最終話 レイジィ・ブレードの憂鬱
閉じた目を、少年が開けた。
「……はずかしい。ぼく、なんだか助かっちゃったみたい?」
吸血鬼の血が、その死を遠ざけたのか。
それとも別の力が働いたのか。
頬をバラ色に染めながら起き上がった彼を、俺は抱きしめる。
「レイジ、見て。奇跡だよ……」
周囲では、芋虫になっていた人々が次々と人間へ戻り、お互いを認識して
誰もが隣のものを抱きしめ、ニュートラルであるとかトランスであるとか気にすることもなく、喜びを分かち合っていた。
人々の間に大きく横たわっていた溝が、この瞬間崩壊したのだ。
それから、いろいろあって。
少年は掃除屋の仲間になった。
「ぼくのちからを、みんなを助けるために役立てたいんだ!」
若さに血をたぎらせながら笑う彼を、俺たちは微笑ましく眺めて。
いつまでも、こんな幸せが続けばいいと願って――
「起きろ、レイジ。いつまで夢を見ている?」
――そう、こんなものは、夢でしかない。
目を開ける。
相棒が、青白い顔を普段より厳しいものにして、俺を覗き込んでいた。
服装は、いつものタキシードではない。
同じ黒色だが、それは喪服の色だった。
「……もう、合同葬儀の時間か」
「ああ、貴様とて死者を
「許されないかも知れないけど……あるんだ、俺にだって、そんな心が」
生きた屍のように、緩慢な動作で起き上がる。
椅子にかけていた上着を掴み、袖を通す。
ユア・ピューピィは死んだ。
大勢の人々も死んだ。
誰も生き返ったりしなかったし、嘘になんてならなかった。
皮肉なことに、生き残ったのは俺たちと、そしてノーフェイスだけだった。
世界は、いつだって理不尽で残酷だから。
§§
目抜き通りを通って、町の中心へ。
途中声をかけてきたロストルに金貨を投げ渡せば「十分注意してくだせぇ、ここからが本番でさぁ」という具体性のない忠告が飛んでくる。
冗句なのか、そうでないのかも解らず曖昧な表情を返して歩き続ける。
さしもの相棒も、いまだけは皮肉や暴力を投げては来ない。
大穴の淵に立ち、転換炉塔を見上げる。
何も変わらず、天使の心臓へと突き立った杭はいまも命を吸い上げ、この街の人々を生かしている。
罪と
葬儀には、多くの人たちが参列していた。
皆一様に鴉の濡れ羽色の服を身につけ、うつむき、ときに
どこかで、鐘が鳴った。
投げ入れられていく布に包まれた遺骸。
黙祷。
祈り。
俺は、なにに祈ればいいのだろうか?
全てを間違えた俺は、なにを願えば――
「単純な話だ」
相棒が、黒い唇を震わせる。
「安寧を。この不条理な世界に、二度とユア・ピューピィが産まれ堕ちないことを。祈れ、レイジ」
「それは」
それは、あまりにも、ご都合主義な結論で。
『ああ、そうだ。祈りなど、おまえには不要なのだ、レイジ』
俺にだけ聞こえる声が、奈落の底から届いた。
遠雷にも似た、轟々と響く声音。
この目が、暗黒の最底辺に鎮座する、白き騎士王の姿を幻視する。
サァヴィッヂ・オブ・ホワイトライダー。
俺と同じ顔を持つ、俺の――
『おまえの兄である我が、教えてやろう。ユア・ピューピィを生み出したのは、おまえが守ると誓ったニュートラルどもだ。あれら地虫は、トランスを怖れ、その力を研究するために、憐れなあの少年を生み出した。そんなものを、おまえはまだ守るというのか?』
衝撃的とは言い難い事実に、俺は答えない。
『なるほど、予測はしていたか。そのくせに
それが、彼の願いであることを俺は知っていた。
ずっと向き合ってきた。
騎士王が笑う。
邪悪に、無垢に。
混沌も、善悪も、何もかも飲み込むような
『ボマー・ゼーとノーフェイスがいま死んだ。我が殺した。あれらは最早不要だからだ。ついでにジルヴァ・ヴァン・メテオールも殺した』
嘘つきめ。
『ああ、嘘だ。だが、彼奴らはいずれ死ぬ。我の手のひらから逃げ出したすべてのトランスは、必ず死ぬ。おまえの隣にある吸血鬼さえも。トランスではないニュートラルもまた。ゆえに』
ああ、だから。
その前に、決着をつけよう。
俺はこの街の人々をおまえから守り。
おまえは全てを殺し尽くすために、飛翔する瞬間を夢見続けろ。
絶対に、そんなことは許さない。
俺が、全霊を持って阻んでみせる。
『よい気概だ。目に活力が戻ったな。レイジ、我が唯一の同胞よ』
絶対なる騎士の王が。
ほんの僅かに、揺らぐような言葉を口にした。
『おまえの目は、変わらず美しい空色をしているな』
「…………」
『あの本は、我なりのユア・ピューピィへの手向けであった。ほんのひとしずくの干渉と感傷。保存していた遺物の断片。それだけは、知っていろ。おまえだけが、知っていればいいのだ』
ああ。
「そういうやつだよ、おまえは」
言葉にして答えたとき。
白き極光が、再び暗黒の中に消えた。
また、眠りについたのだろう。
「……レイジ?」
異変を察知した相棒が、冷や汗を流しながら俺の名を呼ぶ。
数秒の沈黙のあと。
俺は、ゆっくりと彼に向き合う。
「エウセスカ。俺は、やっぱり悲劇とか嫌いだ。笑い飛ばせる世界のほうが、よっぽどいい。憂鬱なんて、まっぴらだ」
「…………」
「だから――もう少し、付き合ってくれ。この国を、力ない誰かを、ユアのような苦しみで死なせないために」
「レイジ」
相棒へと、拳を伸ばす。
エウセスカはほんの僅かに赤い瞳を見開き。
それから、自分の拳をコツンと突き合わせてくれた。
「ならば、さっさと仕事へ戻るぞ。油を売っている暇はない。ジルヴァはこの数日、腑抜けた貴様にお怒りだ」
「それはおっかない。ブランデーでご機嫌を取り、真面目に働くとするか」
この世はどこまでも残酷で。
理不尽で不条理で醜悪で。
けれど、命はそんな世界に生きている。
だから、俺たちは戦い続けよう。
俺たちが、戦い続けよう。
今日も、明日も、明後日も。
少年が夢見た、青空が。
生きる希望が、この世にあると証明するために。
「行くぞ、相棒」
「心得た」
歩き出す。
天を衝く塔と奈落へ背を向け。
人々が営みを送る、街へと向かって。
一陣の風が吹く。
「さようなら、ユア・ピューピィ」
俺たちは、きっと君を忘れない。
風にほどけることを知りながら、俺はそんな言葉を、紡いだのだった。
レイジィ・ブレードの憂鬱 完
レイジィ・ブレードの憂鬱 ~煤煙に閉ざされた隔離都市で、不殺の剣士は青空を見たいと願う記憶喪失少年のために〝なまくら〟を振るう~ 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo
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