4.『白いの』

 ほたるくん──改め若生ほたるは、まともな人間ではなかった。


 以下、ウニ曰く。

 若生ほたるは桜間爽に異常なほどの恩義を感じている。

 その恩義は、桜間爽がウニに対して感じているそれとは比較にならないほどに

 もはや感謝の域を超え、執着そのものである。

 これが異性間の問題ならば、ストーカーそのものである。

 ちなみに、若生ほたるはウニに騙され、合鍵を受け取ったというのは紛れもない事実である。この事実に関しては、ウニは全く反省していない。


 ──本当に、勘弁してほしいものである。本当に。



✿ 



 現在。午前1時32分。

 俺の家であるべきその部屋は、もはや俺の部屋ではなかった。

 いや、正確には俺の部屋なのだ。だが、その部屋には俺にとっての敵が3人いるのだ。もはや俺の部屋とは呼べない。

 この世界における俺の唯一の安息の地は、敵3人によって侵された。

 1人は恩人。変人。変態。常識がないダメ大人。1か月は洗っていなさそうなボサボサの頭、シンプルに汚い顎、生気が感じられない目。薄汚れている白衣を着ている。敵。

 1人はクラスメイト。俺を恩人と讃える。重い男。執着男。青か黒かで言えば黒と答える髪色。俺よりも一回り小さい体格。清潔感が感じられる。年上の女性に好かれそうな奴。敵。

 1人は女。美しい。純白の髪。純白の肌。整った顔立ち。端麗。秀麗。壮麗。身長は俺と大して変わらない。だが、足が長い。理想的な体格。だが、初対面で膝蹴りをしてくる女。敵。


