第四話 培養美少年

 走る、走る、走る。

 息を切らして、戦線を離脱するために。

 腕に抱いた少年は軽く、はかなく。

 ただ、走る。


 やがて、見えてきた。

 門構えだけは立派な廃墟。


 ジブリスタス孤児療養所が。


「あれが、ぼくのいた場所……」


 実感が湧かない様子のユアを抱えて、封鎖された門扉を飛び越える。

 そのまま、無礼を承知で中へと踏み入ると――


「うっ」


 思わず鼻を覆いたくなるような、濃密な腐臭がそこにはあって。

 腐臭。

 違う。

 これは――死の臭いだ。


「ユア」

「進んで。ぼくは、自分が誰なのか知りたい。でなきゃ、いつまでも変われないから」


 幼さの残る少年の顔立ちに、いま、覚悟の二文字が刻まれていた。

 ああ、そうだ。

 ここには、そのために来たのだ。

 退くという選択肢は、ない。


 /果たして本当にそうか?

 /敵に追われている状況で、わざわざ少年のルーツを探る必要があるのか?

 /安全と万全を期すべきではないのか?

 /なにか、重大なことを見落としてはいないか?


「進もう」


 脳裏に浮かんだ不吉な思考。

 打ち消しても打ち消しても湧き上がる、不確定要素。

 それでも、つけるべき決着はここにあると理解して、俺たちは進む。


 四騎士の使徒がユアを狙うのなら、安全なときなど存在しない。

 実働部隊と目されるノーフェイスを、相棒が釘付けにしているこの瞬間こそ、横やりが存在しない最後のタイミングだ。


 そう、言い聞かせるように心の中で唱え、導かれるように、診療所の奥へと向かう。


 疾病しっぺいのある孤児達が暮らし、治療を受けていただろうそこは、サナトリウムのように静かな色合いをしていた。

 真っ白な壁。

 外界を閉ざすカーテン。

 怪我をしないように丸みを帯びた家具や玩具たち。


 なにもない。

 腐臭の元になるようなものは、ここにはひとつとてない。


「……地下」


 なんだって?


