第六話 青空
『御覧になっておりますか、サァヴィッヂ様!』
転換炉塔に沿って大空へと駆け上がる異形、ノーフェイスは、感極まって
いまやトランス集合体となった彼は、自身が信仰する存在の目的を達せられることに、忘我の喜悦を感じていたからだ。
すべてのニュートラルをトランスへと変貌させ、差別を根絶する。
その上で閉鎖都市の〝結界〟を突破し、外の世界へと旅立つ。
騎士の王が、外界に降りたってなにをするのか、ノーフェイスには解っていた。
自らたちをこのような
悲願成就の礎となることは、四騎士の使徒として無上の喜びであった。
けれども、この役目を果たすのは、本来ユア・ピューピィであるはずで。
だから彼は泣き続けながら、転換炉塔の頂上を目指すのだ。
『このガキが必要だったことを認めましょう。ですが……もしもボクが、その立場を奪ってしまえば――あなたさまは、ボクだけを見ていてくださるのではないでしょうか? あのときよりも強い殺意で、ボクを求めてくださるのではありませんか、サァヴィッヂ様?』
それはほのかな願望。
叶えてしまうことが出来た、悲しい祈り。
『成り代わり、入れ替わり、誰かの代役でしかなかったボクを、今度こそあなたさまは必要としてくれるのではないですか……? 便利な道具として、代用品として任務をこなしてきたボクを、本当のボクを見てくれると思うのは、傲慢な思い上がりでしょうか?』
きっと、彼が誰にも言えなかった、どうしようもない胸の裡。
『あなたさまの計画を遂行するため、ボクはこの地で転換炉塔と一体となり、あらゆるニュートラルと同化しましょう。価値を等しく、ボクという誰でもない存在で塗りつぶしましょう! そのときこそ、あなたさまが願った世界は降臨する……! ボクこそが捨て石となることで達成される! そのなんと喜ばしいことか。ボクは、ボクはいまこそユア・ピューピィの全てを奪い去り、あなたさまのお側に! あなたさまが無視できないよう、偉業を成し遂げて――』
「そうは問屋が――いや、掃除屋が許さない……ッ!!」
『っ!?』
刹那、羽ばたく翼の末端を、翡翠色の
巨大蛾を速度で抜き去り、その頭上でバッと翼を広げるものがいた。
それは――
「なぜならば! 俺たちが、おまえの野望を砕くからだ!」
『レイジ・オブ・ペイルライダー! またしてボクの邪魔をするつもりですかぁッ!!』
そう、それは俺たち掃除屋だった。
俺とエウセスカが、邪悪な企てなど、けっして許さない!
「何度でも邪魔をするよ。俺は、この街と命を守るためなら、なんだってすると決めているから!」
「格好をつけているところすまないが、貴様の血液で回復した分を加味しても、私の力ではあと数十秒の飛翔が限界だ。それを踏まえて戦え」
「オーライ!」
背後で
彼は黒狗のときと同様肉体を変化させ、いまは人ほどの大きさのコウモリとなり、俺の翼の代わりをしてくれていた。
それは、とんでもない無理を通した結果だ。
だから――なんとしても、ここで決着をつける……!
「ユアを助ける。ノーフェイスを倒す! やつとの因果、ここで断ち切る!」
『羽虫風情が……!!』
「どっちがだ!」
涙を消して怒りに吠えるノーフェイスが、羽ばたきひとつ、鱗粉をまき散らしながらこちらへと突っ込んでくる。
巨大蛾の口が左右に割れ、爆発の
大きく
あれは、ボマーの力の延長線上か?
疑問を抱く間もなく、すれ違いざまに刃を突き立てるが――鈍い音。
刀身が、砕け散った!?
『みなさい! ボクの肉体は、既にあなたを超越している!』
鋼の硬度となったノーフェイスは、強固な翼でこちらを殴る。
刹那、翼を形作る少年達が手を伸ばし、俺たちに掴みかかってくる。触れた部分が爆ぜ、爆煙を上げる!