 上記3人と俺、合わせて4人はちゃぶ台を囲っていた。

 これぞまさしく円卓会議。

 ほたると白い女がここにいるのは分かる。だが、なぜ小汚いおっさんまでいるんだろうか。

 俺が失神するまでは、ほたると白い女しかいなかったはずだ。

 だが、目覚めるとおっさんはいた。

 直接聞いてみようか。


「で? なんであんたがいんだよ。ウニ」

「やっぱりお前って俺のこと嫌いだよな? 俺に対する態度がもうそれだわ。」

「ああ、嫌いだ。で、なんでここいんだよ。帰れよ」

「恩人に対する態度とは思えないなあ…ほんとに」


 自分で言うな。


「で、なぜ俺がここにいるか、だっけ? そんなの決まり切ってることだろう。俺の部屋がここの隣だからだよ」

「決まり切ってないけど!!!???」


 初耳なのだが。


「俺はお前の部屋の合鍵を100個…ああ、今は99個持ってるんだ。1個はそこのチビにやったからな。まあつまり、お前の部屋は俺の部屋、みたいなところがあんだよ」

「誰がチビだ」


 ほたるの突っ込みを無視して、ウニは話を続ける。


「あんだけ隣の部屋がうるさかったら、乗り込んでくるに決まっているだろう」

「? あんたいつの間に帰ってきてたんだ? 俺が学校出てからそんなに時間たってなかったよな? 俺が失神するまでは」

「俺はどこにでもいるってやつだ」

「またそれかよ…」


 どうやらウニは、このセリフを気に入っているらしい。自分の名言だと考えているらしい。残念ながら、迷言だ。


「まあ、あんたのことはいいや。あんたがどれだけ頭おかしいのかは知ってるからな。合鍵の話はまた今度だ。それで、だ──」


 問題はここから。

 ほたるはとりあえず置いておこう。

 女が問題なのだ。

 こいつだけは本当に得体が知れない。何を考えているのかも分からないのだ。気味が悪いたらありゃしない。


「おい、おん──」


 さて、この女のことをなんと呼べばいいだろうか。『女』は少し失礼なようにも感じられる。

 俺は咳ばらいをわざとらしく一つし、女の方に顔を向け、口を開いた。


「あんた、…いや、あなた様? …まあいいや、名前は?」


 結局なんと呼べばいいのか分からず、めちゃくちゃになってしまった。我ながら少し恥ずかしい。

 ふと横を見てみれば、ウニはにやにやし、ほたるはよだれを垂らしてこちらを見ていた。

 よし、あとで殴ろう。 


「儂に名前などない。親もない。兄弟もない。家と呼べるような場所もない」


 女からの返答は驚くべきものだった。

 いやいやいや。


「いや、親はいるだろう」

「いない。儂は人の子ではないからのお」


 まさかの設定だった。

 なんだろう、家出少女というやつか?生で初めて見るのは初めてだ。聞いた話だけでは、行方不明者として捜索願が出されているような状況だぞ。

 それにしても、この女が家出少女ねえ…。無理があるだろう。

 多分歳は俺よりも上だし、知的な雰囲気醸し出してるし。どこから見ても大人の女性という感じなのだがなあ…。


「冗談はもういいよ。どっちにしろ名前が分からないとこっちもやりにくいんだがなあ」

「おぬし、面倒くさいのう」

「なんてことを言うんだ」

「では仮にじゃ、儂が実は名前を隠しているという場合。おぬしがやっていることは、乙女である儂の心を傷つけうるのじゃぞ」

「どういうことだよ」

「儂が重い家庭問題を抱えていた場合、儂はおぬしの『冗談はもういいよ』という一言に絶望し、悲しみに暮れ、最悪の場合おぬしを殺すことになるじゃろう」

「じゃあ人の子じゃないってなんだよ」

「それくらい自分で考えろ、この豚面が」

「ぶッ…豚面⁉ 初めて聞くぞそのワード⁉」

「鏡でも見てくるんじゃな」

「え…まじで俺って豚面なのか? え、嘘だろ? そんなこと言われたことないし、思ったこともないぞ」


 意図せぬダメージを食らった。

 相手がウニとかだったらこんなに取り乱すことはないのだが、超絶美女にそんなこと言われるとさすがにダメージがある。相手がまともではないと分かっているはずなのだが、第一印象は『美人』だったからなあ。肝心なのは第一印象であるとはよく言ったものである。

 ほたるが取ってくれた鏡で早急に自分の顔を確認するが、豚要素はどこにもなかった。少しほっとした。いや、どう考えても相手のいい加減な物言いだったから、ほっとする必要もないと思うんだけどな。

 自分で言うのもなんだが、意外とイケてる顔立ちをしていると思うんだがな…。獅子とか…?

