12月30日
去るもの追わず、来るもの拒まず。
孟子以来、手を変え品を変え使い古されてきた言い回しではあるけれど、十代後半から二十代前半のにかけての約十年間という、青臭いエネルギーをとめどなく発散する愛と憎に満ちた百花繚乱な人生の時期における僕の生き様を、これ以上にぴったり表現した言葉もないように思う。東日本大震災から東京オリンピックまで、僕はタクシードライバーとして職業的に車を走らせ続けた。さまざまな人々が乗り込み、そして例外なく降りた。貨幣や吐瀉物のシミや足元に運び込まれた砂塵だけが、かれらの存在の証として意図してか意図せずか残され、結果として僕のタクシーはほかのどれとも異なる僕だけのタクシーに仕立て上げられることになった。
青少年の僕は内向的な人間ではあったけれど、運転手と乗客という役回りを指示されれば舞台上で演戯をするのはお手の物だった。そして心底それを楽しむことができた。かれらが開いてくれるだけの心を受け止め、かれらが望むだけの心を打ち明けることができた。過去の乗客のエピソードは外れることのない鉄板ネタだった。何遍も何遍も繰り返し語っているうちに、それらはもはや記憶というよりは伝承に成り果て、僕が両手に握っているのはハンドルではなく琵琶のように思われることもあった。しかも一度かれらが降りてしまうと、レパートリーにまたひとつマスターピースが加わるのだった。
社会的な知的生命体である定めとして、相互理解を盲目的に推し進めることには耽美な快楽があった。しかしながら、そのような皮膚と皮膚を接触させることなく空気の振動を通じて内臓と内臓を共鳴させるような営みにも終わりがある。かれも僕も有限な時間に持続をもち有限な空間に延長をもつ本質的に有限な存在である。そうして一本道の突き当たりに来てしまうと、僕はあらゆる存在を飲み込み消化しようと満ちては引く聖なる大海を目前にしたように途方にくれるのだった。かれは僕を完全に理解し、僕もかれを完全に理解した。それ以上、かれと僕のあいだに交わすべきものはなかった。狩猟採取民が手分けして木の実や獣肉や魚を収集して持ち寄るような習慣しか停滞を打破する手段がないけれど、重くて冷たい無機質によって狭くて暗い子宮に閉じ込められた二人はじっと飢餓に耐えること以外に選択肢はなかった。ついに潮時が来ると、かれは車を降りた。ドアがいつまでも反響し続ける悲哀な音を立てて閉まり、僕はほとんど無意識に左手でシフトレバーを操作し、朝霧のような束の間の孤独へ発進するのだった。中学校を卒業しても、高校を卒業しても、大学を卒業しても、新人社員ともはや呼ばれなくなっても、いつも、いつも、同じことの繰り返しだった。
そのようにして僕の人生の黄金期が過ぎ、二度とは戻ってこなかった。二十五のとき、またひとりの女性とまたひとつの袋小路にさしかかり、一通り本物の感情を伴った形式的なもがきを終えると、彼女は目的地に降りた。バックミラーに映る人影が遠ざかるのを視界の端で捉えつつ、僕はふと気づいた。この十年間、僕は、あらゆる人々をそれぞれの場所に送り届けたこの僕は、鳴門の渦潮のようにまったく同じ場所をぐるぐるしているだけでどこにも行けなかったのだ。かれらが各々の行き先で自分という人間を開花させているあいだ、僕は……。刹那、僕はタクシードライバーを辞めようと思った。隕石のごとく一瞬間に降りかかった発想は、隕石跡のごとく断固として変更を許さない決意へと結実した。かつてこの薄汚れたタクシーに乗り己の存在の気配を今も漂わせている人々を追おう、そのために新規の乗客をすべて拒もう。このようにして、青年と壮年の境界をそのまま人生の転換点としてしまった僕の冒険は始まったのである。
けれど、その話については稿を改めようと思う。
雑文、あるいは日記のような何か 白瀬天洋 @Norfolk
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