身も心も癒される週末ご飯

山いい奈

身も心も癒される週末ご飯

「ご飯作るの面倒やわ……」


 仕事を終え、ひとり暮らしをするワンルームマンションの最寄り駅から、歩いて帰途に着く春華はるかは、疲労と憂鬱ゆううつにじませてそうぽつりと呟いた。残業もあったので、もう20時を越えてしまっている。


 3月になりぬるんだ風が当たる様になったが、それでも夜になれば冷え込む。春華はまだ手放せない薄手のマフラーを巻き直した。


 今日は金曜日。月曜日から5連勤の疲れが溜まっている。明日は休みだし、軽く飲んで帰ろうか。きょろりと辺りを見渡すと、まだ駅前のここには何軒か居酒屋の灯りが漏れている。


 いや、確か冷凍庫に茹でたほうれん草があったはず。市販の冷凍野菜では無いし、もう1ヶ月にもなるので、使ってしまった方が良いだろう。


 冷凍庫には他にもいろいろと冷凍野菜があった。先週末に業務スーパーで買い込んで来たものだ。


 あと少しばかり食材を買い足せば、そう手間を掛けずにメインの一品が作れそうだ。


「しゃあない。軽く作るか」


 春華は小さく溜め息を吐きつつ、いつものスーパーマーケットの自動ドアを開けた。




 買い足して来たのは、ベーコンとむき海老えび、カットトマトの水煮缶だ。


 春華はまず、家に常備している玉ねぎを取り出す。この時期はまだ常温保存が可能だ。暑い夏でも常温で保存できるのだろうが、春華は不安でその時期は冷蔵庫に入れている。


 ひとつ分をまるっと薄切りにして、オリーブオイルを引いた鋳物いもの鍋に入れる。火はまだ着けない。


 ベーコンは短冊切りにする。こちらはボウルに入れておく。


 次に海老の処理だ。お塩と片栗粉を丁寧ていねいみ込み、水で洗って臭み抜きをして、爪楊枝つまようじで背わたを取る。この工程が少なくて済む様に、贅沢ぜいたくだと思いつつも大ぶりの海老を買って来た。


 ここで鋳物鍋に火を付ける。木べらを使って玉ねぎ全体にオリーブオイルが回る様に混ぜ、水分を出すために軽くお塩を振る。


 やがて玉ねぎがしんなりとし、甘い香りがして来たら、チューブのにんにくとベーコンを入れて炒めて行く。


 にんにくの香りが立ち、ベーコンの色が変わって来たら海老を入れ、これも表面が赤く色付くまで炒めてやる。


 そこに白ワインを入れる。ふわりとアルコールの香りが立ち上がり、少ない水分なのですぐにぐつぐつと煮えて来る。


 トマト煮込みだから赤ワインでも良いだろうが、春華はさっぱりとした味わいを好むので、白ワインを使っていた。


 アルコール分を飛ばし、ワインに含まれる酸味も飛ばしてやるためにしばらく煮詰める。そうすると甘みが浮き立って来るのだ。


 ここで一旦いったん海老を取り出しておく。ベーコンのボウルを再利用。海老を柔らかく仕上げるための一手間だ。


 そしてトマトの水煮を投入。水を少量入れ、固形のブイヨンも放り込んだ。


 くつくつと沸いて来たら、冷凍庫から出した揚げ茄子なすを加える。業務スーパーで売られているお役立ちの一品だ。一口大の乱切りにされていて、解凍せずにお料理に使える。


 そのままトマトの水分を煮飛ばす様に煮込んでやる。そうしてトマトの旨味を凝縮させるのだ。


 やがて水煮トマトが色濃くなり、水分量も減って来た。


 そこに、冷凍しておいたほうれん草を入れる。全体を混ぜて、数分火を通して解凍させてやる。そして海老をドリップごと戻してもう数分、温める程度に。


 さて仕上げだ。お砂糖とトマトケチャップを少量に、バターをひとかけら。塩胡椒こしょうで味を整えて。


「でーきたっと」


 それを少し深さのあるうつわにひとり分をこんもりと盛り付けて。


 海老と揚げ茄子とほうれん草のトマト煮込み。そのお手軽バージョンの完成だ。ほかほかと湯気を上げる器にふいと鼻を寄せると、トマトの酸味をまとった爽やかな香りが掠めた。


 週末だからビールも開けてしまおう。缶ビールとグラスも一緒にトレイに乗せ、部屋のテーブルに運んだ。


 ワンルームの手狭な部屋なので、ベッドを椅子代わりにしている。テーブルに料理とビールを並べ、ベッドに腰掛けた。トレイはベッドに放り出す。


 グラスにビールを注ぎ、春華は「かんぱーい! いただきます!」と元気に声を上げた。ごくりとグラスを傾けると、しゅわっとした爽快さが喉を通り抜けた。


「あ〜、たまらん!」


 この一杯のために生きている、では無いが、仕事終わりのビールは最高だった。


 さて、トマト煮込みに向き合う。全ての食材が輝くトマトソースに絡まり、色良い茄子の皮の黒とほうれん草の緑、赤く色付いた海老がのぞく。玉ねぎはすっかりとトマトに馴染んでいる。我ながらなんとも美味しそうだ。


