青銅造りのオルゴール
城島まひる
本文
ドイツ人作家フーケーが書いた
読書を中断し着物を直す屋敷の主を見るなり使用人は足早に部屋を後にした。数分後、彼が部屋に入ってきた。彼は私の不機嫌そうな顔と手元の本を見るなり、詫びを入れながら対面に座った。
「如何様な御用ですかカヌス」
屋敷の主キキョウは問う。くだらない要件なら二度と屋敷に入れる気はない。そんな彼女の心情を感じ取ったのか彼、カヌス・オルニットはビクリと肩を震わせながら答えた。「実は奥方に見ていただきたい物があります」
言うなりカヌスは持ち込んだ旅行鞄から1.5インチあるオルゴールを取り出した。青銅で造られている事が少し離れているキキョウからも分かる。それだけでも興味深かったが、さらに興味を引いたのは...
「お気づきでしょうがこのオルゴールに書かれている文字は」「カルナトの文字ですね」
カヌスの言葉を遮りキキョウが続ける。カルナト。それは歴史学者に間では未だ知られていない神話の一片であり、《ナレディアンの乙女》と呼ばれる存在が妖術師ラ・シィージャに与えた言語と文字をカルナト語と呼ぶ。キキョウは冷笑を浮かべると、オルゴールに書かれた文字を翻訳しようと目線を注いだ。
しかしそれはカヌスの咳払いによって集中力が霧散し無駄に終わる。
「実はこのオルゴールを所有していた人物が次々に失踪していまして、その原因の解明をお手伝い願いたい」
キキョウはうんざりとした顔をカヌスに向けていたが、内心曰く付きの品を前にして興奮していた。カヌスは探偵だ。
しかも怪異専門の探偵だ。時に彼の手に負えないものが出て来たとき、必ずキキョウの下に持ってきて対処を頼んでいた。キキョウは平安から続く呪術師の家系の人間であり、主に封ずること即ち封印に趣を置いていた。
しかし今回彼が頼んできたのは封印ではなく解明だ。正直専門外である。
「解明...は貴方の仕事ではありませんがカヌス」
「その通りです。しかし正直申しますと私はカルナト語が読めないのです」
ああそういう事かと合点がいったキキョウはカヌスの依頼を引き受ける事にした。依頼内容はこの青銅で造られたオルゴールの表面に書かれたカルナトの文字を翻訳するというものであった。
本来であればキキョウの家系は日本の曰く付きの品を専門にしていたが、彼女の先代にあたるマヤは外国の品にも興味を持ち生涯を掛けて外国の呪術的知識をまとめ上げていった。
そしてその知識、技術はキキョウに引き継がれている。
「カルナトですか...」
カヌスが帰り一人になった和室でぽつりと呟く。
「あのお館様...少しよろしいでしょうか?」
今更お茶と菓子を持ってきた手際の悪い使用人がキキョウの機嫌を伺うように声を掛けてきた。キキョウがなんだ?と短く答えると、使用人は自分かおかしいのか確かめる様に訪ねてきた。
「このお部屋少々生臭い臭いがする気がするのですが、先程の客人が生ものでも持ってきたのですか?」
使用人の言葉を聴くなりキキョウは冷水を浴びせられた様な感覚が身体を襲った。
そして青銅で造られたオルゴールを抱え自分の部屋へと戻った。カルナト...ナレディアンの乙女、その神話は18世紀イギリスを連想させる肉欲と退廃を象徴する様な内容であった。もちろん使用人にそんな知識があるわけがない。
しかしあまりにもピンポイントなその発言に悪寒が走ったのは事実だ。現に私もその生臭い臭いを嗅ぎ取ったのだ。
そしてそれは今もしている。ふと嫌な想像が頭を過る。青銅で造られたオルゴール。その中に人の切り取られた一部が入っているのではないか?といった根も葉もない根拠から生れた想像。
これがいつ造られたものかカヌスに尋ねなかったことに悪態をつき下唇を噛む。
もしこれが18世紀に造られたものなら充分にあり得るだろう。当時、魔術は貴族にとって遊びであった。黒ミサと呼ばれるキリスト教会の儀式を悪徳の限りにアレンジした魔術では、祭壇役の女性と魔術師役の男性が性行為をするといったものがあり遊びといえ人を物として扱うことも少なくなかった。
キキョウの頭は彼女の悪い想像を肯定する知識を次々と見つけていき、オルゴールを開きたいという欲求を強めていった。
そして怖いもの見たさという好奇心もそれに拍車を掛けていた。
遂にキキョウは親指をオルゴールの蓋に掛け、開こうと力を込めた。錆びているのか青銅だからなのか蓋は重く開くことはなかった。
しかし親指を除く四本の指の爪を隙間に突っ込み力を掛けるとやっと少し開いた。
そして同時に生臭い臭いが部屋に充満した。
それだけではない刺激臭がオルゴールの少し開いた隙間から出て来たのだ。
「お館様なにごとですか!」
ノックもせず部屋に入ってきたのは先程の手際の悪い使用人だった。ただ今だけは彼女に感謝しなくてはならない。キキョウは急いで廊下に出ると少しでも新鮮な空気を吸おうと深呼吸した。
