甘く、ほのかに。

もちづき秋

本編


「ごめん。友達待たせてるから、わたしそろそろ…」

「え、そうなんですか!ごめんなさい。じゃあ莉奈先輩、また今度部活の時に」

「うん、またね」

 部活の後輩の女の子たちに手を振って、わたしは教室を後にした。


 今日はバレンタイン。

 なんだか、うちの学年だけじゃなく、学校全体が浮かれている気がする。


 男子たちはもちろん、女の子たちもチョコをあげたり、貰ったり。文化祭の時とはまた違ったお祭り騒ぎみたいな。そんな空気感が一日中流れている。


 わたしが友達に配るように持ってきた小さめの紙袋は、クラスの子や後輩たちから貰ったチョコでいっぱいになってしまった。

 その中で埋もれてる、クラスが違う友達――美憂ちゃんへのチョコをそっと上の方に持ってくる。

 皆に渡したのは、クッキーの詰め合わせ。だけど美憂ちゃんに渡すのは、ピンク色とチョコ色の2色のマカロン。

 一番仲がいい女の子だし、いつも仲良くしてくれてるお礼に、と思って今年は頑張って作ってみた。


 美憂ちゃん、喜んでくれるかな。


 期待を胸に、わたしは美憂ちゃんの待つ教室へ向かう。夕暮れに照らされる廊下を先生に見つかっても怒られないくらいの早さで。なるべく、急いで。


 美憂ちゃんは高校一年生のときに同じクラスになった、少しギャルっぽい子だ。入学したばかりのころ、席が前後だったのがきっかけで、仲良くなった。

 わたしと違って、明るくてかわいくて、おしゃれやメイクが好きなキラキラした女の子。高校二年生になって別々のクラスになったけど、美憂ちゃんは変わらず仲良くしてくれる。

 よく、放課後に集まってお菓子を食べたり、雑誌を見たり、そんなふうに彼女と過ごすのが好きだ。

 今日このバレンタインの日も、美憂ちゃんとチョコを交換しようと話していて、先に用事が終わった方の教室で待つ、と約束していたんだけど。


 まさか、教室を出る前に後輩たちにつかまるとは思ってなかった……。


 わたしの教室は一番左端に近いところで、美憂ちゃんのクラスは反対の一番右端。なんだか、今日はあっち教室に着くまで、長い気がする。今日は珍しく、なぜかそんな気がした。いつもこうやってお互いの教室を行き来してるのに。彼女を待たせてる、罪悪感からだろうか?


 【二年A組】と書かれた教室の前で立ち止まって、少し速くなった鼓動を落ち着かせる。大きく深呼吸してから、教室のドアを開けた。


 一番後ろの席に座って、スマホをいじる美憂ちゃんが、そこにいた。

 ドアが開いたのに気が付いて、目線だけがこちらに向けられる。

 教室に入ってきたのがわたし、と認識してくれたのか、美憂ちゃんから漂う雰囲気がすこし、柔らかくなった。彼女のつぐまれていた口元に、優しい笑みが浮かぶ。それを見て、わたしもつられるように、ふっと笑みをこぼした。

「おっすー。おつかれー」

「ごめんね、お待たせ」

 教室のドアを閉めて、彼女の隣の開いている席に座る。美憂ちゃんも体をこちらに向けるように、座り直してくれた。

「いや、そんな待ってないよ?あたしもさっき終わって、SNS見て暇つぶしてたから平気」

「そっか、なら良かった」

 大丈夫大丈夫、と安心させるようににこにこ笑ってくれる彼女を見て、ほっと息をつく。手に持ったままだったチョコでいっぱいの紙袋を机に置くと、隣から屈託のない笑い声が聞こえた。

「チョコ、めっちゃ持ってんね」

「うん。さっき、後輩につかまっちゃって」

「ね、ちょっと見せて見せて」


 あ……美憂ちゃんへのチョコ、気付かれるかも……。


 わたしの心配をよそに、美憂ちゃんは袋の中からチョコたちを丁寧に取り出す。たまに、あー、とか、おお、とか感嘆の声を上げて、楽しそうに見ている。

 すると、何かを見つけたのか、あー!と一際大きい声があがって、わたしは思わず肩を揺らした。

「これ、有名なやつじゃん!」

「え、そうなの?」

「そうそう、ベルギーの、めっちゃ美味しいやつ!」

 そう言って美憂ちゃんがこちらに見せてくれたのは、たしか、同じクラスの女の子からもらったチョコの詰め合わせ。透明な袋に小指の大きさくらいの、小さめのチョコバーが3種類入っている。

