第627話


 口をパクパクさせるフランの気持ちは分からんでもない。


 俺も一度と言わず何度も通った道だから。


 ねえー? 『あそこまで行けば何とかなる』って思っていたのに、突然梯子を外されるあの感覚……!


 もうクセになってしょうがないよね?


 『俺が』ではなく、『世界が』って意味だけど。


 走る足は止めずに、ガシガシと己の頭を荒々しくも掻いている叔父様が続ける。


「いや本当に。どうなってんだ? ってなぁ……。どういうわけか、シアンは兄貴を『落とした』。最悪の最悪、兄貴のを露見させれば、跡目はフランに回る手筈になってたんだ。心配性の兄貴だけあって、その時の手助けはお前がしろと言付けられてたよ。……それがどうしたことか、手首をクルリと返されちまった。兄貴の身柄を探しに自領を出てたことが災いしてな? いつの間にか包囲網が閉ざされ掛けてて……しかも辣腕を振るってるのが兄貴じゃねえか。こりゃあどういうことだ? って隙を見つけて接触を図れば『跡目はシアンにする』とか言いやがんだよ。セイレーンに誘われたってここまでじゃない」


「お父様、本当に生きてるのね?!」


「おう、ピンピンしてるわ。お陰さまで家族が割れて、追いつ追われつだがね? 影武者の類じゃないことは、俺が本人と会ったことで否定されてる。どういうことか……兄貴はしっかりとした受け答えをしてて、しかも遺言は近々書き換えるとか抜かしやがった。一体どんな弱みを握られたらそうなるんだ? それは絶対に御家にとって良い事じゃないと説得したんだが……」


「お母様は? お母様なら――」


「義姉は幽閉されてるよ。さすがのシアンも母を殺すのは忍びないと思ったのか、自分が蟄居を命じられていた塔に義姉を入れてなぁ……。なんともまあ皮肉エスプリが効くことで。シアンの『淑女像』は絶対に見直した方がいいな? 帝国建国期に存在したっていうイカレ女に通ずるもんがあるぞ」


「それ……もしかして『血浴び女帝』のことを言ってるの? あの、若い娘の血で出来たお風呂に入ってたっていう気持ち悪い女王様?」


「肩を並べられる才覚は感じるな」


 ともすれば一目も見れぬ暗闇に包まれた森を、叔父様は訳もなく駆け抜けていく。


 強化魔法ありきとはいえ、先立って走る叔父様とやらがいなければ俺でさえ危うかっただろう暗さである。


 見えている――というよりは……恐らくだが入念な下調べの結果なのだろう。


 見掛けの割に周到なようだ。


 不意に雲から月が顔を出した。


「おっと」


 差し込まれる月明かりに、『止まれ』とばかりに腕を突き出してくる叔父様。


 身を低くする様に倣って同じく頭を下げた。


 ついでとばかりにフランを解放すれば、さすがに状況を理解しているのか大人しくしゃがんで目を向けてきた。


 その視線は『何なのか?』と訊いている。


 いや知らんけど?


 俺の方じゃ、この足止めの理由までは分からない。


 少なくとも延長された感覚による結界には何も掛かっていない……と思う。


 強化係数が少ないのと、お前の姉ちゃんのイカレ具合からして自信は無いけどな?


 しばらくされるがままに大人しくしていると……舌打ちをした叔父様が、しゃがみ込んだ体勢のまま身体ごとこちらを向いた。


「『月の』が使われてる。少しの間動かない方がいいな。しかしマズいぞ……アニマノイズ用の香の効果も長くないんだ。まさか月が出るとは思わなかったからなぁ……。まさに天に見放されてしまった。どうやら日頃の行いが悪いのがいるらしいな。誰かな?」


 冗談めかして訊いてくる叔父様に、全くと身に覚えがない俺は自然とフランの方へと視線を流した。


「あんたよく私を見れたわね?」


 胸に手を当ててよく考えるんだ……ああ、小さいなぁ……とかじゃなく。


 今、最も危ない杖で俺の頬をつついているその行為がどうなのか……ということをだね?


 しかし慣れてしまったせいかリアクションも薄く、されるがままに頬を蹂躪させていると……予想外にも叔父様が声を上げた。


「……おいおいおいおい。……フラン、その杖はどういうことだ? いや待て……あ、やっぱり待つな。いや待て。まずは一旦、杖を手から離そう……離した方がいいのか? いや嘘だろ? なんで……それは、それは…………三杖、か?」


 おっとぉ。


 どうやらこの叔父様も、この杖がどれだけ忌々しく、またどれだけ危険であるのか分かっているらしい。


 今の今まで飄飄としていたのに、明らかな動揺を見せていることからも……この杖がどれだけ恐れられているかが分かる。


 言ってやってくださいよ? そんな危ない杖で一般市民を脅す貴族のお嬢様に。


 しかし叔父様は泡を食ったように――期待とは違う言葉を吐いた。


「どの杖だい? 嘘偽りなく答えてほしい、リトルレディ。『天』か『命』か『死』か……まさか――」


「大丈夫、『天に至る代償』よ。杖移しが済んでるから、陛下に奉還するときが問題でしょうけど」


「……そうか、『天』か。いや良かった。あー……とすると何処でだ? ……待てよ? そうか、鯨……あーあー、確か『巨大な島』に食べられたと報告にあったから、それ関係か。いや、まあ……なんにしても驚いた。いいかい、フラン? その杖は決して軽々しく使っていいものじゃない、と自らを戒めるんだ」


「わかってるわ、いくら私でも――」


「いいや、わかってないさ……わかる筈がない。それは本来なら日の目を見ていい杖じゃないんだ。他国への交渉材料として『うちにはこんな武器もありますよ』とハッタリに使うの杖さ。それを何故か、いつの間にか引っ張り出している……いいや、。いいかい、フラン? リトルレディ。シアンの動きといい、今回の戦争騒ぎといい……真っ正面から受け取らないようにするんだ」


 おお……?


 それは帝国貴族の考え方としては珍しいのでは?


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隠れ転生 トール @mt-r

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