「地下が、あるんだよ、レイジ。あの部屋の奥に階段が……」

「記憶が戻ったのか?」

「わかんない……でも、そんな気がするんだ……」


 ユアが指差した方向には、確かに扉があった。

 開けると、中は物置のようで。


「その、ロッカーの中」


 彼が示した場所には、本当に地下へと続く階段が存在した。

 底の見えない階段。

 俺たちは顔を見合わせ、しばらくの逡巡しゅんじゅんの末、頷き合う。

 階段を、下る。


 カツン、カツンと、足音がやけに響いて、距離感が曖昧になっていく。

 真実へと近づくため、俺たちはひたすら地下へと潜る。


 どれほど下った頃だろうか。

 ぼんやりと、青緑色の光が、前方に見えてきた。

 誘蛾灯に誘われる蟲のように、俺たちはその光の源へと踏み入って。

 そこには――


「な、に、これ……?」


 舌をもつれさせた、少年の悲鳴ともうなり声とも付かない独白。

 青緑色の光が照らしだしたのは、本館と同じくらい巨大な部屋。

 そして、その壁一面に並んだ無数の〝培養槽〟。

 液体が満たされ、緑色に輝く無数のガラス管のなかで。


 ユアと同じ顔をした全裸の美少年達が、にこやかな笑みを湛えて浮かんでいた。



§§



「おかしい、おかしいよ、これ……レイジ、変だよここ……だって、ぼくが、ぼくがたくさん……?」

「ユア」

「ぼ、ぼくのほうがかっこいいから、きっと別人、だよね……? そうだよね?」


 下手な冗句とともに、口の端を痙攣させる少年。

 エウセスカがたたき込んだメンタルセットが、ギリギリのところで彼の精神を保っていた。

 彼の自我アイデンティティが崩壊する前に、この部屋を出たほうがいいのは間違いない。

 けれどユアは、ふらふらと部屋の奥へと歩き出してしまう。


 やがて、ユアの目が大きく、これ以上無く見開かれる。

 そこにあったのは、書架だった。

 壁一面を埋め尽くす書架に収められていたのは、ただ一種類の絵本。


 天使と青空について記された、あの絵本だった。


「なんで……どうして……ぼくは――青、そうだよ……青い空が視たくて……地下にいたから……? 地上のことを、なにも知らなくて……?」

「もう考えなくていい。一端ここを出よう。なにか、ここは酷くまずい……!」

「触らないで……!」


 少年の細腕を掴んで、無理矢理に外へと連れ出そうとすると、強い力で手を振り払われる。


「天使さま……そら……とじたせかい……ぼくは……まゆを破るためにうみだされて……ゴフッ!?」

「ユア!」


 前屈みになり、口元をおさえる少年。

 吐瀉物が指の隙間からあふれ、埃ひとつない床をけがす。

 うずくまって喘鳴ぜいめいをあげる少年の背中をさすっていると、背後から声が聞こえてきた。


「そうだ。ル・モン・ルルという隔絶都市を破るため、四騎士によって人工的に生み出された〝トランス〟――それがこの少年の正体だ」

「エウセスカ……」


 顔だけを向ければ、ボロボロになった相棒が、戸口に背中を預けて立っていた。

 彼は唇をいびつに歪めながら、ふらふらとユアのほうへと歩み寄ってくる。


「いま雇い主から連絡があって解ったのだ。この療養所では、治療という名のトランス研究が行われていた……らしい」


 それは、どんな内容の。


「騎士の因子を埋め込んだ〝素体〟に、任意のトランスを発現させる研究だ。穴蔵の底には、そんな研究施設が山とあるそうだな」


 怒るぞ。

 ここでは、なにをしていたのかと俺は聞いてるんだ。


「……すべての健常者をトランスへと変質させる実験。そして、あまねくトランスを、ひとつに束ねる実験だ。その栄誉ある因子のゆりかご、実験に選ばれた素体こそ――〝ピューピィ〟の名を冠するこの少年だったという話だ」

「じゃあ、ぼくは」

「はじめから、人間ですらない。貴様は、転換炉塔へとくべられる供物くもつ、実験動物にも劣る道具に過ぎないのだ」

「――――」


 残酷な物言いに、絶句する少年。

 その瞳は涙をこぼすこともなく、干上がり、虚無と化していく。

 歩み寄ってくる吸血鬼。

 俺は、一度目を閉じて――開き――問いかけを放った。


「なあ、エウセスカ」

「なんだ」

「おまえはいま、俺を殺してくれるか?」

「……奇妙なことを言うやつだ。私が何故、仲間である貴様を殺す?」


 刹那、俺は抜刀し、そいつの首元をねようとした。なぜならば男の変化した鉤爪かぎづめは、ユアの首筋へと伸びていたからだ。

 吸血鬼が飛び退き、暗殺者のような笑みを浮かべる。


「なぜわかりましたか……?」

「……俺の相棒はな。俺が間違ったことをしたら、殺してでも止めてくれるんだよ!」

「それは――ねじれた御関係で!!!」


 エウセスカの身体が溶ける。

 それはすぐに再構築され、現れたのは筋骨隆々とした燕尾服の男。


「ノーフェイス!」


 俺は、暗殺者へと斬りかかる。

 ボマーの証言と、写し身というトランスの内容から、こいつが他人の姿へとなりかわれることは推測が付いていた。

 トランス渇望の名は〝写し身シェイプシフター〟。


 そうして襲いかかってくるのなら、致命的な一瞬であることも読んでいた。

 だが、俺は判断を仕損じた。

 ユアに、見せてはならないもを見せ、聞かせてはならないことを聞かせた。


「だから」

「せめて、ボクを殺しますか?」

「殺さない! 俺は、誰も殺したくない……!」

「いつまでそんな戯れ言を吐けますかねぇ!」


 飛んでくる無限の糸。

 ここまで来れば、その種も割れている。

 やつの腕の延長線上に向かって、怠惰な利剣を打つ。

 糸と激突する刃。

 瞬間、斬撃を開放する!


かき乱す怠惰の利剣レイジィ・ブレード・ノイジィ!」

「おっと」


 糸が、床へと叩きつけられる。

 その正体は、やつの手のひらから異常なほど細く伸ばされた、糸状の指と爪だった。


「おや、両手が、動きません、ね」


 全身に負荷を喰らい、苦痛の表情で膝を突くノーフェイス。

 遅れる斬撃という特性を利用して、これまでたたき込んできた剣撃を一斉に開放したことで、その過重に耐えきれず〝糸〟ごとやつの腕が床へと縫い付けられているのだ。

 百の斬撃は、如何にトランスであっても支えられる重量ではない……!


 ゆえに――そのトランス、見切った!


「……やりますね、ボクの技を無効化するとは、さすが指し示したサァヴィッヂ様の弟君。ですが……」


 暗殺者は余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった表情を崩さない。


「そんなことより、あなたの相棒さんのことが気になりませんか? ボクに殺されてしまったのでは?」

「吸血鬼が曇天の下で死ぬものかよ。いま、俺はおまえを叩きのめすことしか考えてないね」

「なら――それが致命傷です」

「な」


 なに?

 と、疑問を呈する時間はなかった。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 背後で上がる絶叫。

 振り返らずとも解った。

 それは、少年の叫喚きょうかん

 哀咽あいえつの悲鳴。


 絶望に支配されたユアの〝渇望トランス〟が、世界へとあふれ出して――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る