「ごめんなさい。そのオルゴールを開けようとした異臭が...」
キキョウは深呼吸を繰り返しながら使用人に謝った。今回は明らかに自分が悪い。そもそも正体がまだわかっていない怪異に好奇心で突っ込んだのだからなお悪い。
「そういうことでしたか。しかし異臭がするなんてこのオルゴール?には何が入っているのでしょうか?」
それはキキョウも予想していなかった。いや誰も予想していなかっただろう。好奇心に駆られたのか使用人はオルゴールの蓋を開けた。
何故かキキョウの時のように抵抗はなく油を刺したばかりの扉の様にすんなり開いたのである。
そして使用人は絶叫した。オルゴールの中身と眼が合ったからだ。
次の瞬間、異変が起きた。オルゴールを持っていた使用人の腕に拳大の腫瘍が出来ていきそれは腕から銅、銅から顔と足へと枝分かれするように広がっていった。ものの数秒で使用人の身体は腫瘍に覆われた。
それから起きた次の悲劇をキキョウは最後まで見る事は出来なかった。それはあまりにも非現実的で耐え難い光景だった。腫瘍に覆われた使用人はパニックのあまりオルゴールを畳に落とすと、自身も畳に倒れた。腫瘍が痛むのか使用人は痛みに悶えていた。
しかしキキョウはオルゴールから出てくる何かに気付くと目線をオルゴールへと移した。オルゴールからは沢山の蟻が出てきていた。蟻はキキョウには目もくれず腫瘍で覆われた使用人の許へ向かい、そして喰いちぎった。喰いちぎって、喰いちぎって、喰いちぎっていた。蟻使用人の断末魔が部屋に響く。喰いちぎられる度に使用人の断末魔が上がるが、奇妙なことにキキョウは気付く。
それは使用人の断末魔が挙げる度に、オルゴールからエコーが掛かった様な声で同じ断末魔が聞こえてくるのだ。それは最初雑音じみたものだったが、繰り返していくうちに使用人に似た声になっていった。
そして遂に使用人の声そっくりになると、次はオルゴールから断続的に使用人の断末魔が聞こえ腫瘍に覆われた使用人自身からは何も聞こえなくなった。
この地獄を見てたのはキキョウだけはない。その事に気付いたのは使用人の身体が半分ほど喰いちぎられてからのことだった。
まるで出来の悪い詩劇の一幕でも見るような冷ややかな目があった。それはオルゴールの中にあり喰いちぎられてはオルゴールの中に運ばれていき、小さくなっていく使用人を憐れむような目線を向けていた。
そしてキキョウの存在に気付くと目が合った。瞬間、キキョウの頭の中で狂った男の笑い声が響き気を失った。
*
目が覚めたキキョウが最初に見たものは血だまりだったであろう黒い染みと畳に鎮座する錆が増えた青銅で造られたオルゴールだった。
キキョウは自分が助かったという確信が持てず、本棚を漁り畳をひっくり返して必死に蟻がいないか確認した。が蟻は一匹もおらず、そもそも蟻が居た痕跡すら血だまりを除けばなかった。
しかしその日一人の使用人がこの屋敷から失踪したのは事実であり、その真相を知るのはキキョウしかいなかった。他に働いている使用人たちは最初こそ動揺していたが、いつも通り自分の仕事へと戻っていった。
こうしてまた一つ私の屋敷の嫌な噂が増えるのだろうと思うとキキョウはため息を付かずにいれなかった。
それが例え自分が原因だったとしても、オカルティストとは懲りない生き物なのかまた繰り返すのだろう。キキョウも使用人たちに倣い、日課の仕事を熟すことで日常へ戻っていった。
勿論カヌスの依頼を忘れたわけではない。キキョウは最悪の事態を想定して、部屋を囲む廊下を《ナアク=ティトの障壁》の詠唱を口にしながらぐるりと渡り障子を開けさらに部屋を横断した。懸念していた邪魔も入らず、オルゴールは生臭い臭いで儀式中のキキョウに抵抗するくらいであった。
万が一またあの蟻たちがオルゴールから出てきた際に使用人たちを護るため、そしてこの部屋に閉じ込めるために構築したこの結界は正直なところ気休め程度でしかなかった。
ナアク=ティトの障壁は本来精神的なものから身を護るものであり、肉体を有する怪異に対抗し得るものではない。加えてキキョウは自分の詠唱の下手さに正直呆れていた。魔術とは本来術者の精神を高揚させ実践するであり、それ故に詠唱という独特な音節を使い暗示を得るのである。
しかしキキョウは自身の詠唱に自信が無いため、この結界は決して強固なものとは言えなかった。後々気付いたことだが、部屋を障子で締め切りガムテープなどで封をしてしまう方が余程有効だったのではないか?という考えが出てきたことを此処で述べておく。
キキョウはオルゴールを書きもの机に乗せカルナトの文字で書かれた文章を紙に写字していく。とは言え写字する際に、ラテンアルファベットに訳しながらの作業であった。
"Hym co'ntr d'tca ca'x-mi hi'gc."