頬を引っかかれ、コートの一部が引き裂かれ。
肉を抉られ、骨が欠け。
それでも、血液で赤い軌跡を描きながら、一時離脱。なんとか体勢を立て直す。
残る二本の剣を引き抜き、再度攻撃を仕掛ける!
『無為無駄無用!』
刃は通らず、追撃を防いだ瞬間、刀身は
だが、俺たちは退かない。
巨大蛾とコウモリの翼は、何度も打ち合いながら、遙か高みへと登っていく。
やがて、どこまでも登り詰め、転換炉塔の頂が見えてきたころ。
『な――なんですか、これは……?』
ノーフェイスが眼下を見おろし、
そこに広がっていたのは、ル・モン・ルルという国。
天使の形をした大地に突き立つ、十字塔の姿。
「サァヴィッヂから聞かされたなかったのか? これが人間が犯した罪。俺とサァヴィッヂが百五十年前、全てを破壊してまで争った理由だ」
『いったい、なにを言っている、レイジ・オブ・ペイルライダー!? あなたが、百五十年を生きた? 吸血鬼でもないあなたがどうやって……』
簡単なことだ。
「俺とサァヴィッヂは、天使から生まれた
『――――』
遙か百五十年前、世界は消滅の危機に立たされた。
大洪水が起きたのだ。
それを解消すべく、神は天使を遣わした。
が、人間は醜悪だった。
天使を
それが、ル・モン・ルルの成り立ちだ。
この国は、天使の
国土こそ、罪の証しそのもの。
罪科の中で生きる人々の思念が結晶化したのか、はたまた天使の涙が凝ったか。
やがて地の底、転換炉塔の底で、ふたつの命が産まれ堕ちた。
それが俺と、サァヴィッヂ。
天使の子どもたち。
トランスは、その影響を受けた新たな生命体だ。
『そんなこと、サァヴィッヂ様は、ボクにはなにも――』
「信頼されてないのかもな」
『う、うるさい……! 小賢しい口をつぐめ……! 万事休す、そう、あなた方こそ万事休すの打つ手無しでしょう? なにが天使の子どもですか、そんなハッタリには乗りませんよ。さっさと負けを認めて、そこで死ねばいいのです! そう、そうですよ、裏切り者が死ねば、きっとサァヴィッヂ様もお喜びになるに違いないのです! 執着は、あの御方が見ているものは、あなた方ではなくボクだけでいいのですから……!』
またも祈るように涙をこぼすノーフェイス。
どうやら、動揺を誘う作戦はあまりうまくいかなかったらしい。
「どうするつもりだ、レイジ! やつは既に四騎士にも匹敵する強者だ! 加減していては、こちらが死ぬぞ?」
相棒の問い掛け。
解っている。
解っているんだ。
だから。
だからいま、俺はここで――君の名を呼ぶ。
「ユア・ピューピィ! 見えずとも、君はそこにいるはずだ! 君は! こんなことを望んでいるのか……!?」
『無駄と言ったァ! すでにクソガキの精神は崩壊し、ボクが略奪の限りを尽くしたのです。奪い尽くした、貪り尽くした! もはや呼びかけたところで、応えるものなど――!』
「貴様は黙っていろ」
エウセスカが黒杭を放ち、ノーフェイスの意識を阻害する。
俺は呼びかけを続ける。
これは、決して賭けや博打の類いではない。
なぜなら彼は、願ったのだから。
「一緒に、青空を視るんだろ? もう一度フィッシュアンドチップスを食べるんだろッ? 君は、夢を諦めるのか? ユア、君は――
『――馬鹿なっ!?』
同時に、彼を押しのけるようにして、ひとりの少年が姿を現す。
金色のふわふわとした髪に、榛色の瞳をしたあどけない顔立ちの彼。
ユア・ピューピィが。
微かな笑みで、願いを口にした。
「レイジ……終わりにして」
「――――」
「ぼくは、あのときこの街に祈ったから。幸せになって欲しいと、心の底から思ったから。だから……おねがい」
「俺は」
「こんなと、レイジにしか頼めないよ。それにぼくは……レイジがいいんだもん」
「……解った」
俺は、折れた刃を、天へと掲げる。
『ありえない! 身体が動かない。なんだ、なにをしたのですか、このクソガキめぇっ』
「最後に勝つやつはな、最初から笑ってるものなんだよ、ノーフェイス。おまえは泣いた。ユアは笑った。それだけの話だくそったれ!」
『ひっ!?』
悲鳴と共に、暗殺者は見た。
曇天。
それすらも覆い尽くす、無数、無尽、無限の刃を!
