恋はチョコレートのように甘くも苦くも変わる

新田光

ビターがミルクになる日

 二月十四日。世間はバレンタインデーという祭事で賑わっている。


 元々は司教の死をいたむ宗教行事であったが、日本のチョコレート会社が『バレンタインにはチョコを贈ろう!』と宣伝したことによって、今の行事が定着したとされている。


 しかも、チョコを主軸において想い人に贈るという行事は日本独特の風習であり、皆はそれに踊らされているというわけだ。


 と、そんな風に思っているのは、桐島あらた、十七歳。日本で一番バレンタインデーを憎んでいると言ってもいい人物だ。


 彼はこの日を、バレンタインにかけてビターチョコレートの日とも呼んでおり、それは新の十七年分の人生が関係していた。


 新がチョコをもらえていない暦は年齢だ。本命だけならまだしも、義理すらも貰えていないという始末。それどころか、家族からも一度も貰えておらず、二月十四日は自分でチョコレートを買ってそこに怒りをぶつけている。


 そして、今年もその季節がやってきた。


 正直、もう期待していない。だから今年も、大好きなココアちゃんのライブ配信を見ながら、自分で買ったチョコに怒りをぶつける年になる……と思う。


 そんなことを思いながら校門を潜る。


 皆は思い人からチョコレートを貰えるのだろう。


 それを見て、「本当は学校にチョコはダメなんだよ!」と言いたくなるが、貰えない彼が言っても負け惜しみにかならないので、黙って授業にでも集中しよう。


 ホームルームが始まる。


 先生が教室に入ってきて、今日も退屈な一日が始まった。


 ただでさえ学校はつまらないのに、バレンタインデーと被っているのであれば、尚更つまらないと思う。どうせなら、去年みたいに休日にしてもらいたい。


 そう、去年のバレンタインデーと同じ休日に……


 確か、あの日は雪が積もっていたと思う。そして、姉の彼氏がたくさんの女性に迫られていた。


『誠也さーん、私の想いがこもったチョコ貰ってー』


『私のでしょ?』


『何言ってのよ?ブスは黙ってなさい!』


 女性同士で誰が誠也にチョコを渡すかを揉め合っている。モテない男性から見たら、義理で全員貰ってもらえばいいと思うのだが、何故だか、女性たちは本命にこだわっている。


 誠也の見た目は金髪でチャラチャラしており、イケメンと呼ばれる人種とは程遠いため、なぜ、モテるのかが新にはわからない。


『俺には彼女がいるんだ。本命は受け取れないよ』


 必死に説得して、女性たちのチョコを跳ね返そうとする。それでも、女性たちは諦めず、必死に渡そうとしてくる。そんな時、


『あぁ、新助けてくれ』


 たまたま横を通った新が誠也と目があってしまって、助けを求めてくる。


 新にも良心はあるので、その言葉を受け、誠也を助けた。


 だが、女性に罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられ、新の心は大打撃を受ける。それを、誠也がフォローしてくれて、なんとか自我を保つことができた。


 その後は、お礼としてコーヒーを奢ってくれるらしく、喫茶店に入店した。



『いいですね。誠也さんはモテて』


『そうか?モテるって言っても限度があるな。モテすぎるとさっきみたいな事になるからな』


 誠也が新の言葉に返答する。


 誠也の気持ちが新にはわからない。だって、男にとって女性からモテるということは、自分の存在を認めてもらえている事になるから。逆にモテていなければ、自分は男として価値がないということになるのだから。理解ができない。


『でも、お前は一個は約束されてるだろ?ほら、心から貰えるんだから』


 誠也がそんな事を言っているが、実際は違う。


 貰えないのだ。だって、心は自分のことが大嫌いで、夕飯すらも最近は一緒に食べていない。それが家族として暮らしているものからしたら、どれくらい苦痛なことか。


 新が俯き、それを見て、誠也が察した。


 そこからは気まずい沈黙が続き、バレンタインの話題から、共通の趣味、FPSのゲームの話題に切り替える。


 そうした事により、空気が軽くなり、二人は楽しい時間を過ごした。


 趣味の話に没頭しすぎて、気づいたら夕方になっていた。


 時間を確認し、店を飛び出した新と誠也はそこで別れ、それぞれの家路へと着いた。


『ただいま』


 と、言っても返事がなく、家には誰もいない。


 姉の心はこれから誠也とデートだ。母も父と二人きりでお出かけで、彼は一人で留守番を任されていた。


 やることもないし、コンビニで購入したカップ麺を食べ、自室にこもり、スマホで動画配信サイトに繋げる。


 もちろん試聴するのは大好きなココアちゃんの生配信。しかも、バレンタインデー特別配信で、自宅でのチョコレート作りと、そのチョコをリスナーにプレゼントするといった企画。