 わたしはピンク色、キャラメル色、水色とパッケージが色とりどりで可愛い、としか思わなかったけど、甘いものに目がない美憂ちゃんが言うなら、きっとおいしいチョコなんだろう。

「ね、あとで一個ちょうだい?」

 もう。ずるいな、その頼み方。

 首をこてん、と傾げて甘えるような声でお願いされたら、断れるわけがない。

「うん、いいよ」

 わたしが頷くと、やったあ!と嬉しそうに笑った。

 ふと美憂ちゃんの机を見る。スマホの横に、わたしと同じようなチョコが入っているレジ袋が見えた。どうやら、彼女もたくさん貰っているみたいだ。

「美憂ちゃんも結構貰ったんだね」

「うん。ま、それなりにね。家で食べるのめっちゃ楽しみ」

 そう嬉しそうに答える彼女を見守っていると、ぱっと、急にこっちを見る。くりくりの少しピンクブラウンがかった瞳が、すう、と細くなり、口元にはにやぁと笑みを浮かんだ。

「そ・れ・で……あたしのチョコ、あるよね?」

「ふふ、もちろん」

「やったー!」

 それで、あんな期待したような笑顔だったんだ。

 子供みたいに嬉しそうに手をあげて喜ぶ彼女は、なんだか可愛かった。そこまで期待してくれてたことが、素直に嬉しい。

 さっき机の上に彼女が丁寧に並べてくれた中に紛れていた、美憂ちゃん用のマカロンを改めて、彼女に渡した。

「どうぞ。今年は、マカロン作ってみたんだ」

「え、手作り?マジ!?すごい嬉しいんだけど!」

  矢継ぎ早にそう言うと、わたしの手からマカロンをそっと受け取り、じーっと眺め始めた。きらきらと期待した瞳が、全部をくまなく見ている。


 一応、一番上手くできたのを持ってきた。割れたりもしてない。見た目は、悪くないはず。だけど、まじまじ見られるとやっぱり緊張する。


「ありがと!美味しくいただきます!」

 彼女は嬉しさを隠さずに、満面の笑みでわたしに笑いかけた。

「うん。感想、楽しみにしてるね」

 嬉しそうな笑顔が見れたからか、わたしは緊張の糸がすこし解ける。

 彼女はうきうきした様子で、マカロンを自分の袋にしまった。かと思ったら、急に残念そうにうなだれた。

「あーあ。莉奈が手作りしてくれるんなら、今年あたしも作ればよかったー」

「あ、美憂ちゃん、作らなかったんだ?じゃあ、今年のは…?」

「これ。……じゃじゃーん。ポッキー!」

 ――いやお互いさ、当日チョコ貰うだろうし、甘すぎなくて、いっぱい食べれるのがいいかなあ、って思って。

 口を尖らせながら子供が言い訳をするみたいに、彼女はそう呟く。

 彼女の手作りが食べられないことは少し残念だけど、お菓子のチョイスが彼女らしくて残念さよりも、納得が勝っていた。

「ま、とりあえず食べよ食べよ。はい、どーぞ」

「うん、ありがとう」

 彼女から一本受け取り、口に運ぶ。食べ慣れているからこその、安心感というのだろうか。甘いチョコが溶けて、かりっとしたプレッツェルが出てくる。それをポキポキと食べ進めた。

「そういや今日うちのクラスで、男子たちがポッキーゲームしてたの、超うるさかったよねぇ」

「ああ、お昼の時ね。すごい盛り上がってたよね」

「ほんと。そんな騒ぐこと?みたいなね」


 今日のお昼を美憂ちゃんの教室で二人で食べていた時、男子たちがポッキーゲームをして遊んでいた。唇がついただの、つかなかっただの、異様な盛り上がりでクラスの大半の女子は呆れて見ていた。


「あ、じゃあさ……あたし達もする?」

 彼女から発せられた突拍子もない言葉に、思わず食べていたポッキーが口から出そうになって、慌てて口を押さえた。

「え、ええっ!なんでそうなるの……!?」

「だめ?」

「だ、だめだよ」

「えー、なんで?楽しいよ?」


 楽しくないから、やりたくないとか、そう話じゃなくて。


 なんとなく、ダメな気がする。

 なんで?と素直に聞かれると、どう答えていいか分からなくて、思わず黙り込んでしまった。

「誰かに見られるかも、って気にしてんの?」

「そ、そう。それも、ある」

「あはは、見られたら遊んでまーすって言うだけじゃん」

 彼女はけらけらとそう笑った。

 

 いや、確かにそう、だけど。

 経験のないポッキーゲームを、やりたくない訳じゃない。むしろ、初めてする相手が彼女なら、安心してできる気さえする。


 いや、だけど、もし……唇がついちゃったら?