かつて、俺は人々守るため、世界の全てを向こうに回して戦った。
そのとき、あらゆる場所を斬った。
最早二度と誰も斬るまいと誓うほど、俺は多くの命を、世界を切り捨てた。
切断の記憶は
遅れて、いま再生される。
これが、これこそが俺の渇望――
「
降り注ぐ、無量大数の剣閃が。
悲鳴を上げる巨大蛾を。
絶叫と怨嗟に朽ち果てる暗殺者を打ち砕き。
そして。
そして少年は――
「ありがとう、レイジ」
地に落ちる刹那、たしかに笑っていたのだ。
§§
「ユア……!」
墜落するようにして地上へと降り立ち、つんのめるようにして巨大蛾の残骸へと駆け寄る。
途中で抜け落ちたのか、ノーフェイスは地面で伸びており、命に別状はない様子だった。
一方で、ユアは。
「ユア」
「……ぁ」
少年の身体は、ボロボロだった。
薄い胸は裂け、肋骨が皮膚を貫き、内臓があふれ出す。
どう考えても、それは致命傷で。
「エウセスカ!」
「解っている!」
疲弊しきっているところを押して、即座に相棒が自らの手首を噛みちぎる。
膨大な量の血液がユアの上へと落ちて、傷を癒やし。
癒やし。
癒やして――くれない。
もはや、少年の生命力は尽きているとばかりに、ただ血液は無駄に消費されるばかりで。
「れい、じ」
「なんだ、なにが言いたいんだ、ユア?」
微かに伸ばされた手を取り、絶え絶えの言葉を聞き逃すまいと、耳を彼の唇へと近づける。
「そら」
少年の眼差しを、まっすぐに空を見上げていた。
俺のトランスによって、隔離都市の暗雲は切り裂かれていたのだ。
「ねぇ、いま、そらは、あおい?」
彼の言葉に、最早少年の視力がないことを知る。
俺は天を仰ぎ、震える口元を無理矢理笑みの形にした。
「青い、青いとも。あの絵本のように、青空が広がっているぞ?」
「そっ、かぁ。れいじのおめめと、おなじいろのそらが?」
「ああ!」
嘘だった。
暗雲の先にあったのは、暗黒の外壁。
この国を閉ざし、隔離し、埋葬する壁があるだけだった。
それでも、俺は嘘を吐く。
ほんの少しでも少年の心を守りたくて。いまにも消えゆかんとする命に、報いたくて。
「ねぇ、れいじ。えうせすか」
かすれて消えるユアの言葉。
俺たちは、必死で耳を傾けて。
「ぼく……しにたくないなぁ……」
彼は微笑んだ。
笑いながら、ボロボロと涙をこぼして、顔をくしゃくしゃにして、訴えた。
「しにたくないよぉ、せっかくれいじたちにあえたのに。なにもわからないまま、おわりたくないよう。たすけて、たすけてよ、れいじ、えうせすか」
――当然だった。
理不尽に苛まれた彼が、思い残すこともなく死ねるなど、幻想以外の何物でもなかった。
傷の痛みが。
心の傷が。
一秒ごとにこぼれ落ちていく熱が、彼の精神を粉々にして。
「ぼくを、たすけ――」
消える。
榛色の瞳から、命の光が。
「エウセスカ!」
「やっている、既に! だが、これは、もはや」
吸血鬼の血液は如何なる傷も癒やす。
けれどそれは、命と精神に関わらない限り、だ。
少年にはもう、奇跡など起こりようがなく。
「――――」
彼の口唇が、最期の言葉を紡ぐ。
それは。
それは――
「ふぃっしゅあんどちっぷす、おいしかったなぁ……また、たべた――」
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