 当たった人は、SNSでの個人やり取りが可能で、後日ではあるが、ココアちゃん特製の愛情たっぷりのチョコレートを食べることができる。


 もちろん、彼もそれに応募してみるが。当たる気がしない。


 そうやって、癒しの時間に浸りながら、コンビニで購入したチョコレートを怒りをぶつける対象としてかぶりつく。


 苦い。自分のほろ苦い思い出を噛み締めるために、この日はビターチョコレートにすると決めているからだ。


 そうやって、涙のバレンタインを彼は過ごし続けてきたのだ。


 去年のほろ苦い思い出を思い浮かべながら、少し期待して、今年も学校での時間を過ごす。


 周りからはバレンタインの話題しか耳に入ってこず、心に刃を突きつけられたかのような苦痛が走る。


 時間は均等にしか流れていないはずだ。だが、この日はなぜかいつもの倍の時間感覚で、時計を見ても、見ても、全然時間が過ぎて行かない。


 結局、三日くらい過ごしたかのような時間感覚を耐え抜き、今日という日は終わりを迎えようとしていた。


 あとは、去年と同じようにココアちゃんの生配信を見ながら、自分で買ったチョコレートに怒りをぶつけよう。そう思い、帰宅した。


「ただいま」


 と、言っても今年も誰もいないのだろう。そう思っていたが……


「おかえりー」


 めんどくさそうに姉が返答する。


「あれ?姉貴、誠也さんと過ごすんじゃ……」


「今年は用事があって無理なんだって。っく、アンタと二人きりだと思うと苦しんですけど……部屋にでもこもって、あの人気者の配信でも見てな」


 めんどくさそうに言葉を吐き捨て、自分の視野から新を消そうとする。


 いつも通りのことだとは思っていたが、こうも率直に言われると少し傷つく。


 これ以上、姉を怒らせ、喧嘩にでも発展したら最悪なので、言われた通りに部屋にでもこもるとする。


 ベッドに寝転び、スマホを起動した。そして、十九時からの生配信に待機して、遂に今日、一番の楽しみの時間がやってきた。


『みなさーん、こんばんはー!私の配信にきてくださってありがとうございます』


 清楚な外見につやのある黒髪のストレートヘアが特徴的な十七歳くらいの少女。画面越しからでもその美しさがわかるほどで、一度見れば彼女の虜になるのは納得できる。


『じゃあ、今年も例年通りチョコレートを作って、プレゼントしたいと思います!って、言いたいんですけど……今年は、趣旨を変更してもいいですか?』


 ココアがリスナーへの了承を取る。


 コメント欄には、『いいよ!』、『ココアちゃんが考えた企画ならなんでもー』など、了承のコメントが流れてくる。


 リスナーからの了承が取れたココアは俯き、目の前にあった机からメガネを取り、自分にかけた。


 それを見た新は驚きを見せ、寝転んでいたベッドから起き上がった。何故なら、そこに映ったのは自分のクラスにいた根暗な少女だったからだ。それを見て、


『嘘!根暗少女じゃん』


『俺と同じクラスの子なんだけど』


 コメント欄が凄く荒れた。


『私、好きな人がいるんです!リスナーさんにはごめんなさい。でも、やっぱり、自分の気持ちを伝えたいんです』


 思い切って、自分の気持ちを言葉にしていく。


『その人は、いつも何かに怒っていて、いつも一人でいるんだけど……時には優しい一面もあって……見ていたら、好きになってしまってました。だから……今年は、その人に私の思いを伝えたい。今日だって、学校までチョコを持ってたんですけど、勇気がなくて渡せなくて……』


 長々と言葉をつづっていく。でも、何故だろう。彼女の魅力なのか、自然とその話を聞き入ってしまう。それは、全てのリスナーがそうだった。


 彼女は的確な名前を出してはいない。それは、リスナーのためを思っているのか。それとも、恥ずかしいだけなのか。


『今から、渡しに言ってもいいですか?もし、この配信を見ていたら……コメントしてください。お願いします』


 それだけ言って、彼女は画面外から消えた。その直後、


『ピーンポーン♪』


 彼の家のインターホンが鳴った。それを姉がとり、そこには……


「おーい、新、お前に用があるって。降りてきなよー」


 心に呼ばれ、急いで階段を降りていく。そして……ココアこと、黒澤明里と対面した。


「これ、受け取って欲しい。義理じゃない……です。迷惑ですか?」


 自分に女の子からチョコレートが贈られる。しかも、ずっとファンだった子からだ。その行為が嬉しかったが、その反面、夢なのではないかと錯覚にも陥った。


「あ……りがとう」


「よかったじゃん!」


 拙いお礼を紡ぐ新の背中を力強く叩き、心が祝福する。


「そ、それじゃあー」


「ちょっと……」


 これが彼女なりの告白だったのだろう。それに返答しようとしたが、明里は赤面しながら走り去ってしまっていた。


「あー、明日、ちゃんと返事しときなさいよ」


「わかってるよ」


 心の言葉にめんどくさそうに返答する。もう、答えは決まっている。だって、彼女は自分がずっと、恋していた人なのだから。すると……


「じゃあ、私からも。はい」


「えっ!」


 心からチョコレートが差し出され、またも新は困惑する。


「初めてだね。ちょっと、恥ずかしい。でも、やっと渡せた」


「どういうこと?」


 彼女の言葉に新は質問していた。それに、自分の頭を掻きながら恥ずかしそうに、


「ほら、私があげちゃったら、新が安心しちゃうかなって。で、他の子から貰えなくてもいいなんて考えになってほしくなかったから……ごめんね」


 結局、姉は弟を心配していたのだ。その真意を知れて、新は涙が流れてきた。そして、


「姉貴ー」


「ちょっと、キモい。離れなさい」


 抱きついてきた新に辛辣しんらつな言葉をかけるが、その姿が幼い頃を彷彿ほうふつとさせたため、姉は弟の頭をで、しばらくはそのままにしてあげた。


 今年、ビターチョコレートだった日は、ミルクチョコレートのような日に変わった。

 

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