 わずかな《好奇心》に流されそうになるわたしを、心の中の《何か》が必死にダメだ、と止める。

 迷うわたしに追い打ちをかけるように、彼女はわたしのニットの袖をくいくい、と何度か引っ張った。

「ねーねー、ポッキーゲームしようよー。せっかくバレンタインなんだしさぁ」

「いや、待って……バレンタイン、関係あるかな?それ」

「え、関係あるじゃん!だって、ポッキーにチョコついてるし」


 それは、さすがに無理があるんじゃ……。


 わたしが呆れたような顔をしてると、彼女はさらにわたしの袖をくい、と引っ張る。

 彼女を見ると、前かがみになっているからか、上目遣いでわたしのことをじっと見つめていた。潤んだような瞳に、思わずどきっ、と心臓が跳ねる。


「ねーいいじゃん、ポッキー食べたいっしょ?」

 ね?と後押しされて、つい頷いてしまった。美憂ちゃんにお願いされると、なぜかどうしても断れない。

 心の中でせめぎ合っていた《好奇心》と《やめさせたい何か》は、《好奇心》の勝利で終わった。


「はい、じゃあ、準備しまーす。先に折った方が、負けね?いい?」

 嬉しそうにニコニコ笑いながら、美憂ちゃんはポッキーを一本口にくわえた。椅子を少しこちらに寄せて、お互いの膝がくっつきそうなほど近づく。

 ん、とポッキーをくわえたまま、こちらに差し出された。もうここまで来たら、やるしかない。覚悟を決めて、反対側をそっとくわえた。


 しん、と静まり返った教室に、ぽき、ぽきと、プレッツェルを折る音が響く。かなり小さい音のはずなのに、やけに大きく聞こえた。それから、わたしの心臓の音も、うるさく聞こえた。


 ふ、と視線を美憂ちゃんに向ける。彼女もじっとこちらを見つめていた。

 ピンクブラウンがかった瞳に、わたしが映っている。彼女が今日塗っているアイシャドウや、マスカラさえ、よく見えるほどの距離。


 あまりの近さに思わず驚き、自分側のプレッツェルを噛みしめてポキッと折り、さっと顔を離した。

「あー、今、折ったでしょ。はい、負けー」

「ご、ごめん。なんか近いね、これ……」

「なあに?恥ずかしくなっちゃった?」

 今は、なぜか美憂ちゃんの顔が見れない。

 だけど顔を見なくても、美憂ちゃんがにやにやしながら、わたしをからかっているのだけは分かる。


 あと少しで、キス、しそうな距離だった。

 そのことに気が付いたから、思わず折ってしまったんだ。

 