 ちょっとほたるに確認してみようか。


「なあ、ほたる。俺の顔って豚じゃないよな? 豚というよりはむしろ…」

「はい! 豚ではありません! 鶏です!」


 ほたるの感性が心配になった。

 いや、鶏ってなんだよ。哺乳類ですらないじゃないか。

 そんな元気いっぱいに言われると反論できないじゃないか。

 後ろでウニが笑い上戸になっていた。

 殺してえ…。


「まあ、よい。では鶏よ」

「いや、鶏ではないんだが」

「儂のことは好きなように呼ぶがいい。ただ、名前だけは付けるな。間違っても、な」

「なんだよそりゃ…呼びにくいったらありゃしないぞ…さては俺のことを試しているのか? 女性に対するデリカシーの有無とか…」

「いや、こちらの事情でな…」


 なんだかよく分からないが、これ以上話を伸ばすのも嫌なので、とりあえず彼女に従うことにした。


「じゃあ、とりあえず『白いの』で行くか。そういうことだろう? これなら名前とは呼べないだろう?」

「まあ、そうじゃな。儂はそれを名前とは思わん。ペットを『白いの』呼ばわりする飼い主は見たことがないからのう。儂が名前だと思わなければ、それは名前にはならん」

「? なんだか突然難しいことを言われると混乱するんだが」

「それはおぬしの頭が鶏だからじゃろう」

「そろそろその話題から離れろよ!」

「おい、クソガキ。鳥類の大脳は脊椎動物の中では哺乳類の次にでかいんだ。あんま鶏の頭舐めねえほうがいいぞ」


 突然ウニが割って入っていた。

 こんな時だけ生物教師ぶるのはやめてほしい。


「──そうだ、忘れてた。本題はここからだ。おい、白いの。なんでお前はこの部屋にいるんだ? というか、なんでお前は俺に突っかかってくる?」

「おぬしが『恩恵』を受けているからじゃ」

「鶏頭の俺にも分かるように説明してほしいんだよ。正直憶測の域を超えないんだよ」


 おそらく『極限突破ブルーム』のことなのだろうが、な。


「おぬしが夕方、河原で使った能力ちからのことよ。確信を得るためにおぬしを襲ったのじゃがな、まあ強情なことに能力ちからを使わない男じゃったのう」

「そんな理由で襲ったのかよ。ま、そうだよな。で、それがなんだって?」

「生涯二度と使うな」


 直球だった。

 ウニにも言われているようなことを言われた。

 というか──


「え、それだけ?」

「それだけじゃ」


 拍子抜けだった。

 もっと重い話が来ると思っていたのだが。『組織に狙われるから──』とか、『儂に力を貸してくれ──』とか。

 そうでなくても、『もっとその能力ちからを見せてくれ──』とか来ると思っていたんだが。

 というか、その要求は別に言われなくても、な。


「俺はこの能力ちからをむやみに使う気はない。今回みたいな、人命がかかっているときしか使わないと決めている」

「意味をはき違えるな。儂は使うなと言っておるのじゃ。例外は認めない」

「…使ったらどうなるってんだよ」

「おぬしにとって悪いことが起こる。もし儂の忠告が受け入れられないというのであれば、そうだな──」


 そう言って、彼女は口端から真っ白な歯をのぞかせながら言葉を続けた。


「儂が、この手で、おぬしを殺してやろう」


 なんて物騒なことを言うのだろう。せっかくの美人が台無しだ。


「僕が先にお前を殺すぞ」


 物騒な奴がもう一人いた。ほたるだった。

 こいつとクラスメイトというのが嫌な予感しかしない。

 俺に恩を感じているのは構わないのだが、もう少し自重してほしいのだ。教室で変なことしてみろ。クラス内での俺の評価がさらに下がってしまう。それだけは防ぎたいのだが。

 いや、今はその話は置いておこう。

 一番の問題は白いのの発言だ。

 さて真意を問おう──としたその時、白いのは立ち上がり、「儂はもう帰る」と言い出した。


「いや、話はまだ終わっていないんだが」

「いや、もう終わりじゃ。これ以上話すことはない。儂は伝えるべきことを伝えた。儂は忠告したし、それをどう扱うかはおぬし次第じゃ。ただ、それだけの話じゃろうに」

「…ずっと聞きたかったんだけどさ。あんたさ、なんでそんな口調なんだ? 若いのか年老いてるのか分からない喋り方だよな。なんていうか、一貫性がないんだよな。老人の話し方してるかと思えば、若人の話し方に感じることもある。なんつーか、幼さが残ってるんだよな」

「…そんなの、どうでもよいじゃろう」

 

 そう言って、彼女は家を出ていった。


「あーあ、怒らせちゃった。デリカシーないなあ、アキラくんよお」

「うるせ」

「ま、とりあえずお前はあの娘の忠告に従っておきな。しばらくは、使うなよ。使った後の尻拭いする側にもなってみろってんだ。んじゃ、俺はお先に帰らせてもらうぞ」


 そして、気付けば、ウニの姿は無くなっていた。

 本当によく分からない男だ。気付けばそこにいるし、気付けばいなくなっている。

 さて、ほたるはどうしようか。


「…じゃあ、ほたる。今日は泊ってけ。もう2時になる頃だろ」

「いいんですか⁉」


 まあ、常識的に考えて、この時間に家に帰れとは言えないだろう。白いのは流れでああなってしまったのだ。仕方ない部分はある。

 目を星の如く輝かせるほたるを横目に、俺は布団を敷いた。


「お前は布団で寝な。俺はどこでも寝れるし。別に遠慮はしなくていいからな」

「一緒の布団で寝るという選択肢はないんですか?」

「絵面がえぐいことになるだろうが」

「冗談ではないですよ」

「そこは冗談であれよ!」


 話し合いの結果、俺が布団で寝ることになった。

 なんでも、ほたるには、ふすまでしか寝れないという特性があるらしい。こいつ、旅館とか行ったらどうするのだろうか。わざわざ布団がしまってあるふすまで寝るのだろうか。ただの変人である。

 さて、明かりは消したし、布団にも潜ったのだが、なんだか寝られる気分ではなかった。今日一日で色々なことがありすぎたのだ。なんだか頭が休もうとしないのだ。一日で二度も気絶するとか、俺の身にいったい何があったのだろうか。

 うん?

