、遠慮して味見してくれないのよ。このエリーだって、勿体なくて、なんて言って食べてくれないし」


 女官は表情を変えずに盆を持ち続けている。プロだ。


「兄様なら私に遠慮なんてせずに食べてくれるでしょ? はい、食べてみて!」


 マーリンがエリーという名の女官の手から盆を奪って、僕の目の前にギニュライドッチン? を突き付けてきた。


 白磁の深皿の上、ギニュライドッチン? はぷるぷると小刻みに震えている。


「・・・・・・これ、づくり?」


 また余計なことを云った気がした。


「オーブンで焼いたわよ、きっかり5時間」


 オーブンの火力で5時間焼いて、この保水力と弾力を保っていられる材質について強い興味がわいたけれど、断じて食欲ではなくただの好奇心で知識欲だ。


「何ぶつぶつ言ってるのよ、兄様。ほら、一口食べてみて!」


 マーリンはぐいぐいと僕の口にギニュライドッチン? を押し付けてくる。


「マーリン、待って、なんかペチャっとしてない? これ」

 せめて、せめてフォークかスプーンを……!



「いいのよ、ほら、齧って!」


 ギニュライドッチン? に鼻と口を覆われて、呼吸困難に陥った僕は目を固く瞑った。


 必死に抵抗したけれど、足りない酸素を供給するために僕の意識を無視した本能によって口が開いてしまう。


 絶望の中、僕の口の中にギニュライドッチン? が押し込まれた。


「・・・・・・」

「よし、食べたわね!」


 黒くて灰色でぶよぶよしたギニュライドッチン? が僕の口の中いっぱいに入ってくる。泣きそう。


 そして、せめて味わうことなく丸呑みしようと決意した僕の舌の上、ギニュライドッチン? は、ほろほろと崩れた。


 強すぎない甘さと香草の爽やかな香り、そして溶けて崩れたその奥から噛み応えがある部分が現れて、それは噛めば噛むほどに旨味が滲み出てくる。


 それは甘さと絶妙なハーモニーを醸しだし、まるで果実のソースが掛かった極上の肉料理の様な……


 目を開けると、僕の目の前には黒くて灰色でぶよぶよしたギニュライドッチン? がぷるぷる震えて白磁の皿の上に載っている。


 この見た目で、あの味?


 ぜったい何かの魔術が掛かっているとしか思えない。

 僕は説明を求めてマーリンの方を見た。


「私、魔術使えないわよ」

 じゃあなんだこれ。


「材料自体が魔力を持っているの。食べた人が、作った人にどれだけ好感をもっているのか、分かるらしいけれど」

 どう? とマーリンが訊いてくる。


 僕はまだ味の感想を言っていないけれど、そのまま伝えるのはなんだか癪に障った。


「・・・・・・美味しいとか美味しくないとかより、見た目が食べ物じゃないよ」


 マーリンは僕の表情を注意深く見て、ふふん、と鼻を鳴らした。


「そうよね。こんな見た目の物を食べてくれるのなら、その人は充分、私に好感があるってことだし」


 そしてマーリンはギニュライドッチン? の乗った白磁の皿を女官に渡した。


「ラジルにはいつも通り、クッキーを焼いてあげることにする。兄様、協力してくれてありがとう!」


 マーリンはそれだけ言うとドレスの裾を翻して部屋を出て行った。なんだ、結局マーリンの気まぐれにつき合わされただけだったのか。


 ラジルが食べさせられたかもしれないあのギニュライドッチン。


 人の好いラジルの顔が思い浮かんで、きっとマーリンに食べて! と迫られたら躊躇せずに食べたんだろうな、と思った。


 その味が、やっぱり凄く美味しいものであって欲しいと思うぐらいに、僕はマーリンとラジルのことを応援している。


 本棚の上で様子を窺っていたデューイがようやくテーブルに下りて来た。


 毛繕いを始めるその姿を見ながら、ギニュライドッチンのレシピを今度マーリンに教えてもらおうか、僕はそんなことを考えてみた。


 まずは食べさせてみたい相手からみつけないといけないけれど。

 

 毛繕いしているデューイが羽越しに、僕を睨んできた気がした。

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ギニュライドッチン 葛西 秋 @gonnozui0123

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