 昼間に騒いでいた男子の気持ちも、なんとなく今なら分かる気がする。気の知った友達とキスするなんて、あまりに恥ずかしすぎる。

「これ、女の子同士でも、恥ずかしいね」

「あはは、可愛いとこあんじゃん」


 美憂ちゃんは、恥ずかしくないのかな……


 わたしはもう、さっきの距離を知ってしまってから、ずっと胸が早鐘を打ちまくっている。顔も、なんだか熱さを増してきている。

 恐る恐る、彼女を見ると、いつもと変わらないように見えた。わたしだけが、ドキドキしすぎているのかもしれない。

 そう思うと、なんだか少し、心がざわついた。

「ね、もっかいしよ」

 どこか、甘さを漂わせたその声で、彼女はまた誘う。

 もう、わたしの中で好奇心よりも、悔しさが勝ってきている。


 わたしだけが、焦ったりドキドキしてるのが、悔しい。

 わたしも、美憂ちゃんがそうなるところを、見てみたい。


 わたしはその甘い誘いに嫌、とも、うんとも答えずに、ただ差し出されたポッキーをまたくわえた。

 二回目は割と、スムーズに食べ進められた。さっきと同じ距離になっても、食べることに集中して、美憂ちゃんを見なければいい。きっと大丈夫。

 だけど、彼女の息が唇に当たるほど近づいたときは流石に恥ずかしくて、つい、ぎゅっと目をつむった。


 その瞬間、暗闇の中で唇に感じる、やわらかな感触。

 ほのかに香る、チョコとフローラルな香水の匂い。

 そのやわらかなものが、ふに、と一瞬わたしの唇に押し付けられたかと思うと、すぐに離れていく。

 鼓動のうるささを感じながら、ゆっくり目を開けて、美憂ちゃんを見た。

「ちゅー、しちゃったね」

「う、ん……」

 彼女の白くて透き通るような肌が、ほんのり赤く色づいている。夕焼けのせい、じゃない。照れたように、少し瞳を潤ませながら笑う彼女は、とても可愛かった。

「あはは。莉奈、顔真っ赤じゃん」

 ――可愛い。

 そう呟くと、わたしの熱くなった頬をそっと優しく、愛おしむように撫でた。美憂ちゃんの指の冷たさと、くすぐったい感触につい、肩が跳ねる。

「どきどきした?」

「うん、そりゃ、ね……」

「あたしも。ふふ」

 彼女がはにかんで笑う。


 なんだ、美憂ちゃんも恥ずかしいんだ。


 そう安心したのも一瞬のことで、ふっと、熱を帯びた瞳がわたしを捉えた。

 どくん。心臓が大きく音を立てる。

 なんとなく本能的に、ここから逃げなきゃ。そう思った。

 じゃないときっと、このまま、絡めとられてしまう。彼女の瞳の奥に見える、熱い炎のようなものがわたしを捉えて、離さない。

「ね、もっかい、しよっか」

「え、で、でも……」

「だって、なんか、莉奈の反応可愛いし、楽しいんだもん」


 楽しいって、どういうこと……?


 美憂ちゃんの言葉に頭が混乱している間に、じりじりと彼女はこちらに近づく。わたしの膝に美憂ちゃんのひんやりとした柔らかい内ももが触れた。

 えっ、と驚くのもつかの間。そのまま、逃がさないようにぐっと、内ももで膝を挟まれる。

「ま、待って、美憂ちゃん」

「だめ、待たなーい。ほら、くわえて」

 あーん、と優しく言いつつ、抵抗しようとするわたしの口に、三本目のポッキーを半ば無理やりくわえさせた。

 もうわたしはさっきのキスがあったから、自分から食べ進めるなんて出来ない。ただわたしがくわえたままのポッキーを、美憂ちゃんがぱくぱくと食べ進めていく。

 さっきよりも、食べ進めるスピードが、早い。どんどん近づく彼女の顔に慌てて目をつむる。ふっと、彼女が鼻で笑った気がした。


 また、わたしの唇に、彼女の唇が触れる。

 一回、また、一回。

 もう、ポッキーは食べ終わっている。それに、わたしが知っているこのゲームは、キスしたらもう終わりだったはずだ。

 それなのに、何回も、軽いキスが音を立てて、美憂ちゃんからわたしに注がれる。離れたかと思ったら、また触れて。彼女の甘いフローラルな香水の匂いと、止まらないキスの感触に、もう頭がパニックになりかけていた。

「ま、って、みゆ、ちゃん」

「うん?」

 降り注ぐキスの合間に、彼女に言葉をかける。わたしが言葉を紡ぐ間も、キスは止まらない。いつの間にか、わたしの手さえ、彼女にそっと握られていた。

「なに、してるの……?」

「ちゅー、してる」

「な、んで……」

「いいじゃん。……きもちよくない?」

 悪びれもせず、美憂ちゃんはただそう当たり前かのように呟いた。わたしのスカートに彼女の内ももが触れて、すうっと寒い空気がスカートの内側に入る。寒さと、触れられたことのないところに、誰かの肌の感触を感じて、ぴく、と足が震えた。