青銅で造られたオルゴールの表面にはそう書かれていた。そしてキキョウはカルナト語特有の文法からこの代物が文字通りロクでもないと推測できた。
カルナト語の文法は主に四つに分類できる。そしてこれはその中で最も忌々しい文法で書かれていた。このオルゴールは強者が弱者を一方的に痛めつけるためだけに存在する。
そんな意図が文法から読み取れた。そしてこんな忌々しい言語が存在することに吐き気を覚える。
仕事だと割り切りキキョウはカルナト語で書かれた文章を和訳していく。勿論本来ならカヌスに渡すため英語に翻訳すべきだろう。
しかしキキョウは自身の家のためにも記録を残すため敢えて和訳を行った。
"私の肉で溺れるがよい"
和訳を終えたと同時に腫瘍に覆われていく使用人と目が合ったことを思い出す。キキョウに助けを請うていた目を。
「このオルゴールは主人が従者を罰するため...いえ処刑するためのものってわけね」
文章の文法は魔術師には効力が発揮されず、魔術が使えない人間にのみ効力が発揮されるものが使用されていた。
正しく言い換えれば神が選んだ選民即ち、魔術師のみが助かりその他無能を浄化する。という意味合いが二つ三つ目の単語に含まれていた。
そしてキキョウの中で和訳を見て引っかかるものがあった。
それは18世紀イギリスの
そのクラブのメンバーの一人、ヘイル・サーランという貴族は特に有名で問題児でもあった。彼は女性の断末魔に快楽を覚える残虐な人間であった。ある日彼は青銅の箱をクラブ持ってきた。
それが如何なる品か気になる者もいたが誰も尋ねる事は無かった。しかしクラブに来る度に青銅の箱を持ってきては、耳を箱の表面に付け愉悦で顔を満たしているヘイル氏が気になりついに彼に尋ねた。それは如何なる品かと。するとへイル氏は満面の笑みで言った。
「なにただのオルゴールさ、美しく愛おしい使用人たちの断末魔が聞こえるね」
カルナトの神話にこんな話がある。聖人にして詐欺師カーラムによって引き起こされた話だ。王国の王は手際の悪い使用人たちにうんざりしていた。
時に見せしめに使用人たちの前で首を切り落とすこともしたが、むしろ恐怖に駆られてか以前より配膳を間違えたりすることが多くなった。
王はさらに苛立ちを募らせていった。そこに詐欺師カーラムが行商人として現れ、王に青銅で造られたオルゴールを勧めるのだ。
王は半ば半信半疑でカーラムの説明を聞いていた。カーラムは王の疑念を組み取り、王の近くに控えていた使用人をオルゴールの餌食にした。
王はその様に歓喜した。王もまた狂人であったのだ。王はカーラムに大金を支払い、オルゴールを手に入れるとミスを犯した使用人を次々オルゴールの餌食にしていった。といったものである。
「まさか...神話の代物が出てくるとはね」
キキョウは自嘲気味に笑った。もう二度と目にしたくない。ただそれだけを願いキキョウは段ボールに青銅造られたオルゴールを入れると、カヌス宛に手紙を添えて送った。
☨ ☨ ☨
"親愛なるカヌス・オルニット殿
此度の依頼の遂行をお知らせするためにその内容と代物をお送りさせていただきます。
このオルゴールに書かれた文章はこの忌々しい代物が神話時代のものであることを主張するものでありました。聖人にして詐欺師カーラムの行商談第4章23節を参照願います。そして
Hym co'ntr d'tca ca'x-mi hi'gc.
(私の肉で溺れるがよい...)
これが貴殿の依頼してきたものの解答でございます。このオルゴールは哀れな犠牲者を選定して効力を発揮します。それ故私や貴方が持っても然したる影響はありません。しかしその他の者が持てば必ず悲惨な最期を迎えることになるため、聖人にして乙女イーシャルトの贖罪談第2章3節を参照し封印する事を勧めます。
敬具
キキョウ"
☨ ☨ ☨
"親愛なるキキョウ・アケミヤ殿
キキョウ殿の活躍本件を解決する上で大変役立ったことをここで報告させていただきます。そして青銅で造られたオルゴールの処分の件ですが、正直申しますとこれを封印することは約束しかねることを先に謝罪しておきます。しかし私が生きている間は二度と世間の目に触れない事だけは約束します。
敬具
カヌス・オルニット"
-了-
青銅造りのオルゴール 城島まひる @ubb1756
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