魔王の残した希望の子

土屋

魔王の残した希望の子

人気のない森の中、一人魔王の残した希望の子の赤ん坊の声が響いている。




 ――オギャア! オギャア!




 薄暗い森の中に似つかわしくない元気のよい泣き声をしていた。




 当然、その様な森の中で泣いている赤子の命は、そう永くない事は明らかであった。




 森には様々な危険な魔獣が存在している、このままでは赤子が襲われてしまうのも時間の問題であった。事実、辺りには声に釣られた魔物たちが集まって来ていた。




 ――オギャア! オギャア!




 しかし、そんな場所でありながら、一人の人物が赤子に近づいてくる。




 「こんな所に人間の赤子がおるとはのう」




 見た目はただの老人に見えた。だが、その老人の発するただならぬ雰囲気に集まってきた周囲の魔物たちが騒ぎ出す。




 辺りは、共に威嚇をしあうように騒がしくなってくる。




 「騒がしいのう…散れッ!!!!」




 老人が言葉を発するだけで、周囲の地面は揺れ、揺れた木々からは葉が抜け落ちていった。


 それと同時に、魔物たちはこの場から姿を消した。鳥たちは一斉に飛び立ち、抜けた羽が辺りを舞う。獣たちははきびすを返し、森の中深くまで逃げ出して行った。




 ――オギャア! オギャア!




 「すまんのう、少し騒がしくしてしまった。…しかしこれもこの子の運命、この子がこのまま命を落とそうと儂には関係ない事じゃ」




 そう呟くと、老人は赤子の存在などいなかったように足を進めて立ち去ろうとする。




 しかし…




 ――オギャア! オギャア!