 キスがきもちいいのは、なんとなく、知っている。それに、別に今のキスが、きもちよくなかった、訳じゃない。

 だけど、それは男の人と女の人同士でするものであって。


 そんなありきたりな言い訳しか、この混乱した頭には浮かばなかった。

 すると、不意に彼女の方から、唇を離してくれた。ほっと安堵の息をもらす。

「……女の子同士なのに、こういうことしちゃ、だめじゃない?」

「ふうん」

 精一杯考えたわたしの言い訳を伝えたものの、あまり納得していないような、温度のない彼女の声が返ってきた。

「あたしとちゅーするの、嫌?」

 少し傷ついたような、トーンの下がった声。違う、相手が美憂ちゃんだからとか、別の人がいいとか、そういうのじゃない。

 あまり聞いたことのない彼女の暗い声に、反射的に首を振っていた。

「嫌じゃないなら、ちゅーしよ」

「え、いや、でも……」


 やっぱり、女の子同士で、こういうのって……


 そう、言おうと思ったとき、こつん、とわたしの額に美憂ちゃんの額が触れた。至近距離で、瞳を覗かれる。

 どくんどくん、と鼓動がうるさい。近すぎて、恥ずかしいのになぜか、目が離せないでいた。

「恥ずかしい?」

「うん……」

「なら、目、つむってていいよ」

 恥ずかしいからしたくない、とかじゃなかったのに。なぜか、もう、彼女に身を任せてもいい気がしていた。

 言われるがまま、わたしはそっと目を閉じる。きっとそれが、彼女からしたら、キスしていいよ、の合図だったのかもしれない。

 ふふっ、と満足げにかすかに笑い、それから彼女の唇が、わたしに触れた。


 ちゅ、ちゅ、とわざと音を立てるように、キスが落とされる。なんだか、くすぐったくて、くぐもった声が漏れた。

 自然と開いた下唇をはむ、と彼女の唇がついばむ。思わず肩が、ぴくんと揺れた。その反応を見てか、ふっと彼女が息を漏らして笑う。

 彼女の唇が、わたしのを吸っては、離れて。その繰り返しだった。

 こういうのって、どこで、息を吸ったらいいんだっけ。

 そんなことをぼーっと考えて、鼻だけじゃなく、口からも息を吸おうとして、薄く口を開ける。その瞬間を狙ってたのか、ぬる、と彼女のあたたかな舌がわたしの前歯をゆっくりとなぞった。

「んん……っ」

 くすぐったい感触に、自分の声とは思えない、甘い声が漏れた。

 そのまま、彼女の舌が、隙間を縫うように口の中に、ちゅる、と水音を立てながら、侵入してくる。ざらついた熱い舌がわたしの舌に絡んで、まるで遊んでいるようだった。

 絡んでいた舌が不意に、にゅる、と口の内側をゆっくりなぞる。

「んぁっ」

 びっくりして、繋がれたままだった美憂ちゃんの手をぎゅっと反射的に握った。一瞬引きそうになった舌を、また彼女の舌に絡めとられる。まだ、逃がしてくれないみたいだ。

 そこからわたしが内側をなぞられるのが弱い、と気付いたのか。舌を絡めながらも気を抜いたときに、にゅる、と内側をなぞられたり、つんつん、と舌先で突かれた。

「ふぁ、ん……」

 わたしが高くか細い声をあげると、繋がれている手でそっと、愛おしむように撫でられる。


 彼女はきっと、わたしの反応を見て、遊んでる。


 だけど抵抗することも、逆に彼女の反応を誘うこともできずに、ただ彼女から与えられる気持ちよさに従うしかない。

 舌の裏側をゆっくりと撫でられると、じわっと涎が口の中を濡らす。

 だんだんと口の中で溢れてきて、だけど、何もできずただ、たらぁ、と口の端から流れ出た。


 もう、なんか、だめ。おかしくなる。


 キスをしているだけなのに、体の芯がじんわりと熱を持つ。じんじんと、甘い痺れが体全体を侵していく。

 舌が絡まるたびにくちゅくちゅと聞こえる水音が、耳から頭の中に響く。世界全部が、彼女に支配されているような気さえした。


 耐え切れず、両膝をもじもじと動かす。わたしの膝が美憂ちゃんの内腿に触れているからか、彼女からも、少し甘い声が聞こえた。

 自分からも声が漏れたことに対してか、それとも、わたしの反応を見てか、彼女はふふ、とはにかむ。

 そして、名残惜しそうに音を立てて舌先を吸うと、唇を離した。

「……キス、きもちよかったでしょ?」

 口の端についていた自分のかわたしのか分からない涎をぺろ、と舌先で舐めながら、彼女は尋ねた。


 ……たしかに、気持ちよかった。


 だけど、じんじんとした甘い痺れは、まだこの体に残ってる。

 それが彼女に知られないように軽く肩で息をしながら、ふるふると首を振って嘘をついた。

「照れちゃって。かーわいい」

 ……どうやら、わたしの嘘は彼女には全部バレてるみたいだ。

 息を整えながら、不意に彼女を見る。どうして、こんな、余裕があるんだろう。

 

 女の子と、こういうことするの、初めてじゃないのかな…?


