第2話 伊勢咆哮

 戦艦「伊勢」に一機だけ搭載していた九四式水偵が同艦の右舷二〇〇〇メートルの海面を疾走している。

 同機体は二〇〇メートルはあろうかという長いロープを引きずっていた。

 その末端には金属製のカゴがあった。

 「伊勢」の工作設備で金網を使って作り上げた大きなカゴだった。

 そこには、手空きの乗組員が釣り上げた魚がたっぷりと詰め込まれている。

 そこへ向けて「伊勢」の主砲がにらみを利かせていた。


 「失敗でしたかなあ」


 砲術長の意見を採り入れた「おびき出し作戦」につられてやってきたのは件の巨大伊勢エビではなく、黒い背びれを持つ海のギャングどもだった。


 「まだ始まったばかりだ。それにサメ共の歯が鋭いといっても金網を食いちぎることはあるまい」


 そう言って艦長は焦る砲術長をなだめる。

 艦長としては、サメの大群が九四式水偵を追いかけているように見えて、それはそれでおもしろい。

 そのようなことを思っていたら、黒い背びれが海面から一気に消え失せた。

 カゴの周辺が泡立つ。

 奴だ。


 「撃ち方始め!」


 雄叫びのような艦長の命令とともに第一と第四砲塔の主砲から発砲炎と猛烈な爆風が噴き出した。

 全門斉射でなかったのは「伊勢」艦長が人間の集中力の維持はそう長くは続かないということを理解しており、三交代で十分ごとに砲撃の分担を砲塔ごとに割り振っていたからだ。

 「伊勢」の主砲発射の前に九四式水偵はロープを切り離して離水している。

 着弾の衝撃や巨大伊勢エビから身を守るとともに、着弾観測に従事するためだ。


 どうやら、副砲や高角砲と違って至近距離からの主砲弾は巨大伊勢エビにそれなりのダメージを与えたようだった。

 ふつうの野生動物であればここは逃げの一手のはずなのだが、しかし巨大伊勢エビはかなり凶暴なやつだったのだろう。

 「伊勢」目がけて横合いから突進してきた。

 副砲や高角砲が火を吹き巨大伊勢エビの甲殻を砕くが、しかし致命傷にはほど遠い。


 「伊勢」の内懐に飛び込んだ巨大伊勢エビは、そのまま「伊勢」の艦首に覆いかぶさり同艦を盛大に揺らしはじめる。

 巨大伊勢エビの体長は触覚を含めると五〇メートル近くありそうだ。

 その大きな目が艦橋にいる自分たちをにらみつけているように見える。

 だが、その巨大伊勢エビもさすがに三万トンを超える戦艦だと漁船のように一撃で沈めるというわけにはいかず、「伊勢」はただ揺れただけだった。


 「伊勢」艦長は第二砲塔に主砲発射を命じる。

 砲塔が旋回して巨大伊勢エビに狙いをつける。

 わずかに間を置いて、その砲口から凄まじい炎が吐き出される。


 巨大伊勢エビからすれば、二発の三六センチ砲弾をゼロ距離射撃で食らったのだから、たまったものではなかった。

 体内で炸裂した巨弾のエネルギーは巨大伊勢エビを内部から破壊し、その体液は「伊勢」に盛大にふりかかった。


 「伊勢」が母港に帰投したとき、以前に「伊勢」が打電した「巨大海老を発見」の報告を疑う者はいなかった。

 「伊勢」が水平線に姿を現す前からエビ独特の匂いが風に乗って盛大に漂ってきたからだ。



 ~南海の決闘! 戦艦「伊勢」vs巨大伊勢エビ(完)~

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まとまりの無い架空戦記短編集 蒼 飛雲 @souhiun

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