 スプーンを手にし、まずは茄子を頬張る。できたてだから熱くて「はふ、はふ」と息が漏れてしまう。


 揚げてあるお陰で、とろっとろになった茄子が舌に乗る。歯で噛まなくてもしっとりと解けるそれを堪能たんのうする。


 茄子と油の相性は最高だ。茄子はしっかりと火を通すととろっとなるが、油で揚げてやることでその特徴を最大限に発揮する。


 本来なら淡白な味わいの茄子だが、油との組み合わせで、奥にひそむ甘みが引き出される様な気がするのだ。


 続けて海老を口に運ぶ。程よい火通しの海老はぷりっと仕上がっていて、弾力が一瞬歯を押し上げる。


 だがそのまま噛み進めるとざくっと切れて、海老の持つ穏やかな磯の風味と甘みが口に広がった。


 ベーコンはたっぷり入れたほうれん草と一緒に口に放り込んだ。繊維せんいに垂直に切られているベーコンは口の中でほろっとほぐれる。ほうれん草は歯を当てると、さくっと独特の爽やかな風味を弾けさせた。


 それらの具材をまとめるトマトソースは、玉ねぎやベーコンから甘味や旨味が溶け出し、トマトケチャップとバターがコクを生み出している。お砂糖が酸味の角を取り、なんとも風味豊かに仕上がっていた。


 全てはトマトのまろやかな甘みと心地よい酸味を引き上げるための味付け。シンプルな味だからこそ、トマトの旨味がこれでもかと感じられるのだ。濃厚だが爽やかさも味わえるトマトソースだった。


「んふー、美味しいわぁ〜」


 春華は満足げな溜め息を漏らした。その出来栄えについ口角が上がってしまう。目を細めてじっくりとその味を満喫した。


 5日分の疲れがするすると解けて行く気がする。味出しも兼ねて入れたベーコンにはビタミンCが含まれていて、ストレスから身体を守る働きをすると聞いたことがある。


 春華の職場では人間関係が良好で、幸いそこでストレスを感じることはあまり無い。それでも責任が伴う仕事そのものの重圧はあって、それがじわじわと精神を蝕む。


 仕事に心を砕くのは当たり前のことで、それは春華だけでは無い。だからこそ癒してやらないと身が保たない。


 うむ、このベーコン、煮込んでやる前に別のフライパンなどでかりかりにしてあげればもっと風味豊かに仕上がっただろう。更なる香ばしさが加味されたと思う。だが今日はお手軽を信条にしたので、これで良い。


 なにせワンルームマンションのキッチンなのだから、コンロも一口しか無いし、それに狭い。鍋を同時にふたつ使う余裕は無かった。


 そしてトマトだ。様々な栄養素がバランス良く入っていて、ビタミンや食物繊維も豊富だ。これもまた癒し食材と言えるだろう。ついでにリコピンは美容に良い。


 年若い春華だからまだまだ肌には張りがあるが、美容に関心があるのはやはり女性ならではなのだろう。


 トマトに含まれるリコピンは疲労回復にも良かったはずだ。少量だがスタミナ食材と言われるにんにくだって入っている。


 そうだ、言うなればこれは疲労回復メニューだ。名付けて「身も心も元気になるトマト煮込み」。安直だが判りやすくてそれが良い。


 時折ビールを挟みながらトマト煮込みを食べ進めて行く。食材の栄養素はもちろんなのだが、美味しいものは心を暖かく溶かしてくれる。


 外食やテイクアウト、デリバリーなどで美味しいものを求めるのも良いだろう。だが自分で作った時には達成感も生み出され、それもまた心を上げてくれる。


 プロの料理人なら茄子は手ずから揚げるだろう。トマトも水煮では無くフレッシュを使うかも知れない。ブイヨンだって野菜を使って丁寧に取るだろうし、にんにくだってフレッシュなものをみじん切りにするだろう。


 だが春華は素人だし、5日とはいえ連日の仕事で身体が疲れていた。だから簡略化できるところはしたら良いのだ。


 春華は結構料理が好きだ。今日も面倒だと思いながらも、キッチンに立っているうちに楽しくなって来て、鼻歌まで飛び出した。


 だがそれは自分の負担にならないことが前提だ。しんどいのに凝ったものを作らないといけない、冷凍野菜やカット野菜など以ての外、そんなものを課してしまうと、途端に料理は春華にとって辛いものになる。


 手を掛けたい人はそうしたら良いと思う。それはもう思う存分どうぞ、と思う。だが春華はそうでは無い。休日ならともかく、平日は負担軽減と仕上がりを両立させるのだ。




 夢中で食べて飲んでを繰り返し、気付けば器は綺麗に空になっていた。ビールも残り少なくなっていて、春華は温くなってしまったそれを一気に飲み干した。


「ごちそうさん!」


 言って手を合わせる。お腹が程よくいっぱいになり、心も満たされた。上手に作れたことにも満足している。


 春華は「ふぅ」と心地の良い息を吐いた。


 とっとと洗い物をして、そうだな、今夜はもう少し飲もうか。冷蔵庫にはまだビールがあるし、開栓済みの日本酒もある。早く飲んであげた方が良いだろう。なんて、これは言い訳だろうか。


 おっと、その前にシャワーを使ってしまおう。風呂上がりのビールは別格だ。


 春華はトレイに使った食器類を乗せて、「よっと」と軽やかに立ち上がった。

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