「……美憂ちゃん」

「うん?どしたの?」

「あの、他の女の子とも、こういうこと、したことある?」

 わたしの問いかけに、彼女はただ鈴を転がすように笑った。

「まさかぁ。あたし、女の子とちゅーしたの初めてだよ?」

「えっ!うそ、じゃあ、なんで――」

 ――なんで、わたしと?

 そう聞こうとした時、ふっ、と顔に影がかかり、耳元に彼女の息を感じた。

「莉奈が、可愛い反応するから」

「んっ……」

 耳元で甘く囁かれて、ぴくぴく、と、体が小刻みに震える。また、キスされちゃうかもしれない。そう思って咄嗟にぎゅっと目をつむった。

 だけど、何も起こらず、ゆっくり目を開ける。とろんと潤んだ瞳がわたしを見つめていた。

「あー……その顔、めちゃくちゃ可愛い……」

 恍惚としたような声で呟くと、また、唇が重なる。あまりに一瞬のことで、なにも動けなかった。

「……あ、やば。ふつーにキスしちゃった」

「も、もう、美憂ちゃん……!」

 あはは、と照れて笑う彼女の膝を、怒ったようにぽんっと軽く叩く。

 もう、さっきからずっとドキドキしっぱなしだ。そっと鎖骨の下あたりを触って自分の鼓動を確かめた。

「なんか、やばいわ。ハマっちゃいそう、これ」

 なにかをぼそっと美憂ちゃんが呟く。

「……ん?今、なんて――」

 わたしの声を搔き消すように、チャイムが鳴り響く。

「やっば……!そろそろ帰んないと、マジで先生来ちゃうかも。行こ!」

「う、うん!」

 二人して慌てて荷物を整理したり、制服のジャケットを着て帰り支度をした。髪を包むようにマフラーを巻いてから、そっと髪だけを外へ逃がす。

「ねえ、手、つないで帰る?」

 露わになった耳元に囁かれて、反射的にパッと美憂ちゃんから距離を取った。

「だ、だめ……!」

「あはは、それはだめなんだ」

 言われてから気が付いた。確かに、キスは受け入れたのに手をつなぐのはだめだっておかしい気がする。けど、ここは何も言わないでおこう。今これをここで考えていたら、それこそ下校時刻になってしまう。

「ねえ、莉奈」

 不意に美憂ちゃんに呼ばれて、パッとそっちを見る。

「うん?」

 いたずらっ子のような笑顔の彼女と目が合った。にこにこしながら、またわたしに近づいて、そっと囁く。

「今度は、邪魔されないところで、またちゅーしようね?」


 また、さっきのを、教室じゃない、どこかで?

 誰も来ないところで、二人っきりで……今日みたいなことをするってこと?


 そう言われてすぐ頭にカラオケやら、お互いの部屋やら、色んな場所が浮かんだ。

 だけど、それがすぐ浮かぶってことは、その次があるのを期待してしまってる、ということでもあって。

 ぼうっと考えていたそれを振り払うように、ぶんぶんと首を振ると、美憂ちゃんがまた、楽しそうに笑った。

「もう、からかわないでっ」

「ごめんごめんっ。ほら、莉奈、帰ろ!」

 美憂ちゃんは先に教室から出ていく。慌ててその背中を追いかけた。夕暮れはさっきよりも濃いオレンジ色で、わたし達を照らす。


 キスしたときは、女の子同士なんて……って思っていたのに。

 流されて、沢山、キスをして。いつの間にか、美憂ちゃんとならいいか、と思っているわたしがいた。

 この気持ちが、単なる好奇心なのか。

 それとも、なにかがわたしの中で変わろうとしてるのか。それは分からない。

 だけど。

 彼女とふたりで過ごしていけば、それがなんなのか、分かるかもしれない。


 びゅぅ、と風が、わたしの髪を揺らす。

 ほのかに、ふわっと甘いフローラルの香りがした。きっと、彼女がつけていた香水が、さっきの出来事でわたしに移ったんだろう。

 香りを嗅ぐだけで、彼女の甘い声も、やわらかなぬくもりも、まだ鮮明に思い出せてしまう。どきんどきん、とまた鼓動が、ゆるやかに速さを増す。


 この気持ちに、今は名前を付けられないけれど。

 今はただ、この甘い期待に胸をふくらませていたい。


 そんなことを考えながら、ふわふわと髪を揺らしながら歩く彼女の背中を追いかける。

 冷たい風が、わたしの頬を撫でたけれど、不思議と、寒さは感じなかった。

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甘く、ほのかに。 もちづき秋 @mochi_mocchi

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