 一度目の気絶の原因──つまり、ほたるがすぐそこにいるわけだが。そもそも、なぜアイツは溺れていたんだ?

 俺には俺を聞く権利があるだろう。気になるし、眠れないし、聞いてみるか。


「なあ、ほたる」

「どうかしましたか?」

「お前、川の中で何やってたんだ?」

「あー、えっとですね」


 ほたるは口ごもり、何かを考えているようだった。

 しばらくして、何かを決心したかのように口を開いた。


「僕、ぬるぬるが好きなんですよ」

「は?」

「それでですね、つい先日、川底のぬるぬるは至高に近いものであるということを発見しましてですね。それで、今日も川底のぬるぬるを堪能していたわけですよ。そしたら、不運なことに両足つりましてね。それで、溺れてました。」


 ──ただの阿呆だった。

 この阿呆は、俺がいなかったら『川底のぬるぬるを堪能してたら足をつって溺死』というのが死因になっていたのだろう。この阿呆の名誉のために、俺はこの能力ちからを行使したのだった。

 何とも言えない気持ちだ。難しい。

 もうこれ以上は何も言うまい。ほたるが反応を欲しがっているように見えるが、そんなことは知らない。

 さて、寝るとしよう。


 その後、朝まで二人の間に会話はなかった。





 その男は、まるでくつろいでいるかのような姿勢で、白衣をなびかせるようにしながら、真夜中の電柱の下で女を待っていた。

 

「なぜおぬしがここにいる。儂があの部屋を出た時には、おぬしはまだあの部屋にいたはずじゃ」

「さあね。そんな昔のこと、忘れてしまったよ。まったく、来るのが遅いよ、『No.1』。おっと、今は『白いの』だったっけ? まあ、これは名前ではないらしいけれどな」

「──なぜ、その名を知っている」


 女──白い女が警戒心を強める。

 目を細め、体を沈め、いつでも飛びかかれるような体勢になる。まるで、獲物を狙う獣のように。


「おぬし、何者じゃ? あの部屋にいたときからおかしいとは思っていた。おぬしはあの部屋にいた。おぬしが部屋に入ってくるところを儂は見ていないぞ」

「それは、そ~っと入ったから、じゃダメなのか?」

「──『恩恵』か?」

「さあね」

「今、この場の状況から、なんとなく答えは導きだせるぞ」


 一瞬の沈黙。

 その沈黙を破ったのは男──ウニと呼ばれる男だった。


「交渉をしに来た」

「どういうことじゃ」

「お前の忠告はなかなか的を得ていた。あの忠告は俺の考えと合致していたしな。だが、もう遅い」 

「遅い、とは──」

「もうバレてる」

「────」


 白い女は一瞬驚いたような顔を見せ、その後すぐに表情を戻した。

 何かを悟ったかのように星空を見上げ──


「見られていたか」

「おそらくな。俺も、バレないようにはやってきたんだがな」

「ふむ」

「そこで提案なんだが、お前にはアイツのそばにいてやってほしいんだ。しばらくの間な」

「儂は別に、一人に執着する気はないぞ。あやつのような境遇の人間がいれば、儂はすぐに忠告をしに行く。今回のようにな」

「『諸伏忠直』」


 その名を聞いた女が、硬直する。そして、まるで信じられないものを見たかのように顔を歪ませ、男をにらみつけた。


「なぜ、その名を──」

「俺の親友さ。今も、昔も──」

「──それで、その名を出したのはどのような意図じゃ」

「簡単な話じゃねえか。信用を得るため、だ。俺の提案をおとなしく聞き入れてくれやしないか? お前の力が必要なんだよ」

「貴様を信用に足るかなど──」

「実際、俺はこの名を覚えていたじゃねえか」


 黙った。いや、葛藤だろうか。


 『諸伏忠直』。

 誰もが知らない男の名前。

 忘れられた悲しき英雄。

 ただ、例外を除いて──。


 長考の末、女は顔を上げ、真剣な眼差しを男に向け、言った。

 

「──話を聞こうかの」

「悪いな」


 月下、二人の影だけが伸びていた。

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