 「……少しだけじゃぞ」




 赤子の方を振り返り、何かを思い出したような、哀れむよう顔をして老人が言った。




     *




 「むう…そんなに泣くのではない」




 老人は赤子の世話に手を焼いていた。数百年と生きてきたが、こういった事は全て他人任せで生きてきたのだ、当然である。




 「たしか…こうやって…」




 不器用ながら赤子を抱っこし、少しだけ赤子の体を揺らすと、泣き疲れていたのか赤子はそのまま眠っていく。




 「赤子はよく漏らす、服も変えねばならぬし飯も作らねばならぬ…」




 老人は四苦八苦しながらも赤子を育てていく、自身の魔力で生成したミルクを飲ませ、毎晩泣き叫ぶたびにあやしては眠りにつかせ…苦難の毎日であった。


 しかし不思議と嫌になる事はなかった。むしろ晩年に見つけた、自身の生きがいであるとすら思ってくるようになったのだ。




 「そうじゃ、名前を付けないといかんな」




 老人は赤子にライナと名付け育て上げる事を決意する。




     *




 それから1年が経とうとしていた。




 「ウマ!ウマ!」


 「どうしたライナ、お腹が空いたのか? いま作っておるからな」




 食事を作りながら老人はライナに話しかける。ご飯ができると、しっかりと茹でて柔らかくした野菜を小さく切り、ライナの口元に運ぶ




 「嫌がらずにしっかり食べるのう、作り甲斐があるというものじゃ」




 そこからさらに3年後




 「じいじ、疲れた!」


 「散歩は疲れたかライナ、ならそろそろ家に帰るぞ」




 ライナの手を繋ぎながら共に家へ帰る。




 赤子も子供へ成長し、ライナとの生活は老人にとって至福の時といっては過言ではなかった。




 ライナの事を見ると過去を事を思い出す…だからこそ今の生活がかけがえのないものであった。




     *




 老人が赤子を拾ってから13年の時が経った。




 「じいじ、昨日教わった魔法もうできるようになったよ!」




 ライナは意気揚々とした声を上げ話しかけてくる。


 老人は少年となったライナに、この世界を生きていくための鍛錬を積ませていた。


 10歳となった時から毎日のように訓練し、経験を積ませている。




 才能のある子であった。いつしか自分すらも超える可能性もあると感じた程、ライナはみるみると成長を遂げていたのである。




 「もうできるようになったのか、さすがはライナじゃのう、次はもっと難しい奴を教えねばならんのう」


 やれやれ、骨が折れる毎日じゃ。そう思いながらも自然と笑みがこぼれてくる。




 しかし、平和な日常もある日突然と崩壊する。さもそれが定めであったかのように。






 「…ムッ!」




 「…どうしたの、じいじ?」




 突然と真剣な顔立ちとなった老人の異変を感じたのか、ライナが尋ねてくる。




 「…なんでもないぞ、ライナは先に修練場に行っておけ、儂は準備が終わったらすぐに行く」




 少しだけ戸惑いながらも、ライナは「先に行ってるね」と言うと、家の裏口から魔法の修練場に向かって行った。




 「いつしかこうなる定めじゃと思っていたが…まさか今になるとはのう…」




 全てを察するかのように老人は息を吐く。


 少しして表口から家を出ると、見知らぬ男が三人、こちらの方を伺っていた。




 「何用じゃ?」


 「わかっているだろう、魔王ゼノ・クラウゼル」




 リーダーらしき男が言ってくる。




 「その肩書きは100年以上前に捨てたんじゃがの、何故儂を付け狙う?」


 「人類の平和の為だ、お前が死んだと人々が知るだけで、みな安心することができる」




 安心か……




 その言葉を聞くと昔を思い出す、忘れたいと願っても忘れられない遠い記憶。




     *




 300年前、人間と魔族は共存して生きていた。魔族と言っても人間と大きく違いがあるわけではない。ただ魔法の扱いが人類より長けていただけであった。


 しかし、人類の脅威となりかねない魔族との対立は避けられないものだった。


 その魔族を率いてた人物がゼノ・クラウゼルである。ゼノは人類との争いを避けるため、魔族が未開の地へと移住する事を決定したのである。


 当然、最初は様々な反発もあったが、人数で勝る人類と魔力で勝る魔族が争えば、どちらも無事では済まないと認識を皆が持っていた。その為、ゼノの決定はだんだんと受け入れらてきたのであった。




 こうすれば皆が安心して暮らせる…その想いがあった。




 しかし…




 「た、大変です! 人類が魔族の領地に攻め入ってきました!」




 部下からの報告を受けたゼノは驚愕した。なぜ、人類はその様な事をしてくるのだ。




 人類との争いは避けられないものとなった。




 次第にゼノは、人類から魔王と呼ばれるようになり恐怖の対象となったのだ…いや恐怖の対象として創り上げられたであった。




 しかしゼノは200年もの間、魔族から積極的に攻め入る事はしなかった。


 だがそれは魔族、さらには自身の家族からすらも批判を受けるようになっていた。




 「親父! あんたのやり方は間違っている! なぜ人類を攻めない、このまま魔族を滅ぼしたいのか!」


 「お前にはまだわからんのだ! 俺の言う事を聞け!」




 ――オギャア! オギャア!




 騒がしくしたせいか、生まれたばかりの孫が目を覚まし泣き始める。




 「あんたはいつもそればかりだな…もういい、俺たちはあんたの下には付かない!」




 程なくしてだった、息子が家族を連れて俺の元から出て行ったのは。




 完全に覇気をなくしたゼノは魔族のリーダーを辞し、一人世界を放浪するだけの存在となった。


 息子たちがどうなったかすらゼノは知る事はしなかった。




    *




 13年前、赤子のライナの顔を見たとき、孫の顔を思い出した。100年以上前の事なのに今でも鮮明に覚えていた孫の顔。


 できることなら後5年は生きたかった。ライナがもう少し大きくなるまで、その成長を見届けたかった。


 しかし、それが願いが叶わない事を理解していた。男たち三人の実力はかなりのものであり。寿命の近い老体の儂では、最早敵わぬ事を見抜いていたからだ。だからこそ最期の願いを聞き入れて欲しい。




 「抵抗する気はない、潔く定めを受け入れよう。じゃが一つだけ聞き入れてくれ。ここに一人、人間の子供がおる。そいつだけは生かしてやってくれ、たまたま儂が見つけた罪のない人間の子供じゃ」




