第五話 相棒
「ああああああああああああああああああああああ……!」
絶叫をあげるユアの身体が、青白く発光する。
砕け散る培養槽。
あふれ出した虫たちが、少年へと殺到し、糸を吐き出しはじめる。
「ユア! 心を落ち着けるんだ! このままじゃあのときの二の舞になる!」
「うわあああああああああああ!!」
「ユア……!」
聞く耳などあるわけもなく。
少年はただ、
強烈な違和感。
「なぜ、都合よくこの場所の情報が手に入ったのだと思います?」
こちらの動揺へつけ込むようにして、身動きの取れない暗殺者が口を開く。
その両腕は、いまだに
三日月のような、歪んだ嘲笑を。
「何故だと思いますか、ペイルライダーさま?」
「おまえが、意図的に情報を
「……お気づきだったわけですか?」
「誰へのあてつけか知らないが、おまえはわざとそれをやった」
「底まで理解していて、なお少年をここに連れてきたと? エゴですねぇ……とてもサァヴィッヂ様によく似ている。
彼の瞳に宿るのは狂信。
どうしようもない、
「サァヴィッヂ様が興味をしめておられるのはあなたと、そしてこのクソガキだけ。この街のニュートラルどもを絶滅させ、国の外へ出るための鍵としてお作りになった。ボクはずっと考えていました。あの恐ろしくも甘美な
暗殺者の顔に宿る、覚悟。
その両腕が、大きく振り抜かれる。
縫い止められているものが裂ける、生々しい音色。
男の指先が全てちぎれ、血をまき散らす。
激痛を感じているはずの暗殺者は、しかし、意にも介さず姿を別のものへと変えていた。
「サァヴィッヂ様の寵愛を受ける方法。それは――ボク自身がクソガキとなることだったわけです」
彼は、ユア・ピューピィになっていた。
ふわふわの金髪、榛色の瞳。
抱きしめればへし折れそうな
少年となった暗殺者は、一息に跳躍する。
虫たちによって編まれた糸の中心へと着地し、ノーフェイスは――誰でもない誰かは――ユアを、抱きしめた。
「ボクと、ひとつになりましょう、ね?」
「ふざけ――」
止めようとしたとき、屋敷の外から地鳴りが聞こえた。
違う。
室内に雪崩れ込んでくる膨大な質量。
それは、無数の芋虫たち。
変異した人々が、施設の周辺に住んでいた健常者だったものが、少年達へと群がり、糸を放ち。
やがて、巨大な〝繭〟を形成する。
繭が肥大化。
地下室におさまりきれなくなったそれは、屋敷を破壊してなお拡大を続け。
俺は、俺は。
「大馬鹿者めが! 貴様が、こんなところで死ぬことなど許されるものか……!」
室内に飛び込んできた黒い疾風。
「エウセスカ……」
黒狗となった吸血鬼が、俺の
外に出た俺たちが目撃したのは、巨大に成長した繭の姿。
繭の表面が白から黄色へと変わり。
やがて黒くなって、砕ける。
『――――――ッ!!!』
産声は遠雷の如く、轟々と鳴り響き、衝撃波が周囲の建造物を破壊する。
中から現れたのは、三十メートル近い巨大な〝蛾〟であった。
極彩色の羽模様の全ては、ユアと同じ顔をした人間たちが折り重なって出来ており、悪夢が具現化したようであった。
頭部には触角が生えており、その真ん中からはユアが――否。
彼に擬態したノーフェイスが、醜悪な笑みを浮かべている。
縦に割れた乱ぐい歯が再び咆哮を放ち、羽ばたきがはじまる。
大きく
『あははははははは! ボクはついに手に入れたのです! 究極、極限、極地! 全てのニュートラルを滅ぼす絶望の力を! サァヴィッヂ様! とくと、とくとボクを御覧ください! いまより天の頂へと向かい、空に風穴を開けて見せましょう……!』
哄笑をあげながら高速で飛び去っていく巨大蛾。
俺は、その場に崩れ落ちることしか出来ず。
「
熱感。
頬を張られたのだと気がついたときには、胸ぐらを掴まれ立ち上がらされていた。
人の形に戻ったエウセスカが。
ボロボロで、顔色は青白く、いまにも死にそうになっている彼が、燃える瞳で俺を睨み付けていた。
失望と紙一重の怒りが、そこにはあった。
「貴様は、なにを諦めたような顔をしている? なにも終わってはいない、なにも投げ捨てるべき局面ではない」
「……でも、俺はユアを助けられなくて……見ろよ、いまだって、こんなにも被害が出て……」
俺たちの目には映るもの。
ノーフェイスがもたらした災厄。
道を歩いていたただの人が芋虫に成り果てている。
トランスの子が親を探して歩き回り、その足が芋虫をひとつ踏み潰す。
崩れ去った家屋の下から這い出してきた女性の下半身は、ちぎれて白い体液を流している。
地獄だ。
これは、俺が作った地獄だ。
「そうだ。貴様にはこの未来が予測できたはずだ。この国が生み出されたときからここで生き、全ての人間を育ててきた貴様には、ユアのトランスがなんであるか、予想が付いたはずだ。トランスも、ニュートラルも分け隔てなく親として見守ってきた貴様には、理解がおよばずとも、それが厄ネタであることぐらい察していたであろう」
彼の言葉は事実だった。
俺には解っていた。
ユアがトランスであることも。
彼の命を繋げることが、どれほど危険であるかも。
けれど――
「そう、けれど。貴様は、命を見捨てなかった。偽善だと解っていながら、目の前で手のひらからこぼれ落ちる魂の雫を看過することが出来なかった。殺しておけばよかったものを、あの子を救った。で、あるにもかかわらず、この体たらくか? 己の所業を悔いて打ちひしがれる暇が、貴様のどこにある?」
彼の
間違いなく正論だった。
なのに、俺の足は
「――私を頼れ、レイジ!」
額がぶつかるほど強く、胸ぐらを引き寄せて。
吸血鬼が、吠えるように訴える。
「私は、貴様の相棒なのだろう? 苦楽をともにし、試練を乗り越える同胞ではないのか? なぜなにもかもを独力でやり遂げようとする? 私は――この私は、そんなにも頼りないのか!?」
「――――」
目の前にいる、長身の美丈夫が。
その一瞬だけ、俺には幼子に見えた。
自分を殺せと俺に願い、生きたいと訴えたあの頃の彼に。
「レイジ・オブ・ペイルライダー! 貴様の信念は、どこにあるッ」
「……悲しいことをさせない。命の花を散らせない」
「あの幼子は、いま望んでこの国を滅ぼそうとしてるとでも思っているのか?」
「違う。あの子は優しい子だ。だから」
「だから、なんだ」
「……助けたい」
「…………」
助け、たいから。
「俺に、力を貸してくれ、エウセスカ。いまから――ユアを迎えに行く……!」
「初めから、そう言えばいいのだ、大馬鹿者」
掴んだ襟を離した相棒が。
今度は、こちらへと手を差し伸べてくる。
俺はそれを強く取って。
弱さを覚悟に変えて。
大地を踏みしめる。
「行くぞ、相棒。俺の――この血を存分に
「その言葉が聞きたかった!」
俺は彼を抱き寄せる。
彼は乱ぐい歯を剥き出しにして。
それを――俺の首元へと、突き立てた。
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