 数秒の沈黙の後、リーダーらしき人物が剣を持ち近づいてくる。




 「いいだろう、その子供だけは手出しはしない、約束する」




 …これで悔いはない。儂が生きている限り人間たちに狙われる事は薄々感じていた。




 潔く定めを受け入れようぞ。




 目の前まで来た男は剣を構える。そして一息入れると、儂の体を一突きに剣で貫く。




 「ゴフッ」




 引き抜かれる剣と共に血を吐き膝を付く。仮にも魔王と呼ばれるほど実力を持っていた儂じゃ、簡単には逝けぬか…だが、この傷ならそう持たずと逝けるはず…。






 「くくく、はっはっはっは!!!」




 突如、狂ったかのように男が笑い出す。




 「これで俺が真の勇者だ! ざまぁねぇなじじい!」




 さっきまで冷静に対応していた男の豹変に、朦朧としながらも困惑をする。




 「おいお前ら、さっさとガキを探しだして殺しとけよ」




 「な、何じゃと…」




 「魔王といってもただの年老いたじじいだなこりゃ、子供は殺しませんっていってりゃ簡単に信じて抵抗をしやがらねぇ! 楽なもんだぜ。誰が魔王の残した子供なんか生かすかよ!」




 儂が愚かであった、なぜこのような奴だと見抜くことができなんだった…


 絶望と後悔が脳裏をよぎる。


 人間とは争うな、ずっと言ってきた事であった。その気持ちは今でも変わらない。じゃが心すら無くした奴をのうのうと生かしておく程――




 ――儂は甘くないぞ




 突如、強大な魔力がゼノの体を覆う。その強大さは魔力によってゼノの体が漆黒に包まれる程のものであった。




 「な、なんだこいつは! 死にぞこないじゃねぇのかよ、オラッさっさと死ねよ!」




 男は剣をゼノに振るうが、その刃がゼノの体まで届く事はなかった。強大な魔力の前にすべて弾き返されていたのだ。




 直後、漆黒に覆われたゼノの腕が勇者の体を突き刺した。




 痛みにもがき苦しみ「や、やめろ…」と力なく呟く男の体をそのまま抉り取る。




 男の上半身は、最早人間だった何かと言わんばかりの有様であった。




 「ひっひえええええ! 助けてくれえええええ!」




 取り巻きの男二人は恐怖のあまりその場で尻もちを付き倒れ込んでいた。




 ゼノは両腕でその男たちの頭を掴み、二人を持ち上げる。そして後悔する間も与えることなく、その頭を握り潰した。




 事を終えると、ゼノの体を覆っていた漆黒が霧となり消えてゆく、そして力なくその場にゼノは倒れた。




 たとえ万全の状態であったとしても、使えば命は無い諸刃の魔法じゃ…。




 自身の死を間近に感じたゼノであったが、最期に一目でもライナの顔を見ておきたいという気持ちが溢れ出してくる。




 ライナ…ライナよ…強く生きてくれ…あと少しだけ成長したお前の姿を…一目でも…一目でも…




 その目からは涙も溢れ出していた。








 「じいじ!」








 …声が聞こえた。毎日聞いていたこの声…ライナ?




 「じいじ! しっかりして!」


 「ライナ…わかっておると思う…儂はもう駄目じゃ…」


 「何言ってんだよ! じいじが居なくなったら俺は…」


 「ライナ、お前はもう一人で生きて行ける…じゃがまだ未熟じゃ…あと5年はここで鍛錬するんじゃぞ…そしたら世界を見て回れ…人間を知れ…魔族を知れ…儂の意志を継いでくれ…」




 そう言うとゼノは自分の胸に手をあて、残っていた全ての魔力を手に集めた。そして、手をライナの頭に乗せその全てを与えた。




 「これは…じいじの…」


 「悔いは…ない…お前と過ごせて…たの…し…」




 ライナは力なく落ちゆくゼノの手を受け止め握りしめると、ずっと離す事はなかった。ずっと…。






     *






 一人の男が墓の前に立つ、そして一輪の花を添えると墓に語り掛ける。




 「じいじ、約束通り5年頑張ったよ俺…だから暫くのお別れだね」


 「あの時、じいじの記憶を見た、けど、じいじは人を恨む事なんてしてなかったね。最後まで人を、魔族を信じていた。だから俺も信じて生きて行こうと思う。まだこの世界の事なんてほとんど知らないけど、これからそれを知る為に旅に出るよ。ちょくちょく戻ってくるから、見てきた事はその時話すよ。だから少しだけ待っててね」




 ライナは立ち上がり墓を後にする。そして、もう一度振り返り墓を一目見た後、笑顔で「またね」と呟いた。

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